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栃尾又温泉自在館 2017.7.3



先日、所用があり新潟へ出張しました。


新潟大学に通っている次男坊のアパートへ荷物を届けたりごみを持ち帰ったり・・・
親バカですね?やはり心配です。




夜お酒が入る会合でしたので一泊の予定でした。

宿は、栃尾又温泉の自在館様です。





飲み会さえ我慢すれば新潟なので日帰り圏内なんですが、今回もわがままを言ってこの宿にしてもらいました。


宿名が「観自在菩薩」からとったという霊泉の湧く温泉です。





宿の横には薬師様のお堂があり子宝授かり御礼キューピー人形がたくさん奉納されています。

子供が授かるご利益があり薬師様と温泉らしいんです。





皆様方のお目当ての温泉は「したの湯」と「おくの湯」という人肌より少し暖かいというラジウム温泉で、日替わりで男女入れ替えとなります。

朝5時から夜11時まで、すごくぬるい温泉なので何時間でも入って入れそうです。




宿の若主人曰く「湯あたりのしにくい温泉で、慣れた強者のお客さまは10時間ぐらいは行っていらっしゃいますよ・・・食事と寝る時間以外ずっと温泉です(笑)」

私も朝早く起きて朝食までの間2時間くらい入っていましたが、体はポカポカで体調がすこぶるいい感じです。

熱くもなく冷たくもなく丁度いい感じの温泉は、物凄く心地よく、これが母親のおなかの中で羊水の中にいる感覚っていうのはこういうことなのかなぁ?とぼんやり考えていました。
もちろん生まれる前に記憶などあるはずもありませんが・・・



女性の方も長湯すれば冷え性が改善され子供が授かりやすい体質になるという子世なのでしょう。

私も、翌日まで体がポカポカしていました。




え?二日酔いは・・・バッリリ抜けました。
時間があればゆっくり二泊くらいして湯治気分を味わいたい温泉です。





食事も、山の幸満載の豪華料理で、お酒が捗ります。



さすが、酒処魚沼です。

旨いお酒が目白押し!




綺麗処はいませんが、温泉と山菜、そして魚沼米を満喫させていただきました。




心からのおもてなしをしてくれたスタッフの皆さまには感謝申し上げます。

また、若旦那さんにはすぐそこにある車までなのに「100均の傘ですのでお持ちください」と傘をいただいてしまいました。

細やかな気配りです。


心身ともに安らいだ温泉宿でした。

ありがとうございました。






春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:38 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
「山本五十六記念館」 越後長岡



先日、総会シーズンということもあり職業柄の総会出席のために越後長岡まで出張と相成りました。

折角ですので、時間を見て長岡市にある「山本五十六記念館」と「山本五十六誕生の地」に行ってまいりました。





記念館には、何といっても連合艦隊司令長官山本五十六ら11名が搭乗した海軍一式陸上攻撃機の左翼部分撃墜された当時の姿のまま保管されています。

また、山本の生家である高野五十六時代から戦死時までタイムラグ的に、手書きや書など様々なものが紹介されています。





山本五十六は、当時の欧米事情にも詳しく、戦略的に見て日独伊三国軍事同盟や日米開戦に最後まで反対していました。
戦術的にも航空機戦力に早く着目し海軍航空隊設立に尽力し、日米開戦時には「短期決戦・早期和平」という日米間に於ける国力の差を冷静に分析していました。

広い視野を持ち現実的な作戦計画を実施しようとしたことなど、旧日本海軍軍人の中でも傑出した名将としての評価は今日でも高く、海外においても広く賞賛されています。

また、明朗な性格で、部下や同僚から非常に高い信頼を寄せられた人物でした。


世界海軍軍縮会議予備交渉に出席する際に、郷土長岡の先人河井継之助の小千谷談判を持ち出し友人に語った言葉

私は河井継之助が小千谷談判に赴き、
天下の和平を談笑のうちに決しようとした。
あの精神をもって使命に従う。
軍縮は、世界平和、そして日本の安全のため、必ず成立させねばならぬらぬ。






日本海軍の山本五十六と言えば、太平洋戦争初期の旧大日本帝国海軍の連合艦隊司令長官で真珠湾攻撃の立役者として知らない方はいないはずですね・・・
ミッドウェー海戦後のラバウル航空隊の活躍する南方戦線視察・激励で昭和18年4月18日午前7時30分すぎ、ソロモン諸島バラレ島におもむく途中、アメリカ陸軍の戦闘機の襲撃をうけ墜落し、戦死してしまいます。






山本は、日米戦争に反対していたのにも拘わらず、戦時特別編成である大日本海軍連合艦隊司令長官という立場から真珠湾攻撃の作戦立案に携わる事になりますが、その山本の苦悩が洗われている講演があります。

昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでくださいます。






「山本五十六長官」を護衛していた六機の護衛零式海軍艦上戦闘機

坂井三郎と共にソロモン戦域最多撃墜数保持者として日本海軍撃墜王と称された、新潟県東頸城郡安塚村(現上越市)出身の杉田庄一飛兵長も両翼端を切った最新式の零戦32型で護衛任務に臨場していました。

戦後、護衛戦闘機隊の一人柳谷氏によると当時、山本五十六が視察した地域は「圧倒的に日本軍が優勢な制空権を確保していた」ようでパイロットたちは「自分達の庭」と思っていたと語っています。当時は、柳谷氏の話のように護衛など必要ない空域という認識しかなく、零戦6機護衛隊も「形式的なものだった」という認識が司令部や全パイロットたちにもあったのではないかと考えています。


二〇四空護衛戦闘機隊

第一分隊
分隊長 森崎武中尉
二番機 辻野上豊光一飛曹
三番機 杉田庄一飛兵長

第二分隊
分隊長 日高義巳上飛曹
二番機 岡崎靖二飛曹
三番機 柳谷謙治飛兵長(終戦まで生き抜く)


被害 一式陸攻二機撃墜
戦果 P38二十四機中六機撃墜





山本五十六記念館から徒歩3分の近さにある「山本元帥誕生の地 山本記念公園」には山本の胸像があり、山本五十六の生家である高野家が保存されています。


生家を見ると「これで冬が越せるのか?」という質素なつくりの家でした。

しかし、長岡藩士の家らしい質実剛健を表すお宅です。





海軍兵学校の体格検査で「特技は何だ?」と聞かれて、

「はい、やせ我慢です!」と答えたという。

苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。
これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。
男の修行 山本五十六語録


好きな言葉です。




人生全てが修業であり、生きている間はどんなに辛いことや理不尽なことがあっても、簡単には「逃げ出さず」「愚痴をこぼさず」「弱音を吐かない」それが男子たるもののあるべき姿ということなんだろうと思います。

これは正に自分との戦いであり、ただの自己満足であるかもしれません。
しかし、自分には負けたくないものです。







日本海軍連合艦隊司令長官 山本五十六大将訓示
下記は、三国同盟成立直前に反対演説した時の連合艦隊司令長官 山本五十六訓示です。

私たちは一口で云うならば、国家の忠実な番犬であります。
日本と云う邸内を侵すものあれば、その時は身命を投げ打って相手に挑んで行く任務が在って、もともと政治には拘わりたくないのであります。
しかしこの日本の邸内を窺う賊は一名ではありません。
出入り口も三つか四つ在りますが、哀しいかな番犬は一頭で在る場合、この番犬はどんなに走り回っても護りキレ無くなるので在ります。
とは云っても賊の侵入を見逃す訳には尚まいりません。
せめて政治家が、他の口をしっかりと鉄扉で塞いで於いて呉ますなら番犬は喜んで常に一つの関門を護り得るものと存じ得ます。





宿泊は、定宿にしている燕三条在下田村にある越後長野温泉「嵐渓荘」です。

いつ行っても癒されます。




ここでゆっくりしたいから新潟の出張に来ているようなものです・・・と云ったら怒られそうですが・・・





帰りに、女将さんより嵐渓荘特製「山の塩羊羹」を頂きました。



嵐渓荘の温泉「強塩泉」を練り込んだ白隠元豆の塩羊羹です。


お菓子屋の私が食しても絶品です!




勉強しま~す。




また、加茂市に「善作茶屋」の“ところてん”が絶品です。




時代劇に出てきそうなロケーッションは最高!

