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小学館発行の人気雑誌「サライ」の取材がありました。



小学館発行の人気雑誌「サライ」の取材がありました。

「function is beauty」&「Light&Fast」

montbell×三春町×サライ!

三春を掘り下げて紹介するという企画ということで「三春産馬」を取り上げるということで、三春産馬=セリ市場=おたりまんじゅうという図式です。

もちろん、城下荒町の馬頭観音堂も組み込まれています。

発行は9月ごろみたいです。

お楽しみに!





尚、当店ではおたりまんじゅうと三春昭進堂の紹介、そして、下記のような説明をさせていただきました。

三春城下旧磐城海道沿いの水芭蕉の咲く寺として知られる藩主祈願寺真照寺の門前、そして三春駒の名で知られる三春産馬や牛の「競り市場」の目の前に立地しています。

商売の始まりは、明治の終わり頃、私の曾祖父の初代民四朗の妻おたりが、競り市に集まる博労(畜産農家)達に、売ろうと作った素人饅頭が美味いと評判になり、おたり婆さんが造る三春名物「おたりまんじゅう」として三春内外の方々に親しまれています。






三春産馬(三春駒)

三春駒の起原は古く、伝説をたどってみると、後冷泉天皇の天喜年間、 安倍貞任を八幡太郎義家が攻めた「前九年ノ役」に、八幡太郎の軍馬として従軍したと記録されています。

更に田村義顕の頃、三春城下荒町と堂坂(現郡山市西田町堂坂)に、馬頭觀世音を建立、信仰したといわれていますから、三春地方の馬は千年近い歴史を有していることになりましょう。

天正年間、三春の人渡辺助左エ門が、徳川家康小山陣の折に、乗馬14匹を奉献したと伝えられ、正保2年、秋田河内守俊季公三春入府後には、ますますその増殖がはかられています。






江戸期秋田藩政では、馬奉行を設けて産馬殖産され、代々藩主参勤交代の際には、黒毛駿馬を献上していました。

この地は、三春馬せり市場として、昭和のはじめごろまでは、付近には馬宿を兼ねた商家や弓町遊郭があり大いに繁盛したといわれます。明治維新後、陸軍納入の軍馬として最盛期を迎え、戦後は馬の需要の減少と共に和牛、羊の三春畜産組合家畜せり市場として平成7年までせり市が開催されました。






三春盆踊りの「三春甚句」に「駒の手綱も夜露にぬれて 三春甚句の流し唄」と歌われていまが、


田村麻呂の三春駒伝説以来、江戸時代秋田藩政での独特の馬政が功を奏して、三春産馬は、農耕馬や軍馬のかつては全国有数の産地をして知れ渡っていました。





 
江戸中期より昭和の初めまで、旧三春藩領の馬・牛の競り市は、現在と同じ新町真照寺下の広場でおこなわれてきました。

 ここは通称「せり場」と呼ばれ、馬市が隆盛だった頃は、雌馬の市が五月、雄馬の市が十一月に大々的に開かれ、全国の馬喰たちが訪れて、三春の城下は馬市一色の賑わいを見せたと云われています。

 競り市の開催時に新町筋には、茶店や露天商の屋台が大元帥明王下の山中まで建ち並びました。
夜ともなれば遠来の馬喰や馬を売りに来た百姓たちが繰り出す「遊郭庚申坂」からは、お囃子の太鼓が鳴り響き、この界隈は祭礼のごとき賑わいでごった返しの人出があったといいます。





今でも、新町筋で「相模屋」「長門屋」「仙台屋」「谷屋」などと屋号で呼ばれている家がありますが、当時の馬喰宿の呼び名で、それぞれに庭先に馬小屋をおいて宿としていた。 







三春昭進堂は、旧三春家畜市場(通称セリ場)に隣接し、旧三春畜産組合と共に、明治、大正、昭和、そして、平成から令和へと四世代に亘り時代を乗り越えてきた和菓子屋です。





三春城下 市の神様 「市神様」
大町の鳥文肉屋の裏庭に市神様の祠が鎮座されています。

三春城下各町での市「七拾二市」(往古は六斉の市と称した)が隆盛になり市の繁栄を祈願する村人の心の結集が戎神の奉斎となったものでしょう。

この市神様は、市神の総本社である摂津西宮(西宮市)の蛭児(恵比寿)様、いわゆる「お西さん」(現西宮神社)より分霊を受け当地に勧請鎮座せられたと考えられ、俗称いわゆる戎神とはこの蛭子命であり、由来商業の神として市の立つ日には商人の参拝が絶えなかったといわれています。

尚、三春城下の市日は、享保二十年の「所々市日之覚」によれば、

大町(二日)、新町(七日)、八幡町(十二日)、荒町(十七日)、中町(二十二日)、北町(二十七日)

各町で、二日と七日に「市の日」があったと記されています。

どの町内でも、月に一回市が立ち、近郷近在の方々で盛況だったことが覗えます。

また、新町の競り市場にも一の開催される日にはこの仮小屋が設置されています
 
各市の会場には「市神様」の御仮屋に恵比寿様を祀り、市の無事と盛況を祈願していたようです。

大町の市では、四筋制札場へ一間四方の仮殿を作り、伊勢皇太神宮御玉串を奉安置するもので、正月十二日が例祭日でした。

後この御仮屋の社は大町小若連の御神輿として祭礼に担がれていました。

 
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:00 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::メディアで紹介されました |
「中妻の歴史」中妻生涯学習「すずらん学級」講話会    三春昭進堂 髙橋龍一 於さくら湖自然観察ステーション  R4.6.23 



「中妻の歴史」中妻生涯学習「すずらん学級」講話会    三春昭進堂 髙橋龍一

於さくら湖自然観察ステーション  R4.6.23 

三春城下商人の先人から「地域貢献」そして文化の担い手として民度の向上を教えられています。

「商品を売るのは当たり前ですが、目先の利益だけではない地域文化の向上、そして地域住民のお役に立たなければならいという指針が示され、まさに商いは、売り手と買い手だけでなく、その商いが社会全体の幸福につながるものでなければならないという商人の理念である「三方よし」の考え方を教わっています。

塵壺を発行しているという因縁もあってか歴史勉強会の講師をいえあいされることがあります。
ご縁もあり、今回はコロナ禍でのびのびとなっていた「中妻生涯学習スズラン学級」様、約40名の方々の勉強会で「中妻の歴史」という題でお話をさせていただきました。







中妻の歴史
                       

はじめに

テレビ出演・KFB福島放送「シェア」ふるさとリポーター 5週間に一回くらい

県内59市町村の中の一人 三春は紹介するところは豊富

小さい町だからすぐに目立つ メディアが拾ってくれる



伊勢参り 朝熊永松寺 高乾院殿 安倍實季入道 片山殿、娘のお千世方
中村寛亭 藩士 「御代参日誌」江戸末期の天保五年(1835)、早春から初夏にかけて行った“伊勢神宮参詣”の道中記




 三春昭進堂の髙橋 四代目 セリ場の横 おタリさんのおたりまんじゅう 
込木柳作 明治の終わりごろ 当初「おタリさんゲ」昭進堂は対象に入ってから命名



歴史への興味 

学校の先生からの^三春藩裏切り

三春と云えなかった自分 高校生

商売柄全国の経営者と話す機会 お国自慢




塵壺 毎月一万五千部発行 三春・船引・常葉・中田・西田・白岩
三春に来ていただきたい 当店だけではなく
経費やリスクが支店を出すより低い
平成3年3月~令和4年6月で3371号 約30年 手配200平成7年より新聞折込
令和版「三春城下絵図・三春物見遊山」・お菓子の紹介が3割、三春7割
三春昭進堂ホームページ お菓子0.5%、95%は三春




三春田村家三代 

義顕・隆顕・清顕 (愛姫父) 伊達政宗 田村大元神社宿所
10万石(郡山、岩瀬含)

・南朝忠臣 橋本一族 大神宮橋本神社 苗字 

・三春秋田氏 安倍・安東家

田村麻呂 阿弖流為 京都・清水寺「田村堂」

奥州藤原氏 清原家末 平泉金色堂 ジパング(黄金の国) 対源氏義経を匿う

・鎌倉時代・蝦夷探題 元寇・神風 ヒバの木造船

 安藤水軍 倭寇 東南アジア沿岸に日本人街 インド洋 ペルシャ湾

 十三湊 外国大使館 貿易 津波で壊滅 発掘調査


関ケ原の合戦後・宍戸五万に減封  水軍を取り上げ常陸宍戸へ 不満噴出   本来なら切腹・お家取り潰し=回避

旧管領細川氏娘が正室・家光の又従妹・強力な水軍? 

秋田城介官位から秋田氏

 生駒實季 伊勢朝熊隠居(永松寺)へ片山殿、娘のお千世方を連れて 

伊勢名物 和漢胃腸薬「秋田教方中倉萬金丹」

実季の長男 秋田俊季公  水戸藩徳川創設に伴い 三春(米が安い)へ 移封願い






鷹巣

・石の宮様 大元師明王 
大元帥明王の勧請は、平安時代となる弘仁十己亥年(819年)2月25日、磐城守山山中村(現郡山市田村町守山町山中)より奉還し、同社神主の柳沼市太夫神が神職として勤仕したと記されています。その後、応仁の乱後の室町時代となる文明17巳年(1485)、舊(旧)記山中村神主柳沼玄蕃、神人柳沼山ノ守、同民部代則、祭礼には鷹巣村近郷より寄付方控左書を綴奉するとの記載もありました。

・五龍神社(五龍大権現)

 鎮守府将軍陸奥守八幡太郎源義家公の奥州東征の折に、源氏の家臣鎌倉権五郎景政の休息した處ということで村人がその由緒をお祭りして「五郎権現」として祀ります。後に別当等が「五龍」と改め「五龍大権現」としました。







鷹巣鎮守「八雲神社」の由来は、瀬山にあった天正16年(1588)勧請の牛頭天王を、明治初期に廃仏毀釈神仏離反の命により、祭神を「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」、神社名を「八雲神社」と改めこの地に移したもので、鷹巣地区の総鎮守となっています。

戦国時代の三春城主田村家重臣、鷹巣七竈の首長と云われた橋本刑部左衛門貞綱が、尾州津島から勧請したと伝えられている「牛頭天王」
・田村大和は、鷹巣の修験・威徳院賢晃を改名した名前で、後に田村清見と再度改め初代鷹巣小学校の校長となった方で、鷹林和泉は二代目の校長です。



・宇賀神様 稲荷神社 宇賀玉(神楽)栗原新田秋田藩政下 新田開発

鎌倉銭洗弁財天・上野不忍池弁財天 弁天様の頭に鎮座 金運上昇・芸能上達


・橋本正吉様 「田村の庄」鷹巣の歴史 鷹巣の諸家由来や継承をまとめた力作
中妻小学校・三春中学校・県立図書館・国会図書館・三春町図書館・歴史民俗資料館へ寄贈

俳句の会(民度の高さの証)生活・文化レベルの高さ







・薬師寺 法相宗徳一和尚。

全国の有名寺社の6割、徳一弘法大師、坂上田村麻呂 大同年間(平安時代初期・806-810)
薬師寺のご本尊は、木造阿弥陀如来聖衆来迎像。

創建時は独尊であったと思われますが、阿弥陀二十五菩薩来迎像と呼ばれ阿弥陀如来の周囲に二十五菩薩が配置され、雲上に聖聚を従えて往生者を迎える様を描写した彫刻仏像です。この様式の仏画は多数みられますが、木造は大変珍しいものです。



沼澤地区

・沼沢子安薬師如来堂  徳一由来の創建 光明寺

会津慧日寺 閼伽井(赤井)岳薬師如来 波立薬師堂 

戦国田村氏要害、田村四十八舘沼沢舘にある光明寺は、舘主沼沢孫兵衛の屋敷跡と伝えられています。
江戸期には真言宗修験の守山大元帥明王別当師継院末寺と記録されています。

近代の明治の初めには中妻小学校の前進となる、達材小学校(後に沼沢小学校に改称)が設立されます。



・春日神社 境内末社の疱瘡神に奉納した相撲は近年まで続き、今も土俵の跡が残る

・沼沢往来 遠藤様 清水田様



斎藤地区

斉藤村社「三渡権現」 宝亀二年(771年)、土地の豪族、伊藤氏の遠祖藤原頼豊が、松樹山と呼ばれる現地に勧請したと伝えられています。
平安期に創られた古社として古い行事を今に伝えています。

祭神は天弁羅雲命で夏季祭礼には「お湯立て」の神事が行われます。

また、神楽・奉納される太々神楽は古式をとどめる出雲流で町の無形民俗文化財に指定されています。  



・安養寺、

寛永二年、三春城下大町にある浄土宗紫雲寺方丈の隠居寺として、良編岌誉上人により開山された小さなお堂で、御本尊は、如意輪観音で、三十三観音、子安観音、三光地蔵
尊を祀っています。

また、案内板には、その昔の縁日には説法会が開かれ、浄土宗ということもあり、町人が近郷近在の参拝者で賑わい茶店が軒を連ねたと云われます。


・月見崎には三春城主田村氏の重臣,田村四十八館の一つ松樹山上館主の斉藤大善の軍中勝利を祈願して、嫡子藤原頼位が建立した妙見様と呼ばれる、松樹神社があり、近くには五輪塔がありますが、その案内板には松樹山上館主の墓と思われるとありました。
 






西方地区

・霧の城 西方舘 千葉氏

・「西方不動堂」は「おてはんにゃ様」と呼ばれ、旧歴三月十五日の祭礼には「般若経」六百巻が転読され、参拝の村人の額には墨の角印を押してもらい無病息災を祈願します。

・「乳付け観音」と呼ばれる馬頭観音堂も鎮座しています。この観音様は「馬産安全」「子孫繁栄」に霊験あらたかで、田村地方では小野の東堂山と並んで信仰され、かつての祭礼は旧三月十七日で、西方の各戸では、団子を持参して参拝者に「団子撒き」をしていました。
 笹を浸して神前に供えておき、参拝者にこの笹と、小さな板に馬の走る焼き印を押して配り、馬が丈夫に育つようにと、たてがみに結んでいたとされています。
堂の内外には江戸期三春の馬画名匠と云われた徳山研山の書かれた大絵馬をはじめ四十六面の親子絵馬が奉納されています。


 毎年元旦に同地区で開催される、「西方水かけまつり」

 塩釜神社で、子孫繁栄と五穀豊穣祈願のため、三百年余りの伝統を持つ小正月の行事で、以前は小正月の十五日に行われていましたが、現在は正月元旦に行われています。
 前祝いの酒宴がもたれ、頃合いを見て全員がまわし一つの裸となり、村を流れる大滝根川に入って禊ぎをします。続いて一同うち揃って塩釜神社に参拝し、一気に行井戸にかけおりると、地区内の田んぼに入り桶やバケツで泥水を掻け合います。
古老の説明によれば、西方城主千葉紀伊守が、配下の与力や領民の士気を鼓舞するために始めた祭事といわれています。

もう一説には、村に疫病が流行ったとき、水場(行井戸)から霧が 立ち上り、まもなく疫病が治まります。一村全滅にもなりかねなかった疫病が、霧のごとく消滅したことを村民皆で喜び「これは西方鎮守塩釜神社神霊の加護に相違ない」と、村民が「水祝いの行事」で水垢離(みずごり)をとって御礼参りをしたことに始まったと言われています。


「中妻文化財を守る会」の方々が、地区にある史跡を後世に伝えようと立てているもので、中妻地区住民の地元に対する想いには、頭が下がります。








おわりに

故郷の歴史を知るということ 自分自身の足元を見る、自分自身を見る「照顧却下」

昨今、子供の中で「自己肯定」する割合が低いとされていますが、このような三春のお話をすることによって三春に興味を持ってもらいそれらを自身につなげてもらえればいいなあと考えています。

是非、家に帰ったら子供さん、そしてお孫さんに対してこういうお話をしていただいて、三春で生まれたこと、三春に縁がある事を通じて「どこに行ってもどんな状況でも、自分自身を見失わない」「三春に生まれたことを誇れる」という自身の自己肯定を以て、成長の過程に少しでも寄与していただければと考えています。

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」 




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |
「三春歴代藩主と化け猫騒動」生涯学習支援ボランティア会講話 於ライスレイクの家  R4.6.21                         三春昭進堂 髙橋龍一




生涯学習支援ボランティア会講話 於ライスレイクの家  R4.6.21 

                       三春昭進堂 髙橋龍一


三春歴代藩主と化け猫騒動


はじめに

テレビ出演・KFB福島放送「シェア」ふるさとリポーター 5週間に一回くらい
県内59市町村の中の一人 三春は紹介するところは豊富
小さい町だからすぐに目立つ メディアが拾ってくれる



伊勢参り 

朝熊永松寺 高乾院殿 安倍實季入道 片山殿、娘のお千世方
中村寛亭 藩士 「御代参日誌」江戸末期の天保五年(1835)、早春から初夏にかけて行った“伊勢神宮参詣”の道中記


 三春昭進堂の髙橋 四代目 セリ場の横 おタリさんのおたりまんじゅう 
込木柳作 明治の終わりごろ 当初「おタリさんゲ」昭進堂は対象に入ってから命名








歴史への興味 

学校の先生からの^三春藩裏切り
三春と云えなかった自分 高校生
商売柄全国の経営者と話す機会 お国自慢



塵壺 
毎月一万五千部発行 三春・船引・常葉・中田・西田・白岩
三春に来ていただきたい 当店だけではなく
経費やリスクが支店を出すより低い
平成3年3月~令和4年6月で3371号 約30年 手配200平成7年より新聞折込



令和版「三春城下絵図・三春物見遊山」・お菓子の紹介が3割、三春7割

三春昭進堂ホームページ お菓子0.5%、95%は三春





三春田村家三代

 義顕・隆顕・清顕 (愛姫父)10万石(郡山、岩瀬含)
 伊達政宗 田村大元神社宿所
磐城国の由来 御城山掘削(地デジアンテナ工事)
・田村麻呂の末裔 平氏三春田村氏 藤原田村荘司田村氏 
・守山から田村大元神社 田村氏のお城・菩提寺福聚寺は日和田八丁目 
・阿武隈川東岸 本拠地 日和田・西田・阿久津・田村町・守山(江戸期守山藩領)
・南朝忠臣 橋本一族 大神宮橋本神社 苗字 
清顕急死 生首が飛ぶ 卯の刻参り女の殺害 



田丸具直 

天正19年(1591年)会津若松城主 蒲生氏郷の奉行人、与力。
・須賀川より、三春城代として入府
・関ヶ原の合戦前後 上杉景勝郡代を経て、蒲生源左衛門・蒲生五郎兵衛
(会津蒲生秀行家臣)・・・近代・三春城築城及び城下町創設 約40年



 加藤明利

 寛永四年(1627年) 豊臣秀吉恩顧、会津藩主加藤嘉明の三男。
・三万石にて入府。

 松下長綱

 寛永5年(1628年)豊臣秀吉恩顧、三万石にて二本松より転封。
・豊臣秀吉旧主松下松下加兵衛之綱の孫  約15年
・墓所   曹洞宗 天翁山州伝寺(前住太地玄亀老師)
・生母墓所 浄土宗 引接山光岩寺
・ 近代三春城下町の整備(現六町制)
・ 乱心を理由に徳川幕府により改易 御城受け取り 籠城討ち死・切腹・恭順
二本松・相馬・白川・会津藩城受け取り



三春秋田氏 

安倍・安東家 秋田俊季 水戸藩徳川創設に伴い 三春(米が安い)へ 移封願い

正保二年(1645年) 蝦夷探題・日ノ本将軍末裔安倍姓安東秋田家。

田村麻呂 阿弖流為 清水寺田村堂 アテルイ供養

安倍氏 安倍貞任 安倍首相先祖西へ 残留安東氏 

 平安末期大和朝廷 源義家 前九年の役 後三年

奥州藤原三代氏 安東氏縁・清原家 平泉金色堂 ジパング(黄金の国)  鎌倉初期対源氏義経を匿う







安東氏  

 蝦夷探題 元寇・神風 ヒバの木造船

 安藤水軍 倭寇 東南アジア沿岸に日本人街 インド洋 ペルシャ湾

 十三湊 外国大使館 貿易 津波で壊滅 発掘調査

安東氏・湊氏  浪岡氏(青森浪岡町 北畠親房・顕家末)


・安東實季 関ケ原までは、出羽国秋田湊城主

妻・五か国管領細川昭元の娘・円光院(織田信長妹お犬の娘)

徳川三代家光の又従妹 吉兆細川家 細川護熙分家

応仁の乱 京都市内 東軍大将細川勝元 西軍 山名宗全 西陣由来 

若狭国小浜の羽賀寺建立 安藤水軍寄港地縁  

宍戸五万に減封  水軍を取り上げ常陸宍戸へ 不満噴出   本来なら切腹・お家取り潰し=回避

旧管領細川氏娘正室・家光の又従妹・強力な水軍? 

秋田城介官位から 生駒實季 伊勢朝熊隠居(永松寺)へ片山殿、娘のお千世方を連れて
 


隣接する常陸笠間藩主が忠臣蔵でお馴染みの播磨赤穂藩主浅野家

小野寺氏、大高氏、不破氏等々…三春宍戸由来家臣の親戚

※赤穂浪士で有名な浅野内匠頭長矩(ながのり)が切腹した一関藩江戸屋敷(藩主田村建顕)というのも三春縁になります。

※安政7年(1860年)に水戸藩浪士らによって大老・井伊直弼が暗殺された、あの「桜田門外の変」三春藩は江戸詰御用人小野寺舎人を番頭として「外桜田門御番所御当番」の役職にあり、「内桜田門」は「桔梗門」のことでその警備を任されていました。

秋田家文書「桜田門勤務心得」「桜田御番所御当番火事行列帳」(元文四年未六月)「外桜田御門番所御出馬行列帳」(寛保元年酉四月)三春藩江戸定府公役には桜田門警備記載
 
また、「桜田門外の変」の水戸浪士の参謀役と言われている人物に、元三春藩士の小野寺慵斎(ヨウサイ)がいます。



伊勢名物 和漢胃腸薬『秋田教方中倉萬金丹』

『三重県薬業史』によれば、山麓の朝熊村から出る「秋田教方中倉萬金丹」

実季の長男 秋田俊季公 母である「円光院」は「織田信長」の孫にあたり、2代将軍「徳川秀忠」夫人の従姉妹でもありました。 




日之本将軍(ひのもとしょうぐん)

北日本・津軽・北海道・千島にまたがる蝦夷の地。この一帯を蝦夷管領として支配下に置いたのが“日之本将軍”と称された安東(あんどう)氏でした。

東日流(津軽)十三湊(つがるとさみなと 青森県五所川原市十三湖の辺り)を中心に、北方の文物の交易で大いに栄えたため、「日之本将軍」などと言う大層な名前で呼ばれました。



「正徳・享保事件」お家騒動 化け猫騒動の発端

江戸期の三春藩秋田藩政時代に起きた藩主後継者問題による御家騒動。

 家老荒木玄蕃(輝季妹の夫)や、輝季公後妻の実家である佐塚氏が、藩重臣による権力争を憂い藩政の実権を握ろうとして、3代藩主輝季公の嫡男である広季を廃嫡して、代わ
りに荒木氏から旗本秋田氏に養子に入っていた頼季が藩主の座に就きました。

この結果、広季(就季に改名)は45歳で亡くなり、代わりに荒木高村の子である頼季が藩主となり、三春藩の実権は荒木氏と佐塚氏に握られます。

 このことに不満を持つ三春藩重臣達と荒木・佐塚氏との争いから、三春藩に於ける藩政の争いと発展し、さらには、徳川幕府譜代幕閣の老中抗争の先端的様相を呈しはじめ、またその波及は藩内の秋田由来の家臣団と、宍戸由来の家臣団の権力争いも加わり、上は幕府閣僚から町方までに及ぶ“お家騒動”の事件となりました。


 幕閣での政争の末に徳川8代将軍徳川吉宗公が介入して裁断を下し、頼季の子である治季(後に延季に改名)を5代藩主に据えて、藩主頼季の閉門、家老荒木玄蕃の蟄居等、多数の犠牲者をだして終幕しました。



「腹切り梅」

亡くなった広季の守役だった滋野多兵衛は責めを負い切腹を申し渡されます。

その切腹場の紫雲寺に現れた滋野の飼い猫。滋野は「主人の代わりに怨霊となり、この恨みを晴らせ」と言い残し猫の首を斬り自らも切腹して果てます。その血に染められた傍らにあった白梅は、以来紅梅になったという。

滋野は事前に妻子を離縁、るいの及ぶのを防ぐ。 妻墓所岩代に在りという

天明の凶作や天明5年の大火による城下町の焼失後も猫(滋野)の怨霊に夜毎苦しめられた三春藩4代藩主頼季の孫である7代藩主倩季公が、この木像の胎内に滋野多兵衛の位牌を入れて祈願所である真照寺に納めて、その怨霊を鎮めたと伝わる木像です。
 この弘法大師と興教両大師木像は、木像安置の70年前に起こった「正徳・享保事件」そして「腹切り梅」「三春化け猫騒動」と呼ばれる、三春に伝わる古い伝説が付随しています。



化け猫騒動

家老の荒木氏が娘を化け猫騒動関連の三春城下大火の際に、城下を焼き尽くしお城も焼け落ちた壊滅的な被害を受けますが、真照寺門前で消火の陣頭指揮の為に出坐した殿様を追うように延焼した火炎が収まった

本堂の中には、化け猫騒動、天明大火後、時の藩主秋田千季公が納めた弘法・興教大師像があります、これは、夜毎、猫の怨霊にうなされた千季公が、その霊を鎮めるために納めたもので、中に腹切梅の滋野多兵衛の位牌が納められている


滋野の腹切梅の事件後、荒木玄蕃や藩主頼季の夢枕に毎夜猫の怨霊が現れるようになったと言うもので、以来、三春城下の大火の度に猫の怨霊が火を点けてながら駆け回ったという話が広まり、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。



「猫冢(塚)」化け猫伝説の証明

御城坂にある家老屋敷跡から「猫冢(塚)」が発見されました。

旧三春藩秋田家上席宿老(家老)山舘秋田氏の家老屋敷跡の庭

お城側の土手の雑木を伐採中に、紅枝垂れ櫻の根本付近から出土したということです。

その中心人物の別格家老荒木玄蕃。

•化け猫騒動として三春城下が大火災に見舞われ御城まで消失します。

•大雨の影響で荒木屋敷が土砂崩れで崩壊し多数の死者を出します。

この枝垂れ桜は樹齢200年以上です。


又、枝垂れ桜は土砂崩れ防止にために植樹したと考えると、その樹下に猫冢を置くというのは、何か因縁めいたものを感じます。



主夜神(しらしん) 夜神

三春城御花畑にあったという「主夜神」紫雲寺山内にもあったと記録に在ります。

主夜神は、「婆珊婆演底主夜神(ばさんばえんていしゅやじん)」として、「華厳経入法界品」に記されています。
恐怖の厄を免れさせて安隠を与へるなど、古くからすべての衆生を救護する神とされ「主夜」から「守夜」と転じて、夜を守る神として崇められ、盗難や火災などを防いでくれる大変なご利益をもつ神様であるとされています。

夜を守る神と、闇夜に眼を光らせる猫がむすびつき、主夜神は古くから猫、とりわけ黒い猫が御使いであるとされています。

この辺にも「三春城下化け猫伝説」との何かしらの因果が見えてきます。









おわりに

故郷の歴史を知るということ 自分自身の足元を見る、自分自身を見る「照顧却下」

昨今、子供の中で「自己肯定」する割合が低いとされていますが、このような三春のお話をすることによって三春に興味を持ってもらいそれらを自身につなげてもらえればいいなあと考えています。

是非、家に帰ったら子供さん、そしてお孫さんに対してこういうお話をしていただいて、三春で生まれたこと、三春に縁がある事を通じて「どこに行ってもどんな状況でも、自分自身を見失わない」「三春に生まれたことを誇れる」という自身の自己肯定を以て、成長の過程に少しでも寄与していただければと考えています。

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」 




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:21 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |
kfb福島放送「シェア」故郷リポーター6月13日の月曜日午後4時15分ごろからオンエア







先ごろ、高屋敷稲荷神社さまのお田植え祭が挙行されました。


尚、この模様は、私が三春担当をしていますkfb福島放送「シェア」故郷リポーターにて6月13日の月曜日午後4時15分ごろからオンエアされる予定です💕


お楽しみに!






今回は、郡山市舞木町にある「高屋敷稲荷神社」宮司 と「御田植祭(おたうえさい)」をご紹介します。







五穀豊穣、商売繁盛祈願!


・宮司 鈴木廣一

・禰宜 鈴木健史(たけし)神事の際の司会進行・龍笛・朝日舞奉納

高屋敷稲荷神社 郡山市白岩町字高屋敷277-2 tel 024-943-6396

明治維新より昭和30年代の町村合併まで三春町岩江村だったということで今でも三春の方々には「舞木の稲しゃま(もうぎのいなっしゃま)」と親しまれています。

さらには、県中地区にあたる仙道(現郡山市・須賀川市岩瀬村・田村市・三春町)の方々には「五穀豊穣」そして「商売繁盛」の神様としてご利益があり、舞地に大勢の方々は参拝
に訪れる大変賑わっている神社様です。


週末には県外からも多数の参詣があります。







大勢の方々が奉納された「紅い鳥居」が多数建立されている景観も圧巻で、近年ではインンスタ映えする神社として人気もあります。

また、社務所裏手にある「御神石(ごしんせき)」は、パワーポットとして毎日大勢の方々がそのパワーを頂戴したいと直接巨石に触れてそのパワーを貰っていきます。

手に触れる時間はその人にもよりますが数秒から数分、長い方は10分くらいは両手で触れているようです。






http://otarimanjyu.com/blog/index.php?e=4308

・「高屋敷稲荷神社」
高屋敷稲荷神社の赤い鳥居。田植え直後の田圃の水面に赤が映えています。
この時期しか見ることが出来ない逆さ鳥居が⛩見れます。







【高屋敷稲荷神社】は、福島県の中央に位置する郡山市にある神社です。

参道の朱鳥居は崇敬者の方々の祈願成就と神恩感謝により奉納いただいた≪奉納鳥居≫です。現在、鳥居は約100基ですが、戦前は約4,000基もの鳥居が舞木駅(もうぎえき)まで連なっておりました。拝殿までの石段を登りきって見る景色は壮観です。






・令和四年度「御田植祭(おたうえさい)」
本年度のお田植祭ですが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、規模を縮小して斎行致します。

拝殿で祝詞を奏上申し上げた後、神饌田に移動、斎苗を植え付けます。

初めての参列でしたが神事の際に代表玉串奉奠(だいひょうたまぐしほうてん)を勤めさせていただきました。





・「御神石」

昭和9年に現拝殿が造営されるまでご神石のところにお社があったとされ、古くから磐座(いわくら:神様がいる場所を称える語)としてお参りされてきました。


江戸に創建されて以来、明治、大正、昭和、平成、そして令和を迎えた現代でも多くの方にお参りいただいているところに神様のお働きの強さを感じる今日この頃です。

社務所山側にあり、少しわかりにくいかもしれませんが、どうぞご参拝ください。





・かわいい烏骨鶏たちのお出迎え








・高屋敷稲荷神社境内整備

御田植祭に間に合うように工事を進めてきました。

境内のある稲荷山の麓に巨石群を設えました。


私、髙橋の妹みたいな三春磐梯造園代表で女性庭師橋本瞳氏による作庭です。




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お下がりの神饌赤米と赤米シホンケーキ!







#高屋敷稲荷神社 #お田植え祭






三春城下 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::メディアで紹介されました |
KFB福島放送 シェア第二部 「あばれる君の熱血まち自慢!」 in 三春 削蹄師修行 目黒削蹄所




KFB福島放送 シェア第二部 「あばれる君の熱血まち自慢!」 in 三春 削蹄師修行 目黒削蹄所


KFB福島放送シェア県民リポーター三春担当の私の処へ今回のお話が来た時に一番最初の頭に浮かんだのが目黒君でした!


私の感に狂いはありませんでした。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 20:22 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::メディアで紹介されました |
KFB福島放送 シェア第二部 「あばれる君の熱血まち自慢!」 in 三春 馬場の湯温泉「三ッ美屋旅館・若女将体験編」



KFB福島放送 シェア第二部

「あばれる君の熱血まち自慢!」 in 三春 馬場の湯温泉「三ッ美屋旅館・若女将体験編」


ちび女将がいい仕事してくれています!

若女将のコメントに感動、そして、イカツイ男は・・・・?



| ryuichi | 19:07 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::メディアで紹介されました |
28年目の結婚記念日




お陰様で28回年目の結婚記念日を迎えることができました。

これもひとえに、女房殿のお陰だと思っています。


心より感謝しています。

結婚したのは阪神大震災の年でした。


アッというあの28年でした。








夫婦二人三脚という言葉がございますが、文字通り三春昭進堂を夫婦二人で切り盛りしてきました。

スタッフも1人から3人に増え、季節アルバイトは2人へと経営基盤を固めて来ました。


サラリーマンの家庭で育った妻は、妻として、二人の男の子を持つ母として、女将として、私共々三春昭進堂の大黒柱として支えてくれています。

数字に表せ切れないと思いますが、食事も1年365日、一日三食の28年分の外食も入れて9掛けにしても24637食、洗濯も家族分で一日2回だとしたらざっと18250回でしょうか・・・。

頭が上がりません。

そして〜仕事です。

女将として店頭販売から製造、経理~ 本当にお疲れ様です。

子供の世話も加味されると〜〜

感謝の言葉しか出てまいりません







また、昭進堂の古いジンクスやしがらみをすべて改善・改修しながら、新しい三春昭進堂の親戚付き合いも含めた歴史ともいうべきストーリーを歩いてきました。


結婚以来、毎朝、私の大好きな豆を挽いて入れてくれるコーヒー ・・



ありがとう💖~そして、今後ともよろしく~









あとは、本当の孫を待つばかりです。




I love you,OK ?

この世界に たった一人のおまえに 俺の愛のすべてを捧げる

抱きしめればせつなくなる 俺のこの腕でいつも幸せにしたい

I love you,OK

振り返れば 長くつらい道も お前だけをささえに歩いた

窓辺にともる灯りのように 俺のこの胸にいつもお前が燃えてる

求め合って生きていたい この世界のすべてが闇に消えても

I love you,OK!

見つめ合えば ただそれだけで解る 誓い合った言葉は

I love you

I love you,OK  矢沢永吉






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 13:44 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::三春昭進堂雑記 |