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将監舘跡  田村四十八舘



将監舘跡  田村四十八舘


旧中郷村大字根本の中部に在り。


長作(永作)将監の居住したと伝わっています。


田村郡郷土史参照








将監舘の将監とは通称官位銘です。


生まれてからつけられる名前が「幼名(ようめい、ようみょう)」。

一般的には、成人にあたる「元服(げんぷく)」まで、この幼名が使われていました。

元服すると、「諱(いみな)」が与えられ、これが実名、本名ということになります。
ここでの諱とは「忌み名」という意味合いをもっており、生前に実名を口に出すこと、人前で明かすことは禁忌とされていました。

主君でも家臣の実名を言うことは相手を侵す非礼とされていました。
「実名敬避俗」ということになります。

これは、実名を敬って避けることで、諱(いみな・実名)で呼ぶことは原則許されず、人との会話で名前を呼ぶことはありえなかったとしています。

仮に呼ぶとしても、戦国時代以降に進んだ農兵分離がある程度確立した時代以降に於いての主君が家臣を呼び捨てる場合だけで、対等な立場や主従しているだけの外様に対して名前で呼ぶことはありえません。

ましてや目上の者を名前で呼ぶなど無礼極まりない態度とされていました。

本名にはその人物の霊が宿ると考えられていたからです。

諱という漢字が関連していると考えられます。

日本語では「いむ」と訓ぜられるように、本来は口に出すことがはばかられる言葉とされていました。

また、諱という漢字は、古代に貴人や死者を本名で呼ぶことを避ける習慣があったことから、転じて人の本名(名)のことを指すようになったとされています。


三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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右近舘 七郷村 田村四十八舘




右近舘 七郷村 田村四十八舘


大越紀伊守の長男右近が、三春田村家のお家騒動の折に、相馬方について敗れた紀伊守の没落後に、この地に来て居住したと伝わっています。


尚、大越紀伊守の次男左近は、七郷村大字椚山にあった、追舘に居住するとあります。




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小舘 田村四十八舘 堀越



 小舘 田村四十八舘 堀越

七郷村大字堀越にありました。

小泉藤兵衛が、小泉舘に居住していましたが、永禄二年に小舘に転居してきました。

後に神職となって明石明神前に居を移し、その孫子は代々神職を務めています。


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移舘跡  田村四十八舘



移舘跡  田村四十八舘

旧美山村大字南移字町に在り。

回字型の濠跡など昔の姿をとどめています。

舘主は、菊池五郎右衛門の居住。

その菊池一門と称される者は五家があり、今なお周辺に居住しています。




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飯豊舘  飯豊 田村四十八舘




飯豊舘  飯豊 田村四十八舘



三春城主田村氏の臣、郡司掃部の居舘

飯豊村大字飯豊の中央にありました。


三春田村家御家門方 郡司豊前殿 

御一御門中御家門方 郡司豊前 


郡司雅樂之助 女子田村御前(愛姫)に付いて仙台住 (田母神氏旧記)



現在、郡司姓を称する方々は、この郡司氏の子孫と伝わっています。




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堀越舘 田村四十八舘 堀越




堀越舘 田村四十八舘 堀越

七郷村大字堀越に在ありました。

三春城主田村氏の臣、堀越尾張守の居城。


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谷田川舘  旧二瀬村大字田谷田川 田村四十八舘




谷田川舘  旧二瀬村大字田谷田川 田村四十八舘



三春城主田村清顕の臣、石井豊前守(通称彌八郎と称す)の居舘

  旧二瀬村大字田谷田川字西曲淵にありました。

舘は、回字形を成しており一見では舘とは知られず、天正年間の会津城主芦名盛氏との戦いではその舘機能が活躍し防戦したと伝わっています。


田村家の家臣達は、田村庄及び小野保(現在の小野町)に、後に云う田村四十八舘を築き、それぞれ本拠として防備の為に領していた。

又、重臣である田村一族や直参などは三春城下にも屋敷を与えられ、三春城の一郭を成し非常時に備えていました。

月斎以下重臣屋敷が城近くに配置され三春城の防御の要を成し、常に田村家に近侍する直属の旗本不断衆千騎の屋敷も城近くに集中していました。


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