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塵壺338号 令和元年9月発行 真夏の川崎第一屋縁の御神輿紀行 三春城下中町若連 




 真夏の川崎第一屋縁の御神輿紀行 三春城下中町若連 

夏本番8月の第1日曜日、今年も三春城下中町若連さんの川崎市浜町二丁目町会の「夏祭り」、大島の八幡神社祭礼長会連合神輿渡御での神輿担ぎに同行いたしました。

川崎の神輿担ぎとのご縁は、今から30余年ほど前にさかのぼります。

当時、城下中町の桑原商店の桑原さんからお誘いを受けて、祭り好きの同級2人で川崎まで御神輿を担ぎに二泊三日で出張したことに始まります。

さらには、11月の市民祭への浜町睦会の神輿出場・・・

以後、私は所用と重なりなかなか機会に恵まれませんでしたが、昨年夏に 30年ぶりに川崎へお邪魔することができました。






久しぶりでしたが川崎浜町の懐かしい顔ぶれに温かく迎えていただき、時間が一気に巻き戻り、昨日もここへ来ていたような感覚になるのは不思議です。
 
それだけ第一屋さんのご家族、そして、川崎浜町の方々の人情の温かみがあってのことだと思います。

人と人のつながりって本当にありがたいものです。








30年前にお邪魔した際の御神輿は、現在の三春城下中町若連が三春大神宮祭礼で担いでいる御宮造の御神輿です。

大太鼓用欅(ケヤキ)の無垢材を使用、豊満な屋根と、キュッと引き締まった腰を持つ素敵な宮造り御神輿で、真夏の日の光を浴びると目が眩むほどのきらびやかな真鍮(しんちゅう)で錺(かざり)板金を施され、羽根一枚々々手仕事で仕上げた今にも飛び立ちそうに見える鳳凰、台輪には十二支をめぐらせ屋根の蕨手を飾る黄金のツバメや折り鶴等々が輝いていました。

 例えるならば、抜群のプロポーションの粋でイナセな姉さんを思わせる代物で、各神社宮神輿を除けば関東で一番の大きさで知られ、この宮神輿を担ぎたくて関東一円から様々な団体・個人が仁義を切って出頭していました。






 川崎の祭礼で担がれていたときにも江戸前の夏祭りらしく町内巡行の折には家々からは水がバシャバシャかけられますが、この神輿はビクともしません!
 
それもそのはずです。この御神輿は、浜町睦会会長で第一屋2代目社長”勝ちゃん”こと橋本勝通さん、そして板金屋の粳田三郎さん、大工の秋元長吉さんが心血を注いで作った御宮造の本格派の御神輿ですから…


 この第一屋さんというのは、当時関東一円に商いを広げていた三春城下中町の衣料品屋「桑原商店」で大番頭を務めていた橋本亀義(勝通さんの父)さんとその妻ヨネおばちゃんが、独立して大都会川崎は、川崎大師、日本鋼管に程近い浜町通り商店街に出店した洋品店です。






 この三春とのご縁がすごいと思いませんか?

 後に紆余曲折の経緯の中、まさにご縁なのでしょう桑原商店経由で中町若連に嫁いできたという次第で、この御神輿が三春へ来て以来、中町若連として有志がここ20年余にわたって川崎へ神輿担ぎに出頭し、秋の三春大神宮祭礼には川崎から浜町の方々が三春へその神輿を担ぎに来るといった交流が続いています。

 また、中町若連の川崎出張では、御神輿担ぎだけではなく「三春盆太鼓」、そして「山車太鼓」を数か所で披露しますが、福島も含め東北県人の多い川崎で盆踊りの輪が出来るほどの盛況です。

 この神輿が中町に譲渡されるという段になって中町若連では、ある程度の謝礼を用意したみたいですが、「これはお金じゃないんだ、人と人の心で譲るんだ!大事にしてくれればそれでいい!」と第一屋さんにピシャッと断られた話しを伺いました。







