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三春を旅するあなたに 2020




三春を旅するあなたに 2020

都市化での画一的暮らしに埋没しながらも、時に、フトその日常に空しさを憶えたり、疲れを感じたりすることが誰にでもあるはずです
心のふるさとを求めて、旅に出たくなるのも、そんな時ではないでしょうか?

春に梅、桃、桜の花が一時に開花し、それが地名の由来となったとされる「三春」の町は、その土地柄に、そしてその人情に、幼い頃に感じた母親のぬくもりにも似た、きっと温か
な旅情を抱かせてくれるはずです
すでにその町をお歩きになった方なら、お気づきのことでしょうが、小高くうねる阿武隈の隆起準平原の谷間に沿った街並みは、そのここかしこに寺社の伽藍を抱き、蔵や武家屋敷のたたずまいとともに、歴史を秘めた古い城下町であることを偲ばせてくれます。

花を愛でる方には、ここは「「花の町」。
日本三大桜 の一つとされる紅しだれ桜の巨木「三春滝桜」の薄紅色の艶姿には誰もが驚嘆されることでしょうし、時同じ頃、真照寺境内に咲く可憐な水芭蕉は趣深い情緒を感じさせてくれるはずです。
紅しだれ桜が町の木なら、町の花にはさつきの名花である「三春松波」が、そして町の鳥には春告げ鳥とされる「うぐいす」が制定されています。






三春は古い城下町だけに、歴史的な文化財も多く、なかでも仏像や寺社仏閣の建造物など室町期から文化文政の頃に開花した仏教文化の数々。
戦国時代の画僧「雪村」の作品や三春駒、三春張子人形など、町人、農民による文化の遺産が、有形、無形問わず数多く遺されています。






また、ここは近世の自由民権運動発祥 の地となった町で、「三春町歴史民俗資科館」内に設けられている「自由民権記念館」には、その指導者、河野広中らの著作や書簡など資料が数多く集められており、新しい日本を目指して決起した旧三春藩の若者たちの熱い息吹きをとくと感じられることでしょう。

現代では、旅行も目的対応型の時代だとか、そのスタイルも人それぞれ異なります。






寺社を巡ってみたいという人、三春張子との出会の旅だという人、三春で何かおいしいものをという人、それに、ただばんやりと城山あたりで“お昼寝でも”という人もどうぞ、この心に残る三春の旅をお楽しみください








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:00 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::三春昭進堂雑記 |
三春小学校第3学年からのお礼状 総合的な学習の時間「町の人から教わろう」の学習支援



先に行われた三春小学校第3学年の総合的な学習の時間「町の人から教わろう」の学習支援ということで講師を務めてまいりました。

その御礼の手紙を担当の先生が届けてくれました。



実は、この御礼の手紙が読みたくて学校の支援をしているのかもしれません。

3年生の皆さんの手紙を読みながら、どのように伝わったか?そして、皆さんの反応は?などいろいろ推測しながら読み返しています。

どの子供さんも真剣に聞いてくれていましたが、その思いが文面に表れていまして、いくらか安堵した次第です。



今回は、三春の和菓子屋やおたりまんじゅうについてのお話、三春の歴史や伝説など話させていただきました。

校長先生から御礼にも記されていましたが、子どもたちは、初めて知ることも多く発見や驚きがあったようです。







私たち三春城下に住む者、地域に住んでいる者が、三春の先輩である先人から学んで受け継いできたものを、未来を担う次世代にどう伝えていくかということを常に考えています。


この様な小学生の学習場で、親とも違う大人と出会い、職業の話や三春の歴史に関する話や思いを聞くことによって、少しでも三春町を誇りに思う気持ちや町の人に対する尊敬の念を持ってもらえることが理想です。


そしてそれが私たちに様々な事柄を教示してくれた先輩方々への恩返しだと思っています。










春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:39 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::学校支援 |
三春小学校 第3学年総合的な学習の時間 「町の人から教わろう」令和2年




三春小学校 第3学年総合的な学習の時間 「町の人から教わろう」令和2年
              
令和2年2月25日 於三春小学校


母校である三春小学校の第3学年の授業である総合的な学習の時間 「町の人から教わろう」の特別講師としてお話をしてまいりました。



三春昭進堂のこと

・三春小学校 四代目 おたりまんじゅう 四季折々の商品 
・桜餅・鶯餅 いちご大福 花見団子 柏餅 水まんじゅう 栗大福 豆大福 
・歳時 お彼岸 お盆 ひな祭り 五月節句 お月見 七五三 入学式 卒業式 土用







三春城下の歴史のこと

 三春城下の成り立ちは、室町後期の永正元年(1504年)に田村義顕が守山城から移り現在の場所に三春城を築城したのが始まりと言われ、初代義顕、2代隆顕、3代清顕の三世代が三春領を治めます。
義顕の三春城築城時に城を中心として北方位を北町、南方位を南町とします。現荒町は築城の町割りの時に新設した町ということで新町(あらまち)としました。
 中町と下大町は、後の蒲生代官時代に新設されています。

・お城山 太鼓堂(中町愛宕神社参道へ移転) 鐘撞堂 (田村大元神社三の丸)
・三春城主秋田家慰霊碑 戊辰戦争殉職者慰霊碑
・上校庭 お殿様御殿  下校庭 マホラ 中央大町 奉行所や役場
・歴民下 講所・明徳門 学校
・護国神社

・北町・南町 お城を境に
・天神口・天神橋 とうりゃんせ♪・防火用の池 池之端稲荷
・お城山への道 亀井坂・天神坂・三部坂
・月斎舘 100歳 天才軍師「畑にじ縛り 田にひりも 陣場に月斎」嫌いなもの
・御旗町 足軽 ・内藤醤油
・加藤木直親 三春藩柔術師範平藩 
・次男重親 もしもし 三男富造(勝沼)ハワイ移民の父

・八幡町・八幡神社 お城から移転 安部安東秋田氏由来
・丈六焼き 丈六佛 90センチ  八幡様の化身追いはぎ商人 灯籠
・三春大神宮 土砂崩れ 三春城下総鎮守 松尾神社・甲子神社・橋本神社






・中町福聚寺 戦国時代日和田八丁目
・本陣 秀吉の時代 近江松阪武将・商人 蒲生時代
・愛宕神社 火消 近江の蒲生時代か? 太鼓堂 西福寺庚申 
・秋田旗本五千石 清水寺田村公京都清水寺 田村麻呂田村堂 秋田阿弖流為 

・荒町本通り西側の山手には、法蔵寺、高乾院、光善寺、龍穏院、華正院、馬頭観音等が立ち並び、寺町を形成していました。

この場合、当時の町屋の者はその行列に遠慮して、通り過ぎるのを待って墓参に行く有様で難儀をしていました。
 今に伝わるお盆の墓参が、武士は12日、町屋は13日と決めたのも、
・荒町口から入る城下への街道は本宮口と小浜海道口がありました。

・大町山三伊賀屋渡辺商店 伊賀・武将の商人 カネイ 
・王子神社 おっしゃま 星信仰 百杯宴碑 川前紫渓 
・浪岡家(秋田) 北畠親房 荒木家 明智 細川家 
・紫雲寺 腹切梅 化け猫 秋田家猫塚 枝垂れ桜 真照寺 弘法・興教大師

・田村大元神社 三春藩五万石領内総鎮守 三春城三の丸 泰平寺 学頭坊 10修験
・大元帥明王 社 元寇 真照寺 別当 廃仏毀釈 阿吽仁王像 昭和30年代

「腹切り梅」
亡くなった広季の守役だった滋野は責めを負い切腹を申し渡されます。
その切腹場の紫雲寺に現れた滋野の飼い猫。滋野は「主人の代わりに怨霊となり、この恨みを晴らせ」と言い残し猫の首を斬り自らも切腹して果てます。その血に染められた傍らにあった白梅は、以来紅梅になったという。







「三春化け猫騒動」のこと

事件後、荒木玄蕃や藩主頼季の夢枕に毎夜猫の怨霊が現れるようになったと言うもので、以来、三春城下の大火の度に猫の怨霊が火を点けてながら駆け回ったと噂話になり、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。







三春郊外、貝山の泉沢に「御下屋敷」とよばれる荒木玄蕃の屋敷跡があります。

荒木は、幼君を亡きものと企む中で御殿医三宅良庵と老女鳴瀬とを巻き込み、朝の食事に一服盛り、幼君を毒殺したと伝えられています。
 その朝、荒木はこの下屋敷にあって舟形の大きな石を西方村の大滝根川から運ばせている最中でした。もう少しで庭に入るという時に、幼君急死の報せが本城からもたらされたので、悲しみを装って急ぎ登城したといいます。

 その後、“腹切り梅伝説”の忠臣滋野多兵衛の亡霊譚の下りとなりますが、荒木は御城下の上屋敷には居たたまれず、この下屋敷に逃れ大きな番犬数等と警固の武士を配して引き籠ったとされます。

 このとき西方村より運んだ舟形の庭石は、これも滋野の亡霊の祟りで、その後いくら手を尽くしても微動だにせず、庭外に放置されたまま伝説を秘めて風雨にさらされています。 
     





校長室の前に、三春舞鶴会員の日向野隆三様作「三春疎開の絵」がコーナー化されて掲げられていました。







日向野様は、元本田技研工業株式会社のデザイナーで、世界で一番売れたバイク「ホンダ・カブ」のデザインにも携わっていた方です。












春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:33 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::学校支援 |
ゆこゆこ東北版 2020年度版4・5月号 「春スイーツと一緒に楽しむ さくら絶景4選」 



ゆこゆこ東北版 2020年度版4・5月号 「春スイーツと一緒に楽しむ さくら絶景4選」 







  三春滝桜とともに、当三春昭進堂が紹介されました。






 桜プリンがメインですが、花見だんごが一押しです。






桜春陽郷三春城下の宿泊は「馬場の温泉若松屋旅館」が登録されています。



皆様のお越しをお待ちしています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:00 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::メディアで紹介されました |
令和元年三春中学校第1学年の総合学習「地域学習(三春学習)」におけるシンポジウム及び「校外学習」のレポート



先の実施されました三春中学校第1学年の総合学習「地域学習(三春学習)」におけるシンポジウム、そして、それに伴う「校外学習」の成果・学習のまとめとして作成したレポートの一部を資料として、校長先生の礼状と共に担当の先生が届けてくれました。






生徒たちは、それぞれの目線で、郷土三春の特徴を様々な視点でまとめ上げていました。











生徒たちは、それぞれテーマをもちこれからも三春で生きていくための目標や地域とのかかわり方について考え、生徒自身のアイデンティティーの確立を目的とした「地域学習(三春学習)」を「生き方学習」として自分の意見をまとめていました。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 05:05 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::学校支援 |
中郷さくらの会 歴史講演会 於三春の里 令和元年12月10日(火) 三春昭進堂 髙橋龍一




当三春昭進堂4代に亘ってお世話になっている中郷さくらの会さまより、「城下新町の家屋についている屋号について話してもらいたい」との依頼を受けまして三春城下の成り立ちと共にお話してまいりました。


私の親の世代の方々です。

もちろん、子供のころ顔見知りの方々ですので、緊張し中がらも温かく見守ってもらいながら話を聞いていただきました。



中郷さくらの会 歴史講演会   於三春の里 令和元年12月10日(火)
                      
三春昭進堂 髙橋龍一

1.三春城下の成り立ち
室町後期の永正元年(1504年)に田村義顕が守山城から移り、築城したのが始まりと言われます。田村氏は義顕、隆顕、清顕の三代が三春城主としてこの城に拠った。
お城を中心に、北=北町 南=南町 新町=荒町 中町=蒲生2 大町(下大町)=蒲生
新南町(松下)=新町(秋田)

天正19年に秀吉は奥羽の大名の再編成「奥州仕置き」を行い、三春は蒲生氏郷の会津藩の一部となります。
会津藩主は、氏郷の死後、上杉景勝、再び蒲生秀行・忠郷と変わり、三春を預かる城代も短期間で交代しましたが、蒲生忠郷が病死すると、蒲生家は改易となります。
家光の代寛永4年(1627年)加藤嘉明が会津領に入ると、これとは別に嘉明の次男、明利に三春三万石が与えられます。
その間にも城の改修や、町割りそして寺社の建設が進みました。

翌年には明利は二本松に移封され、松下長綱が入部します。
しかし、正保元年に松下長綱が死ぬと嗣子がなかったために松下家は断絶、その後1年ほど幕領であったが翌正保2年、常陸宍戸から秋田氏が入部した。

町割りと修験堂寺院

三春城下の修験には大元帥明王別当学頭坊(山中・明王町)を筆頭に

1、華正院(荒町)馬頭観音堂
2、普明院(荒町)
3、大聖院(荒町)
4、若王寺(大町・王子権現)
5、般若寺(北町・天満宮別当)愛染堂
6、陽照寺(北町切通し)御本尊「阿弥陀如来坐像」は真照寺へ
7、吉祥院(切通し)
8、宝来寺(亀井・三春藩主秋田公祈願所)
9、泰平寺(山中・大元帥明王別当)
10、文殊院(新町)
11、光照寺(新町)
12、常楽院(新町)西国三十三観音石仏 天澤寺へ
13、専修院(荒町)
14、来光院(裏町)百杯宴石碑
15、清水寺(御免町)
16、宝憧寺(御免町)
17、智法院(裏町)後秋葉神社 水天宮 智法院屋敷
18、大桂寺(丈六)
19、明王院(丈六)
20、満徳院(丈六)
21、西福寺(中町)愛宕神社別当
22、大光寺(中町)愛宕神社別当 八幡山大光寺
他に、所在不明
 和合院(荒町)
 成就院(新町)
 一条院(八幡町)
がありましたが、華正院だけが、天台宗寺門寺院として現存しています
修験道は、明治初年の神仏分離政策によって一時は解体される時代があり、山伏は、神官及び僧侶となるか還俗(げんぞく)せよとの通達でした。

2.新町の成り立ち
三春城下新町の歴史的背景(成り立ち)とかつての様子
寛永5年に『松下』氏が三春城主になり、17年の間三春領内を治めます。
この時に城の普請にも力を入れ、三春城が一番荘厳で、この時代の町割りでは現在の新町は『足軽町』といわれていました。
その後、新南町と変わり、江戸後期の秋田藩藩政下で現在の"新町” となりました。
ちなみに、この当時、“新町” という漢字は、現在の荒町に付けられており、"新町(あらまち)” と呼んでいたと考えられます。

昔から、山中、新町、清水を総称して、新町(明王町・田村~蒲生)と呼んでいた。
山中の名は、田村清顕が、天正年間に大元帥明王社(現田村大元神社)を舞鶴本城から現在の地に移した時、守山の大元帥明王社(現田村大元神社)の鎮座地名「山中」をそのまま呼ばせたのに始まっている。

山中から清水にかけては侍屋敷、新町は商家・修験・足軽(半農)と区分された形だった。

大元帥明王社は三春秋田藩五万石総鎮守で、旧藩時代までは6月14日から3日間の祭典が行われ、藩主催で5万石領挙げていかめしく執行されたという。

真照寺、州伝寺、天沢寺も昔のまま、真照寺の古四王堂毘沙門天、州伝寺の一時地蔵尊、天沢寺の身代り地蔵尊、それぞれの緑日の祭りが賑やかだった。
家畜セリ場は、藩政時代から馬市、そして牛市で栄えたが今はありません。

三春駒の名と共に、江戸時代から売春防止法の実施まで、長期に亘って繁昌した色街旧庚申坂、そして、弓町新地新庚申坂は見る影もなく衰え、僅かに残る格子戸に昔の面影をしのばせている。
新町の町はずれには、化粧坂・庚申坂があり正徳の六地蔵の一体が鎮座しています。

清水は入清水まで、大小の家中屋敷跡が並突んでいるが、家主は大体変ってしまった。
かつての町営プールのある処(現作業所でんでんむし駐車場)は、明治の初め頃までは、田村産馬組合が創立事務所を置いた場所である。

3.セリ市場付近の屋号





資料参照

4.荒町(新町) 蒲生時代
明治になり、郭境門が撤廃されてからは、旧町内では一番広い地域を占め、昔から商工業が盛んなところでした。工業といっても、製糸工場、羽二重工場ですが、旧藩時代から明治大正にかけて盛んでした。
前の三春中学校敷地にあった三盛社は、当時女工150名を使って操業していて、県下でも二本松の双松館と一、二を争う機械製糸工場として聞こえたものですが、先の戦時中に閉鎖してしまいました。

街本通り西側の山手には、法蔵寺、高乾院、光善寺、龍穏院、馬頭観音等が立ち並び、寺町でした。

高乾院や龍穏院は藩主秋田家の菩提寺、家老など藩重臣やそれに付随する家臣の墓所でもあり、藩政時代、お盆の墓参には、家老から軽輩まで、それぞれの格式で行列を組んで参っていました。

この場合、町屋のものはその行列に遠慮して通り過ぎるのを待って墓参に行く有様でした。
お盆の墓参が、武士は12日、町屋は13日と決めたのも、こうした混雑を回避する為です。

小浜海道口の方は、今の渋池の中ほどから、上り二折れしていた道を、先の三春中学校西側に沿うように道路を作り、交通の利便性を図って往来がスムーズになり繁昌していました。

馬頭観音は、古い由緒を持っています。戦国時代の三春城主田村家三代の清顕が安置したというから約500年も昔からありました。
小野の東堂山、堂坂(現小泉)と共に三観音(馬頭観音)と呼ばれ、庶民の信仰を集めていました。
毎年旧暦の3月17日の縁日には、近郷近在から仔馬の出来た飼主たちが多数参詣して、餅を巻いて無事成長を祈願していたそうです。

5.北町
三分坂 戦国期の三春城主田村公の直参旗本「不断衆」屋敷跡。
後の秋田公代には、藩主及び御城の近侍・警固の「宿直(とのい)番衆」が屋敷を構えた。
宿直番衆は、昼夜問わない激務のため、手当てが銀三分上乗せ支給されていたので三分坂と呼ばれたと伝えられている。
旧三春城登城口「天神橋口」
かつては、ここに防火用水と城防御のための、堀があり、この場所に橋がかかっていました。天神橋とは、昔北野天満宮(現北野神社)が、城内にありこの橋を通って領民がお参りに行ったところから名付けられました。
「亀井清水」 かつて、少し上に、郭境相馬海道口黒門があり、その行き帰りにのどを潤したといわれます。

6.八幡町
八幡町は、この八幡様があるから八幡町という町名になりますが、江戸期の秋田公との関係により、村社として城外に建立されています。
秋田公の祖「安倍氏」が、「前九年」「後三年」の役により源氏によって滅ぼされたことに由来します。
八幡様とは、源氏の氏神です。
三春盆踊りの原型として考えているのは相馬盆踊りです。
江戸時代、人口減少に悩む相馬藩は移民政策を断行。
新潟・北陸方面から多くの浄土真宗門徒の移住者を招きます。後の相馬盆踊りは、この「浄土真宗相馬移民」の手でもたらされたと考えられています。
その過程において、相馬藩領と境を接する三春藩領へ飢饉のたびに流入及び避難してきた方々によってもたらされ、やはり浄土系の時宗踊念仏と融合して現在の三春盆踊りの原型が形成されていったと考えられます。

飢饉のときの避難所として三春藩が用意していたのは三春城下八幡町末黒門外の旧裁判所付近とされています。
八幡町末城外の踊り場とは、文字通り念仏踊りをする場所、後の盆踊りをした場所を指しています。
江戸中期から末期に頻繁に発生し多数の死者を出しました飢饉により領内からの避難民の受け入れ施設を設けて施粥を施していた場所(旧裁判所跡地)が近くにあります。
この場所で「盆踊り」が盛大に開催されていたというところに、その霊を慰めるために踊りが盛んになったことは容易に想像がつきます。

盆踊りでは人々が「編み笠」を被って踊りをしています。
これは、「あみがさ」というのは「阿弥(あみ)笠」ですから、阿弥陀経=浄土宗系門徒という図式になります。

明治末から大正期の”盆踊り最盛期”、賑やかだったのは新町と八幡町の盆踊りといわれ、新町はセリ場に櫓を建て庚申坂新地の遊女や芸者が繰り出し艶やかだったと古老は話します。
また、まちはずれと呼ばれる八幡町は、旧城下堺黒門外に「踊り場」という俗称の残る場所に櫓が立ち、城下堺に住む旧方外の民もこの日だけは浴衣を着て踊れた。
すぐ目の前に太鼓屋がありいつ太鼓が破れても大丈夫だった。
北町は天神様前、荒町は馬頭観音前、大町は紫雲寺境内であったと記録されています。

7.中町 蒲生
三春城下中町は、昔から大店が店を構え、商売で繁昌してきた商人の町です。
毎月の2と7の日には市が立ち、“折り返し糸”や“たばこ”などの農産物から、鎌や鍬などの農耕器具、工芸品、そして茶店などが出店していました。

本陣本店川又氏、桐屋橋本氏、小野屋橋本氏等々、幾百年か続いた老舗大店です。
三春城下中町の「本陣本店」川又氏は、祖を美濃国(現岐阜県南部)、本姓を丹羽(にわ)氏・髙橋氏とする武将でした。

縁あって戦国時代末期の頃、会津二代藩主蒲生忠郷公より“川又”の姓と、当時会津蒲生氏の所領であった三春城下に現在の土地を拝領し三春に居を構えます。

当主は代々“川又孫左衛門(世襲)”を名乗り、蒲生氏改易後も、明治維新・廃藩置県まで三春城下の検断職、そして「御本陣」を勤めていました。
この“検断職”とは、現在の町長、警察署長、裁判所長とを兼務した様な役職で、時代によって異なりますが川又氏、船田氏、春山氏、橋元氏などが月番交代で務めていました。

御免町は、藩士侍屋敷で、小堤氏、熊倉氏などの武家屋敷がありました。
御免町から裏町へ抜ける通り、旧代官町には、昭和の初めまで料理屋を営んでいた「玉川」(佐々木氏)がありました。
この場所は、江戸時代初期に松下氏が三春城主になるまでは、当時三春を納めていた会津120万石所領時代(約70年間)の代官所のあった場所でした。
江戸期秋田氏の時は旗本5千石代官屋敷

小野屋角(現松竹クリーニングと福内屋付近)から、荒町職人横丁への道は、牢屋小路。
大藤屋魚店裏とベニマルの間の通りのいわゆる“しょんべん横丁“には牢屋がありました。

馬場、尼ケ谷全域は、昔の御厩があり、百間馬場が整備され藩士の乗馬鍛錬場でした。
また、馬場桜が毎春になると見事に咲き誇っていたといいます。

旧三春藩総社であった三春大神宮は、貝山岩田地内より元禄2年に、現在の場所である「神垣山」に遷宮されましたが、明治維新の廃藩置県や廃仏毀釈、さらには明治の中ころの大雨による土砂崩れなどにより、廃れていましたが、昭和6年に、当時厄年だった壮年有志の皆様の手により幣殿拝殿の再建拝されました。

このとき、社殿周辺の敷石や基礎の用いるために、三春小学校児童約1700名と教職員は、町内を流れる桜川から川石一人二個づつを拾い境内に運び上たと三春町史は伝えています。

芥川賞作家玄侑宗久さんが住職を務める福聚寺は戦国時代の永禄の頃に、日和田三丁目から移され、戦国期の三春城主田村氏田村義顕、隆顕、清顕三代の菩提寺です。

また、前記の代官町玉川の隣地には、お不動山と呼ばれる小高い丘があり、不動尊を祀った清水寺がりました。

今の愛宕下の「清酒三春駒」の“佐藤酒造”、以前は“金かぶ酒造”でした。
それ以前は「清酒白つつじ」の“緑川酒造”で、大越伊勢屋の「清酒黄水」とともに、商都三春の銘酒として、中通りのみならず、浜通りの方々にも愛飲されていました。

明治36年当時の記録によると、田村、安積、安達の三郡酒造醸造連合共進会に於いて「菊水」が一等賞に輝いたとあります。

新築の中町公民館が立つ、旧ベニマル跡地には、かつて田村郡蚕連事務所があり蚕・繭の市が開かれていました。
これは、大正14年旧三春馬車鉄道会社跡に、三春銀行頭取・山三渡辺商店の社長である渡辺平助氏などの尽力により創設された繭市場の建物でした。

尚、昔から谷間に開けた三春城下では大火の多い場所でしたか、中町は不幸にして、明治になってからも39年と43年の二回大火に遭遇していしまいます。
今の道幅は、この大火の跡に拡張された道です。

8.大町
伊賀屋山三渡辺商店 
第九十三国立銀行 初代頭取 渡邊甚十郎
本陣本店川又彦十郎氏、佐久間忠次氏、内藤伝四郎氏、熊田文十郎氏、渡辺弥右衛門氏、春山伝蔵氏諸氏のお名前が見れます。

呉服太物商、質貸業、味噌醤油製造販売、そして両替商を営み三春藩に多大なる貸付けをおこない三春藩の財政を援けました。
名字帯刀を許されたのもこの功績によってなのでしょう。

明治維新後、藩への貸し付けが不良債権として不履行になりますが、明治に入ってますます商いを広げ、今迄の生糸や呉服などの生業に加えて、三春銀行ともいうべき「第九十三国立銀行」後の三春銀行という金融、「三春馬車鉄道株式会社」の運送、そして中郷村柴原の大滝根川に滝水力発電所を建設して「三春電気株式会社」の電力部門の創設と明治期の三春及び田村地方だけではなく福島の経済に中心的役割を担う総合商社として大活躍を見せます。
後にこの第九十三国立銀行は明治三十年には三春銀行に移行、そして昭和十六年には、白河の瀬谷銀行、二本松銀行とともに合弁して現東邦銀行へと移行します。

江戸、明治、大正、戦前から戦後の昭和という激動の時代を商人として「伊賀屋(いがや)山三渡邊本店」は、三春そして田村、さらには福島の経済界を牽引し来ました。
橋元柳平 明治末芹ヶ沢の田村競輪競馬場 清水馬場
三春狐~ 自由民権運動家弾圧とこの頃の三春藩営やっかみ! 二本松藩

 神田 春山 船田

大町は三春城下でも藩庁、役所が集中していた関係で町屋は少なかったとあります。
本城の大手門(JAさくら付近)から守城稲荷前までは、町家は全く無く、現三春小学校敷地に、本殿がありました。
現本通りに沿って、奥屋敷、奉行所、公所、近習、目付などの公職人や役宅倉庫が並んでいたと記されています。
桜谷には、細川縫之助、佐塚秋田廣記などの重臣から、軽輩の屋敷がありました。
現在の三春町福祉センター(前の県中土木事務所)には、細川孫六郎宅。
高齢者住宅付近には、秋田傳内宅。

会下谷入り口付近に、小野寺舍人宅。
向いは、松井正右衛門宅。そしてその隣には、吉田造酒があり、かつては荒木国之助宅がありました。
御城坂には、旧城代家老秋田調、北畠秋田氏など重臣屋敷が居を構えていました。
かつて三春幼稚園があった会下谷は、「百石谷」と呼ばれて、百石程度の藩士屋敷が軒を並べていたとあります。
舞鶴城と称された御城(三春城)は、御城山にありましたが、時代劇で見るような天守閣は無く、御三階と呼ばれた建物がありましたが、天明の火災以降は再建されませんでした。

普段、藩主の住んでいた御殿は、現三春小学校上校庭付近にあり、下の校庭には政務を担当する藩庁が置かれていました。
山頂にある御城には、儀礼的な行事のある時のみ藩主以下藩士が登城しますが、普段は留守居の藩士が登城するのみだったとされています。

明治五年、この御殿跡の敷地に現三春町立三春小学校が建てられました。
昭和30年代までは、上り口の土手に松の古木が数本あり、昔も面影を残していると記されていますが、今の明徳門のある階段の左右にある桜が植わっている場所でしょうか?
また、「校庭にあった藤棚があり、御殿があったころには能舞台があったと伝えられている」と記されていました。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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三春中学校第一学年 総合学習「郷土三春」 三春町内現場学習 令和元年11月20日




三春中学校第一学年 総合学習「郷土三春」 三春町内現場学習 令和元年11月20日


先の三春中学校一年生の総合学習「郷土三春」の現場学習ということで、2班の生徒の皆様にご来店いただきました。






当店には三春の産業ということで和菓子屋としての質問が用意されていました。


「おたりまんじゅう」、観光、三春....






これから三春を、そして日本を背負って立つ若者たちです。

少しでもお役に立てればいいなあと思います。


これらの学校支援は三春の先輩方から受けてきたことへの恩返しでもあります。


また、後輩への郷土三春学習のバトンタッチでもあります。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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