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袖ふれ合うも他生の御縁 「クミコとToshie(小沼寿恵)のいわきな夜 Vol. 2」に行ってきました。




「クミコとToshie(小沼寿恵)のいわきな夜Vol.2」に行ってきました。


Toshieさんの新譜「HIKARIFLECTION(ヒカリコレクション)」のリリースも兼ねてのライブです。


会場となった平駅前にあるTHE QUEEN Live House(ザ・クイーン ・ライブハウス)は超満員で200人近く入っていたんだろうと思います。


Toshieさんは、新譜から、そして以前の曲も併せて第1部を担当。

地元いわき市出身ということ、そしてToshieさん自身のお付き合いの仕方と頑張りなんでしょう、応援するファンが多数詰めかけて大いに盛り上がりました。


また、さすがMCは、FMいわきのラジオパーソナリティーや、各種イベントでの歌える奇麗なお姉さんMCということで、会場を盛り上げてくれました。


第2部では、紅白出場シャンソンシンガー“クミコ”さんの登場です。


クミコさんがステージに立つと一気に雰囲気がかわります。

さながらここは大人の社交場といった感じでしょうか?

定番のシャンソンからご自身のアルバムに収められている曲も取り混ぜて披露していただきましたが、一曲一曲の場面が叙情的に表現されています。


さすが、紅白歌手!

会場と絶妙なタイミングで間合いを取りながら、シャンソンの世界へ誘ってくています。


笑いの中にも、ちょっとセンチな大人の恋を歌ってくれます。

鳥肌が立ち、涙が出るほどの感動です……!







シャンソンを堪能していますと「あれ、龍ちゃん?」と声をかけてくるぽっちゃりのマダム(おばちゃんて言ったら叱られた!)がいました。

なんと、40年ぶりに会う友人でした。

高校時代以来ですのでもうかれこれ40年近くになります。


郡山から平市内に嫁いで30年になるそうです。


孫もできたそうで「可愛いおばあちゃんでしょ?」と嫌味なロレックスをちらつかせています。


まt、少し形は変わりましたが、幸せな素敵なマダムになっていました。


テレビや雑誌、新聞などで三春昭進堂のことは知っていたみたいです。


しかし、まさかまさかな平のライブハウスでの偶然の再会です。

Toshieさんの出演のエフエムいわきでこのライブを知り、ご主人、そして友人の方々と来場した。聞きに来たとのことです。

ご主人が、クミコさんの大ファンだそうで、ご主人とご主人が代表を務める会社のスタッフの皆様と共に、シャンソンを堪能されていました。


公演終了後、そのまま友人たちの食事会にご相伴させていただきまて、今だから話せるシリーズや、今でもNGワード多発!で“ピー”音が連発する中での昔話!



私のくだらない与太話にお付き合いいただき失礼いたしました。

また、日焼け止めクリームの講習会ありがとうございました。

ま、大爆笑の中、大盛り上がりな打ち上げとなったということでご容赦くださいませ~♪


実は、Toshieさんの打ち上げにお誘いを受けていまして、勘違いがあり友人のお誘いのママ盛り上がっていました。

終盤になり「Toshieさんやクミコさんなどが来ないねぇ~?」などと話をしましたら全くの別件の内輪での飲み会だったみたいで、ライブ打ち上げには行けず仕舞いでした。



……訳アリかって?

当時はアラベスクのセンターボーカル(怒られる~)に似ているといわれていましたが、残念ながら昔の彼女というわけでもなく踊り仲間的な友人です。

もちろん絶対誰にも言えない二人だけの秘密はありますが・・








“私が十九で,町でも噂のちょっとした不良で…♬ 美人だったからチヤホヤされて…♪”ライブの中でクミコさんが歌ってくれた、昔のフランスの女性シンガー“バルバラ”の歌「我が麗しき恋物語」の冒頭です。

内容的には、若いころ不良ぶってその女の子が真面目な男性からプロポーズされ,結婚した・・・・


翌朝、クミコさんのシャンソンが頭からはなれず、ちょっとセンチに浸りたくなったんでしょうか?

ここは平です。

折角ですので、濃い朝靄が立ち込める中海を見て帰還と相成りました。




それにしても、不思議なご縁です。


先のお伊勢参りの際にも猿田彦神社に張った三春昭進堂のシールを、翌日には西田町の客さんが来店され、そのシールを娘さんが見たと報告いただいたり・・・世間は狭いってことなんでしょうか?