 御神輿とは、文字通り神様の乗り物です。

そして、その神輿を保管し、祭礼時には組み上げ・担ぐ・それに付随する準備や片付けをする人など、様々な願いや想いがあります。

 神輿を作った第一屋さんら浜町睦会の想い、そして、「大切に使わせてもらう」といって譲り受けた中町若連・桑原商店の想いなど、打算や表面上の付き合いではない、本当の人と人の絆がありました。
 カッコのいい粋な大人がいるものです。





 
それは、神輿に携わる人々の希望と情熱、そして意地と見栄(みえ)が造り上げたかけがえのない宝です。
 
さあ、来月は三春大神宮祭礼です。皆々様の願いと共に、今年も宙を舞います。    

ホイサーッ!ホイサーッ!ホイサーッ!







      蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 04:51 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺337号 映画「盆唄」A song from home  三春城下公開決定! 令和元年8月発行





映画「盆唄」A song from home  三春城下公開決定!

毎年、新暦のお盆(7月中頃)を中心に6月から9月に掛けてマウイ島をはじめハワイ州各島では、週末になると日系仏教寺院を会場として“BON DANCE(盆ダンス)”と呼ばれる“ハワイの盆踊り”が盛大に開催されている事をご存じでしたか?

以前、三春出身の歴史家橋本捨五郎さんから、この盆踊りは相双地区出身者が多い福島県人会が主体でお囃子方の太鼓や唄は、相馬盆唄を原曲とする『フクシマオンド』と聞き及んでいました。

また、“日系ハワイ移民の父”と呼ばれる勝沼富蔵(加藤木氏)さんが三春出身ということもあり、マウイの盆踊り会場に三春を紹介するブースを設け三春関連の幟旗(のぼりはた)を掲げたいと旗探しの依頼があり、方々に手配して三春関連の幟数本と当店の「おたりまんじゅう」・「磐城國春陽郷三春祭礼」の幟旗を寄贈したことがありました。






「ご先祖さま、震災で亡くなられた皆様一緒に踊って下さい」


その“BON DANCE(盆ダンス)”にまつわる物語を描いた映画「盆唄」が、この夏8月10日(土)に三春交流館「まほら」にて上映されます。

「盆唄」は、震災により双葉町に帰れないまま他の土地で避難生活を続ける横山久勝さんとその仲間たちが中心的な登場人物で、彼らが双葉町の伝統的な盆踊り「双葉盆唄」を存続・継承しようとする故郷への強い思いを描き出しています。






この映画「盆唄」の企画は、日系ハワイ移民、そして、BON DANCEを長年取材してきた三春にも活動拠点を置く写真家の岩根愛さん。岩根さんは、昨年ハワイと福島の深いつながりを追った写真集『KIPUKA』(青幻舎)で“写真界の芥川賞”と呼ばれる第44回(2018年度)木村伊兵衛写真賞を受賞した新進気鋭の写真家です。

監督は、「ナビィの恋」などの作品で知られる中江裕司氏が務め「これは震災の映画ではなく、震災で避難した『人間の映画』」であるとし、「双葉町の人たちを3年間撮影してきて、それぞれの営み、生きていることの勇気をもらった。それを次世代につなぎ、未来に向けたメッセージにしたい」と話し、ロケ地となった旧三春町立桜中学校の校庭で撮影されたラストシーンに、特にその思いが込められています。

史実に基づくアニメーションパートでは、余貴美子、柄本明らが声の出演。





岩根さんとのご縁で、本作に登場するマウイ太鼓は、2012年に『マウイ太鼓』東北公演ツアーで三春町を訪れ三春城下中町若連太鼓保存会と共演しています。

翌年には中町太鼓保存会もマウイ島で開催されたmaui matsuri(マウイまつり)に同じく岩根さんと親交のある“ひょっとこ踊り”の橋本広司(高柴デコ屋敷恵比須屋十七代当主)さん、そして世話人である橋本捨五郎さんも同行して出演し三春甚句等を披露しています。

