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紅蓮山観音寺だより 第71号 平成31年新年 1月吉日



紅蓮山観音寺だより 第71号 平成31年新年 1月吉日


島根県浜田市にある曹洞宗観音禅寺様より、「紅蓮山観音寺だより 第71号 平成31年新年 1月吉日」が届きました。



秋分の日と新年月号との合弁号となっています。



今回から、編集長が俵保恵様なった旨が記されていました。

この観音寺だより発行の任を担う観音寺教化会役員の方々には、その労に対しまして心より御礼申し上げます。
また、長い間に数多くの編集に携わった方々がいるかと存じます。

重ねて、心より御礼を申しあげます。







念頭にあたりて

佛教徒の願い
佛さまに まみえん 
山門を通り 手を洗い
口を漱(すす)ぎ 礼拝申さん 
合掌を捧げ 本尊前に畏(かしこま)り
南無釈迦牟尼佛
佛音(ぶつとん)を称敜(しょうねん)せん 
身心調ひ 大安楽なり あなかしこ

自未得度先度他の ご誓願ぞ
如来さま 此に出まします
御懐に抱かれし 吾(あ)そ
かたじけなくも有難し 涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)なり
佛恩報謝に催され 細やかなれど
ただひたすらに 御奉仕申さん
御堂 清掃浄め奉らん
御斎 供養作食(さじき)申さん
御信心の道 手とり合て歩み申さん
皆ともに 華蔵世界(けぞうせかい)お浄土を建立申さん
住持 穆清 







今日地球上に人間娑婆世界は、科学が発達し社会制度も調い、物資的生活も豊かに暮らせるようになりましたが、そこですべての人々が心安らかに平安な日々を送っているかと云えば、相変わらず何千年の間無明流転、混迷凡夫の日暮しであります。

その中でお釈迦さまの佛教のみが、唯一絶対の安楽浄土の生活で暮らせる道をお説きなされております。

どうぞ、その佛さまにめぐり遇い頂いて、ご安心の日々をお過ごし頂くようお願い申します。


観音寺方丈花吉道久老師のご挨拶より








昨年は、五月の連休明け、夏のお盆明け、そして、10月中頃の2回ほど浜田に帰省するご縁をいただきました。

三春から、山陰石見の浜田までは約1200キロ、日本海ルートを高速道路で10時間くらいかかります。

せめて京都ぐらいならもう少しの頻度で帰れるんですが・・・






観音寺門前に家内の実家があり、近年その老朽化も進み、その補修修繕のために帰省しています。
其のたびに観音寺様にて朝の参禅に参加させていただいています。





平常心是道と禅では教えています。

仏道といっても特別なことは何もありません。

日常生活の全てが仏の教えそのもので、日々の事柄ひとつひとつに真剣に向き合い、こなしていくことこそが、正しい、しかも唯一の生き方となると方丈様に教えていただきました。





息子とその友人、そして、三春城下の看板や根本看板店の専務と~





また一つ、心が洗われました。





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍






| ryuichi | 05:00 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::紅蓮山観音寺だより |
石見浜田観音寺参禅 2018.10 自利利他 




島根浜田の紅端山観音禅寺花吉老師の下での私の参禅は、午前3時起床で身支度を整えて3時30分前には観音寺へ出頭し、蹲にて洗足して着座します。

午前5時ごろまで坐禅、そこから朝のお務めである朝課が始まります。

午前6時ごろから山内廻り、そして老師接心があり、家に帰るのが午前6時30分・


今回は満天の星空の下、徒歩3分という目の前にある観音寺様への出頭

北極星を背に立つ観音寺dす。

様々な星座が励ましてくていれました。


夏とは違い、少し肌寒い本堂の壁際に坐布をひいて坐禅開始です。


窓を閉めているせいでしょうか、虫の声も少なく、風の音も聞こえません。

静寂という言葉がしっくりとはまる、蝋燭のほのかな明かりの中、無音の世界がひろがります。









今朝の接心では、お坊さんの仏道修行とは、修行者や求道者がみずから修行を積んで自身がその結果を得る己の修練である「自利」

そしてこれに対し生きとし生けるものの全ての救済のために実践することで他人を幸せ導く「利他」

この両輪をもって仏道に励むことが仏教者としても務めである。

そして、後輩を育て後を託す。

さらには、生まれ変わっても仏道修行に励むことこそが本懐である。とご教授いただきました。


帰宅してから、「自利利他」を思い返してみました。

江戸の三大商人のひとつ近江商人の教えが思い浮かびます。

近江の商人は織田信長による楽市楽座の拠点であった近江(滋賀県)に本店を置き、天秤棒をかついで他国に行商をしました。


近江商人は、「売り手良し、買い手良し、世間良し」の三方よしという経営理念を生み出します、日本中で信頼を得る秘訣となりました。

これこそが「自利利他の円満」という仏教の教えなんだと思っています。









布施や持戒じかいを保ちつつ、忍辱にんにく精進怠らず

禅定を修し智恵みがき日々の行いふりかえり、

自利利他ともに円なる生き甲斐のある一生をおくるぞ

人の道とこそ悟るぞ涅槃の訓なり

と「発菩提涅槃章」に教授してあります。

反省の上にたって自分を生き、他人をもたて、ともに円かな人生を目指して努力し続けたいものだと解しました。



正に、観音寺の花吉老師の生き方を見るようです。

また心が一つ洗われました。







さて、今日は三春帰還です。

朝のうちの昨日のペンキ塗り残しを仕上げて、帰りの途に就きますが、折角ですので出雲大社で参詣して帰りたいと思います。







浜田から出雲大社までは一般道と山陰道、そして山陰道未完の無料通行個所を経由して約2時間です。






雨が降りそうな天候ですが、たくさんの人で賑わう出雲大社。







神在月の所以が残りますが、それは旧暦ですので今回は所願成就を聞き届けていただきます。


男四人の珍道中!それぞれに祈願して回ります。








出雲大社は「二礼四拍手一礼」です。








参拝を済ませ、門前にて出雲そばを食して、いざ三春へ・・・・







ナビの到着時刻を見ると・・午前2時!









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
「対機説法(たいきせっぽう)」 女房殿の実家を補修2018 島根県浜田市




三春から約1200キロ。

二泊三日の行程で、島根県西部にある港町浜田市にある女房殿の実家の補修作業に行ってきました。


次女娘の婿という立場なので、この家を次世代までつなげるのが私の役割だと思い、維持に努めています。

いい婿さんを演じさせていただいていますが、それもそうなんですが観音寺産での参禅、方丈様との接心、日本海の新鮮な魚介・・・・



ま、そんな訳で、今回は根本看板店専務、そして長男とその友達という男四人の旅です。







昨年も、この時期に補修に行きましたが、明治五年に発生した浜田大地震の後の復興建設となります。


築百年以上前に建てられた何分にも古い家なのでここを直せばあそこが~ってな具合で、次から次にと出てまいります。







しかし、この補修のおかげで、目の前にある実家の菩提寺「観音禅寺」花吉老師の下に参禅することができます。

また、日本海の幸が豊富な浜田の食を堪能することもできます。







早朝3時出発です。


新潟~若狭~中国道~浜田道というコースで午後2時前に到着です。





早速、観音寺さまやご近所様に挨拶を済ませ、現場と作業工程、必要資材の確認です。


徒歩3分のところにあるジュンテンドウというホームセンターがあるから何かと便利です。






実際の作業開始は二日目にして、今回はもう一つ夕日というテーマがありました。


家から車で10分の所にある浜田市下府にある国府海水浴場(海)のとなり、唐鐘漁港にある「石見畳ヶ浦」の夕日です。





夏に家族で帰省の折には時間の関係で昼間にお邪魔しました。


この時に、石見畳ヶ浦唐鐘漁港婦人部売店で偶然お会いしたお父さんたちに焼酎と今朝とれたての「白烏賊(剣先イカ)」を御馳走になりました。


特に夏の浜田で食せる各種の「烏賊(イカ)」たちの美味しさは知っていたつもりでしたが、漁師でもあるこのお父さんが朝上げてきた白烏賊は絶品でした~


それもコリコリと甘いと2種類~







そういう訳でこの時ごちそうしていただいたお父さん方にお礼にと思って三春からお菓子を持参した次第でした。







どうですかこの夕日と海に浮かんでいるような遠浅の海岸。







石見畳ヶ浦~ なんとなく時間がゆっくり過ぎているように感じます~









また、浜田帰還の際には寄らさせていただきます。







そしてこの日は車で15分にある「有福温泉 御前湯」にて湯浴み~






昭和初期で時間が止まったままのような有福温泉街のこのレトロ感がたまりません。




















夕食はいつもの、人気店「すし蔵」です。







店長の林田君にネタのレクチャーを受けながら浜田の海鮮に舌鼓~







私は明朝3時起床で観音寺の老師の下へ参禅です。






翌朝の老師との接心では、老師のお弟子さんが「伝法」に際し送った言葉の中から、「対機説法」をお話しいただきました。

仏教では、相手の理解度に応じて分かりやすく法を説き人びとを平穏に導きます。

それを「対機説法(たいきせっぽう)」(応病与薬)といいます。

「応病与薬(おうびょうよやく)」ともいいます。

仏教では、医者が病人に薬を与えるように、人の悩みに応じて教えを説くとされています。

つまり、「対機説法」と「応病与薬」は、意味するところは「同じ」です。







恵心僧都が弟子に鹿を打ち追い払わせたという逸話について道元禅師は、「道者の行いは、善行悪行につき皆思惑がある」「鹿を打ち追い払うのは、慈悲がないようだけど内心は慈悲でやっているのだ」と教授されています。

何事も物事の表面だけで判断するなということなのでしょう。


禅の教えでは仏道修行修練の先には「解脱」があると教えています。

しかし、そこへ導くための道は、いく通りもあり、ひとつでありません。

アプローチ・入口もどこからでもいいですし、直線だったりストレ-ト、曲がりくねったワインディングロードだったり・・・・

さらに、思い切り遠回りな道もあるでしょう。

こうした道と同じように、人はそれぞれ感じ方も考え方も違います。

しかし、人生における安心(あんじん・苦からの解脱)を望むのはすべての人に共通なはずですね。


また一つ心が洗われました。







さて作業状況ですが、屋根の補修及びペンキ塗り、雨どいの改修・補修、外壁下面のコンクリートでの養生、池排水補修・・・


何分海まで徒歩3分という港町にある家です。

否応なしに潮風にさらされています。


トタンにペンキを塗っても三春のようにはいきません。








早め早めの対応が肝要かと思います。


これで当分は持つでしょう^






こんばんは観音寺様から、4人でのご招待を受けまして、浜田の海の幸、そして美味しい般若湯~

皆で楽しい会食です。



実は、私はこれが一番の楽しみだったかもしれません・・・






方丈様、ありがとうございます。



おっと、明日も三時起床で参禅です。


ほどほどにしないと・・・・








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
スリランカの村にあるお寺に幼稚園を作る為のご協力をお願いします。




女房方の実家である島根県浜田市に帰省の折には目の前にある曹洞宗紅蓮山観音寺の花吉老師の下でプチ参禅をさせていただいています。

参禅させていただいている島根県浜田市にある観音寺にて、毎年お盆に開催される施食(餓鬼)供養法要があります。
私は和菓子屋という仕事柄、お盆は繁忙期のために出頭することはかないません。








今年は、その法要の最後に、スリランカ・テーラワーダ仏教僧侶のスニータ長老に、仏教における施餓鬼供養の起源について、観音寺の檀信徒の皆さんに法話としてお話しして頂きました。


最後にスニータ長老が、みなさんにお声をかけて、集まられた檀家の皆さんで一緒に、生きとし生ける一切の存在の平安を静かに祈り、とても清らかな空気に包まれて施餓鬼法要が終了致しました。







ご縁があり、以前ご一緒に参禅させていただいた野原眞承和尚

眞承和尚は現在、同じ浜田市の三隅町にある海蔵山龍雲寺の住職を務めておられ、参禅者のための広く門を開かれ、国内はもとより海外からも多くの方々が参禅しています。






広島大学大学院の博士課程で仏教哲学と輪廻を研究されている、カルナー協会代表のウイン・ランドベ・スターニ僧侶とも親交があり、今回の観音寺での施餓鬼法要での法話となります。






さて、秋彼岸を迎えます。

ご先祖様に感謝の心を向けて、お互いに有意義なお盆を過ごさせて頂きましょう!

生きとし生ける一切の存在が平安でありますように…合掌






スリランカの村にあるお寺に幼稚園を作る為にご協力をお願いします。

2004年のスマトラ島沖地震では、バラピチャ県のヌルガラという小さな村も津波の大きな被害にあいました。その時、村のスワサマディ寺 では本堂の一角で無料の幼稚園を開き、親を失くした子供や被害にあった家庭の子供達を迎え入れました。


あれから14年、現在は貧しい家庭の子供たちが通っていますが、本堂ではお寺の行事が頻繁に行われるため、幼稚園を開けない日が多いのです。

そこで子供達の学びを確保するために、この夏、お寺の敷地内に幼稚園校舎の建設を始めました。

2018年8月現在、これまでの皆様のご寄付(84万7300円)により基礎工事が終了し、校舎の壁と柱の一部に着手できましたが、完成まであと約600万円ほどかかる見込みです。

:どうか皆様のご協力とご支援をよろしくお願い申し上げます。






カルナー協会代表 ウェン·ランドペ·スニータ僧侶

バラピチャ県ヌルガラ村 スワサマディ寺
(※住所: Suwasamadhi Temple. Nurugala, welíthata, Balapitiya. SriLanka. ℡ +94-723834064)


ご寄付の振込先
ゆうちょ銀行
口座名 カルナー協会
記号 15140 
番号 56096891







スニータ僧侶は、スマトラ沖地震の津波によって、自身も流されましたが、家族を含む数千人の)被害の中、奇跡的に助かりました。
:現在は、広島大学大学院の博士課程で仏教哲学と輪廻を研究しながら、どのような境遇にあってもお互いに思いやりの心、慈悲の心をもつ人間を育てる平和教育の普及に取り組んでいます。

島根県浜田市三隅町 龍雲寺 野原眞承和尚






問い合わせ 
海藏山 龍雲寺 
🏣699-3302 島根県浜田市三隅町芦谷
Tel 0855-32-0960
E-meil :aaarigataya@outlook.jp

ウイン・ランドベ・スターニ僧侶
E-meil: suwasamadhi@gmeil.com(日本語で大丈夫です) 












春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:45 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
石見浜田 紅蓮山観音寺参禅記 2018.夏




浜田では3時起床にて曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

朝3時、引き締まった空気の中、冷たい水で顔を洗って、徒歩一分という目の前にある観音禅寺へ満月に照らされた参道・山門を通り本堂へ出頭いたします。


北国三春の夏の夜とは違い、日本海特有の高温多湿の夏の真夜中・・・


冷房の効いた寝室から一歩外へ出るとジわっと汗ばんでまいります。







方丈様の下への参禅も気付いたら長男が生まれてからですのでかれこれ20年になります。


坐っているだけでも汗がしたたり落ちる本堂の片隅。


時折、火灯窓(かとうまど)より、吹き込むそよ風に”ちいさな幸せ”を感じます。

大袈裟な言い方かもしれませんが、普段なら気づかないような”小さな幸せ”に”ありがたさ”を感じ、”生きている”・”生かされている”ということが実感できます。


そして、老子の下で参禅させてもらっている家族へ感謝しながら、1年分の溜まりに溜まった”心の塵芥”の洗濯です。








お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。


文字通り「門前の小僧(50過ぎのおっさんですが)」、約3時間半のプチ参禅です。






何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。

約一時間半ですが暁天坐禅を心ゆくまで堪能しています。






参禅させていただいた期間が7月30日~8月2日まで。

この時期、観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」の最終段階でした。


夏安吾の観音寺様では、「楞厳会(りょうごんえ)」という偈分「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」をお唱えしながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。






そして、安吾も終終了の翌日は8月1日。

禅寺では元旦や、月の1日、15日を「祝聖」と呼んでお祝いの日としています。

僧堂でも祝聖の日は親指の分かれていない白足袋を履いて、朝課に出頭します。

そして、朝課を始めますが、日課のお勤めの前に、天皇陛下の聖寿をお祝いして興禅護国を祈願します。

そして、すべての仏様にお茶をあげます。






私など、門前の小僧で周りをきょろきょろとみているだけですが、とにかくお坊さんの朝は忙しく走り回り、無駄な時間がありません。

また、参道に鎮座する龍王尊守護 祈祷道場山形鶴岡にある龍澤山善寳寺からの分霊した「龍神」様、秋葉大権現様、そして、天満自在天さまをお祀りする鎮守堂。

地蔵堂のお地蔵様と無縁になった仏像。

歴代住職之墓、幕末の旧浜田藩松平〔越智〕家臣の墓、そして、日露戦争日本海海戦時の撃沈された軍用船「常陸丸」の乗員を弔う無縁地蔵等々を回向してまわります。







今回の方丈さまとの接見法話では大事な事柄をご教授いただきました。


・人に伝える学ぶ その方法もいく通りもある。

・一本調子ではなく柔軟な考え方が必要である。

・これは普段の生活においても同じです。

・俺が俺がではなく その有り様を考える事が大事である。







・絵師池野大雅

・片手仕事をしてはいけない

・一事一佛一成就 = 一つ一つの所作が修行である。

・娑婆訶「そわか」とは、もともと仏教のお経で最後に唱えられ「成就する」という意味。







・正宗の刀

・自由無碍 物事に執着しない

・名声成功習得など・・・・

・山登り詰めれば下りるだけ  = 天の上に天がある


・赤目老子

・弟子の旅立ちに対して、道中気をつけてとは、次の師家寺院までの旅だけではなく、その弟子の仏道成就・までの道程・人生



老師は"典座"を通して、真の弁道(修行)とは、坐禅や祖録公案だけではなく、 むしろ日常生活そのものが修行であると説いておられます。



この参禅、講義の中で、老師は
「禅修行”とは、この四日間の参禅だけが仏道修行ではなく、日々の暮らしの中にある事柄のすべてが禅の修行である。
日常生活の一つ一つの営みの中に、禅の教えを活かし、日々そのことを念頭に生きなさい。
そして、自分と身の回りの人に、安らぎと落ち着きを与え、明るく、正しく、仲良く、 日々の生活を送れることが大事である」


人生そのものが仏道成就のための“心の旅”であると老師はご教授されたと解しました。

心の旅、この世のすべては修行であり、何ひとつ無駄なことはありません。
つまり、どんな人生であってもこの世に“生きている”のは、修行のために“生かされている”ということなんだろうと思います。


日々精進ということですね。


ありがとうございます。







曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。

それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進されたことによって“悟り”を開かれたことに由来するとされています。


そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。







何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。
坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿と説かれています。

私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。







道元禅師は、坐禅だけではなくすべての日常行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説かれています。

修行というと非日常的な何か特別苦行をすることのようにとらえがちですが、実は、毎日の生活の中の行い一つひとつがすべて前修行であり、何事も坐禅と同じ心で勤め、それを日々実践し続けることが大事で、それが修行であるということを教えていただきました。


また一つ心が洗われました。







幕末 石州口(石見口)の戦い
幕府は、慶応2年(1866)、第二次長州征伐の軍を起こし、四境(石州口・芸州口・大島
口・小倉口)より戦端が開かれました。
そのうち石州口の戦場となったのが浜田藩領益田で、のちの戊辰戦争で一番初めに長州藩と戦い敗れたのが浜田藩松平氏ということになります。


 当時は浜田藩松平〔越智〕家の第四代当主松平武聡は、父を水戸徳川斉昭(なりあき)とし、徳川将軍後見人一橋慶喜の異母兄弟です。

無益な戦いと知りながらも、そう簡単に城を明け渡すわけにも行かず、病気療養を理由に指揮権をほかの藩にと幕府に要請します。

そこで幕府が指名したのが、因州鳥取藩12代藩主池田池田慶德(よしのり)です。

慶徳は、武聡と同じく水戸徳川斉昭の息子で、二人は兄弟です。

ところがこの慶徳も、病気を理由に大将を辞退し、鳥取藩兵も撤退させてしまいます。

その後、応援に来ていた松江藩も、慌てて兵を撤退させます。
さらに翌最後まで残っていた浜田藩の兵たちが、本拠・浜田城に火を放って松江へと逃亡し、事実上、浜田は陥落しました。



後の日本帝国陸軍の創設者である長州藩大村益次郎は、石州口(島根県浜田市)方面の指揮官となります。


益田扇原関門関守浜田藩士 岸静江国治は僅かな部下と急募の農民と共に関門の守りについていました。

慶応二年(1866)6月16日朝 大村益次郎(旧名 村田蔵六)率いる長州軍約一千五百名が横田方面からこの地にさしかかったが、扇原関門の守 岸静江国治(浜田藩)は通過を許さず、ついに戦闘が開始されたます。

しかし、圧倒的な兵力を誇る長州軍のため、国治はまず部下と農民を退去せしめ、唯一人関門を死守するうち不幸敵弾を受け、圧倒的多数の敵兵をまえに岸静江は仁王立ちのまま絶命したと言われ三十一歳を一期として壮烈な戦死をとげました。

昭和八年 岸静江国治は靖国神社に合祀せられた。

尚、この岸静江国治の墓も観音寺墓地にあります。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
「第22回 白山会書展」 観音寺山内衆 定岡蔵心和尚




観音寺山内衆の一人で定岡蔵心和尚

書道をこよなく愛するお坊さんで、方丈様の佛詩や行事などの観音寺の張り紙や龍雲寺などにある回向柱の書などを手掛けておられます。






当店に掲げてある観音寺方丈様よりいただいた佛詩の書も蔵心和尚の手により力作です。





先の平成30年7月17日~22日まで、東京都中央区銀座にある大黒屋ギャラリー6階で開催された東洋大学卒業生有志の会による「第22回 白山会書展」にも出品されています。






「茶煙軽颺落花風」  茶煙軽(かろ)く颺(あが)る 落花の風
                   
杜牧が記した 題禅院 禅院に題すの一節ですね。
 
   觥船一棹百分空   
   十歳青春不負公   
   今日鬢糸禅榻畔   
   茶煙軽颺落花風   

杯をぐいと飲めば 酒はたちまち空になる
青春の日々を十年 赴くままに生きてきた
両鬢もいまは衰え 禅寺の椅子に坐す
立ち昇る茶の煙に 落花の風が吹いている






東洋大学を出てから駒澤大学に進まれたという経歴の雲水で、埼玉県桶川市のご出身です。


ご縁があって観音寺にて雲水修行をされています。








参禅と申しましても、私の場合は”門前の親父”

見よう見まねでお寺にて参禅の為、お寺に出頭させていただいている者です。


観音寺では、蔵心和尚や敬信和尚に手ほどきを受けながら参禅しています。


その際に、丁寧に次のお経や作法等を教えていただいている雲水様です。



私も、蔵心和尚のように自分の行いに責任を持ち、目標を掲げて五年・十年と一つの道を真面目にコツコツと歩き、後悔のない日々を生きてまいりたいと思います。








またよろしくお願いいたします。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:59 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
三隅 海蔵山龍雲寺 参詣 2018夏




ご縁があり、以前、浜田観音寺様にてお世話になった野原眞承和尚が住職を勤めている海蔵山龍雲寺方丈の野原眞承和尚にご挨拶に伺いました。

浜田紅蓮山観音寺花吉和尚の下へ参禅するようになったのは、今年二十歳になる長男が生まれてからですのでもう20年余になるかと思います。








中世の豪族三隅氏の山城跡の建てられた龍雲寺は、江戸期に入り浜田藩主松平家菩提寺です。

本堂の天井には狩野派の絵師が描いた雲龍が描かれています。

私の名前にも龍の文字が付いているものですから妙に落ち着く空間が広がっています。






眞承様と最初に観音寺でご一緒させていただいたにもその頃で、眞承様と浜田観音寺さまにて薬石をご一緒させていただいた折に伺った、ご自信が一年半の間に経験されたエルサレムメッカの話を思い出していました。

「宗教や人種を問わず全ての方々が世界平和を祈るという事が理想です」と語っておられましが、そのことが体現されたような平和の鐘だと思っています。





ここで御縁があり、イスラエルで一番お世話になったのがユダさん、ジジさんご夫妻とフェイスブックで二十数年ぶりに再開し、ご夫妻が先ごろ来日、龍雲寺に来山されたとのことでした。

改めて人の恩と御縁のありがたさを御教授いただきました。






春陽三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

 



 

 

| ryuichi | 07:08 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記 |