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紅蓮山観音寺だより 第70号 平成30年新年 1月吉日




紅蓮山観音寺だより 第70号 平成30年新年 1月吉日


島根県浜田市にある曹洞宗観音禅寺様より、「紅蓮山観音寺だより 第70号 平成30年新年 1月吉日」が届きました。







方丈様の年頭にあたりを拝読しますと、檀信徒向け会報誌である「観音寺だより」は昭和56年正月第一号発刊から、37年続いたとありました。

この70号という節目の発刊には、心よりお喜びを申しあげます。


また、長い間に数多くの編集に携わった方々がいるかと存じます。

重ねて、心よりお喜びを申しあげると共に、御礼を申しあげます。






昨年は、夏のお盆明けと台風一過の10月中頃の2回ほど浜田に帰省するご縁をいただきました。






夏の帰省の折には、子供たちや義母と予定が合わず、帰省をあきらめていました。

しかし、浜田新真光町の義父方の家補修修繕や、津和野にある義母方のお墓掃除が気がかりで夏休みを利用して一人帰省させていただきました。






十月の帰省は、夏に下調べをしていた修繕箇所を、根本看板店お根本専務、そして、本ハウスメーカー勤務のポリシス山口代表の3人での2泊3日弾丸ツアーでした。





夏の参禅の折には、趙州和尚「盋盂洗鉢(ほうせんばつ)し去れ」をご教授していただきました。
腹一杯ご飯を頂いたなら、食器をきれいに洗っておきなさい
これは、食事の際には真剣に食を頂く。
食後に真っ先にやるべきことは、いただいた器を真剣に洗うという当たり前の事・・・・。即ち、目の前のことに手を抜くことなく真剣に向き合うということ。

ただこれだけのことだが、こういうことが自然に無心にちゃんとやれているかどうかが修行僧には大事なことなんです。






そして、秋の家の補修の際には「喫茶去」

帰り際、出発前のあわただしさの中、方丈様の下へご挨拶に行った際、あえてお茶を勧めていただきご馳走になってきました。

私が、疲れのせいで朝の参禅に来れなかったことを悔やんでいるだろうと、強いてお茶を勧めてくれたんだろうと解しました。


喫茶去(きっさこ)はと“まあ、茶を飲みなさい”ということですが、方丈様は、お茶を飲む、家の修繕をするこれらすべての日常生活の中に仏道修行があるということを教えようとするものです。

正に禅でいう「修行こそが悟りであり、悟りこそが日々の修行」ということを教えていただきました。






観音寺だより70号にもありましたが、「一切衆生悉有佛性」そして、精進料理の教えを教えていただきました。


平常心是道と禅では教えています。

仏道といっても特別なことは何もありません。
日常生活の全てが仏の教えそのもので、日々の事柄ひとつひとつに真剣に向き合い、こなしていくことこそが、正しい、しかも唯一の生き方となると方丈様に教えていただきました。

また一つ、心が洗われました。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:39 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記::紅蓮山観音寺だより |
岩見浜田の家の補修! 2泊3日の山陰浜田弾丸出張ツアー!



島根県は石見浜田市にある女房殿の父方の実家へ、2泊3日の弾丸帰省してまいりました。

片道1200キロ、本来なら約12時間の車の旅です。


この度は、台風21号が三春通過という最悪のコンデションの中です。


大雨の中、高速道路も”親知らず”付近で通行止めのため海沿いの一般道を経由、さらに、若狭道通行止めで渋滞の名神道へ、そして極めつけは真夜中の浜田道広島と島根の県境の通行止です。


三森峠の旧道のような山中の道をひた走りで、14時間かけてやっとさ浜田帰還となりました。





以前よりの懸案だった実家の雨漏り対策・屋根の修理と外装木部補修の為なんです。


今回なんとか時間を調整して、三春城下新町の根本看板の専務と、中町のポリシス社長に出張を依頼しての今回の帰省となりました。






築100年は経つであろう商家造りの古民家です。


私も、この家の娘婿としては、少しでも長持ちをさせて次世代へ伝えたいという思い、そして、留守にしている家なので港町浜田市真光町のご近所さんのご迷惑にだけはしたくないという思いがありました。







持つべきものは・・・やはり気心の知れた仲間は頼もしいです。


私が思い描いたよように中一日半という短時間で出来る限りの修繕を施していきます。





腐食に強いトタンを張って石州瓦の下地にして屋根の補修。


約30年前に、構造上無理して拵えた雨どいの補修も、トタンで箱を造りコーキング補修しながら水路の確保!





外装にある木部のペンキ塗り。

古い台所の棚の補修。

そして、古くなった屋根雪止めの撤去等々・・・・・





朝から晩まで、そして翌日の午前中をかけて施工していただきました。


お陰様で、見違えるような仕上がりです。


翌朝、雨が降ってきましたが補修箇所は、ばっちり機能していました。





この家の守り神である、鬼瓦も大満足の様子です。






北国奥州磐城国の小さな城下町”三春”から、山陰は石見国浜田に出張していただいたからには、日本海の海の幸を堪能していただかないと、日本海に申し訳が立ちません。


早速、昼には浜田で一番人気のすし屋「すし蔵」で”山陰の海の幸”を堪能してもらいました。


のどぐろ・鯖・烏賊・ほうぼう・・・・・






そして、作業の関係で遅くなった夕食は、やはり浜田で一番人気の和食の店「植本本店」で”海の幸”と山陰名物”石見おでん”を堪能してもらいました。





秋の山陰。


海の幸も旬を迎えた白見魚が沢山上がっていました。






浜田帰省といえば目の前にある禅寺観音寺様方丈花吉和尚の下での参禅が一番の目的なんです。


浜田へ到着したのが深夜2時近くでしたので、翌朝にご挨拶に伺い先に頂戴した「おたり饅頭の願い」の扁額の御礼と帰省した挨拶をさせていただきました。


そして、参禅の許可をお願いしたところでした。

その翌朝は参禅の予定でしたが・・・・・時間調整不足で朝起きれませんでした・・・・残念!





帰り間際、改めてご挨拶に伺いました。

美味しいお茶を頂きながら、少しの時間でしたが近況を報告などのお話をさせていただきました。

いつも思いますが、方丈様のご尊顔を拝する、お話を伺う、そして、同じ時間を共有するというだげで心が洗われる気持ちになります。

まさに、”尊く、ありがたい”という言葉が頭をよぎります。



さあ、帰りの時間が迫ってまいりました。

方丈様は、いつもの通り優しい笑顔で見送っていただきました。







今月号の「禅の心」の”開山”と題された特集記事に使用されている写真が三隅の龍雲寺野原眞承和尚晋山式の模様が使われているということで拝聴してまいりました。

写真には、観音寺雲水定岡蔵心和尚、観音寺花吉和尚、そして龍雲寺眞承和尚がばっちりアップされています。









帰りの車中で、禅語「喫茶去」を考えていました。

帰り際、出発前のあわただしさの中、方丈様の下へご挨拶に行った際、あえてお茶を勧めていただきご馳走になってきました。

私が、疲れのせいで朝の参禅に来れなかったことを悔やんでいるだろうと、強いてお茶を勧めてくれたんだろうと解しました。





喫茶去(きっさこ)はと“まあ、茶を飲みなさい”ということですが、方丈様は、お茶を飲む、家の修繕をするこれらすべての日常生活の中に仏道修行があるということを教えようとするものです。

正に禅でいう「修行こそが悟りであり、悟りこそが日々の修行」ということを教えていただきました。


また一つ、心が洗われました。


ありがとうございます。






浜田で、いつもお世話になている床屋の土田さんの女将さんはじめ、真光町のご近所の皆々様にご挨拶と感謝を申し上げて帰路につきました。


今回も、様々な方々のお陰で、こうして幸せに暮らしているということを学ばさせていただいた旅となりました。


心より感謝申し上げます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 06:19 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
「おたり饅頭の願い」 佛詩拝領 浜田市曹洞宗紅蓮山観音禅寺 方丈穆清和尚




島根県石見は浜田市にある曹洞宗紅蓮山観音禅寺の方丈花吉老師より額装された「おたり饅頭の願い」と題された佛詩を拝領しました。

方丈様の雅号穆清和尚で記された佛詩を、弟子である定岡蔵心和尚が書に認めた大作です。


早速店内に配させていただきました。







今年の夏前に詩は頂戴していましたが、立派な額に入れられたものを拝領して感無量でございます。

詩も方丈様の人柄が現れた優しさと慈愛に満ちた心温まる句の中に、禅的生き方を示唆するお導きの句がちりばめられており、日々我が身を顧みて、今年に夏のご教授された無功徳的な生き方、そして詩にある“没蹤跡”の生き方を目指したく存じます。






おたり饅頭の願い

どうぞ皆さん 一口召し上がれ 心に安らぎ与え申さん
どうぞ皆さん 二口召し上がれ 康らぎ施し申さん
どうぞ皆さん 三口召し上がれ  信心発祈り申さん

功名を知られず 
利を多く求めず
ただ餡を練ります
饅頭作り申さん

没蹤跡に去りにし
三春の地より
本に細やかなりし 
幸福お届け申さん

穆清和尚の詩






「没蹤跡(もつしょうせき)」とは、足跡を残さない生き方

足跡を残さない生き方とは・・・・?

生死を含めた過去を引きずらず、未来にもこだわらない。唯々今に没頭しなさいということなんだとしています。

即ち、没蹤跡とは、今を懸命に生きることで「過去や未来と言った時間的なこだわりまでも捨ててしまえ!」という教授なんだと思います。


公案と肝に銘じて、日々の精進の中で学びたいと思います。





御礼の電話を差し上げました。


いつ時でも変わらず優しい声で発せられるお言葉と、お心遣いをいただいたことへの感謝の気持ちと嬉しさ・・・・

そして、優しい御母堂様のお心遣い、書家でもある蔵心和尚の達筆な書・・・

心が満たされたのでしょう、手を合わせて物資を拝見していますと涙があふれ出てまいりました。

本当にありがとうございました。

また、このような素晴らしい老師と巡り合うことが出来たのも、当女将と出会ってからこそのことです。

女将がいて、浜田出身のご両親がいる


家があり、お墓もある・・・・様々な要因が重なり今がある。


このご縁に感謝です。





お坊さんは、小さな布を継ぎ接ぎした「袈裟」をかけています。

その「継ぎ接ぎ」は「ご縁」そのもので、その小さく切った一枚一枚の布が回りの布に支えられている姿に、この世のすべてのことは、他のものによって生じている、そして人の生き方そのものだと説いています。

私には良いご縁が多々ございまして、観音寺方丈様をはじめ、先輩、後輩、そしてお客様など様々な方々に支えられております。

「人の生き方」「商人の心得」「命の大切さ」「町衆の心意気」等を教えていただき、そして皆様方が「袈裟」を支える布、そして「ご縁」そのものとして、応援を頂き、支えられて商いをさせて頂いています。

「俺が俺がの「我」を捨てて、お陰お陰の「偈」で生きよ」と云う語がありますが、全ての事柄は自分一人の力で出来たのではなく、有縁無縁、周り居る方々のお陰ということを改めて学びました。


また一つ心が洗われました。






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| ryuichi | 05:42 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
「紅蓮山 観音寺だより」第69号(平成29年9月吉日発行)



「紅蓮山 観音寺だより」第69号(平成29年9月吉日発行)が届きました。

冒頭の「只今観音寺」方丈様の寄稿住持 穆清(雅号)には、「禅寺と掃除作務」と題されて掃除の功徳が記されていました。

草取とけよと、雲水の仕事として命じられています。
それはただの雑草取りではなく、一草取り除くごとに煩悩妄想の草を取り除いているんだと老師は教えています。




 
禅宗の掃除についての考え方は、汚れていれば美しくすることはもちろんですが、汚れの有無にかかわらず、日々清掃することが修行であり、掃除が日課とされています。

夏は草の成長が早く、取っても取っても直ぐに生えてきます。

秋には、落ち葉が・・・

冬には、雪が・・・

春には・・・

というように、かくのごとく雑念もまた然りです。

このように人々の心の中に生えてくる様々な煩悩妄想や雑念は振り払っても直ぐに湧いてきます。

その煩悩妄想などの雑念という”雑草”を毎日取り除くのが修業です。

そして、取り除くことによって佛性が出現するとご教授していただきました。






これは夏の草取りだけではありません、家や店舗は今生における修行の場ですので、毎日掃除をして不染汚(汚れなき清らかな場所)を保ちなさい。
そのために毎日の掃除は欠かしてはいけないということなんだと思います。
正に、日々掃除するのは、掃除そのものを不染汚の修行としているからということなんですね。

また一つ心が洗われました。




今回も38ページにも及ぶ編集作業。
編集に携わっている小笠原正克様はじめ編集員の方々には大変お疲れ様です。
お陰様で、楽しく拝読させていただいています。



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| ryuichi | 05:32 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記::紅蓮山観音寺だより |
浜田紅蓮山観音寺参禅記2017 若い先生へのエール



浜田帰省観音寺参禅の御褒美、観音寺方丈様との薬石会食に招かれました。

これが楽しみで毎年参禅していると言ったら怒られるかもしれませんが、方丈様と同じ世代を生き同じ空間にいるということだけで有り難さを感じます。

薬石のお話の中で、様々な事を御教授頂きました。

その中で、先にご挨拶に来られた檀家さんのご子息でこの春より教師になられた方へ送った方丈様の仏詩を紹介させていただきます。





「若い先生の誓願」
みな素晴しい生命一杯の仏性の子
覚めよや どうぞ お手伝いします
互に尊貴なれば、ただ奉仕あるのみ

みな溢れる個性一杯の業生の子
気付けよや どうぞ 手助けします
型に填めざれば、応病与薬自在なり

みな 素直な純粋一杯の法性の子
伸ばせよや どうぞ保護します
時節到来せば、鉄は熱い中に打たん





「教師応援歌」
師資一枚の法門あり。本より虚心坦懐なれ
先生の方からとび込みなされ恩愛一杯
隔てなければ、秋空に片雲なし

師勝資強の禅語あり。眼合せて相い見る
学生の心を受け止めなされ
因縁一杯 尊貴なれば、春陽に若芽立つ

浜田紅蓮山観音寺方丈





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| ryuichi | 10:00 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
浜田紅蓮山観音寺参禅記2017 座禅



島根の家内の郷浜田では毎年朝三時起床です。

三時半、と言っても真っ暗闇の引き締まった空気の中、冷たい水で顔を洗って、徒歩一分という目の前にある観音禅寺に参禅にむかいます。

気付いたら長男が生まれてからですのでかれこれ20年になります。

洗足をして本堂の奥にある火焔窓前で座禅をします。





暁天(キョウテン)坐禅です。

暁天とは夜明け前の空のことで、須弥壇の蝋燭球の仄かな明かりの中、夜の闇に包まれた本堂。

虫の声や出向する船の音以外は無音で、静かに坐って過ごすことが毎朝の楽しみになっています。

この観音寺での数日間の座禅を快適に出来るよう念頭に置いて、一年間生活しているような気がしています。





座禅では次の3つのことを調えることが基本だと方丈様に教えていただいております。

一、調身:身を調える。

一、調息:息を調える。

一、調心:心を調える

禅寺では朝起きてから顔を洗ってお水を備え線香をあげて坐禅をするまで、毎朝同じことを、まっすぐやることが大切だとされています。

坐る時は何も考えない、とは言っても凡人たる私には出来るはずもありません。

一から20までゆっくりと数を数えて雑念を払拭しようと試みています。

しかし、様々な思いや考えが湧いて来て仕方がないので、それぞれの想いをめいいっぱい巡らせ、足や腰が痺れてまいりますので、時には足を組み替えたり伸びをしたり部屋を見渡したりもします。





一年間待ち望んだ一番有意義な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。

約一時間半ですが暁天坐禅を心ゆくまで堪能しています。

今年は幾分涼しく感じますが、それでも座っているだけでも全身汗でびっしょりです。





次に朝課です。

朝課とは、朝の読経のことで、曹洞宗日課に則り厳粛な雰囲気の中粛々と執り行われます。

お経に間に全身を使った禮拝があり、これがまたいいスクワット運動になります。

それぞれの読経は、御釈迦様から代々続く歴代和尚の名前を唱え、先祖やまわりの有縁無縁の人々、環境全てに感謝回向し、福壽無量を祈願します。





また一つ、心が洗われました。


楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、さあ、三春、そして娑婆へ帰還の時間が迫って来ました。

夢のようなひと時でした。

また来年浜田紅蓮山観音寺参禅に来れますよう一年間頑張ります。





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| ryuichi | 11:29 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
「無功徳」浜田紅蓮山観音寺参禅記2017


今朝の接心では禅宗の祖、達磨大師と中国・梁の武帝の問答の時の達磨の返答を例に挙げられ「無功徳」を御教授いただきました。


達磨大師が中国に禅を伝えるために渡ったとき、梁という国の武帝に謁見しました。
梁の武帝は仏心天子と人々が呼ぶほど仏教に篤く帰依した皇帝でした。

武帝は次のように問います。
私は寺院を建立し、多くの僧を得度させた。どのような功徳があるだろうか。
これに対して達磨大師は無功徳と答えたと伝わっています。




"功徳を求めれば功徳なし"
無功徳とは、自分が何かしたとき見返りを求めないっていう意味だと解しました。

私たちは普段から無意識のうちに相手に見返りを求めがちです。

人に対して「何かやってあげる」「やってやった」ではなくて、逆に「やらせてもらってありがとう」って思う気持ちが大事なんだと思います。


私も商人ですので近江商人の教えである「陰徳善事」を思い出していました。

~ 陰徳あれば、必ず陽報あり ~
 「人知れず善行を積んだ者には必ずよい報いがはっきりと現れる」(淮南子「人間訓」)という言葉があるように、報いを求めない行為は禅僧の目指すところの「解脱」を示し、真の人間性や信用が生まれてくるものなのでしょう。




昨日も津和野にある義母方の墓所にて高齢の叔父に変わりお寺さんから鎌を借りて鬱蒼としたお墓を掃除しました。子供たちそして義母の健康を念頭に掃除をしていたら何故か涙が出てまいりました。

こうして三春の地より遠く離れた石見津和野にて墓掃除をさせていただいている事。これも何かご先祖様からの御縁何だろうなあと思います。


直接は血のつながりのない娘婿として島根へ来て、義母方のお墓掃除やら家の補修やらをさせていただいておりますが、毎朝の参禅という御褒美があります。


ただただ己の良心に従って行動し、見返りを求めない。おのおのが信じる善行を積み重ねていくことが大切なんだろうと思います。
正にこれが無功徳の功徳なんだろうと実感しています。

そして、この御縁の有り難さに心より感謝している次第です。





合掌


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍 拝






| ryuichi | 07:46 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記 |