三春盆踊りの起源は、法蔵寺宗旨である時宗の「踊り念仏」、浜通り南部の「じゃんがら踊り」、さらには江戸時代後期の頃に相双地区を襲った大地震や津波で、被害を受けた地域の救済と復興のために入植した新潟や北陸の浄土真宗門徒がもたらした「踊り念仏」を起源とされる「相馬盆唄」など諸説ありますが、三春城下は、岩城街道、会津街道をはじめとする主要街道が交差する文化と物流の交流拠点であり、それぞれの文化の影響を受けながら独自に進化していったものだと考えられています。






「踊り場」の地名が残る八幡町では、昭和20年8月の玉音放送を受けて町当局から盆踊りは自粛・中止せよとの沙汰が発令されましたが、八幡町若連では“盆踊りは国に殉じた戦死者供養だ!”と「いろはや食堂」の裏山に太鼓を持ち込んで朝まで盆太鼓を叩いて戦没者を供養したと伝わっています。

さあ、三春盆踊りです。

ご先祖さまや先立たれたご縁のある方々の供養です。

この世に未練が残らないように盛大に、そして陽気に踊ってあの世へ送ってあげましょう。


蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝 







お知らせ


岩根愛さんがNHKの取材を受け、放送が以下に確定いたしました。

8月2日(金)

7:45~8:00「おはようふくしま」

4分ほど(映画情報は含められないかも??)

18:10~19:00「はまなかあいづ」

5分ほど


尚、4日は福島で上映があり、その模様も取材されて、また来週に放送予定です。

どうぞよろしくお願いいたします!!!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺336号  『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~ 令和元年7月発行





   『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~

 8年ぶりのソロ・アルバム「THE LIVE!」を発売した憂歌団のボーカル木村充揮(きむらあつき)。彼の東北北陸ライヴツアー「ひとり旅 夏ツアー2019in福島」に参戦して、またまた心をわしづかみされました。



 



憂歌団(ゆうかだん)のリード・ヴォーカルとしてその名を馳せ、1998年の憂歌団活動休止後はブルースの枠に留まらない自由奔放なソロ活動を精力的に展開。"天使のダミ声"とも称されるその味わい深く詠う(あえて詠うの字)その声はまさに国宝級です。

会場となった福島市栄町にある音楽BAR時代屋 シーズンⅡさんは3、40人くらいが入れる小さなBARです。





 オープニングアクトを務めた“はせがわかおり”さんは、アコースティック・ギターを抱えライヴ活動をコツコツと続けて創りためていた楽曲で造った2ndアルバム「COLOR」を引っさげて会場をあたためます。さすが木村充揮一押しのシンガーです。







 そして木村さんのライヴです。

私は最前列を陣取り、木村さんの詠う姿はもちろん、ギターを爪弾く左手や右手、焼酎の水割りを飲む、タバコを吸う、観客との掛け合い等々ライヴ会場の空気感も含めて食い入る様に見入ります。

 木村充揮が目の前に居る!”天使のダミ声”で詠ってる~!ってな具合で、あっという間の2時間半です。そこには、知らないうちに掛け声や合いの手を入れている自分…。
 選曲・編曲・歌はもちろんですが、MC、ギターのイントロ遊び、飲酒・喫煙等々~全てが木村さんのライヴで、最高のパフォーマンスを披露していただきました。





 ライヴ終了後、木村充揮さんと直接話す夢みたいな機会にめぐまれました。

 何度もこれは夢じゃないか?

うつつじゃないか?

酔っぱらっているんじゃないか?...と確かめながら、地に足がつかない状態です。

 同じ空間どころか、すぐ傍らにいるんです!まだ木村秀勝のころから40年来その生きざまともいうべきライヴに酔いしれ、憧れていた方が確かに隣に座っています。







 しかも同じ時代に生まれ、一緒にこの世に在リそのパフォーマンスを感じられるだけで幸せだと思っていた人と酒を酌み交わしてにこやかに一緒に呑んでいるんです。

 そして、そして目の前で私に語りかけてくれているんです〜!

 「日本語で言えばブルースって何? 言うたら、歌、生活そのものや~、あくまで自然体でねぇ、洒落の効いた生き方そのものがライヴや〜」という木村さん。

それから約3時間半、隣に座り様々な話を伺うことができました。






 「ライヴは饅頭作りと一緒やなぁ〜 饅頭を心を込めて一つ一つ丁寧に造るのと同じや〜 ライヴでも毎回魂込めてステージを造り上げるてるんやで〜」

 「酒とかを呑みながら、ライヴをやるほうも見るほうも、お互いが呑みたいもん呑んで、食べたいもん食べながらがエエんちゃう?タバコを吸いたい人は吸うて、ホンマそんなもんやとちゃいます?」

 「なんでも、自分のペースで行かなぁアカン~ 」

「みんなが好きなように楽しんでるのが一番嬉しいなぁ思うてますわぁ~そのためにも、もっと自分が好きに楽しみたいですヮ~」

 「自分が唄って嬉しぅて、それを皆が楽しんでくれるんやから有り難いですよ~」等々…






 木村さんのお話を拝聴していますと、全てが自然体であり、ありのままを受け入れている禅僧のような清々しさを覚えていました。

 禅の心を表した語の中に「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」があります。人生には良い日も悪い日もなく、どんな日でも“好日”と受け入れることが大事であると解していますが、正に木村さんの生き方そのものです。

 「ありのままを受け入れていることも、各々の心の持ち様で、心の在り様です」と教えていただきました。木村さん、ありがとうございました。






     蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝






『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』ツアー最終日となります。

2019/7/22(月)開場18:30 / 開演19:00

会場: いわき市平 QUEEN Presents まちポレいわき2F

料金:前売¥5000 / 当日¥5500 ※ドリンク代別

お問い合わせ:クイーン  0246-21-4128







| ryuichi | 05:04 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
令和元年 塵壺6月号「三春牛頭天王碑」旧三春畜産協同組合 ~三春城下真照寺山内




「三春牛頭天王碑」旧三春畜産協同組合 ~三春城下真照寺山内


子供のころ、旧三春家畜市場では2か月に一度家畜の競り市が行われていました。

私の記憶には牛の競り市しかありませんが、本来は農耕馬や軍馬の競り市でした。

この頃、当三春昭進堂では競り市に来る畜産農家の方々に向けたお土産として“おたりまんじゅう”や“大福”そして“ゆべし”等々が喜ばれ文字通り飛ぶように売れていたようです。ありがとうございました。

また、昼時は普段は餡子を煮る鍋で作った、スルメで出汁をとり油揚げやさつま揚げ、そして竹輪などの練り物だけの特性醤油“おでん”や三角油あげの入った“キツネうどん”(後に新発売のペヤングヌードルが大人気となる!)が好評で、家中のいたる所が食堂と化して足の踏み場もないくらいのお客様であふれていたことが思い出されます。





そのセリ市場の入り口付近に「三春牛頭天王碑」と刻まれた石柱が立っていました。


牛頭天王とは、インド祇園精舎の守護神で日本に伝わってきた時に薬師如来・素盞鳴尊(すさのおのみこと)と同一視されたため、牛頭天王やその子の八王子権現は疫病退散を司り、“疫病消除”、“除災招福”、“出世開運”の仏様として信仰されて日本中に広まりました。





そのため旧三春畜産協同組合が昭和26年に三春方部家畜飼養農家一同の畜産振興と牛体守護、家内繁盛並びに五穀豊穣等を祈願、家畜に対する報恩感謝の拠り所として、“竹寺”の愛称で親しまれている埼玉県飯能市旧吾野村にある医王山薬寿院八王寺の御本尊「牛頭天王」の御分霊を、三春城下新町にある旧三春藩主祈願所である真照寺様、そして檀家の皆様の特別なるご協力を頂いて山内の一部に奉安しました。







竹寺での例祭は旧暦6月20日ですが、三春牛頭天王の御神体をお祀りするお堂の落慶式が11月6日に挙行されたために同日を例大祭日と定めて、以後、真照寺様によって毎年、祈願護摩祈祷により挙行しておりました。

牛頭天王堂を、奉安した当時は娯楽らしいものは全く無く、各地において素人演芸会が流行致し開催されており、弁当又は家で出来る御馳走を作り一家総出で観に行ったものでした。



牛頭天王祭にも祭の盛会の為余興として素人演芸会を開催、当時の市場北側に舞台を掛け(職員が何日もかかって作り)、出演者は各地区に割当て出演して頂き、年々盛大になりました。当時は交通事情が不便だった為、福島交通(県南バス)が臨時バスを運行する程の賑いでした。







この演芸会は三春町の皆さんは勿論、近郷近在よりの牛頭天王参拝と演芸参観で会場はあふれんばかりで、舞台での演劇などの時に、あまり観客が多すぎて、土手に登ってみたと伝わっています。

そして、子羊、小豚、鶏等が目玉賞品だったようです。

この大盛会を極めた素人演芸会も、様々な娯楽等が現れて約十10年位で幕が下ろされました。


其の後の例大祭は、関係者と一般参拝者の簡素な祭礼となっておりましたが、昭和50年代の三春牛造成計画と併せて、三春和牛研究会の発足(後に三春和牛推進組合より、あぶくま和牛育種組合と改変)により、例大祭の併催行事として、半日が研究会、講演会を催すようになります。

当時は、肉用牛の改良について畜産組合員の皆々様が大変熱心だった為、センターが満席となる出席者でした。






年々大盛会に開催されて、特に三春牛造成計画による肉用牛改良には故宇佐見登先生、外諸先生方々、又組合員皆々様の御協力により、例大祭、研究会等も大盛会でした。

三春畜協より各JAへの業務移管により、平成七年を以て、三春畜産組合による例大祭は終了となりました。

現在は、真照寺山内にあった社殿は解体されその跡地にはセリ市場の入り口に祀られていた「三春牛頭天王」の石碑が移設され田村地方の牛及び畜産農家の皆様の健康を見守っています。
 
 三春畜産協同組合史参照







       蒼龍謹白   さすけねぇぞい三春! 拝 


| ryuichi | 04:38 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺334 三春城下 丈六の由来 丈六佛 丈六薬師堂





滝桜を筆頭に枝垂れ桜が咲き誇り、山桜や染井吉野が彩りを添える春陽の郷三春。

その三春の城下に春爛漫を告げる八幡神社の春祭り。

今年も“八幡様の長獅子”が桜舞い散る城下を勇壮に舞って彩を添えてくれました。
こと、夕闇迫る還御の際、社殿へ続く参道の満開の桜並木の中を提灯に照らし出されて勇壮に舞う長獅子は幻想的です。

その八幡町から一本路地を入った小路に“丈六(じょうろく)”という地名が残ります。

この地名の由来は、城下新町にある天翁山州傳寺の御本尊“丈六佛”(じょうろくぶつ)と呼ばれる木像阿彌陀如来坐像(もくぞうあみだよらいざぞう)に因んでいます。

この丈六とは、鎌倉佛師が定めた仏像の大きさの基準「一丈六尺」からきており、州傳寺の阿彌陀如来坐像丈六像は半分の約8尺 (2.43m)とされています。


三春城下新町の州傳寺の御本尊は、その創建を平安時代、桓武天皇御代の征夷大将軍の坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ)による東夷追討に由来した仏像で、鎌倉期の作とみられます。







田村麻呂の帰依僧“延鎮(えんちん)”が、田村麻呂の戦勝を祈願して延鎮自らが脇持仏の勝軍地蔵・毘沙門天とともに彫ったものとする伝説が伝わっています。

延暦年間の坂上田村麻呂による東征の帰路、守山(現郡山市田村町守山)に大元帥明王を勧請し、母である阿口陀媛(あくたひめ)の菩提を祀る為守山村徳定に「室家山童生寺を建立、更に丈六佛である阿彌陀如来坐像を宮城村赤沼の龍光寺に安置します。

時代は下がって、田村麻呂の末裔とする戦国期の田村義顕公(三春城主田村氏)の守山からの三春入城に伴って三春城下の鶴蒔田、後に現在地である丈六の地に移しました。








三春城下では舞鶴行者(ぶかくぎょうじゃ)が、赤海山万徳寺(廃寺)を開山(三春城下丈六か?不詳)して、丈六佛を移して御本尊としたとされています。

三春が会津蒲生領時代の慶長5年には、会津藩主蒲生郷成公が創建した丈六堂へ移され、江戸末期の秋田氏の時代には享保の初めに順国(じゅんこく)という道心者が来て新しく丈六堂(別当大聖寺)を造営して安置しますが、明和九(1772)年の火災に遭いこの仏像だけが焼け残りました。

丈六堂から阿彌陀如来坐像が、現在の州傳寺に移されたのは明治二十一年のことで、その長い歴史の中で、時代とともに移転、そして火災や様々な災難に遭遇しながらも現存するその福与かな御姿に心が和み、自然と手を合わせます。

  州傳寺「丈六堂建立勧請文」保観尼(文政十一年)及び三春町史参照

現在、この丈六堂は御本尊を薬師如来として「丈六の薬師堂」として近隣の隣組の皆様の御厚意によって守ってこられ、毎年4月29日(祝)には、丈六薬師縁日の祭典が執り行われて隣組各位の方々の健康を祈念されています。

また、この隣組の方々は毎年7月には丈六の通りに七夕様を飾って三春城下を彩り梅雨明けの三春の風景として私たちを楽しませてくれています。






丈六地内には、かつては大桂寺(廃寺)があり、年代不詳(昭和初期?)ですが、無住になったときに御本尊はじめ仏具すべては同じ曹洞宗である城下荒町の龍穏院に引き継がれました。

墓地には三春藩の儒者である倉谷鹿山の墓があります。

大桂寺の読み方は“だいけいじ”ですが、地域の人々はその昔は“だいげじ”と呼んでおり、無住・廃寺になった後も大桂寺延命地蔵を納める地蔵堂が建立され、お地蔵様の縁日になると子供たちや近所の人たちが集まり数珠回しなどをしていました。

 文中に登場する、宮城村赤沼(現郡山市中田町赤沼)には、戦国時代には田村・安積の要として重要な役割を果たす「赤沼築館」があり、赤沼弾正という武将が城主を務めていました。

尚、雄(オス)の鴛(オシドリ)を殺した猟師が雌(メス)の鴛に祟られるという小泉八雲著の怪談「鴛」(オシドリ)の舞台は、この赤沼とされています。






蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!   拝




| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺333号 「演劇集団“きのこ集団Protomass(プロトマス)”」 平成31年4月発行



 演劇集団“きのこ集団Protomass(プロトマス)” 塵壺333号 平成31年4月発行 

 高校時代、演劇部だった我が家の次男坊は高校在学中(2015年・冬)郡山市内の高校演劇部の有志を中心に“高校演劇とは一線を画したアングラ的な要素を含んだ演劇がしたい!”ということで、演劇集団“きのこ集団Protomass”を結成、翌年5月に座長を務める次男坊が書き上げたオリジナル作品(同脚本・演出)『出口はどこかにある』で旗揚げ公演をしました。

 現在劇団員は大学生、専門学校生、社会人、高校生などが在籍し、座長の次男坊作・脚本・演出する作品を舞台にして定期的に上演しています。
 次男坊も県外の大学に在学中ですので、稽古のために週末には高速バスを利用して帰省しております。







 また、他の劇団員たちも郡山在住の他、県外(宇都宮や東京など)から集まっては稽古を重ねる情熱のある演劇集団です。

 先にも、第5回公演『なんでもない、なんでも......』が郡山市麓山にある“郡山公会堂”において2日間上演されました。

 今回も、彼らが目指すアングラ的な演劇構成が採られ、多種多様な言語バトルと、日常生活では絶対に用いないだろう身体動作、ストーリーが論理的に進行せずかなりぶっ飛んだナンセンス・ブラックコメディーです。

 ポジションチェンジをして変更されていく性格。そして、登場人物の会話が噛み合わず役者の長セリフの中に昭和アイドル歌謡をエッセンスとしたコント仕立てのスピーディーな舞台構成…といった具合で次男坊ワールド満載です。






 また、物語の展開を追うことが難しく、意味不明なモノが出てきます。
それぞれの役者の立場や役職が人間を作り出し、そこから生まれる“笑いと不条理”が心地よいテンポで展開するがストーリーの根幹を外さない・・・
 急には思いつかないだろう斬新な演出の手法がいくつもとられていて、全く飽きることがない内容で面白さを倍増させています。

 この第5回公演に向けた“きのこ集団Protomass”の意気込みは凄まじく、この舞台の最終仕上げのために春休みに入ってから毎日稽古稽古・・・直前まで台本を手直ししながら迎えた本番です。
 さらには、テーマが重いだけに初日と2日目で演出を変化させて軽やかさを追加するという手の込んだ仕掛けがありました。

 毎回、私たち家族も観に行きますが、何より自分たちキャスト、スタッフが満足し、芝居を楽しんでいることがこちらまで伝わってきます。






  次男坊の告知をここで
 「きのこ集団Protomass独自の作品を作っていきたい。そして、ゆくゆくは「ムムッ!福島に行けば面白い演劇見れるんじゃなぁい!?」と言われるようになり、お客様が各地から福島に足を運んできてくれる。福島の活性化にちょこっとでも貢献できる。んでもってお金をフヒヒ……なんて目論んでます。」  
       “きのこ集団Protomass代表髙橋成知

   次回“きのこ集団Protomass”公演のお知らせ
 2019年5月4日(土・祝)~5日(日)に福島市福島テルサFTホールで開催される第6回POP演劇祭「!ときめき」に出演します。

 出演は5月4日(土・祝)15:40~16:40  

 会場 福島テルサFTホール

 【入場料】1日通し券 一般 1,500円/学生 500円/高校生300円 中学生以下無料

  ※1日通し券は、4日か5日のどちらかの日にご入場頂けるチケットです。

  問い合わせ 第6回POP演劇祭 事務局電話:024-523-3836








子供たちにはいつも楽しませてもらっています!
長男坊は長男坊のスタンスで、そして次男坊は次男坊の・・・







特にこの次男坊は、幼き頃より凝り性なところがあり、昆虫、ザ・ビートルズ、パンクロック、稲川淳二、小林賢太郎、電気グルーブ、寺山修司、唐十郎等々、トコトント云っていいくらいハマっていました。

… 今に続いているような気がします。

親だからこそ味わえる楽しい時間をありがとう~!






親バカ、バンザイ!

