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「山本五十六記念館」 越後長岡



先日、総会シーズンということもあり職業柄の総会出席のために越後長岡まで出張と相成りました。

折角ですので、時間を見て長岡市にある「山本五十六記念館」と「山本五十六誕生の地」に行ってまいりました。





記念館には、何といっても連合艦隊司令長官山本五十六ら11名が搭乗した海軍一式陸上攻撃機の左翼部分撃墜された当時の姿のまま保管されています。

また、山本の生家である高野五十六時代から戦死時までタイムラグ的に、手書きや書など様々なものが紹介されています。





山本五十六は、当時の欧米事情にも詳しく、戦略的に見て日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していました。
戦術的にも航空機戦力に早く着目し海軍航空隊設立に尽力し、日米開戦時には「短期決戦・早期和平」という日米間に於ける国力の差を冷静に分析していました。

広い視野を持ち現実的な作戦計画を実施しようとしたことなど、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、海外においても広く賞賛されています。

また、明朗な性格で、部下や同僚から非常に高い信頼を寄せられた人物でした。


世界海軍軍縮会議予備交渉に出席する際に、郷土長岡の先人河井継之助の小千谷談判を持ち出し友人に語った言葉

私は河井継之助が小千谷談判に赴き、
天下の和平を談笑のうちに決しようとした。
あの精神をもって使命に従う。
軍縮は、世界平和、そして日本の安全のため、必ず成立させねばならぬらぬ。






日本海軍の山本五十六と言えば、太平洋戦争初期の旧大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官で真珠湾攻撃の立役者として知らない方はいないはずですね・・・
ミッドウェー海戦後のラバウル航空隊の活躍する南方戦線視察・激励で昭和18年4月18日午前7時30分すぎ、ソロモン諸島バラレ島におもむく途中、アメリカ陸軍の戦闘機の襲撃をうけ墜落し、戦死してしまいます。






山本は、日米戦争に反対していたのにも拘わらず、戦時特別編成である大日本海軍連合艦隊司令長官という立場から真珠湾攻撃の作戦立案に携わる事になりますが、その山本の苦悩が洗われている講演があります。

昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでくださいます。






「山本五十六長官」を護衛していた六機の護衛零式海軍艦上戦闘機

坂井三郎と共にソロモン戦域最多撃墜数保持者として日本海軍撃墜王と称された、新潟県東頸城郡安塚村(現上越市)出身の杉田庄一飛兵長も両翼端を切った最新式の零戦32型で護衛任務に臨場していました。

戦後、護衛戦闘機隊の一人柳谷氏によると当時、山本五十六が視察した地域は「圧倒的に日本軍が優勢な制空権を確保していた」ようでパイロットたちは「自分達の庭」と思っていたと語っています。当時は、柳谷氏の話のように護衛など必要ない空域という認識しかなく、零戦6機護衛隊も「形式的なものだった」という認識が司令部や全パイロットたちにもあったのではないかと考えています。


二〇四空護衛戦闘機隊

第一分隊
分隊長 森崎武中尉
二番機 辻野上豊光一飛曹
三番機 杉田庄一飛兵長

第二分隊
分隊長 日高義巳上飛曹
二番機 岡崎靖二飛曹
三番機 柳谷謙治飛兵長(終戦まで生き抜く)


被害 一式陸攻二機撃墜
戦果 P38二十四機中六機撃墜





山本五十六記念館から徒歩3分の近さにある「山本元帥誕生の地 山本記念公園」には山本の胸像があり、山本五十六の生家である高野家が保存されています。


生家を見ると「これで冬が越せるのか?」という質素なつくりの家でした。

しかし、長岡藩士の家らしい質実剛健を表すお宅です。





海軍兵学校の体格検査で「特技は何だ?」と聞かれて、

「はい、やせ我慢です!」と答えたという。

苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
男の修行 山本五十六語録


好きな言葉です。




人生全てが修業であり、生きている間はどんなに辛いことや理不尽なことがあっても、簡単には「逃げ出さず」「愚痴をこぼさず」「弱音を吐かない」それが男子たるもののあるべき姿ということなんだろうと思います。