息子が新潟大学に入学したもので、よい身近に感じる新潟です。

もっとも、私の母方の祖先(ひい祖父)は越後(本籍は新潟市西区)の小山氏出身ですので、DNAの中に何処か越後の遺伝子が組み組み込まれているせいなのかもしれません。





前日も、一人暮らしをする息子のアパートに食材を届け、ゴミを片づけて来ましたが、やはり初めての一人暮らしです。

心配が先に立ってしまいます。

たまには息抜きに「嵐渓荘」にでも行かせたいと思っています・・・


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 04:56 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
能登・金澤漫遊記 2017.5.8~10



所用があり、金沢まで出張してまいりました。

丁度連休明けの三春昭進堂の3連休ということもあり、折角ですので、前泊して能登半島門前町にある曹洞宗総持寺祖院に参詣することができました。


今回は、当ホームページ出先にお示しした当家次男坊を新潟まで送りながら、能登、輪島、和倉温泉泊り、翌日金沢入りし、所用を済ませ、兼六園や金沢城を通過して金沢21世紀美術館で現在開催中の「池田学展 The Pen ー凝縮の宇宙ー」の鑑賞です。





総持寺祖院につくと、参道からご詠歌が聞こえてきました。





丁度花まつりの稚児行列がありました。





総持寺では、山門や庫裏・書院などの平成の大修復中で、完成にはあと五年くらいかかるそうです。




一口千円から瓦を寄進することがでkます。

商売繁盛・家内安全を記載してお布施させていただきました。





案内板によると、曹洞宗の大本山として瑩山紹瑾禅師により、1321(元亨元)年に創建されました。

1898(明治31)年の大火で境内は焼失し、本山は1910(明治43)年、神奈川横浜市鶴見に移り祖院となりました。

その後の再建で山門、仏殿、などがよみがえり、消失を免れた建物とともに、根本道場の威厳を伝え、今も総ケヤキ造りの風格ある山門や仏殿、法堂などが残っています。



三春からですと車で7時間くらいかかる場所です。


御利益がありそうです。





門前で、昼食の蕎麦を手繰っていますと、バイクで来たお客さんとあれこれ与太噺となり、「せっかくここまで来たら輪島にある永井豪記念館に行くべきです!」とご案内を受けました。





宿泊の和倉温泉での宴会までは時間がありますから、ちょっと寄り道してマジンガーZに会いに行ってみました。





輪島の朝一会場の中にある永井豪記念館です。
玄関前にマジンガーZがあり、目立ちます。





ロケットパンチが飛んでいるのが分かります?


画像をメールで送って、マジンガーZ好きの長男の自慢してみました。





そして、宿泊の和倉温泉





いつ来ても、お客さんが温泉街を歩いて回り、賑わいがあります。


宴会前に、立ち寄った和倉温泉のすし屋ナンバーワンの「蛇の目寿司」で一献!


若大将に、和倉の街づくりと観光の歩みについて、お話を伺うことが出来ました。

「イベントは町を殺す」・・・名言です。

補助金ありきの期間付き(大体3年間)イベントの無意味さを言い表した言葉です。

そして、和倉・フィッシング・クラブ「W・F・C」の話で大盛り上がり・・・

すっかり盛り上がってしまって、宴会に遅れて参入です。





翌朝は、早出をして高岡にある国宝の曹洞宗の古刹「高岡山瑞龍寺」に参拝してみました。







壮大な伽藍配置様式の豪壮にして典雅な美しさに圧倒されます。

さすが、加賀藩百二十万石です。そのの財力を如実に示す江戸初期の典型的な建造物です。

高岡の開祖前田利長の菩提寺、曹洞宗の名刹です。3代藩主前田利常の建立で、1997年に山門、仏殿、法堂が建造物として国宝に指定されています。

江戸初期の禅宗寺院建築として、総門、禅堂、大庫裏、大茶堂、回廊三棟が重要文化財として指定されています。

前日総持寺祖院でもありましたが、雪駄履きに作務衣すがたで、おじさん連中引率しているものですから「どこぞの住職さん?」と聞かれたりご案内を受けたりします。








総門、三門、仏殿、法堂、方丈と一直線に並び、周りを回廊が回り、座禅堂と庫裡を配置、黄檗宗の影響を受けた建物です。





国宝というだけあって、そこにいるだけで心が洗われます。






この日は金沢城下に泊りです。


実は、石川県立21世紀美術館へ来たくて入れた出張だったかもしれません。



兼六園を廻り





金沢城を廻ります。





さすが百二十万石の城です。


大きい!





ここは映画のロケ地にも使われる金沢城内にある旧日本帝国陸軍第6旅団司令部の官舎跡です。






石川門近くの石垣です。

卍や丸に棒等マークが刻まれているのが見えます。





金沢21世紀美術館です。

今開催中の「池田学展 The Pen ー凝縮の宇宙ー」

これ一番が見たかったのかもしれません。


先に上野で観た雪村の《瀟湘八景図帖》の“風”や《金山寺図屏風》に描かれた“人々”のような細部に描かれた緻密な凝縮に共通点を見出してしまいます。




このプールのオブジェ有名ですよね!





下から見ると~


アートデです。




ペンと墨だけで描いた細かい絵です。


これがたまりません。
いつまで見ていても飽きが来ません・・・





本日用意していただいた宿は、創業360年の住吉屋旅館さんです。


金澤城大手門まで徒歩5分、近江市場まで徒歩3分という好立地です。





近くにある泉鏡花記念館は休みでした。残念~


宿の近くにあった「ELBOW ROOM」でちょっと一献!




ご主人は、18才から35年間シアトルで暮らしていたそうで、昨年帰国して実家であるこの場所で、この店を始められたそうです。






創作串焼きも絶品、そして「ホタルイカとワラビとウドの酢味噌和え」最高!


そして飲み物は「ブルームーン」 マイアミで今一番人気のオレンジ味のビールです。


美味しかったなぁ~


しかし、いつも思うんですが、出張の度に「寅さんかと思った~」と言われることがよくあります。

今回も、初めて会った高校生だという金髪のアメリカ娘達に囲まれて「ジャパニーズ・寅さん!」と写真を撮られました。



もちろんスーツやネクタイ、革靴も持っていきますが、用件が済めばさっさと着替えて普段着の作務衣に着替えます。

さらには、雪駄履きでパナマ帽、そして度付きサングラス・・・これに皮のバックといういで立ちが定番です。

ま、仕方はないか~・・・・


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
「縄」 母は夜なべになわを綯った わたしも真似して綯ったら 母は笑ってほめてくれた



先日、会津に行く用事があったものですから、次男坊の大学受験、そして商売繁盛、家内安全などを祈願のために、柳津虚空蔵尊まで、正月詣でに行ってきました。

本当は、七日の裸参りにも行きた(参加)かったんですが、正月明けの連休初日とあって仕事の関係と、あと10日で53歳を迎える弛みきった体では、無理と判断して今回も見送りました。






この日は、暖冬のせいなんでしょうか?

冬・正月明けの会津柳津にしては雪が全くありません。

また、この日はとても暖かくコートなしで参詣することが出来ました。

最も、旅館に一足先に入ってひとっ風呂浴びて一献!

ほろ酔い気分での、不謹慎な参詣です・・・





その日は、定休日でしたので、三島・早戸にある「鶴の湯」まで足を延ばし、ゆっくりと湯浴みと洒落込んでみました。

二階にある休憩所への階段に、「縄」と書かれた素敵な書が飾ってあってありました。




縄 

母は夜なべになわを綯った

わたしも真似して綯ったら

母は笑ってほめてくれた


なんだかほっこりして、得した気分になりました。





とても暖かい正月明けの三島早戸でした。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:48 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
徳一廟参詣 冬の東山温泉 卯之家ソースカツどん



先日、この冬2回目の会津東山温泉での会合があり先週に引き続き会津へ向かいました。

この日は当店が定休日でしたので、少し早く出発して、平安期の高僧徳一大師を祀った磐梯町にある慧日寺の徳一廟をお参りしてみました。




徳一廟は、夏から秋にはスズメバチがいたりしてなかなかお参りが難しいところです。


近年復元された慧日寺は、平安のはじめ大同元年(806年)、法相宗の高僧徳一大師が開いたとされています。




徳一廟の石塔ですが、修復の跡が見えますか?

当時の薬師如来信仰によって、この石塔の石を削って、薬として飲んでいたと考えらてています


以後、慧日寺は佛都会津の本格的な学問寺として発展し、一時は寺僧300、僧兵6000を数え、堂塔伽藍100などの広大な 伽藍を持ちっていたと伝わっています。

当時は、会津地方はもちろん、東国一円まで影響を与えるほどでした。





現在は、復元された金堂と山門の他、山内には、仁王門や山門、薬師堂、徳一廟などが点々と残っています。

尚、慧日寺は冬季間は閉鎖されていますので外観だけの参拝となります。




この時期の会津にしては、めずらしく暖かい日でしたので、丁度本日の会場が千代瀧さんでしたので、新瀧との外湯めぐりのついでに、久びりに東山温泉の散策してみました。




やっぱり温泉にいったら温泉街の散策(徘徊?)ですよね?

普段は、時間がなくて温泉街の散策などできませんでしたが、この日は定休日でしたので早めに行ったという次第です。





宴会前でしたが、東山温泉名物ソースカツどんの「卯之家」で一休みです。


偶然にも、ご一緒させていただいた東山芸者組合の姐さん方(現役ですよ)と、楽しいひと時を過ごさせていただきました。

”小原庄助さん、なんで身上潰した~!
朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上卯・・・”

やはり、温泉街で生で聞く三弦(三味線)の伴奏による民謡は粋ですね!

ありがとうございました。

新春放映のテレビ見てくださいね!




ソースカツどんをいただいてしまいました。

おっと、これから宴会なのに・・・




尚、湯巡りをさせていただいた新瀧さんには、竹久夢二のギャラリーがあります。




夢二の絵が掛け軸となって展示してあります。




また、会津らしく最後の藩主松平容保公の書も展示してありました。




何故か東山温泉には毎年冬に来ているような気がします。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:41 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
乳頭温泉「鶴の湯」28 日本の秘湯を守る会


所用があり、秋田へ出張となりました。

秋田は一泊圏内です。

周りには秘湯がたくさんあります。

市内のビジネスホテルではもったいない!

ということで秋田は田沢湖の奥にある、乳頭温泉最古の湯宿「鶴の湯」に宿をとっていただきました。




如何ですか?この鄙びた感じ・・・

正に、日本の秘湯ですよね!





時期的にもオフシーズンになるんでしょうね?

先週初雪が降ったみたいでして、通年営業の宿ですが自分で運転するとはちょっとっていう感じです。





お陰で、3時前には到着し、早速混浴の露天風呂へ。

先客が一人という、貸し切り状態でゃありませんか・・・





日帰りのお客様方が帰って、宿泊のお客様の到着もちらほらといった偶然訪れた幸せの時間です。




近もこの時期にしては珍しく、暖かく自然のテラスで一献!

のんびりと湯浴みをして、お客様方とほっこりおしゃべり・・・・

携帯電話も圏外、テレビもありません。

時間も気にせず、静かな時間が流れています。

至福のひと時です。

え、Wi-Fiは使える・・・・これはこれで助かります。




夕闇が迫り、夕食です。

宴会ではなく、夕食です!

カラオケも綺麗ところも一切なし・・・・





食べ始めてずい分経って写真に気づきました・・・


同席させていただいた、アメリカ出張中の貴重な休暇を割いて二泊していた杉山様。

そして、日本を代表するフォトグラファー興村憲彦様


楽しい時間をありがとうございました。






興村様には、フォトグラファーになった経緯、そしてBMW2002や縦目ベンツのクーペなど車スキの私もついついおしゃべりに夢中になってしまいました。

楽しかったです。

三春をぜひ売り込んでください!




茅葺屋根の雪対策中です。

屋根にビニールをかけています。


翌日は、一の関での要件を済ませて平泉中尊寺へ・・・・




地震も気がかりでしたが、三春は震度3程度みたいで、被害は長男のフィギアが倒れた位でしたので、昼食を兼ねて金色堂参詣してきました。




紅葉がきれいでした。




わんこそばです!



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |
成田山新勝寺参詣 朝一番の護摩祈祷!


先日、所用があり、千葉にある成田まで出張してまいりました。

折角の成田です、空港近くのホテルに一泊では味気がありません。


ここは、私三春城下新町の真照寺門前で、四代に亘って商いをさせていただいていますので、同じ真言宗智山派の成田山新勝寺門前にある若松屋本店さんに宿をとりました。

三春城下真照寺では毎年「成田山講中」の成田山新勝寺参拝を兼ねた旅行を行っています。

近年では、成田山新勝寺参詣の後は、その時節にあった名所旧跡などを廻り、近くの温泉に宿泊していますが、1985年のつくば万博までは、この若松屋本店さんが定宿でした。




高速道路は渋滞もなく、予定より早く着きましたので、早速新勝寺さんに参拝し、門前町の散策と洒落込みました。


実は、6月にも真照寺さんの成田山講中に父親の代わりに成田山新勝寺には参詣に来ていますから、今年二回目です。




日曜日の午後、丁度お寺さんで”雅楽”の奉納があったみたいで、お寺さんは本より、参道門前町も参詣や観光の方々で大変な人出です。





また、参道には鰻を焼くいい香りが、いたるところから近寄ってきてはおなかを刺激していきます!




そうなんです。

成田山は、鰻と羊羹が名物と来て居ます~





早速、鰻の老舗”成田近江屋”さんにて、山葵をチョコッと添えた”うなぎの肝焼き”と”白焼き”で一献!

これが美味しいに何のって・・・・





成田駅の方まで続く、約500メートルくらいの参道沿いのお店は見ているだけでも飽きません。


夜は、成田山新勝寺の参道にある“川豊本店”。

築95年で、昔は旅籠として使われていたそうで、なんとも風情のある建物です。

二回の座敷で、静かな宴会です。

おお姐さんはって?

ここはお寺の門前町ですよ・・・・






新勝寺の仁王門です。





御存じ、成田屋七代目市川團十郎の石造です。

ここ成田山を信心して男の子が授かったという縁から屋号を”成田屋”とした、市川一門。

十一代目 市川 海老蔵さんの闘病中の奥方麻央さんの病気平癒をご祈念申し上げます。





正門の脇、境内広場には、名物のたくさんの売店が並んでいます。

当家の豪栄道にと思い何かお土産を物色いて見ました。




ありました、大好きな働く車!

そして、風車は参道にある老舗”藤倉商店”で買い求めました。

何だか、孫に買っていく感覚ですね・・・・

また、同じ境内堂庭にあるおでん屋さんでは、嫁に来てから50年やっているという看板娘さんが切り盛りしています。

なんでも、息子さんが私と同年代で、成田山参拝の今昔物語で、話で花が咲きまして・・・

また、看板娘さんのおじいさん(明治25年生まれでしたか)が龍吉という名前だそうで、同じ名前ということで、これも御縁だろうと、長命箸をいただいてしまいました。

本当に、ありがとうございます。

門前で宿泊し、門前町で飲食をし、お土産を買う。

昔ながらの成田山参りを経験していますが、これはアリですね!

心身ともに満たされているよう気持ちです。





翌朝は、午前六時から行われる第一回目の護摩祈祷に参詣しました。




これも、真照寺住職に食事の場所を伺いに行ったときに、折角門前に泊まるんだったら朝一の護摩焚きの参詣しては!と案内をいただいていました。

これも、さきの真照寺成田山講中で参詣した折に経験していましたので、勝手知ったるです。

護摩を焚きながら朝課をされます。






この時、参詣の方々が手荷物を手に前の方に進み、若いお坊さんや紋付き袴の職員にそれらを手渡し、護摩の焔で炙ってもらっています。

これは、邪気を払うということらしいので、私も財布や携帯電話、そして免許証、車のキー、さらには家族全員の保険証、学業成就祈願お守り等を入れてて来た巾着を若い修行僧の方に託し護摩の焔で炙っていただきました。

これで金運アップ!商売繁盛!家族の健康!子供たちの学業成就!間違いなしです。





自分への土産です。

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:26 | comments (x) | trackback (x) | 物見遊山諸国見聞録::男の隠れ家 |