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塵壺342号 「明智光秀と三春藩別格宿老(家老)荒木氏」




塵壺342号 「明智光秀と三春藩別格宿老(家老)荒木氏」 令和二年

2020年、戦国武将明智光秀の生涯を描くNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」が放送されます。
主役明智光秀を長谷川博己さん、木下藤吉郎(豊臣・羽柴秀吉)を佐々木蔵之介さん、そして、語りを市川海老蔵さんが担当しています。

明智光秀といえば、本能寺にて主君である織田信長を討った謀反人であり、中国大返しで戻った羽柴秀吉に天王山・山崎にて敗北して“三日天下”と嘲られるなど、不名誉なイメージが強く残りますが、領地である丹波三十五万石では、京都府亀岡市や福知山市における城下町の整備や明智藪 (堤防)と呼ばれる治水工事は高く評価され、現代でも“亀岡光秀まつり”や“福知山御霊大祭”など、光秀ゆかりの祭りが行われ、領民に尊敬され、いかに慕われていた領主だったかがうかがえます。






この明智光秀と三春藩秋田氏との関りをご存じですか?

三春藩秋田氏の別格家老として細川氏と共に「御両家」と呼ばれた荒木氏の祖は明智光秀の家臣となっていた時期があります。

この荒木氏の祖とされる荒木山城守氏綱(氏香とも)は、丹波の盟主的な存在の波多野氏の家臣として「波多野氏旗頭七人衆」の一人と称され、丹波国多紀郡の細工所城主で“丹波の荒木鬼”と言われるぐらい勇猛な武将で、篠山の北方に位置する園部城も支配下におく丹波の有力者でした。

江戸幕府が寛政年間に編集した大名や旗本の家譜集「寛政重修諸家譜」には、利休十哲の一人荒木摂津守村重(信長に仕えたが後に裏切った)の叔父と記されていますが出自に関しては諸説ありです。

後に、織田信長の命を受けた明智光秀が丹波に攻め込んできた際、荒木氏綱勢は、織田・明智勢を何度も撃退しています。

天正7年(1579年)、盟主である波多野秀治が織田・明智勢に捕えられて処刑されると氏綱は明智光秀に降伏します。
光秀は氏綱の武勇を惜しみ家臣として仕えるよう要請しますが、氏綱自身は病身を理由に断り、代わりに嫡男・氏清を明智家へ出仕させています。

本能寺の変後に起こった「天王山・山崎の合戦」では明智勢に丹波衆として参戦し氏綱とその子高兼(次男)は討死します。






初代三春藩主の俊季公の父秋田実季公の正妻は、徳川2代将軍秀忠夫人の崇源院とは従姉妹にあたる元室町幕府管領家の細川右京太夫昭元と織田信長の妹・お犬との間に生まれた円光院です。

 そして、実季公の側室筆頭である「瑞峰院」は、前記の三春藩秋田氏別格家老の荒木家の出身です。
瑞峰院は、正室である円光院の侍女でしたが、実季の寵愛を受けるようになり、側室として、お国、季次、季則をもうけます。

この縁で瑞峰院の実家である荒木家の当主・高次(瑞峯院の兄弟)が、秋田家に三百石で取り立てられます。さらに、高次の子高綱は、実季と瑞峯院の間に生まれた娘を妻として迎え、この高綱の息子高宅は、実季の弟である若狭小浜藩主酒井家の家老安倍英季の娘を嫁に迎えており、その子高村は英季の孫娘を妻としているなど主家である秋田氏との縁戚を深めて行きました。






こうしたご縁から高綱以降三春藩内にて秋田・宍戸由来の古参重臣を差し置いて別格の宿老として荒木氏の地位が上がっていきます。

後の三春藩4代藩主・秋田頼季は、荒木高村の嫡男であり、先藩主輝季公の養子となって秋田家の跡を継ぎました。






   さすけねぇぞい三春  拝   蒼龍謹白  


| ryuichi | 04:58 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺341号「船引小学校親子学習 三春昭進堂和菓子講習会」 令和元年師走発行




