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保育園の子供たちのお買い物体験です💕 2023




可愛らしい小さなお客様に御来店いただきました。


保育園の子供たちのお買い物体験です💕






扉を全開しアルコール消毒して、ソーシャルディスタンスの確保ということで入店は4人ずつ。

合計20数名の御来店です。



引率の保育士、そして保護者の方にはお疲れ様でした。







毎度ありがとうございます😊


またのご来店をお待ちしています。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:55 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 学校支援 |
「三春大神宮秋季例大祭 神輿渡還御について」 2023.10  三春昭進堂主人 髙橋 龍一





「三春大神宮秋季例大祭 神輿渡還御」 2023.10
                    
 三春昭進堂主人 髙橋 龍一


三春大神宮由来について

 三春神明宮・天照御霊神社(三春大神宮)は、江戸中期の元禄二年、三春藩三代藩主秋田輝季公が、母正寿院が信仰する神明宮を貝山岩田より現在の地、神垣山に還宮して三春藩社としました。その遷宮を祝して藩主一門や藩老臣たちが奉納した古絵馬が現存しています。

以来、歴代藩主の信仰厚く、藩役職に神明奉行と下役を置き、参勤交代の行帰時の参拝や、在城中の正月参拝、湯立て行事による年占い行事の差し出しなどが行われ、また家中はもちろん、御城下町人、貝山村人などの信仰を集めました。

江戸期秋田藩政の三春総出の祭礼は現在の三春大神宮ではなく、三春秋田家五万石総鎮守大元師明王社(現田村大元神社)でしたが、戊辰の役により徳川幕府が崩れ去り、明治維新、廃藩置県、廃仏毀釈という歴史の転換期の中で、三春の祭礼も大変革を成しました。


明治維新後は、明治新政府の布令により、三春藩庁は明治四年に三春藩との係わりや仏教色の濃い大元師明王社を取り止め、天照皇大御神・豊宇毘売大神を祀る三春神明宮を伊勢神宮と祭主が同じとして、三春領内の鎮守として現在の三春大神宮例大祭の原型が創られました(縣社格取得は明治三十二年)。








三春大神宮神輿渡御について

三春大神宮としての祭礼は、明治四年の三春藩庁の布令により、旧領内総鎮守大元帥明王社の祭礼を模して、祭事用具(御神体神輿以外)を引き継ぎ、旧暦の九月十五日から十七日を祭日として挙行されたのが始まりとされています。(三春町史3近代1参照)


当時の祭礼、御神輿渡御は、藩政時代の大元師明王社を模して挙行され、三春領内(現田村郡全域と郡山の一部)の三十三郷が、頭屋制を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。

その祭礼行列も三日間を掛け三春旧町内を渡御し、近隣より、大勢の祭り見物のお客さんが三春を訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。       


その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(荒町八雲天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納したと言います。




戦前の田村大元神社長獅子



長獅子奉納について

先祓いを勤める長獅子は、荒町天王様の「荒獅子」が勤めていましたが、明治初年に大元師明王社の祭礼でいざこざを起こし、奉納取り止めになったのをきっかけに、新町と八幡町の若衆が、荒獅子を真似て長獅子を造り、それぞれ新町では田村大元神社、八幡町では八幡神社で奉納するようになります。

それに伴って三春大神宮の祭礼でも、荒町・新町・八幡町の順番にて三年交代での奉納が決まりましたが、初めての八幡町長獅子の当番時に、神社総代とイザコザを起こし、それから現在の荒町・新町の長獅子による、隔年交代となりました。







満州事変、日中戦争など大東亜戦争への不穏な足音が聞こえる、昭和の初め頃に、大日本帝国内務省、「神祇院」による「官幣社」「国幣社」からの国家神道による国民精神教化と思想統制が行われたことや、凶作が続き、世界的な恐慌の煽りを受け、三春の経済も昭和恐慌と呼ばれる停滞期を迎え、大東亜戦争勃発にともない出征軍人の壮行会や、戦勝祈願が盛んになり祭礼自体は、縮小傾向になり、そして戦争中期以降は中止になりました。


j大東亜戦争敗戦後、占領軍司令部GHQの神道司令により、神社は国家管理を離され、神社本庁がこれを統率するようになりました。

これにより、大正期から軍部により歪められていた、日本国民と神道・神社との係わりが見直され、「神祇院」「国弊社」など国家神道・神社運営の解体にともなって、三春大神宮の祭事が禁止され、祭礼も中途絶えていましたが、GHQの命令(昭和20年代初め)によって、国有地であった神社境内地の払い下げを三春町が受けたのを期に、三春大神宮祭礼復興兆しが見え始め(昭和30年代)、十月一日から三日を祭礼として、経済復興に伴って馬場尼ヶ谷の宮下子供神輿が供奉するようになると各字でも子供神輿の奉納が自然増殖的に始まりました。



三匹獅子は、大元帥明王社の三匹獅子が勤め上げ、その歴史は古く、神明宮遷宮時より、御神輿に供奉していましたが、太平洋戦争末期の祭礼中止により取り止めになりました。






各字奉納山車、花車、太鼓台について

各字よりの御神輿渡行・還御の供奉に付いては、江戸期は、田村大元帥明王社祭礼の時は、各町内の町役員が裃姿で高張り堤燈を持って供奉し、踊りの組が随伴していましたが、明治中ごろからは、各字役員と各字隣組組長も、堤燈持参で行列に加わり、それに付随して、商人の街である、中町・大町・北町・新町の山車が随行したと考えられます。

明治末より昭和初期にかけて、三春では、繭・葉煙草や農耕・軍による三春産馬などの売買が盛んになり、その好景気で、中町・大町・北町・新町等の大店が店を構えて羽振りを利かせ、多額のご祝儀、篤志寄付により、商人街の各字では、競い合うように舞台を兼ねた大型の山車が作られ、祭礼への奉納になったと聞き及んでいます。


また、各字若連では、山車の舞台の高さを大店の二階に合わせて建造して、渡り芸人を招いて芸を披露したり、芸者を引き連れて興行となり、多額のご祝儀を出す大店では、二階の座敷にお客さんを招き、座敷前に曳航した山車の繰り出す演目を観覧しました。


この頃の三春の祭礼は、県内でも有数の華やかな賑わいで、その祭礼を一目見ようと、近郷近在より大勢の祭り見物客が三春に来町したと言われます。



各字神輿奉納について






大人神輿の若連会は、それまで各町内にあった山車が、老朽化と道路舗装に伴う事故のために奉納が取りやめになっていましたが、昭和30年代から昭和40年代の初めにかけての日本経済の高度成長期と重なって、各字で若連会が再組織されて御神輿還御の時に、各若連の樽神輿の奉納を行ったのではないかと考えられます。


現在は、体育の日の直前土日を祭礼として挙行され、最終日には長獅子(荒町・新町隔年交代)を先祓いに御神輿渡行が行われています。

還御も長獅子の担当と同じくして、荒町御出立と新町御出立で隔年交代で行われ、青白天狗・長獅子・御神輿・赤天狗・宮司神官・神社総代、各町神社総代・各字委員が続き・宮下小若連を先頭にして、八町の子供神輿と・六基の大人神輿、そして四基の花車太鼓台が御神輿還御に供奉されています。





以上・三春大神宮例大祭の遍歴を、三春町史参照と、各字長老の方々より聞き取りにより書き留めましたが、明治35年9月の三春大神宮裏山土砂崩れで、資料となる多くの文献が土砂に流され紛失した事と、戦前の大日本帝国軍部による神道国家路線による神社統制が三春大神宮では顕著だった為に、敗戦後資料の処分が多分に行われたことが想像され、現存する資料が少ないのが現状です。
       






高橋哲夫著「河野広中小伝」の冒頭に、「戊辰戦争の直前、町の祭礼の時に、大町組山車と新町組山車との争いにおどり出て、あわや刃傷沙汰になろうとしたが、兄広胖が駆けつけようやく事なきを得た。」という話が記述されていますが、田村大元帥明王社の祭礼のことです。






| ryuichi | 03:53 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 歴史講話 |
新町睦会 花車と樽神輿奉納  旧三春藩総社三春大神宮秋季例大祭




旧三春藩総社三春大神宮秋季例大祭

新町睦会 花車と樽神輿奉納






この樽神輿は、長獅子との隔年奉になります。
昭和50年代初頭に、長獅子の無い年に奉納しようと、田村大元神社別火講中の有志で作られ、紆余曲折しながら平成5年に新町睦会として整備されました。



花車は、30年前に復元しました。

昭和30年に、一度だけ奉納した旧新町太鼓山車で、田村太元神社の縁の下に70年間眠っていました。




彫り物は、盆太鼓櫓や随神門下などに、分散して保管してありました。

恵比寿さまや、鶴に亀など祝いの彫り物があります。

明治所用に解体された旧三春藩内総鎮守「大元帥明王社」の遺構と考えられています。


その後、明治後期に作られた新町大太鼓舞台「花車」へ受け継がれ、現在に至ります。




| ryuichi | 04:08 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::地域貢献 歴史講話 |
KFB福島放送 シェア! 「ふるさとリポート in 三春」本日放送です! 2023 「第9回三春駅前 健康まつり」 の模様をお伝えいたします。







KFB福島放送 シェア! 「ふるさとリポート in 三春」

9月21日(木)15:48~の放送です!

先ごろ行われた、2023 「第9回三春駅前 健康まつり」 の模様をお伝えいたします。







雷クリニック・きよはし薬局による駅前健康まつり実行委員会主催

お医者さんと薬剤師による健康イベント!

4年ぶりの開催となります!

入場無料  検温・アルコール消毒されて受付 空くじなしくじ引き付

・売店ブースの飲食商品が当たります。

・協賛各社の商品の詰め合わせのお土産付き



田村高校吹奏楽部による演奏会からスタート。

早口言葉や落語まで楽しいステージショーの数々に、笑顔が流れます。

ためになる健康講話の後に駅前BOYZの演奏でフィナーレ

健康には笑顔、笑いが一番です!







1・田村高校吹奏楽部演奏会  田村高校の電車通学者の通学路にあります。

2・中村利孝 早口言葉 

   ※途中、津軽出身の薬剤師による「津軽弁」披露!普通の速度ですが・・・

3・舞団連有志による舞踊 ※三春盆踊り 三春はやっぱり盆踊り!

4・落語会 駅前寄席 独快亭来歌 (元ベトナム日本人学校校長・三春中郷中学校校長)

5・講和「健康寿命日本一の街」 足裏の形状の重要性


(有) みはる調剤薬局 濱田雅博先生  ブース紹介もしてもらいました。

(薬剤師・濱田薬堂本舗・カフェ・ブリキイヌ代表) 

浜田接骨院  濵田寿満院長 (雅博氏の弟さんです。※田村市県民リポーター)

・足裏重要体験実演



6・斎藤泰助さん率いるコロナ退散巫女舞太鼓

7・講話「AEDの実演と救急のABC」  

雷クリニック院長 雷毅先生
      
東北大学病院循環器科副看護師長 穀田知秋看護師(雷先生の同級生) AED実演



8・駅前BOYZ バンド演奏 雷院長、浜田薬剤師他






会場催しブース
 

・薬局スタッフのハンドマッサージで癒しの時間を。※リポーター体験

・美容専門員の肌測定も実施中!

・本格的な手相館定を実施中!  ※薬剤師 

   いつまでも美しい姿勢で健康的に歩きたいあなたへ。不思議体験ができます!

・東北共同乳業と東大教授が開発したヨーグルト、そして福島医大の医師と 漢方薬剤師が作った「心と体が盛うグラノーラ」を販売します。※リポーター試食







濱田薬堂本舗・ヘジチェックコーナー  ※浜田さんによる紹介

・濱田薬堂本舗は健康をテーマに体にやさしい商品を揃えています。

・今回はどんな試食があるのかな? ※無縁ケチャップ・リポーター試食

初登場 ベジチェックコーナー「野菜どのくらい摂れてますか?!

掌を約30秒センサーにあてるだけで普段野菜が足りているかがわかります。


野菜不足が気になる方もそうでない方もこの機会にぜひぜひお立ち寄りください。






• 介護相談『在宅介護支援住宅』

「24時間管理スタッフ常駐」「低費用で住宅介護」

介護しているけど…こんな時どうしたらいいのかわからない。

施設を探しているけど入所の費用などが心配・・・1人で悩まずまずはお気軽に相談にきてみませんか?明るいスタッフがお待ちしております。

・血圧測定 ※リポーター体験

・健康相談・足型測定(浜田接骨院)





協力 プログラムより抜粋

雷クリニック、みはる調剤薬局、浜田薬局 さくら調剤薬局、きよはし薬局駅前店、みはる調剤薬局ときわ店、白河旭町薬局、カフェーブリキイヌ、伊藤精肉店、田村高校吹奏楽部、(株)ライフプロモート、森永クリニコ、持田ヘルスケア、三春電化サービス、クロレラ工業(株)、健創製薬(株)、リスプラン化粧品 (順不同)

田村高校吹奏楽部









三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:27 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::KFB「シェア!」 三春 |
「現役兵證書」という一枚の証書をお預かりしました。




「現役兵證書」という一枚の証書をお預かりしました。


福島聯隊區司令官からの記載があります。


召集令状というとドラマや映画のシーンで「赤紙」というイメージありました。





昭和18年の日本国では「徴兵制」が敷かれていたので、18歳からの若者たちは陸軍(2年間)が海軍(3年間)に服役するという義務がありました。


この頃はまだ20歳になって正式な徴兵検査を受けて兵役義務を負うということで、この證書の受取人は予備兵役中に召集ということで20歳になってこの召集令状を手渡されたという
ことみたいで、兵役期間に、軍隊に入隊することを示す書類を「現役兵證書」(げんえきへいしょうしょ)と呼びます。





裏面には「心得概要」が記されています。









三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:12 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記 |
袖玉武鑑 文久二年(1862) 須原屋茂兵衛版




袖玉武鑑 文久二年(1862) 須原屋茂兵衛版







徳川幕府の大名旗本役職を記した武鑑をお預かりしました。

塵壺の参考になればということです。






ありがとうございます。

中を拝見しますと、文久二年ですので軍事総裁や京都守護職、海軍奉行等の役職はまだありません。

しかし・・・・






砲術型教授に勝麟太郎(海舟)、江川太郎左衛門など・・・






槍術師範には、子母澤寛著「逃げ水」の主人公で、最後の将軍徳川慶喜を最後まで護衛した髙橋伊勢守 謙三郎(泥舟)のお名前が!


幕末に新設された「奥詰銃隊」後の「遊撃隊頭取」、講武所槍術教授頭取を勤めます。


江戸開城後、上野東叡山に退去から、江戸城開城、そして、恭順謹慎のために水戸へ下る慶喜を最後まで護衛します。






そして、剣術指南役には、”聖剣”と称えられた男谷精一郎・・・

聞いただけで身震いする様なお名前がずらっと並んでいます。








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:35 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記 |
三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 KFB福島放送「シェア」 ふるさとリポート三春











三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 KFB福島放送「シェア」 ふるさとリポート三春

三春担当 髙橋龍一(別火講中OB)

放送日 2023.7.27(木) 午後3時48分~






三春城下新町鎮守「田村大元神社夏季祭礼」 

※ 旧三春藩五万石領内総鎮守「大元帥明王」のお祭り

※現在は城下新町の鎮守様 田村大元神社

旧三春藩の領内総鎮守の祭礼 起源は古く戦国末期より500年余続く祭礼

新町字民をはじめ城下を中心に三春の町民が広く氏子として奉仕しています。








7月15日(土) 宵祭 還御 新町縦町

7月16日(日) 夏季例大祭神事 社殿 
       町内神輿渡御 町内一円

還御(神輿が神社に還る) 新町縦町 

7月17日(祝・月) 直会




1. 宵祭り社殿前 仁王門にてオープニング 龍一・悠大 (宵祭)
2. 田村大元神社社殿に於いて出立前の神事、
神楽奉納・・・
3. 神輿渡御出立 境内及び門前での長獅子、三匹獅子 山中  (本祭)
4. 頭食い 獅子に頭を食べてもらうと頭痛がしないとか、病気をしないと言います    三春昭進堂前 悠大     (本祭)
5. 還御 御神輿行列 子供神輿いれる 
※ 随時、社総代・別火大世話人・三匹獅子世話人に話を伺う (宵祭)
6. 境内・長獅子奉納・三匹獅子奉納  (本祭)
7. 皆さんの平穏を祈念して、みんなでシェア! 






田村大元神社 宮司 田母野公彦
       
総代長 渡邊善二郎

       祭典掛 二番組大世話人 松井哲也

       長獅子掛 一番組大世話人 近内一彦

       三匹獅子世話人 橋本純一







◎ 御祭神が国土を守護する神さまである「国之常立神(国常立尊) (クニノトコタチノカミ)」、そして、旧祭神(藩政時代)が「大元帥明王(ダイゲンスイミョウオウ)」ということで、国を護り疫病退散、国家安泰を司る明王さまで、どちらも「国の安泰を司る」神様です。








田村大元神社 神輿渡御、及び還御 祭礼行列
・御触れ・御布令太鼓 渡御行列先導

・青天狗・白天狗 渡御行列の先払い

・長獅子 御神輿の露払い

・御神輿 御神体鎮座

・赤天狗 御神輿の警護

・神官、神社総代、字役員 奉仕官 御供奉

・三匹獅子 奉納

・子供神輿 奉納



町内一円を神輿が渡御して、宵になって神社に還る「還御」が行われ町内各所や社殿入口。そして、境内で各々舞を奉納します。








◎祭礼の実務は「別火講中」によって挙行
 
別火講中は、氏子・町内に居住する42歳までの男子

一番組・二番組の二つの組に分かれて組織され、それぞれ祭典掛(夏季祭礼の祭典全般を執行)と長獅子掛(文字通りの長獅子奉納)を隔年交代で奉仕

尚、祭典掛は、宵祭から2泊3日で神社に“お籠(おこもり)”(宿泊)して奉仕








◎長獅子

戦国期は、小山村(後の御祭村)の青年達が長獅子を奉納していました。

叉、獅子頭は、小山村(御祭村)の名工によって作られその地名を獅子造りと呼ばれています。


現城下荒町にある八雲神社の荒獅子が、秋田藩政期には領内総鎮守大元帥明王に露払い(悪魔祓い)として奉納されていました。

その様は、三春独特の獅子舞で、三春に在る長獅子の中では一番歴史が古く、現田村大元神社の長獅子は、これを明治期に伝授されたものと伝えられています。


※城下八幡町にある八幡神社の長獅子も同じ。


明治維新後の神仏離反、そして廃仏毀釈をうけた明治初期、大元帥明王社は、大志田神社を経て現田村大元神社に改宗改名した際に時の総代といざこざになり、荒獅子は八雲神社へ奉納、そして、三春大神宮へ隔年奉奉納となりました。






◎三匹獅子は

三匹獅子舞手3柱(太郎、花子、次郎)とササラ4体 同じく氏子・町内居住の中学生までの男子で構成

舞は、雄獅子が雌獅子を取り合う舞です。

長獅子とは違い、この獅子は鹿や猪(シシ)を表していると考えられ、田や畑に豊作祈願、そして、子孫繁栄などの家門繁栄を祈願したものと考えています。



三春町には田村大元神社の三匹獅子舞の他に、高木神社の三匹獅子舞、垢潜三匹獅子舞、蛇石の三匹獅子舞、樋渡の三匹獅子舞があります。







藩政時代の大元師明王社の御神輿渡御・還御


別当職として三春藩所祈願所真照寺住職の監督指揮により、三春藩明王奉行の下、旧三春藩領内(現小野町以外の田村郡全域と郡山の一部等五万石)六十六郷が、頭屋制を布き、当番の六十六郷中三十三郷を持って奉仕し、資金は明王講の積み立てにより工面していました。


祭礼行列も三日間を掛け三春城下を渡御し、その様は、絵図が示す通り荘厳で、神馬―槍持ち役人―世話人―母衣―万燈―お神楽(荒町八雲天王宮長獅子)に警護と使番が付きー禰宜―笛―大小太鼓―木馬の跨った子供の行列―日天坊―月天坊―甲冑行列―太鼓台―ささら・三匹獅子と続き、その後に「通り者」と呼ばれる祭礼踊り一行が従い、扇子踊り、槍踊り、太平奴の三番踊り他、が踊りを奉納していました。

近隣より、大勢の祭り見物のお客さんが三春を訪れ、その監視と整理のために役人を出し、櫓を立て寝ずの番をしたと言いますから、大変な賑わいだったと思います。
 

 明治維新後は、明治四年の三春藩庁の布令により、三春大神宮に祭事用具(御神体神輿以外)を引き継ぎ、旧暦の九月十五日から十七日を祭日として挙行され現在に伝わっています。







 祭礼の一切を取り仕切るのは「別火講中」。


心身を清めて精進生活のなかで、つまり宵祭りから俗世を離れ、清浄な火を使うことから「別火」と呼ばれてまいりました。

祭典掛は、宵祭りから直会まで2泊3日の泊りがけの御奉仕となります。

厄年を迎える年直しの数えで40歳までは講中としての資格があり、最後は大世話人として祭礼を仕切り退講ということになります。  






| ryuichi | 07:24 | comments (x) | trackback (x) | 🌸菓匠蒼龍 心洗洞刹記::KFB「シェア!」 三春 |