これは正に自分との戦いであり、ただの自己満足であるかもしれません。
しかし、自分には負けたくないものです。







日本海軍連合艦隊司令長官 山本五十六大将訓示
下記は、三国同盟成立直前に反対演説した時の連合艦隊司令長官 山本五十六訓示です。

私たちは一口で云うならば、国家の忠実な番犬であります。
日本と云う邸内を侵すものあれば、その時は身命を投げ打って相手に挑んで行く任務が在って、もともと政治には拘わりたくないのであります。
しかしこの日本の邸内を窺う賊は一名ではありません。
出入り口も三つか四つ在りますが、哀しいかな番犬は一頭で在る場合、この番犬はどんなに走り回っても護りキレ無くなるので在ります。
とは云っても賊の侵入を見逃す訳には尚まいりません。
せめて政治家が、他の口をしっかりと鉄扉で塞いで於いて呉ますなら番犬は喜んで常に一つの関門を護り得るものと存じ得ます。





宿泊は、定宿にしている燕三条在下田村にある越後長野温泉「嵐渓荘」です。

いつ行っても癒されます。




ここでゆっくりしたいから新潟の出張に来ているようなものです・・・と云ったら怒られそうですが・・・





帰りに、女将さんより嵐渓荘特製「山の塩羊羹」を頂きました。



嵐渓荘の温泉「強塩泉」を練り込んだ白隠元豆の塩羊羹です。


お菓子屋の私が食しても絶品です!




勉強しま~す。




また、加茂市に「善作茶屋」の“ところてん”が絶品です。




時代劇に出てきそうなロケーッションは最高!

息子が新潟大学に入学したもので、よい身近に感じる新潟です。

もっとも、私の母方の祖先(ひい祖父)は越後(本籍は新潟市西区)の小山氏出身ですので、DNAの中に何処か越後の遺伝子が組み組み込まれているせいなのかもしれません。





前日も、一人暮らしをする息子のアパートに食材を届け、ゴミを片づけて来ましたが、やはり初めての一人暮らしです。

心配が先に立ってしまいます。

たまには息抜きに「嵐渓荘」にでも行かせたいと思っています・・・


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:56 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
能登・金澤漫遊記 2017.5.8~10



所用があり、金沢まで出張してまいりました。

丁度連休明けの三春昭進堂の3連休ということもあり、折角ですので、前泊して能登半島門前町にある曹洞宗総持寺祖院に参詣することができました。


今回は、当ホームページ出先にお示しした当家次男坊を新潟まで送りながら、能登、輪島、和倉温泉泊り、翌日金沢入りし、所用を済ませ、兼六園や金沢城を通過して金沢21世紀美術館で現在開催中の「池田学展 The Pen ー凝縮の宇宙ー」の鑑賞です。





総持寺祖院につくと、参道からご詠歌が聞こえてきました。





丁度花まつりの稚児行列がありました。





総持寺では、山門や庫裏・書院などの平成の大修復中で、完成にはあと五年くらいかかるそうです。




一口千円から瓦を寄進することがでkます。

商売繁盛・家内安全を記載してお布施させていただきました。





案内板によると、曹洞宗の大本山として瑩山紹瑾禅師により、1321(元亨元)年に創建されました。

1898(明治31)年の大火で境内は焼失し、本山は1910(明治43)年、神奈川横浜市鶴見に移り祖院となりました。

その後の再建で山門、仏殿、などがよみがえり、消失を免れた建物とともに、根本道場の威厳を伝え、今も総ケヤキ造りの風格ある山門や仏殿、法堂などが残っています。



三春からですと車で7時間くらいかかる場所です。


御利益がありそうです。





門前で、昼食の蕎麦を手繰っていますと、バイクで来たお客さんとあれこれ与太噺となり、「せっかくここまで来たら輪島にある永井豪記念館に行くべきです!」とご案内を受けました。





宿泊の和倉温泉での宴会までは時間がありますから、ちょっと寄り道してマジンガーZに会いに行ってみました。





輪島の朝一会場の中にある永井豪記念館です。
玄関前にマジンガーZがあり、目立ちます。





ロケットパンチが飛んでいるのが分かります?


画像をメールで送って、マジンガーZ好きの長男の自慢してみました。





そして、宿泊の和倉温泉





いつ来ても、お客さんが温泉街を歩いて回り、賑わいがあります。


宴会前に、立ち寄った和倉温泉のすし屋ナンバーワンの「蛇の目寿司」で一献!


若大将に、和倉の街づくりと観光の歩みについて、お話を伺うことが出来ました。

「イベントは町を殺す」・・・名言です。

補助金ありきの期間付き(大体3年間)イベントの無意味さを言い表した言葉です。

そして、和倉・フィッシング・クラブ「W・F・C」の話で大盛り上がり・・・

すっかり盛り上がってしまって、宴会に遅れて参入です。





翌朝は、早出をして高岡にある国宝の曹洞宗の古刹「高岡山瑞龍寺」に参拝してみました。







壮大な伽藍配置様式の豪壮にして典雅な美しさに圧倒されます。

さすが、加賀藩百二十万石です。そのの財力を如実に示す江戸初期の典型的な建造物です。

高岡の開祖前田利長の菩提寺、曹洞宗の名刹です。3代藩主前田利常の建立で、1997年に山門、仏殿、法堂が建造物として国宝に指定されています。

江戸初期の禅宗寺院建築として、総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟が重要文化財として指定されています。

前日総持寺祖院でもありましたが、雪駄履きに作務衣すがたで、おじさん連中引率しているものですから「どこぞの住職さん?」と聞かれたりご案内を受けたりします。








総門、三門、仏殿、法堂、方丈と一直線に並び、周りを回廊が回り、座禅堂と庫裡を配置、黄檗宗の影響を受けた建物です。





国宝というだけあって、そこにいるだけで心が洗われます。






この日は金沢城下に泊りです。


実は、石川県立21世紀美術館へ来たくて入れた出張だったかもしれません。



兼六園を廻り





金沢城を廻ります。





さすが百二十万石の城です。


大きい!





ここは映画のロケ地にも使われる金沢城内にある旧日本帝国陸軍第6旅団司令部の官舎跡です。






石川門近くの石垣です。

卍や丸に棒等マークが刻まれているのが見えます。





金沢21世紀美術館です。

今開催中の「池田学展 The Pen ー凝縮の宇宙ー」

これ一番が見たかったのかもしれません。


先に上野で観た雪村の《瀟湘八景図帖》の“風”や《金山寺図屏風》に描かれた“人々”のような細部に描かれた緻密な凝縮に共通点を見出してしまいます。




このプールのオブジェ有名ですよね!





下から見ると~


アートデです。




ペンと墨だけで描いた細かい絵です。


これがたまりません。
いつまで見ていても飽きが来ません・・・





本日用意していただいた宿は、創業360年の住吉屋旅館さんです。


金澤城大手門まで徒歩5分、近江市場まで徒歩3分という好立地です。





近くにある泉鏡花記念館は休みでした。残念~


宿の近くにあった「ELBOW ROOM」でちょっと一献!




ご主人は、18才から35年間シアトルで暮らしていたそうで、昨年帰国して実家であるこの場所で、この店を始められたそうです。






創作串焼きも絶品、そして「ホタルイカとワラビとウドの酢味噌和え」最高!


そして飲み物は「ブルームーン」 マイアミで今一番人気のオレンジ味のビールです。


美味しかったなぁ~


しかし、いつも思うんですが、出張の度に「寅さんかと思った~」と言われることがよくあります。

今回も、初めて会った高校生だという金髪のアメリカ娘達に囲まれて「ジャパニーズ・寅さん!」と写真を撮られました。



もちろんスーツやネクタイ、革靴も持っていきますが、用件が済めばさっさと着替えて普段着の作務衣に着替えます。

さらには、雪駄履きでパナマ帽、そして度付きサングラス・・・これに皮のバックといういで立ちが定番です。

ま、仕方はないか~・・・・


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
春爛漫「上野の御山」~「雪村-奇想の誕生-」~「茶の湯」展



春爛漫、観桜花見の名所としてしられる「上野の御山」

丁度、花見の真っ盛りに水を差す意地悪な春雨の中、東京藝術大学大学美術館で開催されている特別展「雪村-奇想の誕生-」を観にいってきました。

「雪村」晩年、三春在李田村(現郡山市西田町李田)に庵を構え「雪村庵」に住み最高傑作を次々と世に送り出した画僧と呼ばれる、雪村周継(せっそんしゅうけい)です。





その生涯は未だ謎に包まれていますが、常陸国(現在の茨城県常陸大宮市)で戦国武将佐竹氏の一族に長男として生まれた雪村でしたが、父が他の妻の子を跡取りとしたため幼いうちに出家し画業の道へと進みました。

水墨画の巨匠、雪舟に私淑し独自の水墨画を多く残しました。







今では、「西の雪舟」「東の雪村」と言われるほど、故郷である水戸佐竹氏や会津芦名氏、三春田村氏、東国各地を活躍の場としました。

後の世の絵師に深い影響を与えたその画法は、ひときわ革新的でありながら、人間味あふれる温かな水墨画を描き続けました。





晩年、三春を“終の棲家”として庵を構えますが、その創作意欲は衰えを知らず、しっかりとした技法と、逞しいほどの想像力を用いて傑作と呼ばれる画を次々と世に送り出します。






15年ぶりとなる特別展覧会とあっては、三春人としてどうしても見に行かねばなりません。





ポスターにも用いられている代表作「呂洞鬢図(りょどうひんず)」

龍を操る志那・宋代に実在したと云われる仙人の絵ですが、ユーもなすな顔をしている飛龍の頭にちょこんと乗った呂洞鬢が、天かける雲龍を見上げ、水瓶より小さな蒼龍を出して自在に操っています。

私も名前に龍が付いていますので、他人事は思えず、龍を巧みに操っているこの呂洞鬢が、女房殿に見えて仕方がありません・・・・



三春のポスターや地図も出口付近にありました。








そして、丁度この日は、東京国立博物館平成館で初日を迎える「茶の湯」展ありましたので、こちらにも臨場してみました。






まあ、歴史の教科書に出てくる、戦国武将織田信長や豊臣秀吉等々、そして公方足利義政、さらには当代きっての茶人千利休や古田織部等々の名だたる武将や茶人に愛され、時代を超えて人々の心をとらえてきた国宝や重文になる茶道具が一堂に会しています。




「はぁ~!」「憎らし~!」「へぇ~!」など、声にならない心の叫びが、ため息とともに自然と口から漏れ出しまいます。






戦国時代の域息遣いか聞こえてきそうです。






上野の御山は「うえのさくら祭」の真っ最中で、大勢の花見客でにぎわっていました・




不忍池弁財天も御賑わい!





夜桜~~




不忍池~~夜桜!




上野精養軒で宴席なんですが、外の花見宴会が気になって・・・・





華のお江戸のど真ん中、上野の御山で花見で~~す!




商売柄、花見の時は稼ぎ時なものでゆっくり桜の下で酒を酌み交わすという経験はありませんが、この上野の御山での花見客の多さには子供の頃に敬遠した三春のお城山の花見を思い出させていただきました。





上野公園で彰義隊の墓参を兼ねて花見です。





この墓碑は、放置されたままの上野戦争で戦死した彰義隊の遺体を三ノ輪円通寺の仏磨和尚と寛永寺の御用商人の三河屋幸三郎が戦死者供養の官許を受けて上野山で荼毘にふし、一部を円通寺に埋葬した。





政府軍による上野御山攻めの折、もっとも激戦が予想される黒門口が薩摩兵ということで、西郷南洲は、政府軍最高司令長官である大村益次郎に対し「薩摩兵を皆殺しになさる気ですか?」と問うと、大村は「はい、そうです」とにべもなく答えたという。

上野御山を攻めた西郷さんの銅像の後ろには彰義隊の墓です。






直江兼続が詠んだとされる「春雁似吾吾似雁 洛陽城裏背花帰」ではありませんが、三春帰還前は上野駅周辺で最後のの悪あがきをします。

これも、田村大元神社の長獅子が一年間眠りにつくのを嫌がって神社に上がるのをためらっている姿を幼き頃より見ていた三春城下新町に生まれた哀し性なのでしょう?

前日に鈴本演芸場で落語見物、池之端藪で蕎麦を・・・・・閉店していました・・・残念!

そして、帰りには上野藪蕎麦で一献と・・・上野じゃらくで・・・・






さあ、三春城下はこれからが花見の本番です!





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂






尚、約10万人が犠牲になったとされる昭和20年3月10日の東京大空襲。

この悲惨な体験を構成の残したいと落語家の初代・林家三平の妻で作家の海老名香葉子さんが建立された「時忘れじの碑」手を合わせてまいりました。


合掌

| ryuichi | 05:42 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」 映画デビュー!



平成29年冬全国東宝系で公開予定の映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」

この映画は、「ALWAYS三丁目の夕日」などの作品で知られる西岸良平の漫画『鎌倉ものがたり』をもとにした作品です。


主演は、NHK大河「真田丸」の堺雅人さん、トト姉ちゃんの 高畑充希さんでお送りします。

人間だけでなく幽霊や、もののけが住む鎌倉や島根を舞台に、殺人事件の捜査を依頼されたミステリー作家の一色正和と、嫁いできたばかりの若い妻・亜紀子の活躍を描く映画となっています。

監督は「ALWAYS三丁目の夕日」、「海賊とよばれた男」などの山崎貴監督です。

スタッフも「ALWAYS三丁目の夕日」の山崎組が再集結します。


尚、この作品には薬師丸ひろ子さん、堤真一さん、田中泯さん、國村隼さん、三浦友和さんなどが出演していることも発表されています。







「鎌倉ものがたり」の公式スタッフツイッターでも紹介されていますが、美術のスタッフさんから依頼があり、当三春昭進堂も少しだけお手伝いしています。


映画を見たら気をつけて見て下さいね!乞うご期待(^.^)




画像は鎌倉物語公式広報ツイッターより

三春名物「おたりまんじゅう」と旬菓「いちご大福」を差し入れさせていただきました。


さすが山崎組東宝映画広報スタッフさんです。

こんなに素敵なディスプレイで飾っていただきました。

ありがとうございます。


映画の公開が楽しみで仕方がありません!



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:28 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
早春の都内散策  2017 梅まつり
三春舞鶴会第9回総会の会場が、九段下にあるホテルグランドパレスでしたので、折角ですので、早春のプチ都内観光と洒落込んでみました。



まずは、大手町にある将門塚参詣。




実は、昭和天皇崩御の時に、詣でて以来でした。

前年の大晦日に、修業を終え昭進堂の初売りを終えてから少し休みを貰い海外旅行(フランスへ洋菓子視察)へ行く準備をしていた時期で、丁度東京で友人たちとあれこれ必要なものを買い出しに行っていたときに崩御に接し皇居に弔問記帳した時以来です。





やはり平将門公を祭神とする神田明神関連の将門塚です。

商売繁盛を祈願してきました。



平川御門



金色の玉ねぎが見えます



清水門




そして、靖国神社。

丁度この日は、東京マラソンの開催日で、警備の警官と大会スタッフ以外は、車も人もまばらな大手町を抜け、皇居お堀の淵を沿いをとおり、平川御門、北桔梗御門、清水御門、田安御門、九段坂へ向かいます。



日本陸軍の創設者長州藩大村益次郎像

標準語を導入した方でもあります。




また、この日は2月26日。

二二六事件の日です。

尚、二・二六事件で処刑された将校の皆さんは、靖国神社には祀られていません。






靖国神社参拝の跡は、遊就館見学。





零式戦闘機がお出迎えしてくれます。





三菱零式艦上戦闘機五二型(A6M5)。

やっぱカッコいいすねぇ!



そして、液冷彗星艦上爆撃機一二型。




この彗星艦爆は、40年位前でしょうか、南洋ヤップ島で派遣された機体で、テレビ番組とのタイアップで修復した機体で、平和のシンボルとして靖国神社に奉納されました。

修復で塗装やさんがお孫さんと一緒に色を塗っていました。

平和のありがたさ、尊さを感じられるシーンです。






頭上の白い機体は、世界初の特攻専用のロケット攻撃機「桜花」です。

1トン爆弾に木製の機体をくっつけ、燃焼時間わずか9秒弱の固形燃料ロケットを3つのグライダーです。

母機となり一式陸上攻撃機に吊り下げて敵艦隊の近くまで運び、目標に向かって滑空、敵戦闘機が現れたらロケットを噴射して逃げるという代物です。


展示場背面にはこの桜花の運用部隊、海軍711飛行隊長野中五郎少佐率いる「雷神部隊」 通称”野中一家”の功績が記載されていました。

当の実戦運用部隊長である野中少佐は、終始この桜花の運用には反対していました。

「こんな軽業みたいなもの兵器じゃねえ」と言って航空本部の担当者に食ってかかっていた伝わっています。

そして、実戦では桜花発射後、帰還命令の出ているはずの母機となる自分達の攻撃隊も敵艦隊に向かって突入しています。


未来や夢が一杯詰まったはずのロケット開発。

しかし、こんな特攻専用兵器ロケットを造った技術者は悲しかったに違いありませんね・・・






丁度機体の修復中でした。




ダイムラーベンツ社製のDB601エンジンを国産化した液冷式熱田21型エンジンも展示されています。





日本の戦闘機では珍しい液冷エンジンラジエーター



ラジエーター空気排出口、サメのエラみたいですよね。

彗星艦爆は、高速の爆撃機として期待されましたが、液冷エンジンの不調、そして搭乗員の技量不足でなかなか本来の活躍は出来ませんでしたが、大戦末期の海軍131航空隊芙蓉部隊に於いては、高度な整備技術と熟練のパイロットたちの技量で、体当たりの特攻ではなく、知恵を使った通常攻撃にて、米空母相手に果敢に攻撃を仕掛けていました。




機体の大きさを見ていただくために私も一緒に写しただけですよ。






旧帝国陸軍の戦車97式中戦車「チハ」や人間魚雷回転も展示されています。





総会終了後には、商売繁盛祈願の為に「神田明神」参拝です。




商売繁盛祈願!
朝の将門塚と合わせてダブル効果です!