塵壺341号「船引小学校親子学習 三春昭進堂和菓子講習会」 令和元年師走発行


   船引小学校親子学習 三春昭進堂和菓子講習会
東京オリンピックを来年に控え、「お・も・て・な・し」に代表される日本文化がますます世界から注目を浴びています。
日本の食文化・特に和食が外国からのお客さんをおもてなしする機運が盛り上がりを見せて、和菓子の観点から見ますと「わびさび」「日本人の心」として「茶道」と共に和菓子にも期待が寄せられています。

今の茶道は、正に日本のおもてなしの心を、自然に表現できるようお稽古で研鑽する道で、履物の脱ぎ方からおじぎの仕方、座り方、歩き方、折り目正しい形や動きを通じ、茶道の基本的な作法を習得することを本義とし、茶人として日常生活の中でも総ての事柄に於いて「一期一会」と心得て、他者への思いやり・おもてなしの心を養って、心と姿勢を一つにすることを学びます。

現在、茶道会では子供茶道教室などを通じて、子供たち自身が今日的な視点から日本の伝統や文化をとらえ直し、日本のすばらしさを誇りに思うと同時に、世界の中で日本人としてよりよく生きていくために、何をどのように生かしていくかについて、一つのヒントとしてぜひ子どもたちへ伝えていきたいと考えていると伺っています。







先日、田村市立船引小学校第5学年の児童・父兄合わせて218 名の親子活動で「上生菓子(煉りきり餡)造り」を実施したいということで依頼があり、茶道には欠かせない上生菓子の講習で「おもてなし」の気持ちを少しでもお伝えできればという想いから、講師をお引き受けました。

今回は、親子で2品。しかも、ちょっと技術が必要な煉りきり餡を三重で包餡して菊花に成形、その上に薄く流した抹茶羊羹の葉っぱを飾るという作業を提案させていただきました。
白あんで炊き上げた煉りきりに求肥で繋ぎを取った白、ピンク、そして、中こし餡の三種類を包餡し、箸や楊枝で花びらを造り、黄色で花弁、そして、抹茶の羊羹で葉っぱを付ける・・・・学年委員長さん、学年主任の先生の采配で、早速お菓子造り開始です。






それぞれ工夫を凝らしながら、上生菓子を造っていきます。

お茶会での菓子の食べ方を伝授し、ご自身で造られた練り切り上生菓子の実食です。自分で造った上生菓子の味はいかがだったでしょうか?
最後に、代表の児童たちによる和菓子造り体験の感想を発表、そして私たちへ御礼の言葉をいただきました。

 当店では通常は上生菓子を販売していませんが、「上生菓子が美味しかったので買いに来ました!」「孫に頼まれた!」と、この上生菓子造りに参加された児童、親御さん、そして、祖父母さまにご来店いただきますと、当日、親子で美味しそうに頬張っている姿を思い起こして少しはお役に立てたかなあと安堵した次第です。





また、手前どもも大勢の方々へ煉りきり餡による生菓子造り講習への対応など、貴重な機会を与えていただきましたこと心より感謝を申し上げます。


和菓子には、古来より日本人が大切にしてきたものが盛り込まれています。

和菓子を通じて、日本の季節や節目々の行事を体験し、興味を持っていただけたら幸いです。

「まんじゅうでちょっと一服」心も体も暖まり癒されて、「あ~日本人でよかった」と思う日々。






  蒼龍謹白 さすけねぇぞい田村!  拝


| ryuichi | 04:40 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺340号 三春FAMILY HISTORY 2 case by 青山氏 「BABYMETAL」の神バンド・ドラマー




塵壺340号 三春FAMILY HISTORY 2 case by 青山氏 「BABYMETAL」の神バンド・ドラマー

先日、都会的な感じのする30代のいわゆるイケメンの青山英樹という方が、ご家族と共にご来店されました。お話を伺うと、祖父のルーツを知るために当店ホームページへ辿り着いてのご来店でした。

青山さんは、戸籍などから旧三春藩領で現郡山市白岩町に本籍があり、家系を江戸後期まで遡られて自筆の家系図も作成されていました。

青山さんには、戦国時代の三春城主三春田村氏の家臣録「田母神文書」「片倉文書」、「田村郡郷土史」、「仙道軍記」を元に、田村氏が構築した「田村四十八舘」の一つ関本舘(現田村市常葉町山根)城主青山忠興の事、そして、軍記として、青山藤兵衛、天正13年に発生した「小手森舘の戦い」で、伊達政宗勢に属した田村清顕に従い大内定綱勢と戦い負傷の記録等々・・・

また、白岩名主青山氏、そして、旧白岩舘(風神舘)址に鎮座する「白岩神明宮」、「御嶽神社」境内に、慶応2年に奉納された青山庄右門の名が刻まれた灯籠があること等々、

そして、先輩からの情報として昔年寄りから聞かされていた一族のルーツ「長男・青山氏-白岩庄屋、二男・神山氏-沼沢庄屋、三男・影山氏-斎藤庄屋」が伝わっている事等々、私の知りうる限りの中で提示をさせていただきました。






後で驚いたのはこの青山さんは、なんと世界的に活躍する「BABYMETAL」の神バンド(バックバンド)の正メンバーとして活躍している超人気ドラマーだと云うことをメールのやり取りで知りました。

ちなみに、このBABYMETALは、10月11日にリリースしたニュー・アルバム『METAL GALAXY』が、米ビルボードのアルバム・チャート“Billboard 200”で13位に初登場しています! 

また、青山さんのお父様は、7年前に他界された世界的なドラマーの青山純さんとお聞きしました。
故青山純氏は、山下達郎や竹内まりやのバックバンドのドラマーとして知られ、杉真理、松任谷由実、THE SQUARE・、MISIAなど、さまざまなミュージシャンと共演し、アルバム制作のスタジオ・ミュージシャンやライブツアーのサポートメンバーとしても精力的に活動した世界的に有名なドラマーでした。

こんなすごいミュージシャンと三春とのご縁に高揚する私です…

豊臣秀吉による奥州仕置によって三春田村家が改易され、この時伊達家へ仕官した田村家旧臣は、田村本家である田村宗顕・牛縊定廣はじめ、御代田氏、田母神氏、橋本氏、村田氏、石沢氏、常葉氏、中津川氏、郡司氏、大越氏など分家した11家(分家下士含めると28家)にとどまります。

この時代、地方では「農兵分離」が進んでおらず、大多数を占める、上記以外の旧臣達は田村家を救済できなかった伊達家を嫌い旧田村領内の自分の所領にて帰農します。
時代が下り、蒲生氏、上杉氏、松下氏、そして江戸期の秋田氏藩政下にあっても「在郷給人」として苗字帯刀御目見得を許された大庄屋(割頭)・名主を代々務めて、明治維新を迎えます。

尚、帰農した田村旧臣は、合戦の敗北による田村家断絶ではなかったために、敗北感を一切持たず、剛腹で武勇に富み、その家門を称して「御屋形様」呼ばれていました。







BABYMETALは、現在、アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア及び日本でのワールドツアー【METAL GALAXY WORLD TOUR IN JAPAN】の真っ最中です。

チケットは、発売と同時に売り切れる人気のバンドです。

来年1月に追加公演として千葉幕張メッセで2daySが開催されます。

何とかチケットをゲットして、三春名物の「おたりまんじゅう」を差し入れに行かなければ〜〜

    さすけねぇぞい三春!  蒼龍謹白   拝








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:50 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺339号 「御代参日誌」 三春藩絵師 中村寛亭 令和元年10月発行





「御代参日誌」 三春藩絵師 中村寛亭







ご縁があり「中村寛亭」という本を手にしました。

著者は三春藩絵師中村寛亭の末裔に当たる寺崎房子とあります。

中村寛亭を丹念に調べ上げた書物となっており、彼の生涯や作品など興味深く丁寧に書かれています。







中でも江戸末期の天保五年(1835)、早春から初夏にかけて行った“伊勢神宮参詣”の道中記「御代参日誌」(個人蔵)の面白いこと面白いこと!


絵師ならではの観点で描かれており、挿絵も盛りだくさんに若き寛亭らの楽しい道中の息づかいが聞こえてくるようです。







寛亭は、藩命を受けて三春藩主代参として三春から畿内まで従者2名を連れて伊勢神宮参詣へ向かいます。

三春から江戸、箱根、富士山、桑名、伊勢神宮、北野天満宮、熱田神宮、そして鎌倉鶴岡八幡など、行く先々でのエピソードや当時の風俗をユーモラスに描き、今にも書物から飛び出しそうです。









伊勢では、三春藩士らしく伊勢朝熊の永松院にある三春藩主初代俊季公の実父である高乾院殿、前侍従・安倍秋田實季入道(あべあきたさねすえにゅうどう)の墓所にも参っています。


私自身も昨年伊勢参拝に行ってきたものですから、読み進むうちにその土地ならではの名物、景観、そして風習の一つ一つが旅日記の世界に引き込まれ、私も寛亭御一行様とおもしろお
かしく伊勢神宮参詣の旅をしているようでした。







幕末から明治中期にかけて、絵画の創作活動や門弟の育成に努めた三春藩絵師中村寛亭には、旧三春藩領内外にわたって、64名に及ぶ門人が知られており、そのほとんどが農民でした。

寬亭は、本名を中村匡(ただし)といい、文化4年三春藩士今泉権左衛門の三男として三春城下清水裏町南に生まれ、17歳の時に同じく城下清水の天澤寺入り口脇に屋敷を構える三春藩士中村多巻の養子となっています。

文政3年(1820)、御小姓役で家中勤めに入りますが、文政12年(1829)、藩主の命により、絵師荒木寬快に師事し絵の修業に入り、三年後には寛快より「寬亭」の号を許されています。



また、中村寛亭(匡)は、有能な官史でもありました。

三十六才で正式に中村家を継いだ寛亭は三春藩領在郷・東郷(三春藩領在郷・東、西、中、南郷に分かれている)代官から始まり、四十五才で町奉行及び宗門奉行、起発奉行を務め、五十四才で三春町町奉行を拝命しています。

時に幕末、三春藩も激動の渦に巻き尾まれます。

三春藩鉄砲物頭(鉄砲組組頭)から外交を担う三春藩外事掛へ転じて諸藩との応接折衝やとなりこの激動動乱の時期を乗り越えました。









この寬亭が最も活躍した時期というのは、藩の役職から解放され家督を息子多仲に護った明治4年(1871)以降です。

明治15年、第一回内国絵画共進会に「人物、鶴」という作品が入選したのは76歳の時、さらに、2年後の第二回内国絵画共進会で入選した第三区南宗派「仙女鷹追兎図」は、76歳の作品で、連続2回入選を果たし対外的に名声を高め、花鳥画と人物画を得意としていました。とくに鶴の絵は有名で「鶴の寛亭」と称されています。


齢80を超えてもその創作意欲は衰えず、明治22年、寛亭が83歳の時に自画像を描いています。

寛亭が没するのは85歳(明治24 年)ですので、最晩年に至ってもなお西洋画風を取り入れた新しい作風に挑戦するなど“老い”も退散するほどのその創作意欲には敬服いたします。

寬亭は、創作活動のかたわら門弟の育成にも努め、数多くの画人を輩出しています。








寛亭自身いろいろな画風の画を描いていますが、弟子たちにも自由に描かせていたようで「中村一門」は、民間の絵師として比較的自由な画風を繰り広げ、注文主の要望に応じて描き分ける三春領内における絵画職人集団であったようです。 

今に残る数多くの絵馬や農民に依頼されて描いた軸物などに、寛亭とその門人たちが築いた農民芸術を謳歌した文化意識の一端を垣間見ることができます。


蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 04:32 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺338号 令和元年9月発行 真夏の川崎第一屋縁の御神輿紀行 三春城下中町若連 




 真夏の川崎第一屋縁の御神輿紀行 三春城下中町若連 

夏本番8月の第1日曜日、今年も三春城下中町若連さんの川崎市浜町二丁目町会の「夏祭り」、大島の八幡神社祭礼長会連合神輿渡御での神輿担ぎに同行いたしました。

川崎の神輿担ぎとのご縁は、今から30余年ほど前にさかのぼります。

当時、城下中町の桑原商店の桑原さんからお誘いを受けて、祭り好きの同級2人で川崎まで御神輿を担ぎに二泊三日で出張したことに始まります。

さらには、11月の市民祭への浜町睦会の神輿出場・・・

以後、私は所用と重なりなかなか機会に恵まれませんでしたが、昨年夏に 30年ぶりに川崎へお邪魔することができました。






久しぶりでしたが川崎浜町の懐かしい顔ぶれに温かく迎えていただき、時間が一気に巻き戻り、昨日もここへ来ていたような感覚になるのは不思議です。
 
それだけ第一屋さんのご家族、そして、川崎浜町の方々の人情の温かみがあってのことだと思います。

人と人のつながりって本当にありがたいものです。








30年前にお邪魔した際の御神輿は、現在の三春城下中町若連が三春大神宮祭礼で担いでいる御宮造の御神輿です。

大太鼓用欅(ケヤキ)の無垢材を使用、豊満な屋根と、キュッと引き締まった腰を持つ素敵な宮造り御神輿で、真夏の日の光を浴びると目が眩むほどのきらびやかな真鍮(しんちゅう)で錺(かざり)板金を施され、羽根一枚々々手仕事で仕上げた今にも飛び立ちそうに見える鳳凰、台輪には十二支をめぐらせ屋根の蕨手を飾る黄金のツバメや折り鶴等々が輝いていました。

 例えるならば、抜群のプロポーションの粋でイナセな姉さんを思わせる代物で、各神社宮神輿を除けば関東で一番の大きさで知られ、この宮神輿を担ぎたくて関東一円から様々な団体・個人が仁義を切って出頭していました。






 川崎の祭礼で担がれていたときにも江戸前の夏祭りらしく町内巡行の折には家々からは水がバシャバシャかけられますが、この神輿はビクともしません!
 
それもそのはずです。この御神輿は、浜町睦会会長で第一屋2代目社長”勝ちゃん”こと橋本勝通さん、そして板金屋の粳田三郎さん、大工の秋元長吉さんが心血を注いで作った御宮造の本格派の御神輿ですから…


 この第一屋さんというのは、当時関東一円に商いを広げていた三春城下中町の衣料品屋「桑原商店」で大番頭を務めていた橋本亀義(勝通さんの父)さんとその妻ヨネおばちゃんが、独立して大都会川崎は、川崎大師、日本鋼管に程近い浜町通り商店街に出店した洋品店です。






 この三春とのご縁がすごいと思いませんか?

 後に紆余曲折の経緯の中、まさにご縁なのでしょう桑原商店経由で中町若連に嫁いできたという次第で、この御神輿が三春へ来て以来、中町若連として有志がここ20年余にわたって川崎へ神輿担ぎに出頭し、秋の三春大神宮祭礼には川崎から浜町の方々が三春へその神輿を担ぎに来るといった交流が続いています。

 また、中町若連の川崎出張では、御神輿担ぎだけではなく「三春盆太鼓」、そして「山車太鼓」を数か所で披露しますが、福島も含め東北県人の多い川崎で盆踊りの輪が出来るほどの盛況です。

 この神輿が中町に譲渡されるという段になって中町若連では、ある程度の謝礼を用意したみたいですが、「これはお金じゃないんだ、人と人の心で譲るんだ!大事にしてくれればそれでいい!」と第一屋さんにピシャッと断られた話しを伺いました。







 御神輿とは、文字通り神様の乗り物です。

そして、その神輿を保管し、祭礼時には組み上げ・担ぐ・それに付随する準備や片付けをする人など、様々な願いや想いがあります。

 神輿を作った第一屋さんら浜町睦会の想い、そして、「大切に使わせてもらう」といって譲り受けた中町若連・桑原商店の想いなど、打算や表面上の付き合いではない、本当の人と人の絆がありました。
 カッコのいい粋な大人がいるものです。





 
それは、神輿に携わる人々の希望と情熱、そして意地と見栄(みえ)が造り上げたかけがえのない宝です。
 
さあ、来月は三春大神宮祭礼です。皆々様の願いと共に、今年も宙を舞います。    

ホイサーッ!ホイサーッ!ホイサーッ!







      蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝


| ryuichi | 04:51 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺337号 映画「盆唄」A song from home  三春城下公開決定! 令和元年8月発行





映画「盆唄」A song from home  三春城下公開決定!

毎年、新暦のお盆(7月中頃)を中心に6月から9月に掛けてマウイ島をはじめハワイ州各島では、週末になると日系仏教寺院を会場として“BON DANCE(盆ダンス)”と呼ばれる“ハワイの盆踊り”が盛大に開催されている事をご存じでしたか?

以前、三春出身の歴史家橋本捨五郎さんから、この盆踊りは相双地区出身者が多い福島県人会が主体でお囃子方の太鼓や唄は、相馬盆唄を原曲とする『フクシマオンド』と聞き及んでいました。

また、“日系ハワイ移民の父”と呼ばれる勝沼富蔵(加藤木氏)さんが三春出身ということもあり、マウイの盆踊り会場に三春を紹介するブースを設け三春関連の幟旗(のぼりはた)を掲げたいと旗探しの依頼があり、方々に手配して三春関連の幟数本と当店の「おたりまんじゅう」・「磐城國春陽郷三春祭礼」の幟旗を寄贈したことがありました。






「ご先祖さま、震災で亡くなられた皆様一緒に踊って下さい」


その“BON DANCE(盆ダンス)”にまつわる物語を描いた映画「盆唄」が、この夏8月10日(土)に三春交流館「まほら」にて上映されます。

「盆唄」は、震災により双葉町に帰れないまま他の土地で避難生活を続ける横山久勝さんとその仲間たちが中心的な登場人物で、彼らが双葉町の伝統的な盆踊り「双葉盆唄」を存続・継承しようとする故郷への強い思いを描き出しています。






この映画「盆唄」の企画は、日系ハワイ移民、そして、BON DANCEを長年取材してきた三春にも活動拠点を置く写真家の岩根愛さん。岩根さんは、昨年ハワイと福島の深いつながりを追った写真集『KIPUKA』(青幻舎)で“写真界の芥川賞”と呼ばれる第44回(2018年度)木村伊兵衛写真賞を受賞した新進気鋭の写真家です。

監督は、「ナビィの恋」などの作品で知られる中江裕司氏が務め「これは震災の映画ではなく、震災で避難した『人間の映画』」であるとし、「双葉町の人たちを3年間撮影してきて、それぞれの営み、生きていることの勇気をもらった。それを次世代につなぎ、未来に向けたメッセージにしたい」と話し、ロケ地となった旧三春町立桜中学校の校庭で撮影されたラストシーンに、特にその思いが込められています。

史実に基づくアニメーションパートでは、余貴美子、柄本明らが声の出演。





岩根さんとのご縁で、本作に登場するマウイ太鼓は、2012年に『マウイ太鼓』東北公演ツアーで三春町を訪れ三春城下中町若連太鼓保存会と共演しています。

翌年には中町太鼓保存会もマウイ島で開催されたmaui matsuri(マウイまつり)に同じく岩根さんと親交のある“ひょっとこ踊り”の橋本広司(高柴デコ屋敷恵比須屋十七代当主)さん、そして世話人である橋本捨五郎さんも同行して出演し三春甚句等を披露しています。

三春盆踊りの起源は、法蔵寺宗旨である時宗の「踊り念仏」、浜通り南部の「じゃんがら踊り」、さらには江戸時代後期の頃に相双地区を襲った大地震や津波で、被害を受けた地域の救済と復興のために入植した新潟や北陸の浄土真宗門徒がもたらした「踊り念仏」を起源とされる「相馬盆唄」など諸説ありますが、三春城下は、岩城街道、会津街道をはじめとする主要街道が交差する文化と物流の交流拠点であり、それぞれの文化の影響を受けながら独自に進化していったものだと考えられています。






「踊り場」の地名が残る八幡町では、昭和20年8月の玉音放送を受けて町当局から盆踊りは自粛・中止せよとの沙汰が発令されましたが、八幡町若連では“盆踊りは国に殉じた戦死者供養だ!”と「いろはや食堂」の裏山に太鼓を持ち込んで朝まで盆太鼓を叩いて戦没者を供養したと伝わっています。

さあ、三春盆踊りです。

ご先祖さまや先立たれたご縁のある方々の供養です。

この世に未練が残らないように盛大に、そして陽気に踊ってあの世へ送ってあげましょう。


蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春!  拝 







お知らせ


岩根愛さんがNHKの取材を受け、放送が以下に確定いたしました。

8月2日(金)

7:45~8:00「おはようふくしま」

4分ほど(映画情報は含められないかも??)

18:10~19:00「はまなかあいづ」

5分ほど


尚、4日は福島で上映があり、その模様も取材されて、また来週に放送予定です。

どうぞよろしくお願いいたします!!!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |
塵壺336号  『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~ 令和元年7月発行





   『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』 ~日々是好日~

 8年ぶりのソロ・アルバム「THE LIVE!」を発売した憂歌団のボーカル木村充揮(きむらあつき)。彼の東北北陸ライヴツアー「ひとり旅 夏ツアー2019in福島」に参戦して、またまた心をわしづかみされました。



 



憂歌団(ゆうかだん)のリード・ヴォーカルとしてその名を馳せ、1998年の憂歌団活動休止後はブルースの枠に留まらない自由奔放なソロ活動を精力的に展開。"天使のダミ声"とも称されるその味わい深く詠う(あえて詠うの字)その声はまさに国宝級です。

会場となった福島市栄町にある音楽BAR時代屋 シーズンⅡさんは3、40人くらいが入れる小さなBARです。





 オープニングアクトを務めた“はせがわかおり”さんは、アコースティック・ギターを抱えライヴ活動をコツコツと続けて創りためていた楽曲で造った2ndアルバム「COLOR」を引っさげて会場をあたためます。さすが木村充揮一押しのシンガーです。







 そして木村さんのライヴです。

私は最前列を陣取り、木村さんの詠う姿はもちろん、ギターを爪弾く左手や右手、焼酎の水割りを飲む、タバコを吸う、観客との掛け合い等々ライヴ会場の空気感も含めて食い入る様に見入ります。

 木村充揮が目の前に居る!”天使のダミ声”で詠ってる~!ってな具合で、あっという間の2時間半です。そこには、知らないうちに掛け声や合いの手を入れている自分…。
 選曲・編曲・歌はもちろんですが、MC、ギターのイントロ遊び、飲酒・喫煙等々~全てが木村さんのライヴで、最高のパフォーマンスを披露していただきました。





 ライヴ終了後、木村充揮さんと直接話す夢みたいな機会にめぐまれました。

 何度もこれは夢じゃないか?

うつつじゃないか?

酔っぱらっているんじゃないか?...と確かめながら、地に足がつかない状態です。

 同じ空間どころか、すぐ傍らにいるんです!まだ木村秀勝のころから40年来その生きざまともいうべきライヴに酔いしれ、憧れていた方が確かに隣に座っています。







 しかも同じ時代に生まれ、一緒にこの世に在リそのパフォーマンスを感じられるだけで幸せだと思っていた人と酒を酌み交わしてにこやかに一緒に呑んでいるんです。

 そして、そして目の前で私に語りかけてくれているんです〜!

 「日本語で言えばブルースって何? 言うたら、歌、生活そのものや~、あくまで自然体でねぇ、洒落の効いた生き方そのものがライヴや〜」という木村さん。

それから約3時間半、隣に座り様々な話を伺うことができました。






 「ライヴは饅頭作りと一緒やなぁ〜 饅頭を心を込めて一つ一つ丁寧に造るのと同じや〜 ライヴでも毎回魂込めてステージを造り上げるてるんやで〜」

 「酒とかを呑みながら、ライヴをやるほうも見るほうも、お互いが呑みたいもん呑んで、食べたいもん食べながらがエエんちゃう?タバコを吸いたい人は吸うて、ホンマそんなもんやとちゃいます?」

 「なんでも、自分のペースで行かなぁアカン~ 」

「みんなが好きなように楽しんでるのが一番嬉しいなぁ思うてますわぁ~そのためにも、もっと自分が好きに楽しみたいですヮ~」

 「自分が唄って嬉しぅて、それを皆が楽しんでくれるんやから有り難いですよ~」等々…






 木村さんのお話を拝聴していますと、全てが自然体であり、ありのままを受け入れている禅僧のような清々しさを覚えていました。

 禅の心を表した語の中に「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」があります。人生には良い日も悪い日もなく、どんな日でも“好日”と受け入れることが大事であると解していますが、正に木村さんの生き方そのものです。

 「ありのままを受け入れていることも、各々の心の持ち様で、心の在り様です」と教えていただきました。木村さん、ありがとうございました。






     蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝






『木村充揮ひとり旅 夏ツアー2019』ツアー最終日となります。

2019/7/22(月)開場18:30 / 開演19:00

会場: いわき市平 QUEEN Presents まちポレいわき2F

料金:前売¥5000 / 当日¥5500 ※ドリンク代別

お問い合わせ:クイーン  0246-21-4128







| ryuichi | 05:04 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |