2020-07-27 Mon
三春昭進堂「豆大福」の看板を設置いたしました。
店頭の付いた衝立型看板に設置です。
塩気の利いた豆大福130円税別です。
原材料を国内産餅粉を使用しています。
出来立てもおいしいんですが、当店では保存の為と腰を引き出すために、一度冷凍しています。
特にこの時期は、豆大福が完全に解凍する少し前の状態が一番おいしく召し上がれると思います。
一度お試しくださいませ
今朝の散歩の時に拾ったゴミです。
気になりだしたら目につくようになりました。
本日の成果です!
三春名物おたりまんじゅう本舗 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2020-07-09 Thu
「逃げ水 (にげみず)」 三春昭進堂の水まんじゅう 看板設置
店頭の看板です。
「逃げ水」というネーミングは、ご存知の方も多いかと思いますが、子母澤寛の小説「逃げ水」から頂きました。
幕末の徳川幕臣で、大政奉還後、徳川幕府十五代将軍徳川慶喜の護衛の任務を最後まで遂行した奥詰、髙橋伊勢守謙三郎泥舟を描いた小説です。
幕末の幕臣。名は政晃,通称精一。
泥舟は号。旗本山岡正業の次男で母方高橋家を継ぐ。
槍術家山岡静山の実弟,山岡鉄舟は妹婿。
槍術に長じ,1859年講武所師範役となり,伊勢守に任ぜられた。
1862年,幕府徴募の浪士組を率い取扱として上京したが,浪士のうちに尊攘を唱える者が数を増し,新選組のみを残して江戸に戻った。
1868年遊撃隊頭として徳川慶喜の護衛に当たる。鳥羽・伏見の戦後は恭順を説き,新政府軍への使者に山岡鉄舟を推薦。維新後は仕官せず東京に隠棲。
勝海舟,山岡鉄舟と共に幕末三舟と称される。
三春水まんじゅう 「逃水(にげみず)」
三春昭進堂の夏の定番水まんじゅうの「逃水」の販売を始めました。
一個 130円税別です。
昨年からの「塩レモン」も好評に付き定番として販売いたします。
価格は同じ一個130円税別となります。
レモンの酸味に塩味でアクセントをつけました。
どうぞお試しください。
冷凍販売でご案内しています。
これからの時期ですと、お買い上げから約30分~1時間位で食べごろになります。
そのまま冷凍保存もオッケーです!
日持ちは冷蔵庫で2日間位ですので、宜しくお願いいたします。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2020-07-03 Fri
三春昭進堂 店頭暖簾を「三春昭進堂天使ロゴの暖簾」に交換いたしました。
新たに作成したオリジナルです。
大きな天使が目印です。
このロゴは、昭和初期の当店ロゴマークを復活させたものです。
日中と夜間では印象が違いますね
大好きなロゴです!
折に触れ、真照寺の御灯明として昼夜点灯させていただきます。
梅雨時期の三春城下新町末郭外境の楽内集落の田んぼに蛍が飛び始めています。
携帯のカメラなのもで映し出す事は出来ませんが、数匹飛び始めています。
乱舞するタイミングに会えば、幻想的な光景に出会えます。
かつては、梅雨明けに挙行される田村大元神社夏季例大祭の寄付集めで小滝や四軒丁などに伺った際によく見かけていました。
最近は、農薬の使用や区画整理等で蛍のえさとなる「カンヤボ」等が減少して蛍の数も激減ですが、楽内集落はの田んぼはきれいな水のままなのでしょう~
尚、真照寺の方丈庭園の池周辺でもチラホラみられるはずです!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2020-05-23 Sat
”資料は向こうからやってくる!”と、先輩から教えられていますが、今度は「雪村と三春」という三春町観光協会と三春郵趣会発行の雪村切手台紙が手元に届きました。
実物の雪村周継画「松鷹図」(部分)が印刷された日本郵便:日本の自然シリーズの1000円切手が同封されています。
正式な発刊年代は不祥ですが、雪村周継画「松鷹図」(部分)が1996年発行ですので、その頃かと思われます。
雪村と三春
雪村周継は、戦国時代の十六世紀のはじめ頃、戦国武将佐竹氏一族の子として、常陸国(茨城県) 太田に生まれました。
出家して禅僧となり、もっぱら画の修業にはげみ、会津、小田原·鎌倉など東北、関東の各地を遍歴し画人として大成しました。
晩年は、この三春の地に、小庵を結んで隠棲し、画筆を放すことなく、80歳余の生涯を終えました。
雪村は、雪舟と並ぶ水墨画の巨匠として知られ、大小画面を自由に描きこなし、どの作品にも清新な気塊と躍動感がみなぎっており、一貫して、人間的な暖かさと機智のこころが流れています。
表紙は、雪村自画像です。
紙本墨画淡彩一幅 65.5×22.2cm
月下に座す老僧は、 雪村その人であり、画面右側に書かれた讃も自身の手によるものです。「山川一色 綿よりも白し 茅屋斜めに連なり 淡煙を縫む」 は、 庵の前に広がる光景であったのでしよう。
雪村庵で描かれたと推定できる作品です。
本図の原本は奈良市の大和文華館所蔵繊であり、 写真は三春町歴史民俗資料館蔵の複製によりました。
尚、桜梅山雪村庵(観音寺ともいう)は、 竹林を背に静かなたたずまいを見せています。
天正年間雪村が居住してから約80年後、 本尊観世音菩薩を残して荒れ果てていたのを、 明暦4年、 時の三春藩主2代盛季より賜った高乾院住職、一元紹碩和尚が再興しました。
現在の庵は文政13年に再再興されたものの一部です。庵に掲げられている扇額も、 一元和尚によるものです。
そして、三春名所写真ポストカード
写真は、本陣本店先代の川又恒一氏です。
発行が三春町観光振興会となっています。
三春の一番熱かった時代なんだと思います!
そして、もう一点 三春名所木版画のポストカードです。
福島県郡山市出身の作家さんで民家シリーズで有名な廣長威彦(ひろなが たけひこ)先生の木版画です。
御城山と月と題された作品ですが、この場所がわかりません~ 愛宕神社か法蔵寺のような気がします。
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2020-04-16 Thu
お客様から文鎮をいただきました。
昭和49年の福島県立安積高校の創立90周年・校舎落成記念の文鎮です。
お客様とは、同級生のお兄さんでもある村上さんです。
当店にはシャッターはありません。
閉店後はブラインドと風呂折敷で目隠しをしています。
朝の日よけの意味もあります。
この風呂敷を支えるために様々な文鎮で押さえています。
それを知った村上さんが家にあった文鎮を持参していただきました。
そして、三春中学校1969年の卒業記念の文鎮
ありがとうございます。
使わせていただきます。
三春城下 懐かしの写真展 大町カネサン書店内
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2020-04-01 Wed
三春を旅するあなたに 2020
都市化での画一的暮らしに埋没しながらも、時に、フトその日常に空しさを憶えたり、疲れを感じたりすることが誰にでもあるはずです
心のふるさとを求めて、旅に出たくなるのも、そんな時ではないでしょうか?
春に梅、桃、桜の花が一時に開花し、それが地名の由来となったとされる「三春」の町は、その土地柄に、そしてその人情に、幼い頃に感じた母親のぬくもりにも似た、きっと温か
な旅情を抱かせてくれるはずです
すでにその町をお歩きになった方なら、お気づきのことでしょうが、小高くうねる阿武隈の隆起準平原の谷間に沿った街並みは、そのここかしこに寺社の伽藍を抱き、蔵や武家屋敷のたたずまいとともに、歴史を秘めた古い城下町であることを偲ばせてくれます。
花を愛でる方には、ここは「「花の町」。
日本三大桜 の一つとされる紅しだれ桜の巨木「三春滝桜」の薄紅色の艶姿には誰もが驚嘆されることでしょうし、時同じ頃、真照寺境内に咲く可憐な水芭蕉は趣深い情緒を感じさせてくれるはずです。
紅しだれ桜が町の木なら、町の花にはさつきの名花である「三春松波」が、そして町の鳥には春告げ鳥とされる「うぐいす」が制定されています。
三春は古い城下町だけに、歴史的な文化財も多く、なかでも仏像や寺社仏閣の建造物など室町期から文化文政の頃に開花した仏教文化の数々。
戦国時代の画僧「雪村」の作品や三春駒、三春張子人形など、町人、農民による文化の遺産が、有形、無形問わず数多く遺されています。
また、ここは近世の自由民権運動発祥 の地となった町で、「三春町歴史民俗資科館」内に設けられている「自由民権記念館」には、その指導者、河野広中らの著作や書簡など資料が数多く集められており、新しい日本を目指して決起した旧三春藩の若者たちの熱い息吹きをとくと感じられることでしょう。
現代では、旅行も目的対応型の時代だとか、そのスタイルも人それぞれ異なります。
寺社を巡ってみたいという人、三春張子との出会の旅だという人、三春で何かおいしいものをという人、それに、ただばんやりと城山あたりで“お昼寝でも”という人もどうぞ、この心に残る三春の旅をお楽しみください
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2019-11-17 Sun
昨日、11月16日は、旧暦の10月20日に辺り、「えびす講」でした。
お客様への日頃の感謝の気持ちを込めて、昨日と本日にご来店のお客様に「鶴の子すあま」進呈いたします。
休まず営業です。
商家が商売繁盛を祈念して、恵比寿神を祭る行事が恵比寿講です。
恵比寿講とは、商売の神様である恵比寿様と大黒様を奉り、商売繁盛を祈念するお祭りのことです。
子供の頃には、我が家もこの日にはちゃぶ台に恵比寿様と大黒様の像を飾り、赤飯を山盛りにして、お頭付きの鯛、大きな五目玉の算盤、大福帳、お金等商売に関連する道具にけんちん汁等のご馳走を並べて祝っていました。
商人の家で行う恵比寿講さまは、恵比寿様の像を飾った座敷に商品を並べ、座敷にある道具類も含めて、招かれた人々が買い方と売り方に分かれて売ったり買ったりするまねをします。
双方が「千両」「万両」などと縁起をかついだ高い値をつけ、「売りましょう」「買いましょう」と言って手打ち式を行って締め、そのあとでごちそうを食べて祝うのです。ここから、とてつもないもうけ話のことを、「恵比寿講のもうけ話」などと言ったりするそうです。
昭和50年ごろ
一般庶民に台所の神、家の神として祭られる「恵比寿」さまは、留守神としてよく知られています。
恵比寿さまは、「夷」や「戎」とも書き、異郷からやってきて、人々に幸福をもたらしてくれる来訪神(まれびと)としてあがめられ、もともと漁業の神として漁民に信仰されましたが、農村では田の神として信仰され、都市では商いの神、市神として、特に商人の信仰が厚かったと伝えられています。
そこで、留守をあずかる恵比寿神を慰めるため、十月には「恵比寿講」を行って盛大に祭ります。
昭和40年ごろ
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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