この40年ぶりの再会も、「クミコとToshieのいわき…」に来なければ、ありえなかったことで、今年の春先の「親父の逆襲」に行かなければToshi(小沼寿恵)にも出会ってなかったわけです。

そして、永ちゃんのファンじゃ無ければ「親父の・・」にも行ってなかったんだろうと思います。

そして、ガキの頃に遊び惚けていなかったら永ちゃんやその旧友と出会っていなかった…..

ってなもんで、全ての事柄にそれぞれの意味があって、人とつながりがあっているんだと改めて感じた次第です。
 
ま、“世の中は狭い!”そして“悪いことはできません”ということなんだと思います。







「袖ふれ合うも他生の御縁」と昔からいわれているように、人と人とのつながりには、やはり個人的な意思を超えた、縁という深い力が働いているんだとおもいます。


以前、禅の師匠から
「日ごろ、なにげなく暮らしている中での人とのつながりも、実は世界の何十億という人の中から、深い縁の力によって選ばれ、結ばれた結果です。だから感謝と喜びの心をもち、そのつながりを大事にしなくてはならない」とご教授されたことを思い出しました。


夫婦、親子など家族の間にはもちろん、友人・知人・お客様皆様等々の実社会に於いてもこの“ご縁”が働いていて、その“ご縁”によってお互いが結びつけられているんでしょう。



クミコさんのMCにありました。
日々の生活の中で、憎しみや怒りをの感情を持つくらいなら、「好きだノ、嫌いだノ」「恋しちゃったの!フラれちゃった~」などといった、香り高く、ほろ苦いシャンソン的な大人の、しかも妖艶な恋の世界を聞いていたいものですね。



あなたの好きな人と 踊ってらしていいわ~♫

やさしいほほえみも その方におあげなさい

けれども 私がここにいることだけ~どうぞ忘れないで♪

ダンスはお酒みたいに 心を酔わせるわ~

だけどお願いね ハートだけはとられないで~

そして私のため残しておいてね……♪


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:58 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
「お伊勢参り 内宮・外宮」 三春昭進堂伊勢講中 ”弥次喜多珍道中!”




「お伊勢参り 内宮・外宮」 三春昭進堂 御伊勢講御一行 弥次喜多珍道中


江戸時代の中期以降の庶民は、伊勢参りを一生に一度の楽しみとしていました。

火付け役となったのは、十返舎一九の書いた「東海道中膝栗毛」だといわれています。

これは、落語に出てくる”江戸っ子”を絵にかいたような弥次さんと喜多さんが、厄落としのために江戸から伊勢神宮に向かう様子を、面白おかしく書いた書物です。

ま、この時代”伊勢参り”というのは、あくまでも表向きは伊勢神宮への参拝ですが、物見遊山的な観光の旅行だったようです。









私たち三春昭進堂”お伊勢講中”も弥次喜多珍道中にならい、お伊勢さま参拝の旅に出かけてみました。








ちょうど、出発前夜にシンガーyammy*の でデビュー10周年記念のTシャツ「Team Yammy* (ヤミー) T-shirts 10th Anniversary Edition」が届きましたのでそれを着込んでいざお伊勢様へ!






三春昭進堂伊勢講中


6月30日(土) 午前6時ごろ出発

東北道-圏央道-新東名-伊勢道を経て一気にお伊勢さまのある伊勢へ!





私は数年前に第62回神宮遷宮の寄進をした時に拝領した「3級賛助会員・特別参内章」がありました。


伊勢神宮会館にて、「垣内参拝」をするための伊勢神宮崇敬会登録。








赤福でちょっといっぷく~







おはらい町、おかげ横丁で一息ついてっと!








・二見浦の名勝夫婦岩で“サンセット”






伊勢ビールで~






夫婦岩









伊勢神宮外宮さん前の銭湯「常盤湯」で汗を流して、 伊勢山田駅近くで “直会”









 宿泊
・伊勢参拝の宿「紅葉軒」0596-28-2456 外宮近くへ



7月1日(日)






早朝5時、一人外宮参へ参拝です。


静かな外宮を堪能しながらの参詣と洒落込ンでみようと思いましたが、さすがに伊勢神宮外宮様です。

おひさまが顔を出した早朝です。

夜更けから朝方にかけて降った雨のおかげで靄(もや)に覆われた神域。

木漏れ日は幾重にも差し込み、キラキラと輝く光の帯が無数に差し込み前途を導いてくれています。

それはまるでもののけ姫に登場する神様の森の中を歩いているよう~

まさに、神様に導かれて参拝しているような感じです。







早朝から大勢の方々が参拝に訪れていました。


そして、その日は”大祓 おおはらい”の翌日で、神宮司庁等ですべての神宮の職員を祓い清めた直後の神域です。

その清められた神域だからなのでしょうか?


光の帯に招かれるようにお社を廻っていますと、一人独参する場面に出会います。


もちろん、清らかな参道を歩いていますと足元からビリビリと大地のパワーを感じられます!







外宮さんでは、6月の大祓は「夏越の祓」とも言われ、古くから12月の大祓と共に全国の神社でも行われています。

大宮司以下の神職・楽師を祓い清める儀式です。






朝食後、改めまして三春昭進堂お伊勢講中と一緒に、伊勢神宮外宮参内 

もちろん、スーツ・ネクタイ着用







食物・穀物を司る神である豊受大御神がお祀りされています。

衣食住をはじめあらゆる産業の守り神です。









御正殿以外にも風宮、土宮、多賀宮の3つの別宮にもお参りしましょう。

祭神の豊受大御神は約1,500年前、天照大御神の食事を司るために招かれた食と産業の神様です。

地元では「外宮さん」と呼ばれて親しまれています。






外宮では1,500年間、続けられてきた神事で、毎日朝と夕方、天照大御神をはじめとする神々に神饌(しんせん)(お食事)を奉る「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」です。






垣内参拝とは別に、商売繁盛祈願のために御祈祷を受けて参りました。



内宮さんも外宮さんも同じお伊勢の神宮さんなのでどちらで御祈祷を受けてもいいそうです。


私たちは、外宮さんにてお祓いを受けました。


祝詞の中で代表の方々お一人お一人のお名前が呼ばれ畏敬の念に駆られます。

やはり日本人でよかったなぁと思う瞬間です。



神楽奉納を堪能しての退席です。








内宮参詣

垣内参拝のためにスーツ・ネクタイです。







俗界と聖界との懸け橋といわれる宇治橋を渡り、五十鈴川で手を洗い清めます。



そして、御正殿、風日祈宮さま、荒祭宮さまへ!







内宮
日本人の総氏神である天照大御神がお祀りされています。


・倭姫宮
内宮と外宮を結ぶ御幸道路の中ほどの倉田山に鎮座し、倭姫命をお祀りしています。
「倭姫文化の森」、神宮徴古館・農業館、美術館、神宮文庫等。

・伊勢神宮 内宮別宮
ご祭神は月読尊。天照大御神の弟神で外宮別宮 月夜見宮のご祭神と同じです。







直会を兼ねておはらい町にて夕食


清々しい気持ちで一献!








伊勢神宮内宮参道 門前町“おはらい町”

宇治橋から五十鈴川に沿って続くおよそ800mの美しい石畳の通りには、お伊勢さん特有の切妻・入母屋・妻入り様式の町並みが軒を連ねます。
この通りには、伊勢名物赤福餅で有名な赤福さんの本店、榊原物産店さんはじめ、たくさんの土産物店や飲食店などの商家が建ち並び、参拝後の町歩きがたのしめます。






江戸時代には、伊勢参宮を「お蔭参り」と呼んでいました。

語源を辿りますと、江戸時代伊勢神宮に参拝する間、ことに20年に一度の遷宮のとき、人は身分制度に縛られないという考えがあり、奉公人が主人に無断で伊勢参りをしても咎められることはなかったとされています。

しかし、雇い主に無断で出るわけですから、満足な旅費などあるはずもありません。

それでも、伊勢へ通じる街道筋の裕福な人たちがお金や食物を提供してくれる「お蔭」で、困ることはなかったとされています。
“おかげでお伊勢さんに参詣することが出来た” そこから「お蔭詣り」という語源が出来たとされています。








榊原物産店は伊勢神宮内宮への宇治橋に近い場所にあります。

昔からのお土産屋さんです。

ご存知の方も多いと思います。

店内には伊勢のお土産類を取り揃えてあります。

しかも、伊勢と名の入ったお土産が安いんです。

以前、女将さんにその話を伺ったことがあります。

「伊勢参りには、来るだけでお金がかかります。これは今も昔も変わりません。私たちお伊勢さんの門前で参拝の方々に商いをさせてもらっています。ここで利益を多く載せて商売をしていては罰が当たります。お伊勢さんに支えられている商人は昔からみなそうして商売を続けてまいりました。」

今回もお土産を買ってきましたが、ちょうどおかみさんがいましたので、名刺を出しながら挨拶をしてこの話をさせてもらいましたが、三春の饅頭屋さんと覚えてくれていました。


この榊原物産の女将が話してくれた言葉の中に「お蔭様参り」を見たような気がします。



おかげさまでお伊勢さんに参ることができました。






いざ直会へ




伊勢神宮門前の「お蔭横丁」が賑わいを見せていますが、ここは赤福の社長が行政の力を借りずに、私財をと投じて拵えた観光商業施設です。




内宮さんの参道門前町である”おはらい町”は午後五時を過ぎる観光の客さんはすっかり引いて、参道門前町らしい静寂が訪れていました。







誰も居ないおはらい町など初めての経験です。







そして、弥次喜多さんを従えて一献!







五十鈴川の散策路で夕涼み・・・・








しかし、ここは伊勢神宮の内宮門前です。


ウキウキ・ワクワクが止まりません!






時計を見ると7時5分前、急に思い立ってダメもとで内宮さんへ。

橋を見るとまだゲート開いています。


守衛さんにおそるおそる伺うと、”どうぞどうぞ~”と笑顔で導いていただきました。


本日の最終参拝人となりました。







”一生に一度は御伊勢詣り”と云われる、伊勢神宮です。
心の芯から浄化されるような気がいたします。







お蔭様詣りと云われますが、こうして参拝できるのも、家族、お客様、そしてご縁のある皆々様のお蔭と、心より御礼を申し上げたくなるような神様です。



しかし、この光景は如何でしょうか?


中々望んでも出会える場面ではありませんよね。








かつて、司馬遼太郎氏は”お伊勢参り”を

「暑さも、蝉の声も、手を洗う五十鈴川に泳ぐ小魚も、そして飛ぶ鳥さえもご利益がるような心持にあり、本日この時に一緒に参拝されている参詣者の方々にもご縁を感じる」

と称されていましたが、まさにその思いをこの静寂が訪れ誰も居ない内宮さんで共有することができます。







この神域の滞在中、神威とも云うべき「風」が音を立てて体内を通り抜けていく感覚があります。

そして、凛と張りつめた気が浸透していくかのような感じが肌に伝わってきます。


一歩一歩歩みを進めるたびに地面からビリビリといった具合に足元からパワーが伝わってまいります。







本宮御正殿参拝の折にはなおさらです。


自然と涙が止めどもなくあふれてまいりました。



これがお伊勢さんの神威なんでしょう。


ありがとうございます。






三春から伊勢まで約700キロ、遠い道のりではありますが、来て良かった!






宿へ
神宮会館 TEL.0596-22-0001






7月2日(月)



午前5時、早朝内宮さんに御礼の為に三度参詣。

宿である神宮会館での早朝内宮参拝ツアーとは別に独参です。





小雨のなか、風情を感じる瞬間です。


そして、今朝もこの瞬間だけ誰も居ない独参することができました。


偶然、お会いした神職の方のお話を伺うと、長男さんのお嫁さんが福島の方ということでご縁を感じます。


商売繁盛祈願”お清めの砂”のことを伺うと、それは伊勢神宮ではなく近くにある猿田彦神社にあります。と教えていただきました。







”みちひらき”の大神 清めの塩









・朝食後、三春へ帰還





途中、近くにある秋田実季公墓所 伊勢朝熊永松寺へ墓参。



秋田城之介・安倍姓安東・秋田実季公墓所
永松寺、伊勢神宮より少し外れた伊勢朝熊山の麓にある臨済宗南禅寺派の禅寺。

山門脇の階段を上った小高い丘に実季公の墓所はあります。

戒名、高乾院殿隆巌梁空大居士 秋田城之介 






江戸時代初期の寛永7年、徳川幕府の命令で宍戸城主安東秋田実季(あきたさねすえ)はわずかな近習を引きれ、伊勢の朝熊へ蟄居を命じられます。


長男で、初代三春藩主秋田俊季との不和に加え、従来からの檜山系と湊系による家臣間の対立が背後にあったのではないかとも考えられています。








実季には、正室円光院と側室との間に、6人の男子と3人の女子をもうけていますが、朝熊幽閉には、側室が片山氏とその娘千世姫が同行しています。

片山というのは姓であり、出身や俗名は明らかにはなっていませんが、後年落飾した後は法名を「穹静院」と号しています。
お千世方は、実季公の第二子であると思われます。






千世姫は、実季が齢50歳を過ぎた頃に出来た娘であり、片山氏は実季に最も尽くし、そして、最も愛された側室であった事だろうと想像がつきます。

 しかし、そんな平穏な暮らしの中、寛永14年(1637)3月、愛娘の千世姫が、小児喘息やリウマチを患っていたとされ懸命な看護も虚しく、わずか11歳で病没します。
片山は、不遇の中、異郷の地で娘を亡くしたことを憐れんで、落飾し“穹静院”と号して、夫である実季と共に、亡き愛娘の菩提を弔いながら余生を送ります。

そして、片山氏本人も、承応元年(1652)12月、夫である実季に見守られながらその生涯に幕を降ろします。






秋田教方萬金丹
伊勢神宮参拝のお土産として名高い「秋田教方萬金丹」







萬金丹は、江戸時代、旅の道中に常備する万能薬とされていましたが、主に胃腸の不調を改善するもので、その効能は、食欲不振、消化不良、胃弱、飲みすぎ、食べすぎ、胸やけ、胃もたれ、はきけ(胃のむかつき、二日酔い、悪酔、悪心)などとなっており、又、配合されている生薬には、下痢、腹痛にも効果があり、その用途は幅広いものでした。
この処方の起こりは奥州三春城主の祖、生駒安倍・安東ノ姓秋田城之介・秋田実季によると伝えられている。


伊勢朝熊永松寺 0596-22-0509









そして、岐阜県各務原にある「かがみはら航空博物館」にて川崎重工製旧帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」を見学!





この三式戦闘機「飛燕」二型試作機(機体番号6117号機)は完動状態で終戦時にアメリカ軍に接収されて、その後しばらく横田基地で敷地内展示されていたため当時の比較的保管状態は良好でした。
後に九州の「知覧特攻平和会館」に展示てあったものを川崎重工業のご協力を得て修復し、ここ各務原へ来たというものです。






川崎重工社製 旧日本帝国陸軍三式戦闘機「飛燕」を使用した日本最強の陸軍航空隊といえば、震天制空隊第244戦隊が挙げられます。
当時、日本の航空機で高空性能に優れていたのはもともと馬力のある四式戦と、機体が空力学的に洗練されていた三式戦でした。






首都防空を奉じた震天制空隊第244戦隊など航空隊では、編成は各飛行戦隊内の4機1組で1隊とし、使用する機体の大半は使い古しの三式戦闘機で、軽量化のため武装・装甲・無線装置を撤去し高高度の上空で、機体性能を少しでも向上させた「無抵抗機」と呼ばれる機体が用いて体当たり攻撃を仕掛けていました。





また、これらの機体には首都防空制空隊を表す各種のマーキングや特別塗装が施されていた場合が多く、通常の機体と比較してジュラルミンの胴体に剥がれかけた迷彩塗装と相まってかなり派手なものが多かった。





ただ、体当たりと言っても自殺的な意味合いではなく、B-29の機体の上部に胴体着陸のような形で突撃し機体をぶつけて撃墜を狙ったものでした。
この時パイロットは脱出してパラシュートで降下するというもので、実際にこの体当たり攻撃を敢行して生還した例もあります(同戦隊所属の板垣政雄軍曹など)。







飛行第244戦隊はこの体当たり攻撃を含めて84機のB-29を撃墜したようです。





3式戦闘機は、日本陸軍の名機と謳われた。全長8.94メートル、最大時速約590㎞、20.0ミリ機関砲2門、12.7ミリ機関銃2挺を装備していました。

当時日本唯一の液冷式エンジンの新鋭機。








しかし日本戦闘機初の液冷エンジンが不調だった為、稼働率が低く高性能乍らも悲運の戦闘機としても知らる。







岐阜かかみがはら航空宇宙博物館
〒504-0924 各務原市下切町5丁目1番地 電話番号:058-386-8500






・伊勢参りの帰りは信州長野の善光寺Tel:026-234-3591へ


伊勢神宮に参拝しただけでとんぼ返りをしてしまったのでは、もったいないと考える人も少なくなかったようです。
そのため、伊勢神宮に向かうときには東海道を歩いていきますが、帰りは中山道を通って、信州にある善光寺に寄ってから江戸に戻るのが一般的だったようです。






江戸時代には「牛にひかれて善光寺参り」などと言われましたが、実は伊勢参りと善光寺参りを同時に行われることが多かったようです。







江戸時代には観光目的の旅行は許可されなくても、こうした寺社参拝が目的という大義名分があれば、複数の神社やお寺を回って旅をすることができたわけです。







そして、折角ですので近くにある上杉謙信率いる越後上杉勢と、武田信玄が率いる甲州甲斐の武田勢が、生涯戦い抜いた川中島の合戦の最大の見せ場「謙信公、信玄公一騎打ちの場・八幡が原古戦場跡です。







妻女山に陣する上杉勢が武田勢の別動隊を察知して信玄本陣に突撃!








伊勢神宮参拝と飛燕、そして信州善光寺参詣という旅行もアッというあの2泊3日でした。


この二泊三日は、本当に楽しく充実した時間でした。



長渕剛主演の映画「オルゴール」の台詞の中に
「俺が(我)、俺が(我)の“我”を捨てて、お陰、おかげの“げ”で生きろ」と自問する場面がありました。

 “御蔭様(おかげさま)”とは、「相手を敬う心、相手に穏やかに接する心、そして、人から受けた助けや親切に対して感謝の気持ちを込めていう言葉」のと解しています。

人が生きていくということは、他人とのかかわりあいがなければ生きていくことはできません。

自分自身には気づかないところで(陰で)、多くの方々に支えられていることが「お陰様」という漢字から読み取れます。

今、こうして生きていることは、大自然の恩恵であったり、何不自由なく暮らしているのは、皆さまの支えがあるからであったり、健康に仕事ができるのは、毎日ご飯を作ってくれる女房のおかげであったりします。








何事も誰に対しても「お蔭様」という「感謝の心」で生きることが大切なんだということをお伊勢参りで改めて学びました。


そして、心身及び財布ともに健やかに“お伊勢さま”に参拝することができたのも、女房殿はじめの家族、従業員、そしてお客様等々の関係各位のおかげ様です。

心より厚く御礼申し上げます。







さてさて、これで三春へ帰還です(^_-)。




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| ryuichi | 09:13 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録 |
「柳家さん喬・柳家喬太郎 師匠弟子二人会」こおりやま落語愛好会 第177回例会




こおりやま落語愛好会 第177回例会

「柳家さん喬・柳家喬太郎 師匠弟子二人会」 こおりやま落語愛好会 30周年記念興行 其の参


昨夜、ホテルハマツで開催された、こおりやま落語愛好会第177回例会
「柳家さん喬・柳家喬太郎 師匠弟子二人会」に行ってまいりました。

柳家さん喬師匠、そして、柳家喬太郎師匠!

当代随一の人気落語家の親子会(師弟二人会)です。
満員御礼!
座席を50ほど増やしてもまだ足りなくて、立ち見も出るほどの人気ぶりです。






演目は
「幇間腹 (太鼓腹)」 柳家喬太郎師匠
「寝床」 柳家さん喬師匠

中入り(休憩)を挟み、

「次郎長外伝~小政の生い立ち~」柳家喬太郎師匠
「井戸の茶碗」 柳家さん喬師匠

それぞれの持ち味を生かした“枕”から本題へ・・・

「太鼓持ちの一八っあんが!」「義太夫かい?」「次郎長親分~」そして「正直者か!」ってなもんでもう笑いっぱなしです。

そしてちょっぴり泣かせていただきましたよ。






会場を見渡しますと、「観桜三春寄席」主任独快亭来歌さんこと田部先生も、おなじみとなった郡山落語会の法被を着て会場整理に当たっていました。


また、小山のママやミユキちゃんのお顔も見え、思い思いに楽しんでいました。


こおりやま落語愛好会が30周年目の節目を迎えた第177回。

さん喬師匠の枕話の中にもありましたが、なんと、30年前の昭和63年6月28日に開催された第1回の噺家さんも柳家さん喬師匠だったそうです。

以来2ヶ月に一回、コツコツ・・・と


今思えば、こおりやま落語愛好会を知ったのは、陣屋の寿司屋だったと思うんですが、偶々、こおりやま落語会例会後の打ち上げが隣の座敷でして、その時の噺家さんとトイレで一緒になりました。

私も落語好きなんですと声をかけたところ、一緒に打ち上げにいかか?とご相伴に預かったのはもう20数年位前の話でした。


その時の噺家さんは入船亭扇遊師匠だったか?立川ぜん馬師匠だったか?定かではありません・・・

以来、数年に一回です。


今回は、田辺先生からのご案内や文明の利器「Facebook」にて“こおりやま落語愛好会例会”を知りましたので喜んで寄らさせていただきました。

ちょうど今週末にお伊勢参りを計画していたものですから、喬太郎師匠の十八番「小政の生い立ち」がかかった時には身震いがしました。

首から下げるお伊勢さまのお守り木札を買ってく来なければ~





大入り!超満員御礼のためにチケットが足りなくなって前回の余ったチケットを再利用しての高座です。



出演噺家さんの手ぬぐいやサインなどが当たる、恒例のお楽しみ抽選会も大盛況です!


番号を呼ばれるたびにハラハラドキドキ!


私はこういうくじ運がめっぽう弱いので・・・・残念!



こおりやま落語愛好会の皆様におかれましては。30周年おめでとうございます。

これを期に、ご贔屓にさせていただきます。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 06:50 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
奥会津三島「早戸温泉つるの湯」




奥会津三島「早戸温泉つるの湯」川霧の見える露天風呂



休日に、奥会津の三島町にある早戸温泉「つるの湯」に、川霧を見に行ってきました。

新緑が映える雄大な奥会津の山々を借景にして、只見川宮下ダム流域にの鶴の湯の露天風呂から見る川霧は、大自然が織りなす幻想的な風景を作り上げ、神秘性を帯びた”新緑の翠の山水画”の世界そのものです。







川面に新緑の山々が霞む幽玄の世界へ誘ってくれます。

ここの川霧のすごいのは、生き物のような霧が、只見川と奥会津の山々を埋め尽くすさまを露天風呂に入りながら堪能できるというところです。






奥会津三島宿、早戸温泉の「つるの湯」「竹ノ屋」は、戊辰の役・北越戦争で傷ついた長岡藩士が、会津若松へ避難の途中に湯治で傷を癒したとされる名湯です。

今でも県内や川下の新潟は勿論、各地から手術後に湯治に来られる方が多数見受けられます。

地元の方々は、マムシに噛まれた時や、スズメバチに刺された時にも抜群の威力を発揮する名湯だと自慢していました。

私も、紫外線アレルギーによる湿疹が、この温泉にひとっ風呂浴びると嘘のように消えてしまいます。






30年位前までは、老夫婦が細々と経営していましたが、老齢のため一時閉館しました。

しかし、地元や湯治客の熱い要望で、行政が地域と第三セクターを立ち上げ、日帰りの建物を新築整備して再オープンしました。






ふたを開ければ、多分第三セクターの施設では全国でも一二番の集客力を誇る温泉施設に生まれ変わりました。

この温泉の魅力は、効能もさることながらそのロケーションにあると思います。

只見川沿線に数ある水力発電用のダムが造り上げた、大きな川の雄大な風景。



川霧は、季節の変わり目にかけて多く発生しますが、四季を通じて天候不順の時に見えるように感じます。

輝く新緑、幻想的な白霧、錦秋に燃えたつ渓谷、そして厳冬の鮮烈な雪景色……

深山幽谷の感動的な四季のうつろいを情緒あふれる雄大な景色が湯船から楽しめます。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録 |
贅沢な休日~奥土湯の幕川温泉「水戸屋」




好きな温泉と云えば、奥土湯の幕川温泉「水戸屋」が挙げられます。
休日にたびたび訪れる温泉です。

奥土湯のその奥にある、大自然の絶景を生かした静かな ロケーションに包まれる秘湯。
五感をフルに働かせて森林の香りに触れ、清らかな小川のせせらぎ、爽やかな小鳥のさえずり、木々とたわむれながら吹き抜ける 風・・・・

マイナスイオンを明一杯浴びながら、温泉浴と森林浴が一緒に楽しめます。

所謂「1/fのゆらぎ」なのでしょう。

心地よい音がリラックス 効果をもたらしてくれます。

ありとあらゆる癒しのためのツールがそろっています。

市井の雑多、人事の騒がしさや、喧騒を離れて閑かな優しい時間が流れます。

正に、贅沢な休日です。

こんなに心からのんびりできて、癒しの時間を過ごせるのは、気さくなスタッフの方々のお蔭でもあります。

心より御礼申し上げます。



私にとってここは、冬季休業で再開が五月の連休と云うことですので、例年、当三春昭進堂の春季繁忙期が終わるゴールデンウィーク連休明けの休みにおじゃますのが何よりの楽しみになっています。



露天風呂”初夏の装い”

水戸屋さんはなんといっても、この露天風呂が最高です。

本来、露天風呂が好きなんですが、紫外線に弱い私には、この白濁した硫黄泉の屋根つきの露天風呂が最高に気に入っています。

また、安達太良山系土湯のそのまた奥にあるので、俗世間から隔離されたという表現がぴったりな山の頂にある温泉です。
季節の感覚が少しずれるほどの高所にありますので、”天空に浮かぶ温泉””雲海の温泉”と云っても過言ではありません。
さらには、携帯電話が通じないのが、癒し効果を高めてくれます。

なるべく人の入っていない時間帯(昼時)を狙っていくようにしています。
意図が叶って貸切状態の時はもう最高で、この世のものとは思えない贅沢な時間が流れます。

・・・・・そうなんです。
ここは混浴なんです。

ふだんは、女性と云ってもおばあさんの団体さんと一緒になることがあります。
是は是で、会話も弾み楽しく入浴できますが・・・・

稀に、まで賞味期限があるだろう方と思われる方とご一緒することがありますが、なんか気まずい雰囲気にもなりますので、なるべく昼時を目指します。




露天風呂”春の装い”


樹齢800年という 直径が3mはありそうなヒノキを輪切りにして2つつなげた、ひょうたん形の浴槽。


源泉が、コンコンと注がれる青白く濁ったお湯は、硫黄の匂いが強めで、本来は41℃くらいなんですが、季節や天候によって温度や白濁度が変わるみたいです。


”活〆”ならぬ生きている温泉です。


お湯はやわらかくて、優しい肌触りです。





露天風呂”秋の装い”



春は新緑、秋は紅葉の原始林と、季節によって移り変わる色彩豊かな目の前の山を見ながら景色を楽しみながらの入浴は気分爽快で、ゆったりと湯浴みを楽しめます。




初秋の露天風呂です。
どーですかこの絶景を独り占めできるなんて、最高の贅沢です。



5月の連休明けでは、まだこの辺りは冬の匂いがしていますが、さすがにこの時期は新緑が目にまぶしく、いつぞえかご一緒したお客さんから「目に映るものすべて山菜だからたべれんだぁ~」と聞かされた目の前の山菜の宝庫が、初夏の日差しに輝いていました。

忙しい日常生活の中でも、自然にふれる時間を持ちたい ものですね。
せっかくの偉大な自然なチカラを借りないなんて、もったいないと思いませ んか?





これから、12月初旬のクローズまで時折お邪魔します。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 12:43 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
奥会津金山・八町温泉「亀の湯」 2018.5





所要があり会津に出向きましたので、時間を見つけて奥会津金山にある八町温泉「亀の湯」に行ってきました。

ここ八町温泉には、年に数回奥会津出張の折に時間を見つけては湯浴みをしてまいります。







昨年の秋でしょうか全国版のニュースにもなりましたが、目の前の川でユンボーが流されたという事案がありました。



そして今度は大きな岩が滑落し、その補修工事の真っ最中でした。





ここ八町温泉「亀の湯」は、川の反対側からの源泉に加え、すぐ横を地下掘削して噴出した厳選の日本を引いています。





炭酸泉が強い温泉でよく温まると評判の温泉です。






今回の改修で湯口に大きな木だったんでしょうその根っこかコブの”亀”が登場しました。





ご近所の方々で構成される八町温泉管理組合の方々のお陰で素敵な温泉に入れます。


料金箱に協力金200円以上とありますが、500円入れてきます。


500円でも安すぎる素敵な温泉です。






前に比べて少しぬるくなったように感じますが、おかげでゆっくり入ることができます。

今年も数回お世話になると思います。



よろしくお願いいたします。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂  菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:13 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録 |
潮騒をバックに一献! 松島




先日、ある団体の研修があり、私は宴会だけの参加させていただきました。
花見が一段落し、端午の節句迄は・・・というわけにはいきません。






毎日柏餅や花見だんごの予約はありますし、その日は塵壺5月号の発行前夜です。

義理と褌は何とやらです。






なんとか時間をやりくりして、午後3時松島着、そして、翌朝4時出発の三春帰還という強行軍での参加でした。


今は高速道路が発達して松島までは約2時間の行程でした。

現在、瑞巌寺や五大堂の前の歩道、そして、観光桟橋一帯は護岸と歩道拡張の為に工事の真っ最中でした。

そして、瑞巌寺参道も松林がすっかりなくなって新しい参道の工事中です。







少し早い到着ですので、芽子姫誕生450年に沸く三春住のものです。

瑞巌寺、そして円通院を拝観させていただきました。







松島には何度か行ったことがありますが、いつ行っても癒されます。

そして、観光施設、売店等昭和時代のままで時が止まっているような感じで落ち着きます。







海を見ながら「浦霞」で一献!


実は、潮騒を聴きながらのこの一献の為に、数日前より時間を工面していたのかもしれません・・・

ゆったりとした時間が過ぎていて、景色を見ながら、のんびり過ごしました。


寒くないかい 素足では 〜〜🎵
貝殻耳に当てたままで 〜〜♩
.ン?...山達ゥ〜〜❣️









正に、「松島や ああ松島や 松島や」~

もっとも、芭蕉作と思っていましたが、実際は、江戸時代後期に相模国(神奈川県)の狂歌師・田原坊が作ったものと聞き及びました。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:03 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録 |