そして、次男坊の大学合格祈願。




梅まつり真っ盛りの、湯島の天神様です。




前期試験の日程ですので、沢山の参拝者でにぎわっていました。

これで合格間違いなし!




天神様境内女坂付近にある人間国宝 一龍齋貞水師匠建立の「講談高座発祥碑」 貞水師匠のご自宅の真上にあります。





直会は、上野アメ横界隈です。




上野の定番「大統領」は、ガード下工事の為に休業中で、今年の秋に再オープン予定!



〆には、帰りの定番「上野藪蕎麦」

一足早く”早春”を満喫した、有意義な東京出張でした。




帰りの新幹線にあるトランベール2月号です。

末尾広告ページにあった野村証券の広告ポスターですが、昨年秋鶴の湯温泉でご一緒したフォトグラファの興村氏に写真です。

知人の仕事ぶりを見て、明日からの活力も倍増です。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂




| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
親父の逆襲 第14弾 Rock \'n roll! 2017



まっ赤なドレスで どこ行くの~

おどりに行こう よ Rockin Roll ~♪

オレの自慢の 車を とばして~

おどりに行こうよ yeah yeah yeah~~♫




じゃーん!

ファンキーなパーティーに行ってきました。



「親父の逆襲 第14弾 Rock 'n roll! 2017」 〜ベルヴィ郡山館





郡山に、親父バンドが大集結!
4時間に及ぶ”親父の逆襲”です。




そして、大トリは・・・「COOLS」でーす。

ドラムス・佐藤秀光

リードギター・ジェームス藤木

ボーカル・村山一海


いや~皆さん元気です!

正に、親父の逆襲・・・・♪


COOLSは、同世代(50過ぎ)のヤンチャなロック小僧達のご用達ロックンロールバンドで、矢沢永吉さんが所属していたキャロルの元親衛隊で、メンバーには舘ひろしさん、岩城滉一さん、そしてクレィジーケンバンドの横山剣さんがいたことで有名ですね。


映画「スタンドバイミー」ではありませんが、粋がっていたガキの頃を洒落に出来る年齢になってきたと云うことなんでしょうか…ね




まだまだ親父たちも元気ですよ!

三春城下北町の料理屋「山惣」の親方からお誘いを受け、ポリシス代表山口氏を伴っての参戦です。

浅草生まれの親方は、ジェームス藤木さんとは飲み友達!




久々のロックンロールです。

気合を入れて参戦しないと・・・

え、ロックンロール踊れんのって?

聞かないでください、今はメタボです・・・・

そして、翌日は筋肉痛で~す





小さいジョニーもロックンロール!

後輩がいたり、知り合いの社長連中がたり、川崎神輿連がいたり・・・・とにかく大盛り上がりでした。

いや~楽しい!!!


あれあれ~その同伴のポニーテールの女性は・・・・?







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:20 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
「縄」 母は夜なべになわを綯った わたしも真似して綯ったら 母は笑ってほめてくれた



先日、会津に行く用事があったものですから、次男坊の大学受験、そして商売繁盛、家内安全などを祈願のために、柳津虚空蔵尊まで、正月詣でに行ってきました。

本当は、七日の裸参りにも行きた(参加)かったんですが、正月明けの連休初日とあって仕事の関係と、あと10日で53歳を迎える弛みきった体では、無理と判断して今回も見送りました。






この日は、暖冬のせいなんでしょうか?

冬・正月明けの会津柳津にしては雪が全くありません。

また、この日はとても暖かくコートなしで参詣することが出来ました。

最も、旅館に一足先に入ってひとっ風呂浴びて一献!

ほろ酔い気分での、不謹慎な参詣です・・・





その日は、定休日でしたので、三島・早戸にある「鶴の湯」まで足を延ばし、ゆっくりと湯浴みと洒落込んでみました。

二階にある休憩所への階段に、「縄」と書かれた素敵な書が飾ってあってありました。




縄 

母は夜なべになわを綯った

わたしも真似して綯ったら

母は笑ってほめてくれた


なんだかほっこりして、得した気分になりました。





とても暖かい正月明けの三島早戸でした。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:48 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |