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「花の都大東京見物」浅草寺~浅草演芸場


当初の目的では、
浅草へ出て浅草寺さんを参拝して、

「ヨシカミ」

でビーフシチューをつっついて

「神谷バー」


で電気ブランをやってと思っていましたが、火曜日で定休日でした。

仲見世通りで、当店のユニホーム作務衣をお世話になっているsuzuyaさんで作務衣の打ち合わせをして、伝法院通りから六区へ・・・・


神谷バーから、スカイツリーと金の雲でおなじみのアサヒビール社屋が並んで立っているのだ見えます。


浅草寺にも残雪が残ります。


境内からのスカイツリー



参拝後は、浅草演芸場で寄席見物です。
浅草の町は、エノケン、渥美清、井上ひさし、ビートたけし。そうそうたる喜劇人を生んだ場所でもあります。
今でも浅草を根城に頑張っている多くの芸人がいます。



私はどうも「東京≒浅草≒寄席≒上野≒蕎麦屋≒ガード下」という公式からなかなか抜け切れません。
ローヤル喫茶店で軽く日替わりランチを食べてから、浅草演芸場です。
売店で、ビールとお酒、そして摘みにお稲荷さんを買って寄席見物です。
お酒を飲みながら長居をするときは2階席に行きます。






浅草演芸場(寄席)のある、浅草一の繁華街六区。
六区とは地名で、明治のころの行政区分からの由来です。



浅草寺のすぐ隣にある浅草の歓楽街の中心で、映画館や芝居小屋が並びます。
関東大震災で崩落した凌雲閣(浅草十二階)があったのもここ。日本で初めて映画館ができたのもここ。
どうも東北人には、上野御徒町そして浅草は居心地がよく、長居をしてしまう場所です。




帰りには、いつもの上野の「藪そば」

江戸藪の流れをくむ上野藪蕎麦

穴子の白焼きと揚げ茄子のそば味噌かけで燗酒で一献。
〆にせいろ一枚とお決まりのメニューです。


そして、ガード下の昔ながらの本店「大統領」で、もつにとテッポウで一杯ひっかけて新幹線に飛び乗り無事帰還でした。
毎度ながら、大変有意義な東京出張でした。


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| ryuichi | 05:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
「花の都東京見物」不忍ノ池~湯島の天神様

雪景色・上野不忍池の弁天様

「花の都東京見物」
代々木で勉強会があり、東京出張となりました。
前記の「平成23年度学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会」です。

翌日の火曜日が当店の定休日ですので、久しぶりに東京見物を兼ねて浅草の寄席に行きました。
宿泊を、上野動物園裏の水月鴎外荘に取りまして準備万端です。
しかし、代々木での勉強会及びレセプションが終了し、上野池之端の蕎麦屋「蓮玉庵」で晩酌をする頃にはすっかり日も暮れ外は大粒の雨模様です。



上野不忍ノ池から程近く、紅灯絃歌の町として栄え下谷芸者の名でその侠名を馳せた界隈として名高い池之端上野仲町通り蕎麦「蓮玉庵」とは、
斎藤茂吉が「池之端の蓮玉庵に吾も入りつ上野公園に行く道すがら」と短歌に読んでいる他、森鴎外の高利貸のお妾さんと東大医学部の学生の、淡い恋を描いた小説「雁」や坪内逍遙、樋口一葉ら明治の文豪作品にもここ「蓮玉庵」は登場している。
一杯に二杯と蕎麦味噌つまみに燗酒をチビリチビリと呑みながら・・・せいろを手繰って早めに宿に入りました。



翌日は、東京見物としゃれ込みました。
まず、朝一で東京では珍しい昨夜の積雪と朝方の凍結で歩きにくい道を湯島の天神様まで息子の合格祈願に参拝です。


湯島天神で親しまれていますが、正式には湯島天満宮です。
言い伝えでは458年 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀ったのが始まりです。南北朝時代の文和4年(1355)には天之手力雄命とともに菅原道真公を祀り、湯島天神(湯島神社)として天満宮の創建となります。



亀戸天神、谷保天満宮とともに「江戸三大天神」だそうです。
学問の神様天神さまを祀るここは、この時期は、学業成就・合格祈願の人が多いですね。



境内の雪をかたずける神職さん。
子供の合格祈願にきて、滑って転んだらシャレになりませんので慎重に歩きました。


ちなみに「湯島の白梅」は泉鏡花の名作『婦系図(おんなけいず)』を題材にしたものです。鏡花は大正3年に『婦系図』からお蔦、早瀬の別れの場面だけを脚色して「湯島の境内」に仕立てています。
「切れるの別れるのッて、そんな事は、芸者の時に云うものよ・・・・私にゃ死ねと云って下さい」 このお蔦のセリフは有名です。
天神様の参拝の後は、合羽橋経由で浅草そしてスカイツリー見物です。


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| ryuichi | 06:21 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
明治神宮旧暦元朝参拝


月曜日は、旧暦の元旦でした。
明治神宮は、東京出張の場所代々木とは目と鼻の先なので、早めに三春を出発して、明治神宮に元朝参りの参拝をしました。



原宿駅から冷たい小雨の中を、神宮へと続く参道を歩いていますと、清い気の流れと申しましょうか神聖なものを感じます。

年末に、明治の日本人を描いた司馬遼太郎の「坂の上の雲」を見たせいでしょうか、明治天皇を祀るこの明治神宮に参拝したいと思っていましたが、偶然にも代々木での東京出張となりました。
「坂の上の雲」で描かれた明治とは、「日本人としての誇り」だと思います。
国家と民族の尊厳を守るため、戦争という巨大プロジェクトを完璧なまでに遂行してロシアから勝利を得たという事実にただただ素直に感動し、そして自分がそれを成し遂げた明治人たちの子孫であることを誇りに思いました。




明治の日本は、いずれは文明諸国の仲間入りを果たすという大目標(坂の上の雲)を追うためには、とにかく勉強しかない。
その姿勢が庶民のレベルまで浸透し、個々の教育熱、立身出世への情熱などが集合して国家の力の源泉となる。

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」

維新の混乱を経たにもかかわらず、日本が若く、初々しく、エネルギーにあふれた国家たりえたのはそうした明確なビジョンがあったからで、明治日本の集大成となった日露戦争を勝利に導いたその土台は、間違いなく教育だったと思います。
今の日本人が、この明治の偉大な軌跡から学ぶことは、本当にかけがえがないものですよね。





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| ryuichi | 15:32 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
上野池之端、森鴎外旧居跡 「水月ホテル鴎外荘」


水月ホテル鴎外荘(森鴎外旧居跡)
東京への出張で時折お世話になるのが、上野池之端にある、水月ホテル鴎外荘です。



上野公園と動物園に挟まれた様な場所です。
湯島天神参拝にも近い場所です。



上野・御徒町の飲食街にも近く、何阿地便利な場所なので定宿にしています。
目の前は上野公園(動物園の真下で、鳴き声も聞こえます)に隣接する、森鴎外ゆかりの浪漫と情緒溢れる温泉宿です。



え!上野で温泉?
そうなんです。
本物の温泉宿なんです。
なんでもここは、都内第1号の天然温泉だそうです。
古代檜をふんだんに使い漆で仕上げた「檜の湯」や、カルシウムやラジュウムなどを含んだ重炭酸ソーダの天然温泉「福の湯」などもあります。



明治の文豪森鴎外
「舞姫」「雁」「阿部一族」「高瀬舟」など、今も読み継がれる数々の名作を生み出した明治の文豪。
幕末の津和野藩(現島根県津和野町)に御典医の息子として生まれた鷗外は、幼少時代から学業優秀、神童と呼ばれて育ちます。



19歳8カ月という若さで東大医学部を卒業、陸軍軍医となり、ドイツへ留学します。
帰国後、28歳の時に、海軍中将赤松則良の長女登志子と結婚し、上野花園町の赤松家の持家に住みます。
それがこのホテル所有の鷗外荘です。
ここで「舞姫」をはじめ、「うたかたの記」「於母影」などの作品が執筆されました。

この森鴎外寓居跡鴎外荘では、宴会もでき建物には復元された玄関もついていて、当時の鴎外が暮らしていた面影を鮮明に感じる事ができます。




| ryuichi | 06:36 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
蕎麦屋の流儀


蕎麦と喫茶店は都会に限ります。
日が暮れかかる頃、ちょいっと暖簾を手で押して蕎麦屋に一人でふらっと立ち寄り、
接客のお姉ちゃんをからかいながら、片隅の席で、静かに燗酒でまずは一杯。

昼間に堂々と手酌で酒が呑めるという場所は蕎麦屋以外にない。
外は まだ少し明るく ほの暗い店内で、大人たちがめいめいに手酌をし
 「蕎麦屋での酒飲みは、人生回顧。
     歳を重ねるのもいいものだ 人生まんざら捨てたもんじゃないと」
 今、この時を楽しんでいる・・・
似たような先客が居ればに軽く挨拶を忘れない。
「袖すりあうも他生の縁」ですね。
蕎麦屋とお客さんたちのほどよい距離感が、蕎麦屋酒を際立たせています。

蕎麦屋という空間は、粋でお洒落な大人の酒呑みが協力しあって居心地を浴しています。

 


ここは蕎麦屋
老若男女が蕎麦を味わいに来るお食事処
本当の大人のための一杯飲み屋
ちょいとした庶民ながらの贅沢な大人の社交場

まずは、熱燗で一献傾けます。
そば味噌をひとなめし、口の中が甘辛くなったところへ湯気の上がった酒をクイッと流し込む。
酒の香りが味噌と中和し、心地よいい香りとなって鼻の奥へ抜ける。
そして飲み込んだ酒が喉元から食道を抜け、胃に到達する。
この瞬間、冷え切った体に魂が宿る。
どの客もみんな静かに、そして地味にそれぞれの至福の時間を楽しんでいる。
「お蕎麦、よいところでお声かけくださいね・・・・」
気さくな店員の声。
「じゃ、そろそろお願いします!」と声をかけたら絶妙なタイミングでせいろが運ばれてくる・・・なんてね!
シンプルなツマミでひたすら酒の美味しさとゆったりとした静寂な時間を味わいます。

閉めに蕎麦を手繰り、減らず口を叩きながら、ほろ酔い気分で家路をたどる。
『粋』な酒の飲み方ですね・・・・。

これは、別に粋にこだわっている訳ではなく、
これが本当に酒を美味しく飲む方法だと思います。
ここでは「地味」というものがむしろかっこよく、本当に絵になっている。
目立たぬように、はしゃがぬように・・・



一.食事時間帯を外す
一.ほろ酔いまでで切り上げる
蕎麦屋での暗黙のルールです。



「年越しそば」のことを別名「みそかそば」、「つごもりそば」、「大年そば」などとも呼びます。

「年越しそば」の起源については諸説があるようですが、江戸中期のころには、商家を中心にして毎月末にそばを食べる風習があり、これが大晦日に食べる年越しそばにつながったと言われています。
そばは細く長くのびるということから、家運や身代、寿命などが永くのびるように縁起を担いだそうです。

また、そばが切れやすいことから、旧年の苦労や借財などを切り捨てる意味で「年切りそば」、「借銭切りそば」を食べる風習があったという説や、金銀細工師が金箔を打つときにそば粉を用いると金箔の裂け目が防げ、金銀の粉を寄せ集めるときにもそば粉を使ったことから、そばで金を集めるという縁起で食べたという説もあります。

『蕎麦辞典』参照

| ryuichi | 06:24 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
「海を見ていた午後」~ユーミン
「海を見ていた午後」ユーミン

山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を 貨物船がとおる

今月、文部科学省主催の平成23年度「地域とともにある学校づくり」推進協議会が横浜の山下公園近くの横浜開港記念館で開催されます。
私も三春小学校運営協議会の会長という役目がら出席してきます。


横浜は久しぶりです。
数年前に、出張があった時以来の訪問になります。

前回は宿泊で、しかも、車での移動だったので、時間を取って山下公園付近の散策に行きました。
山下公園から外人墓地やら山手十番館やら、そしてお目当てはほろ苦い思い出のある「山手のドルフィン」でした。

1961(昭和36)年創業のカフェレストラン。
海を見下ろす夜景が楽しめるので、横浜ドライブの帰り道に寄るのにぴったりの、
デートスポットとして最適のロケーションにあります。
ユーミン(荒井由実時代)の「海を見ていた午後」で歌われています。

最後にお邪魔したのは、もう30年位前の茅ヶ崎での洋菓子修業時代(茅ヶ崎駅前サフラン洋菓子店)でした。
高校を卒業して福島の田舎から出てきたばかりのケーキ職人見習いに、休みのたびに神奈川在住の先輩方は、やさしくいろんな場所に連れていってくれました。
横浜山下公園や外人墓地、港の見える丘公園。
江の島や鎌倉、葉山マリーナとベンチャーズや、1978年にTBSドラマの『やあ!かもめ』の舞台にもなった「ラ・マーレ・ド・茶屋(金曜ロードショウのオープニングにも使われた)」、はたまた大磯ロングビーチなどなど・・・・

何故か、サザンやユーミンの歌を聴きながらです。
サザンではパシフィックホテルや烏帽子岩の解説を聞き、ユーミンでは中央フリーウェイなどなど・・・[山手のドルフィン]もこの類です。

その頃は、もっと小さい喫茶店で、平日の午後は割と空いていて、
修行先の洋菓子店の定休日に、ガールフレンドを誘って、デートでのドライブの途中に海を眺めに何回か行ったことがありました。

しばらく来ないうちに、お店は大型リニューアルが施されていましたが、青臭かったケーキ修業時代を懐かしく思い出していました。

夢や希望にあふれ、何もかも楽しく、煌びやかだったあの頃・・・
ここ「山手のドルフィン」が一番の思い出の場所です。
店の雰囲気や客層、景色までもずいぶん変わってしまって、何となく切ない、少し寂しいドルフィンでした。

あの頃は、若者特有の夢や希望であふれていたような気がしていましたが、アラ50’の年代になった今の方が夢や希望が多いように感じます。
若いころの夢とは、不安の裏返しで夢を探していたような気がします。
しかし、今は、経験値の中で自信が出てきたのでしょう、実現を前提にした夢が見れるようになった様な気がします。


矢沢永吉の語録は数知れませんが、その中一つでこう語っています。

「うぬぼれと言うといやらしく聞こえるけど、
考え方一つ変えていい取り方すれば
うぬぼれ屋ほど自分の主張を大切にしているんですよ。
前向きなうぬぼれならいくらうぬぼれてもかまわないんです。
それは言い換えれば自信だから。
自信ということは何かといえば責任なんですよ」

   永ちゃん最高! 


今回は時間がとれそうもないのでドルフィンにはいきませんが、やはり「思い出は綺麗なまま」がいいですね。




| ryuichi | 07:29 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |
花の都「大東京」有楽町・大手町界隈
花の都「大東京」


東京出張の帰り、江戸城下の散策としゃれ込みました。
新橋で下車して芝愛宕山にある愛宕神社の受験生である息子兼続の合格祈願と三春城下の無火災と無病そして息災を祈願して、直会と称して虎ノ門砂場本店「大阪屋」で、熱燗とそばをすすって笠抜。
続いて、有楽町のガード下へ落ち着きます。




「登運とん」と向かいの「小松」で、焼き鳥やホルモンをつまみ一杯引っ掛けてました。
ここには昭和30年代の香りが残っています。
銀座の隣とは思えない大衆的でレトロなお店がひしめいていて、さながら生きる昭和の古き良き時代「花の都大東京」です。
また、この辺りは、焼鳥屋から韓国、タイなどのアジア料理、そしてイタリアンやフレンチそしてドイツ料理など正に「食のワールドカップや~!」っていう感じでしょうか。



「おーおーおーおーおおおおおおお・・・・」ほろ酔い気分で、こつこつとアスファルトに革靴の音を響かせながら有楽町から大手町を闊歩してしまいます。
そうです、何故かここ大手町・有楽町付近に来ると長渕剛の「とんぼ」を鼻歌で歌ってしまいます。

有楽町から大手町経由で東京駅に向かうと、イルミネーションが飾られていました。
「丸の内イルミネーション」と題して毎年行われている大手町丸の内の冬の風物詩ですね。

この丸の内イルミネーションは、三春町の中心市街地整備にて大町の街路灯や三春駅の照明をデザインされた石井幹子さんおデザインとなっています。
ここ大手町でも、三春を感じられますね。

その日は、ちょうどボジョレーヌーボーの解禁日でしたので、どこの洋食屋やカフェ、そしてBARでは、ボジョレー解禁を知らせる立て看板があり、ここでも一杯。ここでも一杯とワインに酔いしれ、浮かれて飲んでいました。
帰り足の「花の都大東京」の中心丸ノ内では夜には電気の花が咲き乱れます。



花の都大東京。
しかも、その中心街である大手町を歩くのが好きなんです。
若いころの夢や希望がリンクしています。
特にこの冬の丸の内界隈のイルミネーションで飾られた歩いていると
やはり東京もんへの憧れが払拭出来ないんでしょうね・・・
ほろ酔いで、大手町のビルの明かりを見ていると、この時間も戦っている商人がいる。
日本の商人として、今の自分はどうなのか?
同年代の商人として、大手町の商人と三春の商人を比べてどうなのか?
ついそんなことを考えてしまいます。



田舎もんなんですね、俺。
こうして東京のど真ん中を歩ける幸せ、今の自分、ガキの頃の憧れだった東京という町・・・などを考えていると、お酒を飲みすぎたんでしょう、様々なことが交差して頭を駆け巡りますと、不思議と目頭が熱くなります。
アラ50’になり、自分の生きざまを振り返ったときに、満足しているか?今の幸せか?と問うた時に、家族を筆頭に周りのの方々に支えられてここまで来れたということを考えるようになりました。
そして、現状への満足感と幸せ感を感じるとともに、周囲の方々へ心から感謝という気持ちを考えます。

あぁ幸せのとんぼよ何処へ
お前は何処へ飛んでゆく
あぁ幸せのとんぼが ほら
舌を出して笑ってらぁ




ついついフラフラと、丸の内仲通りや丸の内ブリックスクエア(パークビル)
のワインバーやらフレンチ・バーをあっち店、こっちの店と3、4軒周ってやっと東京駅にたどり着きました。
時計を見ると、21;44分の終電となる東北新幹線の発車時刻が目前に迫っていました。



尚、
そして、来年の2月19日まで有楽町と大手町を結ぶ丸の内仲通りを中心にみられます。
今年は東日本大震災後の節電の流れや地球環境にも十分配慮し、独自に開発したLED “エコイルミネーション”を全面採用することで、使用電力を前年比で約6割ダウンに成功。丸の内オリジナルカラーの“シャンパンゴールド”色のイルミネーションで、街を訪れる人の心を暖かくしてくれます。


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| ryuichi | 12:07 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::東京散歩 |