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「三春と明治維新」三春町異業種交流会講演
三春町異業種交流会さまからのお招きを受けまして、「三春の明治維新」と題しまして、歴史のお話をしてきました。




三春異業種交流会            

                 H25.7.23(火)於三春城下大藤屋

「三春の明治維新」          三春昭進堂主人 髙橋龍一

1. はじめに

・私が“三春の歴史”に興味を持ったわけ・・・会津史観教師による三春卑下
勝者・大勢側からみた偏った歴史認識に疑問・・・左翼思想や偏った宗教観はありません

・父など、三春在の年配の方々の三春歴史離れ



・河北新報三春支局長影山常次氏と初代三春写真館館主遠藤祐四郎氏・・「三春名所案内」作成
大正十四年発行・有料の三春観光パンフレット(写真集)・・・・三春の歴史復活・・・観光資源としての歴史観・・・三春に自信を持て!
寺社仏閣・学校・会社・盆踊り・遊郭・・・商店の広告入り



2.歴代三春城主の不思議~教科書には載らない歴史~
・戦国田村家・・・田村麻呂の末裔・平氏田村一族(南朝田村庄司一族とは異)
・田村麻呂・大和民族(渡来人末の父とアイヌ末の母から生まれた身長6尺のハーフ)
・伊達政宗正室愛姫の実家
         豊臣秀吉による奥羽仕置きにより伊達藩に合弁吸収
・第一回三春まつり「戦国合戦絵巻」
伊達派・・清顕生母実家・・愛姫嫁ぎ先政略結婚
相馬派・・清顕夫人実家・・・反伊達家
伊達派勝利するも伊達家に召し抱えの田村家家臣二十家以外は他藩召し抱えか帰農

・秋田家安倍安東家・・・大和朝廷とは別の渡来人の末裔
アテルイ末(安日王)アイヌ民族の長・・・「東日流外三郡誌」
前九年の役・後三年の役・・・源義家により秋田以北に移住
その一派は、西国に退避・・・安倍晋三総理大臣の先祖・・安倍水軍

平安末から鎌倉期、蝦夷探題・樺太から東南アジア・インドからペルシャ湾等々(地中海沿岸説も)にペルシャ湾沿岸まで出張・補給を兼ねた寄港地を設営し、日本人街を形成
海外と貿易・・・
“青森ヒバ”耐水性の高い木材・・・地中海イベリア島のフェニキュア人{海の民}
倭寇(海賊からの輸送船警備や運搬業を生業とする武装集団)と呼ばれる。

エルサレムの~の丘・ジパングの原型が記載された石碑(十字軍の頃11~14世紀初頭)
マルコポーロ「東方見聞録」にある黄金国“ジパング”
鎌倉初期・・本拠地十三湊が、大地震による大津波にて一夜にして壊滅(近年発掘証明)
・・・・奥州藤原黄金文化

東南アジア沿岸や中国・九州地方の安倍・安東水軍が残存
和船・青森ヒバ(水をはじく)の船・・・蒙古来襲・元寇で元(モンゴル)、高麗(古代朝鮮)連合の艦船撃退(神風伝説)
鎌倉幕府としては表に出したくない・・・記録「東鏡」には無記載
室町幕府・江戸幕府―水軍は強力な戦力―隠しておきたい



*三春城下の町内会・自治運営
江戸期の秋田藩政三春城下の士分以外の町内会運営は通常、上層町人の代表である惣年寄、町年寄、検断などによって担われていました。

町検断役所において評議して城下町内の最終意志決定を行い、町会所を中心として町内会による自治運営をしていたと考えられています。

秋田氏の城下奥州三春では近世後期のお内、総鎮守太元帥明王祭礼から検討すると、町奉行- 惣年寄・月行事- 町役人- 平町人という伝達経路が確認できます。

このような体制は、秋田氏入部以降の江戸中期に形成されたと考えられます。

町会所は、この月行事の発議と、町人の負担によって成立しています。
そこには月行事層=三春城下の年寄による都市運営の成長と業務の多様化が反映しています。


3.明治維新とは
・徳川幕府300年の終焉・・・吉宗や松平定守などの改革だけでは間に合わない事情
幕末ペリー来航~ 将軍継嗣問題・安政の大獄・公武合体と尊攘運動
再訪してきたペリーに対して、幕府から“天皇の許可を貰わないと開国できない”と云ったことから幕末は始まる。
老中筆頭阿部正弘は、この難局の打開策を広く求め、なんと各大名から旗本、さらには庶民に至るまで意見を募集。これまで、外交のことは幕府が独断で決めていたにもかかわらず、政治的に大きな転換を行います。
しかし、名案は出ることなく、かえって幕府の威信低下を招く結果となります。
それまで大名以下民衆の殆どが、徳川幕府以外の統治者(大和朝廷と天皇は忘れさられていた)の存在を知らなかった。
天皇は洛内(京都)や大和地方の一信仰の対象・・・江戸幕府が規定・・自ら犯す

開国・不平等な通商貿易
・米価本位の経済の破たん・欧米各国の脅威・飢饉
金・絹など西洋と貿易・・・金が安、銀が高・・欧米とのかけ離れ
金銀の交換比率は,日本では1:5,世界市場では1:15
外国商人は洋銀を日本に持ち込み,国内比価で金と交換し,暴利を貪った

輸出急増のため,国内は品不足 → 国内物価高騰物・・・・民衆の爆発・打ちこわしや一揆の続発、“ええじゃないか”

薩摩藩や長州藩などの西国諸藩・・・地場産業の開発や密貿易により現金収入
地場産業振興・輸送・・・北前船・
密貿易・・・・出島や沖縄・竹島・尖閣諸島等々
浜田藩・棚倉更迭・・ヤシの実でサッカー目付(スパイ)間宮林蔵に見つかる

・「忠臣蔵」赤穂浪士の軍資金・・・塩売買・・・大量生産・遠方への輸送可能
・・・・・莫大な利益
・「桜田門外の変」水戸浪士・・・こんにゃく農家から献金・・少ない
こんにゃく・・・長持ちしない江戸へ船で輸送

・江戸城下水運の管理・彦根藩 運用税の値上げ~利益減少
・勤王と佐幕
大日本史編纂水戸光圀と水戸史観
・戊辰戦争の戦意・・・江戸幕府に経済政策の破たん・・各藩とも借財の山
戦争どころではない・・・・下級武士やそれ以外が主力・・奇兵隊や幕府歩兵
その前の戦争と云えば約200年前の島原の乱・・・武士の事務員化



4.戊辰戦争と三春
・八重の桜から「会津藩と三春藩」の関係 同等
会津への道案内・・猪苗代・中山・熱海、湖南などの農民が率先して西軍を誘導
―会津防衛の戦略により、宿場や村々が焼き払われるー武士に対する恨み
三春藩の協力・荷駄運搬のみ

・徳川幕府・・主従関係あり・・・幕府恭順・瓦解・・戦いの名分がない
新政府軍・薩摩長州を中心とする西国諸藩は、振り上げたこぶしの落としどころとして会津をロックオン
勝海舟の策略・・武士階級ではない新撰組残党や旧幕府歩兵の江戸から追放、
旧幕臣大番組で組織する遊撃隊や請西藩など佐幕諸藩は、箱根迎撃失敗後、上野のお山の籠城そして会津へ
旧幕臣榎本武揚率いる旧幕府艦隊(旗艦開陽丸以下、回天、翔鶴、蟠龍)は静観、後残存艦蝦夷へ

・三春狐に騙された・新発田狐・米沢狐・仙台キツネ
鶴ヶ城落城後、会津藩士は青森斗南藩に事実上の流刑に処せられます。
しかしそれを不服としていた佐川官兵衛などは、警視庁が募集した不平士族鎮圧のための入庁し、西南戦争などで活躍しました。
また、藩籍を返納して武士を捨て農民になった者は、坂下や喜多方、柳津で帰農していましたが、日清戦争後位から若松城下に再度住むようになります。

このころ三春は大変に景気が良い時期が訪れていました。
河野広中など貴族院(後の参議院)議員から農水大臣、さらには、貴族院議長にまで上り詰めていました。
・・・これへの嫉妬と斗南移住の会津藩士や二本松藩士への怒りの矛先を他に向けるため意図して“風説の流布”を執行した。



・最後執政秋田静臥と大原家(薩摩藩)
・土佐藩と河野広道・広中
・三春藩銃砲組・・・熊田嘉膳 水戸藩砲銃鋳造師範、後会津や相馬藩に出向
・・・・・・・・・町田貢 砲術指南役・幕府講武所調練指揮役。門人千人

藩 名     石高 施条砲  大砲総数  後装銃数  旧式前装銃数   小銃総数
三春(秋田家)    5.0   0     3     86       400     486  
二本松(丹羽家)  10.1    2    12      0       60      60
仙台 伊達家   62.6   0    84    533      5,727     6,260
米沢 上杉家  15.0     0    18     60      900     960

当時の知識階級・・内戦の不利(欧米による日本侵略の足掛かり回避)
戦争回避を提唱、会津藩京都守護職“薪を背負って、渦中に飛び込む”が如くの愚挙
長岡藩家老河井継之助・武装中立(スイス王国)



5、廃藩置県と廃仏毀釈
・国立第九十三国立銀行(後の三春銀行株式会社)
旧士族救済・・・士族席の株式化・・配当金で生活費を捻出
貨幣価値のわからない士族達は、株式を手放し三春を去る・・

・首のない地蔵・・・黒禰宜飛田氏を筆頭に神道過激派
・神道・神社の確立・・・各字鎮守の制定(明治後期の日露戦争戦勝祈願)
旧三春総鎮守大元帥明王・・・国常立命・・・・・・・田村大元神社
旧三春藩社神明宮・・・・・・天照大神・・・・・・・三春大神宮
修験愛宕権現・・・・・・・・愛宕権現将軍地蔵尊・・愛宕神社
天満宮・・・北野神社
熊野権現信仰王子権現(八王子権現?)・・・王子神社(houji)・・渡来人伝説
ハングル語以前(室町末期に清朝により征服)の古代朝鮮語
牛頭天皇・・・八雲神社
八幡宮・・・源義家が石清水八幡宮で元服し八幡太郎と称したことから、源氏の氏神



田村家初代義顕の創設した大元帥明王社(現田村大元神社)に末社・・秋田家代に城外である現地に移転
源氏は、秋田家の祖安倍安東の敵将
・修験道の廃止・廃寺・・三春物見遊山参照
・祭礼に見る明治維新・・旧三春藩総鎮守大元帥明王(現田村大元神社)から三春大神宮(旧三春藩社神明宮)・歴史的見解から青白天狗の面と衣装の返還
・神祇院・国弊社管理・太平洋戦争終結まで国有地・・・
天皇を中心とした帝国国家の統制下・・・国家神道により国家権力服従、聖戦の完遂、神州日本の不滅
太平洋戦争終結後、占領軍GHQの命令により国弊社の解体、神社域の各市町村へ、そして各字(一部宗教法人化)へ移管

・社会党・・農地解放



6.まとめ
・三春に生まれたこと・住んでいることに誇りと自信を持つ
・三春と云う名前は全国区
・三春昭進堂HP・菓子の宣伝は5パーセント
三春昭進堂やおたりまんじゅうを全国ブランドにするのは気が遠くなるような労力が必要だが、三春と云う名前は全国ブランド・・滝桜は三春で一番の営業マン
・全国の経営者や文部科学省職員や教育委員会の方々との話に話題を提供できる。
・小さな城下町のアピール



滝桜は、猪苗代や裏磐梯と同一の福島県の滝桜
猪苗代湖を猪苗代町のもの郡山市のものと見ないような感覚です。
城下町三春の観光資源・寺社仏閣(様々な宗教観と云う観点から)はあくまで点。
その点を結びつける核となるのは、過去の偶像展示の歴史民俗資料館ではなく、城下町の城下町たるゆえんの原点であるお城です。
そうです、三春舞鶴城です。
城下町の誇り!


| ryuichi | 05:35 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |
三春小学校6年生の総合学習特別講師


三春小学校6年生の総合学習特別講師
先日、三春小学校の6年生の授業に招かれました。
総合学習の時間「三春城下の歴史を調べる」でゲストティーチャーとして三春の歴史にかかわる話をしてまいりました。
話し方として、子供たちに興味を持って貰おうと各町の寺社仏閣のまつわる伝説を交えて話していきました。

・田村麻呂の三春駒伝説
・戦国武将田村家と田村清顕の急死にまつわる怪談
・秋田家お家騒動と三春大火~化け猫騒動~腹切り梅伝説
・愛宕下秋田家江戸屋敷
・河野広中と日比谷騒動
 等々

長い三春の歴史を駆け足で話します。
まず、歴史とはチャンバラ時代劇とは違い、正邪のないこと。
そして、歴史の教科書では日本の基本となる事柄を取り上げているということ。
また、教科書には乗らない郷土の歴史があることなどを冒頭に前ふりしてか、伝説や伝承を怪談形式で話しました。



最後に「恐ろしい伝説や伝承、怪談の類とは、昨年の原子力発電所の事故直後の様々な風評被害やゴシップネタと同じく、世情の不安なときに民衆心理が産み出す虚像や虚構の類で、後の世になって伝説化された作り話です」と締めくくりました。

後に児童の皆さんから御礼の手紙をいただきましたが、ほとんどの手紙の中に「生首」「化け猫」「腹切り梅」などのワードが記入してありましたが、強烈な印象だったんでしょう。
後は、先生方よろしくフォロー願います。



私の郷土の歴史である「三春歴史観」については、時代だったんでしょう、40年位前の私がまだ小学生、そして中学生だったころの話ですが、授業中に、極一部の先生から”三春狐に騙された~”「三春藩の裏切り」を聞かされました。

当時、多感な少年期の龍一少年にも、「三春の歴史を語ってはいけない」「三春藩は裏切り者」など
生まれ故郷である三春を卑下したということを記憶にとどめることになりました。

しかし、後に、よくよく調べてみるとそれは間違いであることがわかりました。

たまたまその方が会津、それも坂下や猪苗代など会津藩とか関係のない方々で、薄ら聞きかじりの「会津史観」。
それもごく一部の間で間違った歴史観者の間で、ささやかれていた話が、尾びれ背びれがついて”三春狐・・・”となっていったものでした。

昨今は、そのような間違いもなく「教科書には乗らない郷土の歴史」として正確に伝わってます。
そして、これを未来を受け継ぐ子供たちに伝えていくお手伝いが少しでも出来たらなあと考えています。

| ryuichi | 16:11 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |
「子どもたちが三春で学んだことを誇らしげに語れる教育」
平成23年度学校運営協議会・学校関係者評価委員研究協議会



このユーチューブの映像は、平成24年1月23日(月曜日)に国立オリンピック記念青少年総合センター(東京)で開催されました、文部科学省主催の学校運営協議会委員や学校関係者評価委員等を対象とした研究協議会で、コミュニティ・スクールや学校評価の充実・改善の在り方等を協議し、今後の地域とともにある学校づくりの促進に資するための研究会での模様です。


わたしも、パネリストとしてお招きを受けまして三春小学校運営協議会会長として参加させていただきました。

7分50秒くらいから私の発言の模様が映し出されています。


平成23年度「学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会」実施報告
●開会あいさつ・行政説明
・文部科学省初等中等教育局参事官下間康行
●パネルディスカッション
○「地域とともにある学校づくり~学校運営協議会と学校関係者評価の実効性を高めるため
に~」
○パネリスト
・東京都三鷹市教育委員会教育長貝ノ瀨滋氏
・岡山市立岡輝中学校校長片山安基夫氏
・福島県三春町立三春小学校学校運営協議会会長高橋龍一氏
○コーディネーター
・文部科学省初等中等教育局参事官付学校運営支援企画官松浦晃幸
●熟議「地域とともにある学校づくりで目指すこととその具体策について」
・テーマ①「コミュニティ・スクールによる地域とともにある学校づくり」
・テーマ②「学校関係者評価の実効性を高めるための方策」
○講評
・東京都三鷹市教育委員会教育長貝ノ瀨滋氏



コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度)の活用によって
「地域とともにある学校づくり」が促進されます。


下記は、本年3月発行の「塵壺」掲載のコラムです。

「子どもたちが三春で学んだことを誇らしげに語れる教育」

想いは叶うもので、旧暦の元旦の朝、明治神宮に参拝することが出来ました。
昨年末に、明治の「日本人としての誇り」を描いた司馬遼太郎の「坂の上の雲」を見たせいでしょう、明治天皇を祀るこの明治神宮に参拝したいと思っていましたが、偶然にも隣接する代々木での会合への出席となりました。
肌寒い小雨の中を原宿駅から表参道に一歩足を踏み入れると、都会の喧騒から離れた日常とは違う空間の静けさ中で、凛とした『気』を感じ、荘厳な雰囲気がヒシヒシと伝ってきます。
明治の日本は、いずれは欧米諸国の仲間入りを果たすという目標(坂の上の雲)を追うためには勉強しかないという姿勢が庶民のレベルまで浸透し、個々の教育。



立身出世への情熱が集合して国家の原動力となっていました。
維新の混乱を経たにもかかわらず、日本が若く、初々しく、エネルギーにあふれた国家たりえたのはそうした明確なビジョンがあったからであり、近代的な明治日本の土台は、間違いなく教育だったといえます。
三春でも、秋田藩政下藩校講所や寺子屋から、明治を迎え優秀な人材が育っていきました。
その根源に、旧三春藩校「講所」の表門「明徳門」(現三春小学校校門)の題字となっている「明徳の教え」があります。
この明徳のとは、孔子の教え「大学」「大人(たいじん)の学」に、「明徳を明らかにする」からきています。
意味は「我を取り去り、私を取り去り、欲を取り去る素直な心を学ぶことによって、自分が立派な人間になり、人にも良い影響を与える学問」としています。
そして、私が出席した会合も、これからの官民一体となった「公立学校教育」の在り方を研究する会議でした。

近年、三春小学校学校運営協議会が立ち上げられ、「子どもたちが三春で学んだことを誇らしげに語れる教育」をめざして行政と教職員、そして住民が一体となった学校運営に取り組んで、独自の教育 改革・地方自治改革の流れの中で、地域住民と連携した学校づくりが進められています。

 

教育には「家庭でしか教えられない教育」、「学校でしか教えられない教育」、そして「地域でしか教えられない教育」と、それぞれ違った分野の三つの教育があると考えます。
そして、学校運営協議会とは、この三つを結ぶパイプ役だと思っています。
 公共の学校運営に保護者や地域住民が参画することを通じて,学校の教育方針の決定や教育活動の実践に,地域のニーズを的確かつ機動的に反映させるとともに,地域ならではの創意や工夫を生かした特色ある学校づくりができると期待しています。
また、「新しい公共」とは、教育や福祉、あるいは医療、そして地方自治等を、官と住民が一緒に作り上げる仕組づくりです。
「自分たちの地域の学校」を良くするという意識が、「自分たちの地域」を良くするという意識につながり、そこで生まれた課題が「地域文化をつくる教育」であり、地域の自然, 伝統, 文化,そこに生きる人々やその暮らしなど、自分が生まれ育った土地と人を愛する人がいてこそ平和に共存できる新しい社会を築いて行くものだと思います。

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」                         
                          坂の上の雲あとがきより
  
   さすけねぇぞい三春!   蒼龍謹白   合掌


三春昭進堂代表 菓匠髙橋龍一

| ryuichi | 05:53 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |
「平成23年度学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会」三春小学校運営協議会会長のパネリスト発言録
平成23年度学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会 

日時:平成24年1月23日(月) (協議会 10:30~16:30)
    パネルディスカッション11:00~12:20 (80分間)


会場:国立オリンピック記念青少年総合センター(明治神宮・代々木公園隣接) 
(受付:カルチャー棟1階 小ホール)

パネルディスカッション参加者
 <パネリスト>
 ・貝ノ瀬 滋 氏 東京都三鷹市教育委員会教育長
 ・片山安基夫 氏 岡山市立岡輝中学校校長
 ・高橋 龍一 氏 福島県三春町立三春小学校学校運営協議会会長
 <コーディネーター>
 ・松浦 晃幸 文部科学省初等中等教育局参事官付学校運営支援企画官


広報「みはる」に掲載されました。




パネルディスカッションでの私の発言内容です。

「子どもたちが三春で学んだことを誇らしげに語れる教育」

           髙橋龍一

○地域の立場から、学校にかかわることの魅力とは?
また、地域住民として、どのようなことを目指して、学校にかかわっておられますでしょうか。

【はじめに】
 ・公立の小学校から公立中学校への進学率は99パーセント
公立中学校から公立高校へは85パーセントという土壌があります。
「地域が学校にかかわる」というのは、決して新しい取組ではない。
特に三春では、過去、独自の教育 改革・地方自治改革の流れの中で、地域住民と連携した学校づくりが進められてきた。

前三春町長伊藤寛氏と元教育長武藤義男氏による「三春町の教育改革」
30年前の三春町の教育改革は、当時三春町教育長の武藤義男さんと、武藤さんを教育長に抜擢した前町長伊藤寛さんの教育改革そして地方自治改革です。
現在も続く「三春町教育研究員制度」などの教員の意識改革や、地域住民と連携しながらの学校つくりなど、いまの「学校運営協議会コミニティースクール」の原型が垣間見れる画期的な教育改革でした。
この伊藤・武藤体制での教育改革は、今の教育改革、そして地方自治行政改革へとつながる大きな一歩だったように思います。


また、現在の三春町政は、公共事業の一般入札制度導入や行政職員のプラス査定制度など鈴木町長の強いリーダーシップの下で様々な行政改革が進み、町民の声が町に届きやすい町政に反映しやすい体質になっています。
これらが、今の三春小学校学校運営協議会の導入の母体となったとかなあと考えています。

地方自治の学校運営
国ができないことは自治体単位で、自治体で行き届かないことは地域のみんなが自ら組織を作って助け合って考えていかなければならないということ、そして人と人とのつながりの大切さを改めて思い起こさなければならないと考えます。
大きな町と小さな町ではおのずと町の政策が違います。
地方自治、地方分権を政府では、公正かつ普遍的な統治構造を維持するため、国家全体の運営について画一的、均一的運営を行うことが要請されていますが、地方の実情や地方における住民からの要望は各地方によって様々であることからこれをすべて同一に運営することは不可能であり、地方の運営に当たっては地方の独自性を考慮する必要が生じはじめているように感じます。
そこで、地方の総合的な運営は地方に委ね、政府は国家に係る根幹的な事柄を担当し、かつ、国家全体の総合的な調整を図るという役割分担がなされることになってきました。
そういう意味に置いても、このコミュニティスクールは、非常に分権的な制度だとおもいます。

日本の未来を担う子供たちの義務教育の場である学校を「新しい公共」の場として『官』から『公』へという考え方の元で、保護者や地域住民が、子どもたちの将来のために協力し合うことを通じ、学校や教育を教員や行政だけに任せるのではなく、「自分たちの学校」という意識を持ってより良い学校及びより良い地域を目指す仕組みとしての創造。

保護者や地域の人が参加して、地域の学校の教育課程や行事そして施設設備などをどうするか、どのように予算を使っていくのかなどを校長らと一緒に話し合って決めていけるようになれば、学校のことはよく分かるし、関心もでて、日本の公立学校は大きく変わることになるかもしれません。

公共学校の運営に保護者や地域住民が参画することを通じて,学校の教育方針の決定や教育活動の実践に,地域のニーズを的確かつ機動的に反映させるとともに,地域ならではの創意や工夫を生かした特色ある学校づくりができる。
一方、学校においては,保護者や地域住民に対する説明責任の意識が高まり,また,保護者や地域住民においては,学校教育の成果について自分たち一人一人も責任を負っているという自覚と意識が高まっていくと思います。
さらには,相互のコミュニケーションの活発化を通じた学校と地域との連携・協力の促進により,学校を核とした新しい地域社会づくりが広がっていくことでしょう。


【地域が学校にかかわることの魅力・よさ】
 自分自身も、現在、三春小学校において学校運営協議会の会長として学校にかかわっているが、その魅力は、地域と学校との協働による良い取組が上手く進み、子どもの教育が充実していることである。
 
運営協議会委員の三春町内にある各種団体からの排出
・町全体の情報の共有化(学校から地域へ・地域から学校へ)

①登下校の交通安全などの安全教育(見守り隊及び地域住民)行政防災無線の活用

②盆踊りや祭礼などの地域行事へ参加及び警備(PTA及び地域住民)

③職場体験や地域の歴史研究などのキャリア教育(観光ボランティア及び地域住民)

④学習支援体制 三春小学校ボランティア・コーディネーター(サンボラ)
ゲストティーチャーや○付けボランティア等

三春小学校学校運営協議会の委員は、それぞれ町内にある様々な組織機関に加入しているかそのOBで組織されている。
特に今年度は過程を公のものとして町教育委員会より、区長会、民生委員、町づくり協議会、PTA、老人会、商工会等々の組織機関に委員排出の協力要請をして参集していただいた委員の方々が加盟。

各委員が所属機関で学校及び児童生徒の関する事柄をそれぞれ持ち寄っていただいている。
また、運営協議会での内容をそれぞれの所属機関で話してもらっている。
私自身の関与に関しては、個々には元三春町防犯協会三春支部長及び元三春町消防団三春分団長という立場での運営協議会参画ということで、防災や防犯という見地からの意見や質問、そして提案をしている。
また、自営業という立場で保護者や地域住民からの学校や児童生徒への様々な意見を聴取している。


公立学校
公共(パブリック)というのは、市民的な、市民による共同の、という意味で、役所=官を指す言葉ではないのですが、民主主義になった後も日本では、公共というと、役所=官のことだと思われてきたわけです。
ここから脱却して、公共とは、主権者である「私」がつくるものという意識に基づいて国・社会を運営していくことが必要であり、そのようなシチズンシップ(市民精神)に基づく公共を【新しい公共】と呼ばれています。

民主主義国家では、ほんらい、「私」はこの国・社会をつくっている一人の人間であるという自由と責任の下に「私」が公共を担うとされています。
市民がつくり・雇っている「役所・役人=官」は、専門家として、その市民の公共を支え、守るために仕事をすることが原則だと考えています。
 


【学校へのかかわり方、目指していること】

 こうした取組が実現できるのは、本校が学校運営協議会制度を導入していることが大きなポイント。
 11月に横浜で開催された文部科学省の推進協議会で、質疑応答にあった「教育とは?」という漠然とした質問がありました。
私は、教育には「家庭でしか教えられない教育」、「学校でしか教えられない教育」、
そして「地域でしか教えられない教育」と、それぞれ違った分野の三つの教育があると考えます。

そして、学校運営協議会とは、この三つを結ぶパイプ役と考えています。
 学校運営協議会を上手く機能させながら、これらの教育を充実させることが、自分の目指すところである。
 学校運営協議会として取り組んできたことは、多岐に渡る。
例えば・・・
 ・地域の特色を生かした「総合的な学習の時間」の充実
・地域・保護者からの意見要望を「教育課程」へ効果的に反映
・詳細な教育課程の策定
県教育委員会への要望として
・バランスのとれた教職員の男女比率
・特色のある教育活動への教職員の配置
・特別支援教育(学習障害や適応障害等)充実のための教職員の配置(本年度も要望)
県内での指定校の少なさ=要望が通りやすい
県教育委員会からの人材面での優遇

【学校運営協議会の効果】
       情報の共有化
 公共学校の運営に保護者や地域住民が参画することを通じて,学校の教育方針の決定や教育活動の実践に,地域のニーズを的確かつ機動的に反映させるとともに,地域ならではの創意や工夫を生かした特色ある学校づくりができる。

一方、学校においては,保護者や地域住民に対する説明責任の意識が高まり,また,保護者や地域住民においては,学校教育の成果について自分たち一人一人も責任を負っているという自覚と意識が高まっていくと思います。
さらには,相互のコミュニケーションの活発化を通じた学校と地域との連携・協力の促進により,学校を核とした新しい地域社会づくりが広がっていくことでしょう。
例えば、特別支援教育においては、三春町の子供にその対象児童が多く在籍しているのではなく、5歳児検診などの事前審査や障害者福祉施設及び作業所の充実の中で、親御さんたちのネットワークで三春小学校の特別支援体制の充実を知り地学区外や移住による登校している。

○学校と地域が目標を共有して取り組むためには、地域の方と教員とのコミュニテケーションや共通理解などが 重要。
また、教員、地域住民の双方に過度な負担があっても上手くいかないと思われるが、何か工夫されていることなどはおありでしょうか。

コミュニティスクール化のメリットを3点挙げてみたいと思います。
第一に、単一校ではなく三春町(地域全体)に学校運営協議会が作られることによって、常に先生が、親や地域の方々の評価の目にさらされるという点。

第二に、単一校ではなく三春町(地域全体)に学校運営協議会に参加する保護者自身が、自らの子供への接し方、家庭教育の行い方について確認、学習ができるという点。

第3に、単一校ではなく三春町(地域全体)に定年退職を迎えた方など、第二の人生を歩もうとされている方々にとって、学校運営協議会に入ることは、子育てや社会人としての経験・体験を発揮する場を得ることができ、生きがいを感じることができるという点。

衆議院の付帯決議では、「学校運営協議会を導入するにあたっては、学校は地域コミュニティの拠点であることをふまえ、保護者や地域住民の主体的な意欲と要望を尊重すること」と期されています。


【教員と地域住民との距離感の解消】

 教員と地域住民とのコミュニケーション、協議の機会を確保することが大切。
  それも無理なく行うことがポイントである。
  例えば、学校評価や教育課程の編成はどこの学校でも行うものだが、ここに地域住民がかかわるということも 一つの方法。
教員と地域住民(本校は学校運営協議会が中心だが)が一緒に考えて、つくる、という場を作れば、おのずと距離感は縮まるはず。
  本校では、アンケートの実施と分析、公表を協働で行っている。
児童や保護者はもちろん、教職員からも様々な声が聞かれる。
  また、教育課程の編成にも地域がアイデアを出すことで、地域の特色が生きた学習につながる。
当然、教育課程の詳細はプロである教員がつくるものだが、地域を知る者がそこに情報を提供することは重要。
  協働して良い学習活動が構築できれば、教員も地域の力を信じてくれるようになる。
 
 また、学校を公開する機会をできるだけ充実することも大切。
・校内授業研究会や三春中学校区小中連携授業研究会の公開。
・三春町教育研究発表会の開催(町内全教職員)と公開。
・学習発表会「三春っ子」のへの招待
・保健委員会への参加
などなど様々な分野の学校行事に於いて参加の呼びかけがあり、一体感が感じられる。

教職員の資質向上を目指し
「子どもたちが三春で学んだことを誇らしげに語れる教育」として児童生徒の学力と人間性の向上に寄与していただいている。  
地域が力を貸すことで教員の負担も減るものと思う。

○地域との連携が、どうしても一部になってしまうという参画の偏りの問題があるが。その点ではいかがでしょうか。

【参画の拡大】ということ
 学校の頑張りを地域の目線で、地域の声として多くの保護者や地域住民に周知していくことが大切。
また、学校運営協議会が取り組んでいることを積極的に発信し、新しい学校の在り方に興味をもってくれる人を増やすことだ。
  各種団体からの人選での、相互情報提供という部分でクリアしている

自分も協力してみようという意識を引き出していきたいものだ。
  また、地域人材の世代交代は、戦略的に行うべき。
三春では、学校運営協議会委員の選定を工夫している。
  それは、世代交代は活性化として大変重要な内容と思われます。
その中で、小さな町だからの欠点として人材の確保が挙げられます。

これは、学校や行政に参画する特定の地域住民が集中してしまうという点です。
このために、以前から導入していましたが、三春小学校学校運営協議会の委員選定を、今年度はその選出過程を公のものとして捉え、三春町教育委員会より、区長会、民生委員、町づくり協議会、PTA、老人会、商工会等々の組織機関に委員排出の協力要請をして、それぞれの組織の中で選出していただいた。
そして、この事柄もそれぞれ組織の規約にも盛り込んでいただいた。

○最後に一言お願いします。
「今後の目標に代えて】
・地域に根差した運営協議会そして地方自治
近年「新しい公共」という言葉が聞かれるようになってきました。
もちろん自民党政権下でもささやかれていた言葉ですが、地域主権の確立を目指す「新しい公共」とは、教育や福祉、あるいは医療や自治等を、官と住民が一緒に作り上げる仕組づくりだと思います。
そこで生まれた課題が「地域文化をつくる教育」であり、地域の自然, 伝統, 文化,そこに生きる人々やその暮らしなど、自分が生まれ育った土地と人を愛する人間こそが、人々が平和に共存できる新しい社会を築くことができるんだろうと思います。

「自分たちの地域の学校」を良くするという意識が、「自分たちの地域」を良くするという意識につながり、成熟した「新しい公共」を担う意識へと発展することで、人々の支え合いと活気のある社会が実現されるんだろうと思います。

・サロン的性格の付与
子育てに悩む保護者の方々は、実は本心を打ち明ける相談相手がいなくて、孤独感の中で、苦しんでいる場合が多いと聞きます。
そんな時、PTAではカバーしきれない分野の担当として、「公共の場」としての学校運営協議会委員が介在して、その組織編制の特性である「地域の人生の大先輩」である方々に気軽に相談できるような仕組みがあれば苦情処理の円満解決のツールとなり「モンスターペアレント」などありえないのではないと考えます。

・小中一貫校
三春中学校でも導入予定していますが、公立学校として義務教育の小学校教育六年間と中学校教育三年間を別々に考えないで9年間というスパンで子供を教育する。
所謂「中一ギャップ」と呼ばれる小学校六年生と中学一年生の隙間をなくし、15歳で卒業のときに、どういう学力をつけさせる、どういう子供を育てるということをきちんと明確にするような、そういう長期的な視野にたった一貫した教育が必要なんだとおもいます。

公共社会教育の「ハードウェア」は学校です。
学校には空き教室があり、保健室、図書室、花壇、校庭があります。
そして学校の立地は町の中心地となっている場合がほとんどとなっています。
そのようなことを総合的美見ると学校はコミュニティソリューション(地域に住む皆で連携し、情報を共有し、皆で問題)の拠点になるのではないかと思います。
介護施設と学校が一体化しているモデルは京都などにありますが、例えば、健康教室。
高血圧にはこうしたらいいとか、健診を受けたほうがいいという指導は学校の保健室を活用すればすぐにできます。
あるいは午後や夜は学校の教室で大人のための健康教室も開けます。直ちに健康を中心とした予防医療のためのコミュニティ医療もできますし、そこで保育、子育てもできます。

または、町立図書館も公立学校の図書室を拡充してその任に充てるというのは如何でしょう。理屈は同じです。
 
そのときに行政をどのように使うのか、どうやって教育の専門家を使うのか。教育委員会は基本的には学校関係者、地域の関係者、保護者、教育専門家、行政担当者で構成されますが、例えば、そこで教育の専門家を医療の専門家に変えればいいですし、行政の担当者も担当部局に変えていけばいいわけです。

子どもや高齢者など弱者が大切にされない家庭や地域や国は、それがどんなに科学や経済が発展したものであっても、よい社会ではありません。地域の地理的・文化的・人的・歴史的財産を学び、地域を愛し、お年寄りを愛し、小さな子ども達を愛し、これからも地域を盛り立てていこうとする青少年を一人でも多く育てることは、教育の大切な役割の一つだと私は思います。
また、そこに住む子ども達が地域を守るため、地域を活性化するため、地元の高校や大学で、地域に根ざしたいろんな産業・歴史・文化・専門知識などを身につけていこうという気持ちになってくれるような教育プログラムが日本には今まで欠けていたのではないでしょうか。
そして、そういう仕組みが出来上がっていくことを願っています。


あとがきに代えて

一昨年前にNHKで放送した司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」。
その文庫本のあとがきに
「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない・・・」
という一文があります。
明治の日本は、いずれは欧米諸国の仲間入りを果たすという目標(坂の上の雲)を追うためには、教育(勉強)しかないという姿勢が庶民のレベルまで浸透し、個々の教育の重要性をうたったものだと解していますが、 北国の小さな地方自治体である現代の三春もまたしかりだと思っています。

森田先生から「武藤義男元教育長遺稿・追悼文集」と共に頂いた、その著書「三春町の教育改革・資料合冊」を大変興味深く拝読しています。
この膨大な研究資料を読み進む中で、その研究意義の深さを改めて感じた次第です。

昨今の学校教育にかかわる諸問題がメディア等で取り上げられる中で、教育とは?学校とは?教育委員会とは?という漠然とした疑問や質問が噴出しているように感じています。
いじめ問題しかり、ゆとり教育からの脱却しかりです。

人間が人間である最大の意義というものは、広い意味での教育を通じて成長することではないでしょうか。
教育を通じ、先人が築いてきた知恵や文化を身に付けるとともに、新しい考え方や行動を編み出してゆく。
また、教育によってそれぞれの才能を開花させ、一人の人間として自立するとともに、家族や社会の一員として、さらには日本国民として、他の人を尊重し、誇りと責任を持って生きていくことを学ぶものなのでしょう。

人は、地域・社会環境の中で育つものだと考えています。
人を育てるとは、社会に出て生きていくためにふさわしい「生きる力」・スキルを身に着けるために、様々な環境を整えて、その動機付けとなる体験の機会を与えることではないでしょうか。
さらに付け加えるならば、教育を受ける一人ひとりの人間が社会的自立を果たし、よりよき存在になるために重要であるにとどまらず、社会や国の将来を左右するものであり、教育こそ人間社会の存立基盤といえるのではないでしょうか。

そして、それにふさわしい環境とは、目標を意識できることであり、そこでの体験を通して子どもたちの思考・態度が形成されるベクトルを共有し、その過程を意図的に設定および捻出する場が、教育であり学校だと思っています。

司馬遼太郎著『坂の上の雲』に描かれている明治という時代は、永く続いた封建社会が崩れ、外国に負けない近代的な国家の建設に向けて歩み出した激動の時代でしたが、幕藩体制から解き放たれた国民みんなが、身分を越えて「日本人」として、ひとつの目標を共有したはじめての時代でもありました。
松山に生まれた正岡子規や秋山好古、真之兄弟も、あらゆる困難に直面しながら、激動の時代を、それぞれが『坂の上の雲』という夢や目標を持って、ひたむきに生きてゆきました。

豊かになった現代の日本では、その日さえ楽しければいいという刹那的な生き方で、夢や目標を持つことを忘れてしまった人が多くなっていると感じます。

だからこそ、明治人が持った気概や情熱を現代に生きる私たちが学ばなければならない、そう考えます。

大きくても小さくても、かまいません。みんなで夢や理想や目標を持ちませんか?
それさえ見えれば人はそれに向って一生懸命生きることができ、そのことが人生を充実したものにしてくれるものと思います。
そして、この三春町での教育を通じて、ひとりでも多くの子供たちが夢や目標を持つことの尊さを感じて欲しいと願っています。

前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
 司馬遼太郎著 『坂の上の雲』(第一巻「あとがき」)より




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「平成23年度学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会」のパネリスト
来週1月23日(月)、代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催される、
文部科学省主催「平成23年度学校運営協議会委員・学校関係者評価委員研究協議会」に、パネリストとして出席します。

「地域とともにある学校づくり~学校運営協議会と学校関係者評価の実効性を高めるために」というテーマです。
パネリストとして、私のほかに
貝ノ瀬 滋 氏 東京都三鷹市教育委員会教育長
片山安基夫 氏 岡山市立岡輝中学校校長
 そして、 文部科学省初等中等教育局参事官付学校運営支援企画官の松浦晃幸氏をコーディネーターとしています。

 テーマの設定意図として、下記の項目が挙げられます。
1.平成12年の学校評議員制度導入以来、各教育委員会等の創意工夫により、地域との連携による特色ある教育が推進されている。
1.また、取組の広がりとともに、地域特性や学校事情等を反映した多様な好事例、あるいは、課題が見られるようになってきた。
1.この状況を踏まえ、今、改めて地域と連携して教育を進めることの意義や目指すべき方向性、その実現に向けた実践の在り方について今後の指針を得るための議論をしていただく。
 
私は、三春小学校学校運営協議会会長として
三春町の学校を良くしたい。
先生方の手助けをしたい。
そして、「自分たちの学校」を良くするという意識が、「自分たちの地域」を良くするという意識につながり、成熟した「新しい公共」を担う意識へと発展することで、人々の支え合いと活気のある社会が実現されるのではと考えています。
三春小学校学校運営協議会への参画する中で見えてきたことなどをもとに、地域の皆さんが学校に入ること、かかわることの魅力や地域住民として学校にかかわる上で目指していること、大切にしていることは何かなどを話してきたいと思います。

私は、教育には「家庭でしか教えられない教育」、「学校でしか教えられない教育」、そして「地域でしか教えられない教育」と、それぞれ違った分野の三つの教育があると考えます。
そして、学校運営協議会とは、この三つを結ぶパイプ役と考えています。
そこで生まれた学校課題が「地域文化をつくる教育」であり、地域の自然, 伝統, 文化,そこに生きる人々やその暮らしなど、自分が生まれ育った土地と人を愛する人間こそが、人々が平和に共存できる新しい社会を築くことができるんだと思います。

近年「新しい公共」という言葉が聞かれるようになってきました。
地域主権の確立を目指す「新しい公共」とは、教育の場だけに限らず、福祉、あるいは医療や地方自治等を、官と住民が一緒に作り上げる仕組づくりだと思います。

そこで生まれた課題が「地域文化をつくる教育」であり、地域の自然, 伝統, 文化,そこに生きる人々やその暮らしなど、自分が生まれ育った土地と人を愛する人間こそが、人々が平和に共存できる新しい社会を築くことができるんだろうと思います。


参考資料
「学校運営協議会制度(コミュニティ・ スクール)に関する主な意見等の整理」

三春小学校学校運営協議会広報「城山com.com通信」



一昨年前にNHKで放送した司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」。
その文庫本のあとがきに
「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない・・・」
という一文があります。
明治の日本は、いずれは欧米諸国の仲間入りを果たすという目標(坂の上の雲)を追うためには、教育(勉強)しかないという姿勢が庶民のレベルまで浸透し、個々の教育の重要性をうたったものだと解していますが、 北国の小さな地方自治体である現代の三春もまたしかりだと思っています。

森田先生から「武藤義男元教育長遺稿・追悼文集」と共に頂いた、その著書「三春町の教育改革・資料合冊」を大変興味深く拝読しています。
この膨大な研究資料を読み進む中で、その研究意義の深さを改めて感じた次第です。

昨今の学校教育にかかわる諸問題がメディア等で取り上げられる中で、教育とは?学校とは?教育委員会とは?という漠然とした疑問や質問が噴出しているように感じています。
いじめ問題しかり、ゆとり教育からの脱却しかりです。

人間が人間である最大の意義というものは、広い意味での教育を通じて成長することではないでしょうか。
教育を通じ、先人が築いてきた知恵や文化を身に付けるとともに、新しい考え方や行動を編み出してゆく。
また、教育によってそれぞれの才能を開花させ、一人の人間として自立するとともに、家族や社会の一員として、さらには日本国民として、他の人を尊重し、誇りと責任を持って生きていくことを学ぶものなのでしょう。

人は、地域・社会環境の中で育つものだと考えています。
人を育てるとは、社会に出て生きていくためにふさわしい「生きる力」・スキルを身に着けるために、様々な環境を整えて、その動機付けとなる体験の機会を与えることではないでしょうか。
さらに付け加えるならば、教育を受ける一人ひとりの人間が社会的自立を果たし、よりよき存在になるために重要であるにとどまらず、社会や国の将来を左右するものであり、教育こそ人間社会の存立基盤といえるのではないでしょうか。

そして、それにふさわしい環境とは、目標を意識できることであり、そこでの体験を通して子どもたちの思考・態度が形成されるベクトルを共有し、その過程を意図的に設定および捻出する場が、教育であり学校だと思っています。

司馬遼太郎著『坂の上の雲』に描かれている明治という時代は、永く続いた封建社会が崩れ、外国に負けない近代的な国家の建設に向けて歩み出した激動の時代でしたが、幕藩体制から解き放たれた国民みんなが、身分を越えて「日本人」として、ひとつの目標を共有したはじめての時代でもありました。
松山に生まれた正岡子規や秋山好古、真之兄弟も、あらゆる困難に直面しながら、激動の時代を、それぞれが『坂の上の雲』という夢や目標を持って、ひたむきに生きてゆきました。

豊かになった現代の日本では、その日さえ楽しければいいという刹那的な生き方で、夢や目標を持つことを忘れてしまった人が多くなっていると感じます。

だからこそ、明治人が持った気概や情熱を現代に生きる私たちが学ばなければならない、そう考えます。

大きくても小さくても、かまいません。みんなで夢や理想や目標を持ちませんか?
それさえ見えれば人はそれに向って一生懸命生きることができ、そのことが人生を充実したものにしてくれるものと思います。
そして、この三春町での教育を通じて、ひとりでも多くの子供たちが夢や目標を持つことの尊さを感じて欲しいと願っています。

前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。
 司馬遼太郎著 『坂の上の雲』(第一巻「あとがき」)より


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