     蒼龍謹白  さすねけぇぞい!三春   拝







| ryuichi | 05:29 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
平成版三春今昔物語 「御木沢」の巻 塵壺332号平成31年3月発行





平成版三春今昔物語 「御木沢」の巻 塵壺332号平成31年3月発行

三春城下新町にある旧三春藩主祈願所真照寺の山内にある「古四王堂」。

東日本大震災により被災し御堂の建屋が損傷していましたが、お寺さんや檀家さん、そして関係各位の皆様のお力で復興再建工事が完了しました。







もうすぐ水芭蕉が芽を出し始める時節です。
三春城下に春を告げる水芭蕉を愛でながら往年の姿がよみがえった古四王堂をご覧いただければ幸いです

その真照寺の檀家さんが多い旧御木沢村は、明治22年町村制実施の時、合併した御祭村、七草木村、平沢村から一文字づつ採って「御木沢」とつけた村名です。
三春城下の北西隣する旧御祭村には、戦国期には田村四十八舘の一つ「小山舘」があり、舘主の小山氏が治め、小山村と呼ばれていました。

小山舘は、天正年間に三春城主田村清顕時代に築いた“田村四十八舘”の一つで、田村家の家臣、550石の小山左馬之助が居て、北西の守を固めていました。
古文書で見ると、三春札所から22丁で、城の根廻り360間、廓丈(高さ) 19間、本丸は、南北40間、東西14間だったというから、随分細長いものだったと思われます。

御祭の由来として、江戸中期の三春藩主秋田輝季公のときに村内の志々作という集落に、獅子頭作りの名工が二人住んでいて、城下大元帥明王に長獅子を奉納します。
以後、明王と牛頭天王の祭礼には、御祭村の村人が長獅子舞と大々神楽を奉納したので、秋田公より、「御祭」の村名を拝領したと伝えられています。
 田村四十八舘「七草木舘」は、七草木を小浜街道が北へと向う要衝に所在し「三春城古城絵図」では2か所の郭の存在を示し七草木新助を舘主名に挙げています。







七草木氏の由来は、寛平の頃、宇多天皇が宮中に於いて七種粥の節句を行った際に、竹良某という人が七種および擂り粉木(すりこぎ)を献上して賞されて「七種木」の称を賜ります。

後にその子孫の七種木新介という武将がこの地の築館山に舘を築いて移り住んで戦国大名田村候に仕えます。田村家出仕を期に七種木を七草木と改称し地名も七草木と改めたと伝えられています。

また、御祭、七草木には「舘下」「突き舘」、「突きうち」、「平古内」、「貼り付け問屋」という武将に因んだ地名が残ります。

 三春城下から小浜へ向かう、七草木奥にある「七草木休み石」は、徳川幕府二代将軍秀忠公が、この地に検地のために来たときに、この石に腰(こし)を下ろして休息(きゅうそく)したといわれています。







 三春、松沢街道の御祭・七草木境に文字も薄れた古い石碑が残っています。

あれは橋本惣五郎の報徳碑です。

惣五郎は、七草木の人で、万延の頃に水戸藩の常陸久慈郡良子村の後藤泉蔵という人を訪ねて水戸国府業たばこの耕作法を学び、帰村して村人に伝授して「御祭国府」と称される葉たばこ生産に成功し、明治30年の専売法実施後も幹于たばこを続けていた人で、その教えを受けた人達が、明治22年に建てたものです。

平沢村出身の人物といえば、明治初頭に活躍した医学博士三浦守治(みうら もりはる)先生がいます。

安政四年(1857)、三春藩士・村田七郎平の長男として生まれます。苦学して明治14年東京大学医学部を首席で卒業。同級に森鴎外がいます。
明治15~20年にかけてドイツへ留学し、病理学病理解剖学を学ぶ。

帰国して間もない明治20年3月17日、帝国大学医科大学教授に就任し、病理学病理解剖学を担当することになり、この日が病理学教室創立の日とされています。

また、歌人佐々木信綱の門下として和歌に優れ、本郷にある東京大学医学部2号館本館の東入口には「世の中の風あらく吹きしきるとも 心の海に波なたてそね」の歌碑が掲げられています。


    蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝










春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:36 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |