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「三春シンポジウム」 三春中学校   平成30年11月2日




「郷土三春に学ぶ」三春シンポジウム  三春中学校一年生

三春中学校一年生の総合的な学習の時間「郷土三春に学ぶ」~三春シンポジウムに外部講師として招かれました。

 この日の講師は私を含めて3名です。
三春町役場の新野さん。
そして、株式会社菊川屋の内藤さんといった顔ぶれで、それぞれの立場でお話をされていました。

会場のエントランスに 着席している生徒たちは、親の顔も判り、日頃より見知っている子供さんたちも多く目が合うたびに、ニヤッとアイコンタクトを取ってくれています。

この学習は、郷土三春の特質を様々な視点から捉え、課題を持ち、関わりを見つけて生き方を考えて、さらには郷土を深く理解して、その良さを見つけることで自らのアイデンティティーを確立し、それを伝える活動を行うという目的です。

滝桜や町内の桜。
ここぞとばかりに咲き誇る桜たちが及ぼす経済効果と全国へ及ぼす影響力の事を、私は和菓子屋を営んでいる立場から話しました。
当店の名前を全国区にするのは途方もないお金と労力がかかりますが「三春」という知名度のお陰で全国どこでも「三春の饅頭屋」で通じるということ。

そして、当店独自のホームページや、チラシ「塵壺」、そして平成版三春城下絵図「三春物見遊山」を発行し、桜のセールスポイントにプラスして「小さな城下町三春」をアピールすることにより三春昭進堂を大きく宣伝していることを話しました。



一昨年の様子



そして、私からは矢沢永吉さんの語録からから引用して、成功する方法として、「前向きな自惚れ」を話させていただきました。


「うぬぼれと言うといやらしく聞こえるけど、

考え方一つ変えていい取り方すれば

うぬぼれ屋ほど自分の主張を大切にしているんですよ。

前向きなうぬぼれなら、いくらうぬぼれてもかまわないんです。

それは言い換えれば自信だから。

自信ということは何かといえば責任なんですよ」


                              矢沢永吉

自分を好きになってくると、他人と自分を比べることも減っていく。

自分を肯定的に受け止められるせいか「嫉妬」という感情も持ちにくくなる。

結果、人を受け入れる余裕ができて、人との関係も心地良くなり、人生に前向きになっていくと良いことだらけですね。


人生長いよ〜〜

んでもって、何回でもやり直しや修正が効く。

しかし、芯がブレちゃダメ、未来がどうなるか?じゃなくて
自分の人生自分で切り開け〜〜 今はその基礎作りです。

しっかりと地に足をつけて勉強してください。

大人って案外楽しいヨ!頑張れ三春健児



頑張れ三春健児!






 一、自分に話し・様々な人や事柄に接し自分を磨くこと。
世の中には、様々な方々や事柄がいます。
いい人悪い人、老若男女。そして綺麗なもの汚いもの・・そんな様々な人や事柄に接して自分で識別できる目を養うこと。

 二、自分を見つめ・自分の足元を見つめること。
今回の学習テーマである郷土である三春を学ぶということは、自分自身の足元にを見る、即ち自分自身を見ることなんだろうと思います。

 三、自分一人の力で生きているのではなく、有縁無縁、周り居る方々が協力してくれたからうまく出来たんだと思う事が大切です。
日々正しくお陰様です。

人とのつながりやご縁、そしてお陰様と日々感謝すると共に、ご縁を大事に、社会を支える大きな布に成ってください。




質問にもありましたが、「これから三春はどうなっていくの?」「これからの三春の産業は?」

未来ある中学一年生、これからの三春を、そして、日本をしょって立つ人材です。

与えられた未来ではなく。

自分自身で創り上げていってください!

そして、今の勉強がその基礎となることでしょう・・・

あえて、山本五十六の言葉を借りるならば・・・
昭和14年に山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。

あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し

将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。

どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでくださいます。


山本は、日米戦争に反対していたのにも拘わらず、戦時特別編成である大日本海軍連合艦隊司令長官という立場から真珠湾攻撃の作戦立案に携わる事になりますが、その山本の苦悩が洗われている講演です。







「三春シンポジウム」 三春中学校   平成30年11月2日(月)
自己紹介

三春昭進堂 
塵壺(平成3年より327号) 
平成版三春物見遊山
ホームページ 三春9割  全国に発信!
三春(ロマンチックな名前)、瀧桜 全国区の地名 三春の饅頭屋 

修業 湘南は茅ケ崎 東京 三春が言えなかった みんな知っている
郡山商業 大学行ったら三春に帰らない

経営者 仕事がら全国の経営者 
挨拶や懇親会 お国自慢 自分の出身地を背負って 社会で活躍!
胸を張って三春の歴史や長所 伝える    

足元を見る 自分自身を顧みる 自分の足元=三春 

三春という小さな町 少し目立つことをするとメディアが拾う
車社会 県中 郡山25万人 近い 強味  
自転車でGO!三回 テレビや新聞、雑誌、スイーツパスポート
NHK 広島テレビ 新潟テレビ


城下町 寺社仏閣が多い お寺 旧城下町だけでも11ケ寺、領内118小野含む
神社312小野含む 仏堂 114

お寺が多い=精進料理―豆腐―お茶屋―菓子屋
武士―刀―鍛冶屋=馬 農家―農作=馬―耕運機

後醍醐天皇を祭る現人神社や、海の無い三春にある金比羅様など、教科書には載らない歴史の謎もあり、東北の鎌倉と呼ばれる三春です。


郡山にないもの 歴史 
明治維新 廃藩置県・全国の諸藩は長年の累積負債・借財の山 
経済は貨幣~武士の給料は米 両替が必要 

三春も明治初年藩の財産、殿様江戸(東京)へ参勤交代 家家族は江戸常在
御城石垣、蔵、倉庫や庭園の灯篭、上大町 公官庁建物売却 債権放棄 返済
   お城山上段の石垣 秋田家慰霊碑 その残り

明治初年 三春小学校明徳門 学校の門(教育のシンボル)として残す
~三春人の民度の高さ 
街並み
小さな城下町 三春 観光バスが大勢の人がわんさか来る場所ではない 小グループ 
春先の桜の時期、観光バスはじめ 多くの観光のお客さまは、滝桜周辺を見てお帰り 
平均滞在時間は1時間  その一割でも町中に

世界的に活躍する日本を代表する建築家や照明デザイナー(美人に見える工夫)、写真家、国の役人などが長期間のプロジェクトに参加
きれいに整備され街並、一方昔懐かしい町並みの面影が残る

単に歴史や文化が感じられるというだけでなく、生活のにおいがする魅力的な小さな城下町
地元の人々が居住し生活する場であり、近郷近在よりの買物のお客さまが出入りする場であり、さらに近年は 春、桜の時期だけではなく四季を通じて観光のお客様が訪れる魅力的な城下町でもあります。

これは、城下だけではなく、それぞれの地区に様々な魅力がある

各神社の祭礼(郊外11月3日)「三春盆踊り」、だるま市、お城山まつり 秋まつり
様々なイベント 今を生きる私たちの生躍動する活観 

城下の道は、城下町のなごりで、道路は狭くて複雑であるため、生活に不便な点もありますが、御城坂 北町の坂や桜谷、天狗谷、谷間が多く、道が狭いことがかえってこの街の魅力を高めています。
北国の小さな城下町三春は、城下にこそ魅力があると思います。




歴史と文化  


「三春~教科書には載らない歴史」   

三春昭進堂主人 髙橋龍一


1. はじめに・私が“三春の歴史”に興味を持ったわけ・・・
「会津猪 仙台むじな 三春狐に騙された 二本松まるで了見違い棒」



2.戦国以前

那智熊野権現大社の荘園・・領内にある熊野神社

・湯峰氏。熊野講中引導師・・・湯の峰温泉参拝の禊場(温泉)

 田村家の家臣・・・直参以外は田村庄司の配下(荘園の役人で各地より召集)
 ちなみに三春田村家は、平姓。田村庄司家は、藤原姓

三春過足の上石家(親戚)、坂上田村麿の東征の途中、滞在した土地で子を作りその子に「上石」の姓を与えた。福島県郡山市田村町金沢、中田町上石あり。宮崎県北諸県郡三股町樺山が本拠とされるが、兵庫県加東市上田(ウエダ)が本拠。

戦国時代末期、新潟県上越市にあって上杉謙信の家臣だったと伝える。



3.戦国田村氏・・・塵壺6月号参照

・戦国田村家・・・田村麻呂の末裔・平氏田村一族(南朝田村庄司一族とは異)

・田村麻呂・大和民族(渡来人末の父とアイヌ末の母から生まれた身長6尺のハーフ)

三春田村領の周辺には、北に伊達氏、岩代大内氏、西に会津蘆名氏、東に相馬氏、南に二階堂氏、佐竹氏、岩城氏などの戦国大名がひしめき合い度々侵攻が繰り返されていました。


 また、田村家の組織編制の上で、織田信長以前の中世的な全国の武将と同じく、農兵分離が出来ておらず、それぞれの家臣がそれぞれ先祖伝来の領地をもち、城主といえ家中掌握が弱かったと考えられます。

そのために、独立性の強い在地領主層は、度々周辺の武将から調略を受け、各々が家名存続・自領安堵の為に、抵抗・離反が度々起こっていました。

まさに「四面楚歌」の状態です。

・伊達政宗の夫人愛姫の父田村清顕は三春城主でしたが、天正14(1586)年に亡くなりました。清顕には男子がいなかったため、相馬派と伊達派で家督を巡り争いがおきましたが、故清顕の婿である伊達政宗が調停に乗り出し、跡継ぎを清顕の甥であり伊達家の血も引く宗顕に定めました。(田村仕置)

しかし、当主・田村宗顕が小田原北条攻めに参陣しなかった事を理由に、豊臣秀吉によって田村家は改易されてしまいます。(奥州仕置)
  このとき、田村宗顕をあえて参陣させなかったのは、他でもない政宗でした。
 
そして、結果的に田村領は伊達政宗に与えられてしまい、事実上の領地乗っ取りとなり、改易された宗顕をはじめ田村家中は 「政宗にしてやられた!」 と大いに憤慨したと記録されています。

後に、愛姫が片倉家の白石に清顕の甥となる田村宗顕ら田村家宗家を呼び寄せ、その子である牛縊(うしくびり)定廣が、少納言喜多(政宗乳母)の名跡を継ぎ、片倉金兵衛と改名し、妻となったのが、真田幸村(信繁)の娘・阿菖蒲でした。

尚、この時伊達家へ仕官した田村家旧臣は、田村本家である田村宗顕・牛縊定廣の田村本家、はじめ御代田氏、田母神氏、橋本氏、村田氏、石沢氏、常葉氏、中津川氏、郡司氏、大越氏など分家した11家(分家下士含めると28家)にとどまります。

※当時の分家とは、三春の自領地に親族をを残して伊達家へ仕官



4.安倍・安東家秋田家・・・大和朝廷とは別の渡来人の末裔・・米造り弥生文化

アテルイ末(安日王)アイヌ民族の長・・・安倍貞任・東和の旗まつり「東日流外三郡誌」

前九年の役・後三年の役・・・源義家に廃退より秋田以北に移住

その一派は、西国に退避・・・安倍晋三総理大臣の先祖・・倭寇・安倍水軍

・倭寇(海賊からの輸送船警備や運搬業を生業とする武装集団)と呼ばれる。

鎌倉初期・・本拠地青森十三湊が、大地震による大津波にて一夜にして壊滅(近年発掘証明)ムー大陸・・・・奥州藤原黄金文化

東南アジア沿岸や中国・九州地方の安倍・安東水軍が残存

・和船・青森ヒバ(水をはじく)の船・・・蒙古来襲・元寇で元(モンゴル)、高麗(古代朝鮮)連合の艦船撃退(神風伝説)
元は水軍を持っていない。・・高麗・南宋水軍・・日本海が荒れるのを知らないはずはない。

文永の役(1274)は10月中頃、弘安の役(1281)は6月末から7月初め・・ともに台風シーズン・・・その前に一ヶ月にわたり海上待機、船底には貝が多量付着

意図的に元の征服されている高麗は、元が負けることを想定していた?

鎌倉幕府としては表に出したくない・・・記録「東鏡」には無記載

室町幕府・江戸幕府―水軍は強力な戦力―隠しておきたい





5.三春と明治維新・徳川幕府300年の終焉

武士の給料は米で支給。経済はお金

・戊辰戦争の戦意・・・江戸幕府に経済政策の破たん・・各藩とも借財の山

戦争どころではない・・・・下級武士やそれ以外が主力・・奇兵隊や幕府歩兵

その前の戦争と云えば約200年前の島原の乱・・・武士の事務員化




6.戊辰戦争と三春・

・八重の桜から「会津藩と三春藩」の関係 

会津への道案内・・猪苗代・中山・熱海、湖南などの農民が率先して西軍を誘導

―会津防衛の戦略により、鶴ヶ城防衛と称して罪もない宿場や村々が焼き払われる。

会津藩士に対する恨み・・・日光街道・北越の村々・・郡上八幡凌霜隊

・徳川幕府・・主従関係あり・・・幕府恭順・瓦解・・戦いの名分がない

勝海舟の策略・・武士階級ではない新撰組残党や旧幕府歩兵の江戸から追放、蝦夷へ(っ神戸海軍兵学校時代に提唱・坂本龍馬)

旧幕臣大番組で組織する遊撃隊や関東周辺の小藩(請西藩)脱藩藩士などは、箱根迎撃失敗後、上野のお山の籠城そして会津へ

旧幕臣榎本武揚率いる旧幕府艦隊(旗艦開陽丸以下、回天、翔鶴、蟠龍)は静観、後残存艦蝦夷へ




7.会津戦争と三春・・・三春狐に騙された。

戦前まで「牛馬の競り市に来て、売買代金を庚申坂新地で使い果たした博労たちが、遊女を「三春狐」になぞらえてとして出来た戯言」程度の認識

明治中期から昭和初期・三春は大変に景気が良い時期が訪れていました。

軍需景気(日清戦争・日露戦争・日独戦第一次大戦)

三春出身の河野広中は、衆議院代議士から農商務大臣、さらには、衆議院議長にまで上り詰めていました。

・最後執政秋田春季静臥と大原家(薩摩藩)


・三春藩銃砲組

・・・熊田嘉膳 水戸藩砲銃鋳造師範、後会津や相馬藩に出向

・・・・町田貢 砲術指南役・幕府講武所調練指揮役。門人千人

藩 名     石高 施条砲  大砲総数  後装銃数  旧式前装銃数   小銃総数

三春(秋田家)    5.0   0     3     86       400     486  

二本松(丹羽家)  10.1    2    12      0       60      60

仙台 伊達家   62.6   0    84    533      5,727     6,260

米沢 上杉家  15.0     0    18     60      900     960



当時の知識階級・・内戦の不利(欧米による日本侵略の足掛かり回避)

筆頭家老西郷頼母、家老神保修理、秋月悌次郎等、戦争回避を提唱、会津藩京都守護職“薪を背負って、渦中に飛び込む”が如くの愚挙
長岡藩家老河井継之助・武装中立(スイス王国)


広い視野を持った筆頭家老西郷頼母を追い出した会津藩が根底となる会津史観や、当時の社会情勢に疎い二本松史観の悲劇的解釈から出て来たであろう、狂歌「会津猪 仙台むじな 三春狐に騙された 二本松まるで了見違い棒」。

会津落城前に、意図的に広められたとしか考えようのない、「戊辰ノ役会津戦争」における奥羽越列藩同盟の敗因の一つに三春藩を陥れようとする意図が見え隠れする、この戯言狂歌の出所は・・・・尚、米沢藩や越後の新発田藩も同じいわれ様です。

*明治後期に伊達仙台藩の関係者によって書かれた「仙台藩記-復古記(13巻57頁)」が棚倉城攻防戦での三春藩の撤退を記載しているのみ。

山川大蔵浩著「会津藩始末記」明治四十四年発行にも記載なし。

・鳥羽伏見の戦い後、仙台伊達藩を中心とする奥羽の諸藩に対して、会津藩は軍事局に大きな期待を寄せていました。

・仙台藩家老坂英力・同但木土佐、米沢家老竹股美作、 参政木滑要人等東北諸藩の家老(代理含む)が参集し、仙台藩領苅田郡関宿にて会合して、会津藩の救済案を模索します。

そして、その結果を 会津藩の使節、家老の梶原平馬、伊東左太夫、山田貞助らに対して、救済嘆願の素案骨子を提示します。

・それは、藩主父子の蟄居、減封、鳥羽・伏見の戦いの 指揮者処罰でしたが、死に物狂いの会津藩にはそれを理解できず、これを拒否してしまいます。

・蛤御門の変・・長州藩第一次征伐は藩主謹慎・三家老(福原越後・国司信濃・益田右衛門)の首を差し出す。第二次征伐では拒否・・戊辰戦争へ

これが会津戦争の悲劇の始まりです。
そして、ここから奥羽越列藩同盟という虚構の構図が生まれます。

元禄以来、経済は貨幣が流通している・・武士の給金は米券で支給・・両替手数料
開国による品不足・物価上昇・・・庶民の暮らしの圧迫

伊達藩にしても、米沢藩にしても、幕末・戊辰のこの時代藩の経済は疲弊し、戦の軍資金の捻出などとてもとても算段できる状況ではありません。
これは、全国の諸藩皆同じくです。

しかも、大阪や京都、長崎などに藩邸や出入り商人を持たなく、経済に疎い東北諸藩は尚更です。
本気で会津救済を考えていた藩などあるはずがなかったのが実情だったのではないでしょうか?しかし、悪役が欲しい・・・・。

これが明治になって再燃し、現在に至る・・・・
士族間の期間限定の”恨み言”の類で云われるならまだしも、ネチネチと三春町民すべてを対象として言われ続けることのに違和感があります。

まぁそれも、明治中期以降の三春の経済発展や河野広中の政界での活躍など、”やっかみ”や”嫉み”の素材・・・・

実は、私が“三春の歴史”に興味を持った理由もそこにありました。

それは、今から40年前、私が小学校の中・高学年のころ、そして中学生の時もありましたが、授業中に一部の会津・二本松史観の教員から上記のジャレ唄と共に三春藩卑下の話を聞き衝撃を受け、幼いながら「三春では歴史の話をしてはいけないんだ」思っていました。

しかし、年上がり上級学校で、新しい日本史を学び、さらには司馬遼太郎などを読んでから、日本史を教科書・勝者や大勢側からみた偏った歴史認識に疑問を持つようになったことがきっかけ。



8.まとめ~三春に狐は居なかった!
・三春に生まれたこと・住んでいることに誇りと自信を持つ
・唯歴史を調べるだけではなく、仕事の一部分として広く町民の方々に示していく。

        


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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堂前さかうちの上生菓子 「Style KORIYAMA(スタイル郡山)」 和菓子特集




「Style KORIYAMA(スタイル郡山)」


郡山の魅力を紹介している発行部数50000部の地域密着の月刊フリーペーパーです。

郡山の和菓子特集があり、私の和菓子の師匠である「さかうち」さんも取り上げられています。



菓子材料問屋「小野商店」営業さんが届けてくれました。







やはり郡山で和菓子といえば坂内菓子舗です。


季節の上生菓子がそろっています。






中を見ると、同級生で郡山商業柔道部仲間が経営する「細沼の老舗割烹「蔵王城」もあります。









そして表紙にはロックンロールバンド「Cools」のリーダー佐藤秀光さんが~



チョッパーと美女二人と映っています!



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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『タイヤは夜の向こう』 きのこ集団Protomass第4回公演





『タイヤは夜の向こう』きのこ集団Protomass第4回公演

当家の次男坊の主宰する劇団です。



郡山公演二日目に観てまいりました。

親が言うのも何ですが、次男坊の成知(ナリチカ)ワールド全開の芝居でした。


一つの舞台を二つに使い分け、舞台を3っつに分割して、それぞれ役者がペア・トリオとなってそれぞれの空間で漫才チックなコント仕立てのボケツッコミ、そしてそれらが入れ替わるという言葉遊びや、その中でもオカルト的な要素を取り入れたり、一人だけ現実(今の時間)をキープしながらお話は進んでいくという舞台を熱演していました。
この手法が、舞台を、幾重にも重なり、緊張感のある場面展開の中で、何倍にも大きく見せてくれて、あっという間の90分でした。


成知曰く…
ナンセンスコメディとか前衛劇とかの類で、対話形式で色々難しいこととか無茶苦茶なこととか話したり、突飛なことが起こって大変ダァってなったりする……みたいなのを作ってます。
そして、ゆくゆくは「ムムッ!福島に行けば面白い演劇見れるんじゃなぁい!?」と言われるようになり、お客様が各地から福島に足を運んできてくれる。
福島の活性化にちょこっとでも貢献できる。
んでもってお金をフヒヒ……なんて目論んでます。







きのこ集団Protomass公式ホームページより




公演概要
脚本・演出 髙橋 成知
キャスト たつろう
圓谷 颯
佐藤 夢子
大江 優花
渡邉 麗奈
飛田 ことみ
島倉 拓士
東洲斎 竹蔵
櫻井 孝樹
新良貴 飛梁

裏方 舞台監督:稲田 清香
照明:二瓶 碧
音響:髙橋 成知
宣伝美術:大江 優花
制作:島倉 拓士
進行管理:二瓶 碧
舞台補佐:熊田 康太








きのこ集団Protomassとは、日本の新人演劇集団。
2015年冬、福島県郡山市の高校演劇部有志を中心に結成し、2016年5月『出口はどこかにある』(作・演出:髙橋成知)で旗揚げした。
福島県郡山市を中心に活動しているが、仙台や横浜、京都でも上演したい、という思いを胸に日々惰眠。
















春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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職業体験の生徒たちからの礼状 2018




私ども三春昭進堂では、地域貢献事業として地域学習の一環で、三春町立の中学校の2年生の職場体験学習受け入れを毎年実施しております。







先に、三春町立三春中学校2年生の生徒4名、岩江中学校2名の生徒がそれぞれ二日間ずつ、当三春昭進堂に職業体験に来店されましたが、その御礼の手紙が届きました。







生徒の皆さんからいただいた礼状を拝見しますと、よくまとめられていて、いい学び・気づきがなされているように感じました。

私も三春中学校の卒業生の一人、そして三春人として後輩たちを安心して未来を託せる三春健児と誇らしく思います。







かつて、私たちが子供の頃、三春の先輩方から様々なことを教えていただき学んできました。

そして、私なども今年で55歳になりますが、今でも先輩の皆々様に様々なことをご教授いただき導いていただいています。






この職業体験などの学校への協力は、上記の先輩の皆様方への恩返し、そして、後輩へと継承する三春の教育を少しでも果たしたいと考えています。

未来を担う、三春の後輩たちの”学び”に、少しでもお役に立てればいいなあと思います。


羽ばたけ三春っ子!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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岩江中学校職業体験 2018 頑張れ三春っ子!




昨日から、二日間三春町立岩江中学校2年生の2名の生徒が職業体験に来ています。

当三春昭進堂はでは「三春町キャリア教育推進事業協力店」として、2日間と短い期間ではありますが、子どもは、日本の将来を担う社会の宝であり、社会の一員としての強い自覚をもち、たくましく成長することが少しでもお手伝いが出来ればと考えています。






朝礼後、店内外の掃除から、饅頭つくり体験、焼物の仕上げと製造補助、一日明るくきびきびとしながら、楽しく仕事をしていました。


2日間という短い時間ですが、何かを感じてもらえればいいなあと思います。


私が子供の頃、子どもたちは親や地域の方々の働く姿を日常的に目にし、そこから多くのことを学んでいたような気がします。

これは今も変わりはないはずですが、地域社会の目まぐるしく変化や核家族化や価値観の多様化等で地域生活もずいぶんと様変わりしたように感じます。




家庭や地域社会は、子どもたちの成長・発達を支える重要な場であり、様々な仕事・職業生活の現実や困難もあるが大きなやりがいもあることを有形無形のうちに感じとらせることが重要だと思います。
 

働くということは、社会や人と大きく関わり、つながっていくことです。

社会や人とどのように関わり、自分という存在をどのように存在させたいのか、それが自分の人生にとってどれ位意味があることなのか、
そういう面で仕事を考えていくことがとても大切なんだろうと思います。






昔から、「 他 人 の 飯 を 食 べ さ せ る 」 と か 「 か わ い い 子 に は 旅 を さ せ よ 」と 云われています 。

私も、菓子屋の跡取り息子として、「他人の飯を食って、一人前になれ」と高校を出たら菓子修業に行けと小さい頃から云われてきました。

止宿して師匠と起居を共にし、技術だけではなく、人間的な面も含めて修業をする。

いわゆる親もとを離れて、他人の間で苦労を味わい、社会の経験を積むということだったのでしょう。

親 元 を 離 れ 他 人 の 間 で 苦 労 を 味 わ う こ と は 決 し て 無 駄 に は なら な い と い う こ と で す 。






明治維新後の、三春の教育

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」「三春で学んだことを誇れる教育」 





かつて三春人は、教育、人間育成ということには驚くほどの力の入れようでございました。

子どもたちは、家庭や地域での人間関係や生活体験を通して社会性を身に付け、さらには「生き方」の基礎を培っていくと考えています。






次代を担う若い人々に夢を持たせ、キャリア実務教育を施し一つ一つ形にしていくことの重要性を教え社会に送り出すのも、私たち地域に住む者の社会的役割なんだろうと思います。

そして、今回の職場体験を通して子ども達が少し大人になったというより、少し現実を見る・考えるきっかけになってくれればいいなあと考えています。


子供たちには将来の夢を急いで決める必要はないと思いますが、この職場体験をきっかけに、少しずつ将来のことを考えていただければ幸いです。

そして、学校教育や社会教育でも、どのような旅をさせて自立心や独立心を育むか、教育関係者の、子を持つ親の、そして地域社会の「知恵の見せどころ」のように思います。





人は、地域・社会環境の中で育つものだと考えています。

人を育てるとは、社会に出て生きていくためにふさわしい「生きる力」・スキルを身に着けるために、様々な環境を整えて、その動機付けとなる体験の機会を与えることではないでしょうか。

さらに付け加えるならば、教育を受ける一人ひとりの人間が社会的自立を果たし、よりよき存在になるために重要であるにとどまらず、社会や国の将来を左右するものであり、教育こそ人間社会の存立基盤といえるのではないでしょうか。








太平洋戦争前夜の昭和14年。

山本五十六が母校の長岡高等学校で講演したときの言葉を紹介いたします。

私は諸君に対し銃をとって第一線に立てとは決して申しません。
あなた方に希望するところは学問を飽くまで静かな平らかな心を持って勉強し
将来発展の基礎をつくって頂きたいと熱望する次第であります。
どこまでも気を広く持ち高遠なる所に目標をおいて日本のため進んでください。




 


今朝の古四王堂2018.6.27

                       

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂  菓匠蒼龍


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三春中学校職場体験 2018  がんばれ三春っ子!




昨日から、三春町立三春中学校2年生の生徒4名が、三春中学校職場体験で当三春昭進堂にて職業体験に来ています。

三春昭進堂では、地域貢献事業として地域学習の一環で、三春町立三春中学校の2年生の職場体験学習受け入れを毎年実施しております。


子どもたちに、夢や喜びを与えることのできる社会であることが理想だと思います。

  社会や人とどのように関わり、自分という存在をどのように存在させたいのか、それが自分の人生にとってどれ位意味があることなのかを仕事を通じて考えていくことがとても大切です。
 






昔から三春人は、教育・人間育成ということには驚くほどの力の入れようでした。

  私たち三春昭進堂も、先人に倣いお菓子を通してこれに少しでも貢献したいと思っています。
そして、次代を担う若い人々が夢を持ち働くということは、「社会や人と大きく関わり、そして、つながっていくことだ」ということを実感してほしいと願っています。
 





2日間の職場体験を通して、和菓子屋として、そして商人としての様々な職種について役割と業務内容を説明しました。

中学生の皆さんには、和菓子屋としてだけではなく商売屋としての仕事に興味を持っていただけるように工夫をして実施しました。




朝礼後、店内外の掃除から、饅頭つくり体験、焼物の仕上げと製造補助、一日明るくきびきびとしながら、楽しく仕事をしていました。

そんな姿を見ていると親御さんの温かい子育ての姿が、垣間見れます。


2日間という短い時間ですが、何かを感じてもらえればいいなあと思います。





皆さん、明るく素直で、とてもやる気のある子供たちです。

また、呑込みが早く教えた仕事を器用にこなしていきます。

きっと賢くいい子なんだろうと思います。







当店では、お菓子の製造も体験してもらっています。

自分で造った饅頭は、家族へのお土産としてもって帰ってもらいますが、わが子が作る饅頭はどんな味がするのでしょうかね?






次世代を担う子どもたちに、夢や喜びを与えることのできる社会であることが理想だと思います。






この様々な成長の場を提供していくのも、私たち自身がこどもの頃に先人に学んだことへの 恩返しになるんだろうと考えています。

お菓子を通してこれに貢献したいと願っています。








子供たちに商人として大事にしていることを尋ねられました。


和菓子屋の師匠坂内菓子舗の社長からから教わった言葉の一である「三つのつかず」という語をお話しさせていただきました。

それは
一、 嘘をつかず。
一、 役につかず。
一、 判子つかず。

というものです。


「嘘をつかず」
信用の大事さを諭しています。
商人が、様々な種類の偽装してを商いをしていたのでは、お客様や世間に対して嘘をついているようなものです。
一度失った信用というのはもう元には戻りません。

「役つかず」
煽てられて業界や町内などの各種団体の役や政治職などにつき、商いがおろそかになっては本末転倒です。
小さい街には特に付き物なんでしょうが、これは「名誉欲」というものを厳しく諭しているんだと思います。


そして・・・
「判子つかず」
保証人の捺印です。
義理や人情など様々な要因で引き受けた連帯保証人。
様々なトラブルがあるのをよく耳にします。


 栄枯盛衰が激しい商業の歴史にあって、長く事業継続を果たしてき商人達の行動原理が集約されている言葉として大事にしたい言葉です。









 そして、その真意には、商人は「無功徳」“陰徳を積む”という考え方がります。

「無功徳」とは、人に知られないように善行を施すことです。

“徳は閻魔様に知られないように積め”と云われています。

“人に知られないように”と言うのは、自己顕示や見返りを期待しないという意味もあるんだと思います。

三春の商人は、古より社会貢献の一環として、商いで蓄えた資金を地域社会に積極的に貢献するという「三春商人の精神」を伝え続けていきたいものです。









人間なんて、どっかでちゃんと

帳尻が合うようになってるのね。

20代は20代の青さとか未完成な部分がある。

そこを恥ずかしがったり隠したがったり、

うまくごまかしたりしてきた人は、

あとで絶対しっぺ返しが来るよ。



- 矢沢永吉 -




19~20歳の菓子商人修行中の頃、いつも心のどこかで失敗したくないとか、能力がないと思われたくないと感じていたと思います。
そして分からないことがあっても、先輩や職人に聞けないことも度々ありました。
こんなことも知らないなんて、恥ずかしいとか、相手にどう思われるかなどそんな心配ばかりしていた気がします。

また、ミスをしてもそれを受け入れられずにいた自分がいました。

当時、「矢沢永吉」さんのこの言葉に出会った時には、とても心に響き胸が熱くなり、励まされたような気持ちになったことを覚えています。

この若造が!何も分からないくせに分かったような顔をしてんじゃねぇ!
そんなに粋がっているとずるい大人になってしまうそ!とね・・

そんな生意気な鼻っ柱をへし折ってくれました。


知らないことを知らないというのは、決して恥ずかしいことなどではなく、そこから学び成長していくことが大事なのだと教えてもらいました。


また、ミスをしても、それを“失敗”とするか、成功への肥やしとするかは自分自身だということも・・・・







「てめえの人生だ、自分で走れ!」です。

50を過ぎて言うのも何なんですが、もし「矢沢永吉」に出会わなければ私は、いつまで経っても自分の弱さを認められず、成長できずにいたと思います。

永ちゃんには、弱さを認めることは怖いけれど、それは精神的に強くなって行くための通過点だと教えられました。




最後に、今回の経験を通して感じていただけたことを、将来の進路に結び付けていただければ幸いです。




明治維新後の、三春の教育

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」 
                        




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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2018・春 「 得プレふくしま 2018年4月号 | 福島カラー印刷株式会社」




2018・春 「 得プレふくしま 2018年4月号(2018.3.30発行)」 | 福島カラー印刷株式会社







「春がきた!特集」で三春滝桜と共に三春昭進堂・おたりまんじゅうが紹介されました!







いつも塵壺の折り込みでお世話になっている「ケンオリ」の当店担当Yさんからのご紹介です。


ありがとうございました。









お陰様で、得プレふくしま配布地域の方々に多数ご来店いただきました!


また何かありましたらよろしくお願い致します。



得プレふくしま/毎月最終土曜日発行

くらしや健康、美容、その他お得な情報を紹介する、
使って得する地域密着型フリーペーパー。
新聞折込を中心に79,000部発行しています。

【協力】 ※敬称略
三宅新聞店・佐藤新聞店(飯坂)・福島新聞販売センター・岩瀬新聞店(松川)・高橋新聞店(飯野)・田中一心堂新聞販売店(伊達)・菅野新聞店(伊達)・毎日民報梁川販売センター・高橋新聞店(保原)・掛田新聞販売センター(掛田)・榊新聞店(桑折)・永沼新聞店(川俣)・毎日民報販売センター二本松・二本松毎日民報北部専売所

【設置場所】 ※順不同・敬称略
いちい各店・コラッセふくしま・福島駅東口観光案内所・県立図書館・東邦銀行(西支店・卸町支店・平野支店)・福島信用金庫北支店・トライアル・嵐の湯・ESSOニュー佐倉SS・チェンバ大町・ジェームス・カストマー・ダイソー黒岩店・カワチ信夫ヶ丘店・おちゃのこ菜々・まねきねこ・ハピカレ・おくとぱす・スーパーキクタ北沢又店・ファンズ伊達店・業務スーパー南中央店・月之瀬・吉川屋・大森中央クリニック・セブンイレブン丸子店・ドコモ市役所前店・ファミリーマート(吾妻パーキング店、西中央店)・パセナカmisse・旬楽ダイニングIROIRO・ダーマルラボ・道の駅安達 …



尚、福島民報「三春春まつり」協賛広告






もう20年位になります。






そして、福島民友「三春春まつり」協賛広告







同じく、こちらも20余年のお付き合いです。







お陰様で、予想外の早期開花の桜前線にもすんなりと対応できました。



商売繁盛!



春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


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