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紅蓮山観音寺参禅記 2018.5 その2 「卒啄同時 (そったくどうじ)」




今朝も、本堂内を肌寒い位の涼やかな風が通り過ぎ、初夏の気配を感じながら座禅をさせていただきました。


坐禅

“ただひたすら座る”というだけです。

過去の行いや出来事、これから起きることを全部自分の中から捨て去って、ただ座るということ教えられています。

それが今生きている実感や生かされていること、日常のありがたさに気付くことにつながるんだろうと思います。



三春への帰還の朝の挨拶では「卒啄同時 (そったくどうじ)」という言葉をご教授いただきました。


卒啄同時とは、禅の修行の中で「絶妙なタイミングで師弟の呼吸がぴったりと合い、悟りの境地へ導く」ことをさしています。               

これになぞらえ、禅の世界では、師匠と弟子の間で佛法を相続、伝授するときに使われる大切な教えです。


これを、鶏の親鳥と、生まれ来る雛鳥を例えにして導いていただきました。

雛が卵の外へ出ようと殻を内からつつくことを「啐」、そして親鶏がそれに応じて殻を外からつつくことを「啄」といい、両者が一致し同時であってこそ雛は誕生することができる。

夫婦、親子、友人関係など様々な人間関係においても、相互の啐啄が合致していれば、うまくいくでしょう。

「機縁」という語があります。
これは、あることが起こるようになるきっかけをあわらしていますが、おのずとおとずれてくるものであって、つくろうとしてもつくれるものでもありません。

この機縁がこそ「啐」であり、「啄」だということなんだろうと思います。






まさに、観音寺参禅での接心では、方丈様にいつも私自身の普段の行いや、心の内を見抜かれた様なお言葉でご教授いただいています。




磐城三春から石見浜田は約1200キロ離れています。

普段の行動か見えているはずはありません。

しかし、気付かないうちに己の顔や態度に出ているんでしょう、毎回「ハッ!」として自身を顧みています。

禅の老師は、「啐啄の機」をもって雲水(修行僧)を指導されたと伝えられていますが、まさにこのことなんだと思っています。






曹洞宗の朝課・勤行の中で偶数の日に唱えるお経に「宝鏡三昧」があります。
雲水・修行の僧の心構えを説く長いお経ですが、その一説に「~潜行密用は愚の如く魯の如し、只能く相続するを主中の主と名づく~」となります。

禅僧・人としての真価は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉で、人知れず潜かに「功徳」を積んでいくということであります。

 潜かに目立たぬように、という行為がどれ程難しいことか・・・。
 
本当に大切なことは人知れず行うことで、それは愚(おろかもの)や魯(でくのぼう)と謗りを受けることがあっても、一途な想い、そして真に自己を見つめて生きている禅僧は、そんなことを気にしてはいけません。

人としての真価は、他人が 見ていない所での行いにこそ有るように思います。

実社会でも、ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、 人としてなすべき事を行動として現したいものです。

そして、宝鏡三昧は「只よく、相続するを主中の主と名づく」と結ばれます。


これは、何事も続けていくこと大切さを説かれています。






このような素晴らしい老師と巡り合うことが出来たのも、当女将と出会ってからこそのことです。

女将がいて、浜田出身のご両親がいる・・・

家があり、ご先祖様のお墓もある・・・・様々な要因が重なりあって今がある。


そして、夫婦をはじめとする世の中の人間関係においても、この「啐啄同時」の教えは、とても意味深いのもなんだと肝に銘じた次第です。

さらには、ご縁に感謝です。

ありがとうございました。








楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、さあ、三春、そして娑婆へ帰還の時間が迫って来ました。

正に、夢のようなひと時(3日間)でした。


それにしても山陰浜田迄は遠い〜〜

往復2400キロ、高速道路日本海ルートで約12時間!

京都ぐらいなら毎月帰れるのになぁ〜〜とも思いますがこの距離も「卒啄同時 (そったくどうじ)」なのでしょう!






浜田で評判のすし屋にも行けたし、有福温泉にも入れました。





また夏に浜田紅蓮山観音寺参禅に来れますよう頑張ります。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
紅蓮山観音寺参禅記 「夏安吾(げあんご)」 2018.5



春「お花見商戦」そして「端午の節句」と立て続けに忙しい日々が続き、三春の和菓子屋は一年で一番忙しい繁忙期でした。


特に今年は桜前線が驚異的な速さで三春に訪れてくれたお陰で4月当初より繁忙期に入らさせていただき、スタッフや家族も約一つ期間休みなしの営業です。

三春昭進堂では、毎年の習慣通り「端午の節句」、そして「ゴールデン・ウィーク」の終了した7日(月)~9日(水)までの3日間連休をいただきました。






子供たちとも予定が合わない3連休です。

女将とどこか温泉でも・・・などとあれこれ考えていましたが、4月の島根県太田市を中心とした地震の折に浜田市観音寺様に安否伺いの電話をした際に、方丈様のお舗絵を拝聴して急に“里心”が付いたのでしょう?

私の中では、秘かに連休明けは山陰浜田の観音寺花吉方丈さまの下に参禅しようと決めていました。

さらに、昨年末に広島にいる女将母方の叔母が亡くなりその葬儀にも参列できませんでしたので、お墓参りも兼ねての急速な浜田帰還と相成った次第です。







浜田では3時起床にて曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

3時、と言っても真っ暗闇の引き締まった空気の中、冷たい水で顔を洗って、徒歩一分という目の前にある観音禅寺に参禅にむかいます。

方丈様の下への参禅も気付いたら長男が生まれてからですのでかれこれ20年になります。


1年分の溜まりに溜まった心の塵芥の洗濯です。

後夜の座禅(私は、3時起床、3時半着座)、そして朝課。

お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。






観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」が始まっていました。

山陰浜田の曹洞禅院観音寺様では、朝課、勤行 の中で「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」という題名のお経を唱えます。

楞厳会(りょうごんえ)と言ってこの経を読みながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。




   紅蓮山観音寺  暁天座禅後
      朝課諷経

 開経偈
 懺悔文
 三帰依文
 三帰礼文
 
・羅漢拝稱号

・楞厳会

大仏頂万行首楞厳陀羅尼
   
・仏殿諷経

 摩訶般若波羅蜜多心経

 消災妙吉祥陀羅尼 三遍
    
・応供諷経

 参同契(奇数日)
 宝鏡三昧(偶数日)
   
・祖堂諷経
 
 大悲心陀羅尼
   
・開山歴住諷経
 
 妙法蓮華経如来寿量品偈
    
・祠堂諷経
 
   普回向
 
摩訶般若波羅蜜多心経
 
消災呪 三遍
 
韋駄尊天陀羅尼等 七遍
 
座禅儀 会下








文字通り「門前の小僧(50過ぎのおっさんですが)」、約3時間半のプチ参禅です。


何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。

約一時間半ですが暁天坐禅を心ゆくまで堪能しています。

今回は、久しぶりの五月の連休明けの参禅です。

夏とは違って涼しく、快適な座禅を行うことが出来て足の痛ささえ心地よく感じます。






禅寺の朝は忙しく動きます。

曹洞宗日課に則り厳粛な雰囲気の中粛々と執り行われます。

その間に、宇内の仏さま方のろうそくに火を灯し、線香をあげて回ります。

その後、数種類のお経を読経している間に、方丈さまや上席修行僧が仏さまに各々お茶を差し上げます。

本堂でのお勤めが終わると、玄関に鎮座する韋駄天様前にて、数種の読経。


そして、山内の仏さまや神様に線香を上げに回ります。






そして庫裏の各仏さまに線香をあげ、方丈さまとの会下(接見)にて、法話を頂きます。
そののち北堂様にご挨拶し、上席雲水の下同門の挨拶。
私はここで退散しますが、時刻は6時30分過ぎ・・・

私など、門前の小僧で周りをきょろきょろとみているだけですが、とにかくお坊さんの朝は忙しく走り回り、無駄な時間がありません。


今朝の挨拶では「無所得」、「慈悲の心」という禅僧の修行におけるたしなみを示す言葉をご教授いただきました。


禅では「目立つこと」、「際立つこと」を戒めていると教わっています。

人の為に何かを、教えてあげるとか、してあげるとかという意識の中で功徳を積むというのであれば、どんなに良いこと(善行)でも役には立たない。

人知れずこっそりと積むのが「善行」を積むことが「功徳」と説かれ、誰かの為に行た善行ではすべての特が帳消しになってしまいます。

功徳を積んだという思いじたいが「無・功徳」、我々修行僧は、只々無心に黙々と善事を重ねることに深い意味があり、心の修業が成就する.

「禅」結果を求めないところにこそ真の修業があると説いていただきました。



誰かに褒められよう(所求)、名前を売ろう(所得)などといった下心があれば、良い結果が得られないものでしょう。

それは、修行だけに限らず、仕事でも同じ事、またそれを大括りに行動とみても 変わらないと思います。
 
 女将と共に招いていただいた夜の会食会で方丈様は、「禅の師家は、その人を磨くのではなく、本来その人が持っている本来の自分自身に気付かるように招いている。例えば、押しつけの教育の様にメッキをするのではなく、本来人は金無垢なはず。その本来の姿に戻るためのきっかけやヒントを導き出している」と説いていただきました。

そして、「その人に他人を思いやる心を起こさせなさい」とご教授いただきました。

また一つ心が洗われました。






今日はこれから、広島から柿ノ木村経由で津和野へ墓参です。







柿ノ木村は、亡き叔母のご亭主の出身地です。

神童と云われ飛び級して旧制広島中学、京都大学を卒業し三菱レーヨン社長まで勤め上げられた方でした。




シボレー社1957製Oldsmobile Super 88






広島二日市から柿ノ木村経由津和野までの「旧津和野街道」で発見!

つい、シャッターを・・・・







そういえばこの道・・・・十年以上前の話ですが、当家の目の前、弓町の松本さんの長男が転勤で二日市島根の山奥の農場へ配属されてから毎日通っていた道だということを思い出しました。


ここで奥さん出会って見事ゴールイン!





そしてこの車も、当時から看板としてあるそうです。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:08 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
紅蓮山観音寺だより 第70号 平成30年新年 1月吉日




紅蓮山観音寺だより 第70号 平成30年新年 1月吉日


島根県浜田市にある曹洞宗観音禅寺様より、「紅蓮山観音寺だより 第70号 平成30年新年 1月吉日」が届きました。







方丈様の年頭にあたりを拝読しますと、檀信徒向け会報誌である「観音寺だより」は昭和56年正月第一号発刊から、37年続いたとありました。

この70号という節目の発刊には、心よりお喜びを申しあげます。


また、長い間に数多くの編集に携わった方々がいるかと存じます。

重ねて、心よりお喜びを申しあげると共に、御礼を申しあげます。






昨年は、夏のお盆明けと台風一過の10月中頃の2回ほど浜田に帰省するご縁をいただきました。






夏の帰省の折には、子供たちや義母と予定が合わず、帰省をあきらめていました。

しかし、浜田新真光町の義父方の家補修修繕や、津和野にある義母方のお墓掃除が気がかりで夏休みを利用して一人帰省させていただきました。






十月の帰省は、夏に下調べをしていた修繕箇所を、根本看板店お根本専務、そして、本ハウスメーカー勤務のポリシス山口代表の3人での2泊3日弾丸ツアーでした。





夏の参禅の折には、趙州和尚「盋盂洗鉢(ほうせんばつ)し去れ」をご教授していただきました。
腹一杯ご飯を頂いたなら、食器をきれいに洗っておきなさい
これは、食事の際には真剣に食を頂く。
食後に真っ先にやるべきことは、いただいた器を真剣に洗うという当たり前の事・・・・。即ち、目の前のことに手を抜くことなく真剣に向き合うということ。

ただこれだけのことだが、こういうことが自然に無心にちゃんとやれているかどうかが修行僧には大事なことなんです。






そして、秋の家の補修の際には「喫茶去」

帰り際、出発前のあわただしさの中、方丈様の下へご挨拶に行った際、あえてお茶を勧めていただきご馳走になってきました。

私が、疲れのせいで朝の参禅に来れなかったことを悔やんでいるだろうと、強いてお茶を勧めてくれたんだろうと解しました。


喫茶去(きっさこ)はと“まあ、茶を飲みなさい”ということですが、方丈様は、お茶を飲む、家の修繕をするこれらすべての日常生活の中に仏道修行があるということを教えようとするものです。

正に禅でいう「修行こそが悟りであり、悟りこそが日々の修行」ということを教えていただきました。






観音寺だより70号にもありましたが、「一切衆生悉有佛性」そして、精進料理の教えを教えていただきました。


平常心是道と禅では教えています。

仏道といっても特別なことは何もありません。
日常生活の全てが仏の教えそのもので、日々の事柄ひとつひとつに真剣に向き合い、こなしていくことこそが、正しい、しかも唯一の生き方となると方丈様に教えていただきました。

また一つ、心が洗われました。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:39 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記::紅蓮山観音寺だより |
岩見浜田の家の補修! 2泊3日の山陰浜田弾丸出張ツアー!



島根県は石見浜田市にある女房殿の父方の実家へ、2泊3日の弾丸帰省してまいりました。

片道1200キロ、本来なら約12時間の車の旅です。


この度は、台風21号が三春通過という最悪のコンデションの中です。


大雨の中、高速道路も”親知らず”付近で通行止めのため海沿いの一般道を経由、さらに、若狭道通行止めで渋滞の名神道へ、そして極めつけは真夜中の浜田道広島と島根の県境の通行止です。


三森峠の旧道のような山中の道をひた走りで、14時間かけてやっとさ浜田帰還となりました。





以前よりの懸案だった実家の雨漏り対策・屋根の修理と外装木部補修の為なんです。


今回なんとか時間を調整して、三春城下新町の根本看板の専務と、中町のポリシス社長に出張を依頼しての今回の帰省となりました。






築100年は経つであろう商家造りの古民家です。


私も、この家の娘婿としては、少しでも長持ちをさせて次世代へ伝えたいという思い、そして、留守にしている家なので港町浜田市真光町のご近所さんのご迷惑にだけはしたくないという思いがありました。







持つべきものは・・・やはり気心の知れた仲間は頼もしいです。


私が思い描いたよように中一日半という短時間で出来る限りの修繕を施していきます。





腐食に強いトタンを張って石州瓦の下地にして屋根の補修。


約30年前に、構造上無理して拵えた雨どいの補修も、トタンで箱を造りコーキング補修しながら水路の確保!





外装にある木部のペンキ塗り。

古い台所の棚の補修。

そして、古くなった屋根雪止めの撤去等々・・・・・





朝から晩まで、そして翌日の午前中をかけて施工していただきました。


お陰様で、見違えるような仕上がりです。


翌朝、雨が降ってきましたが補修箇所は、ばっちり機能していました。





この家の守り神である、鬼瓦も大満足の様子です。






北国奥州磐城国の小さな城下町”三春”から、山陰は石見国浜田に出張していただいたからには、日本海の海の幸を堪能していただかないと、日本海に申し訳が立ちません。


早速、昼には浜田で一番人気のすし屋「すし蔵」で”山陰の海の幸”を堪能してもらいました。


のどぐろ・鯖・烏賊・ほうぼう・・・・・






そして、作業の関係で遅くなった夕食は、やはり浜田で一番人気の和食の店「植本本店」で”海の幸”と山陰名物”石見おでん”を堪能してもらいました。





秋の山陰。


海の幸も旬を迎えた白見魚が沢山上がっていました。






浜田帰省といえば目の前にある禅寺観音寺様方丈花吉和尚の下での参禅が一番の目的なんです。


浜田へ到着したのが深夜2時近くでしたので、翌朝にご挨拶に伺い先に頂戴した「おたり饅頭の願い」の扁額の御礼と帰省した挨拶をさせていただきました。


そして、参禅の許可をお願いしたところでした。

その翌朝は参禅の予定でしたが・・・・・時間調整不足で朝起きれませんでした・・・・残念!





帰り間際、改めてご挨拶に伺いました。

美味しいお茶を頂きながら、少しの時間でしたが近況を報告などのお話をさせていただきました。

いつも思いますが、方丈様のご尊顔を拝する、お話を伺う、そして、同じ時間を共有するというだげで心が洗われる気持ちになります。

まさに、”尊く、ありがたい”という言葉が頭をよぎります。



さあ、帰りの時間が迫ってまいりました。

方丈様は、いつもの通り優しい笑顔で見送っていただきました。







今月号の「禅の心」の”開山”と題された特集記事に使用されている写真が三隅の龍雲寺野原眞承和尚晋山式の模様が使われているということで拝聴してまいりました。

写真には、観音寺雲水定岡蔵心和尚、観音寺花吉和尚、そして龍雲寺眞承和尚がばっちりアップされています。









帰りの車中で、禅語「喫茶去」を考えていました。

帰り際、出発前のあわただしさの中、方丈様の下へご挨拶に行った際、あえてお茶を勧めていただきご馳走になってきました。

私が、疲れのせいで朝の参禅に来れなかったことを悔やんでいるだろうと、強いてお茶を勧めてくれたんだろうと解しました。





喫茶去(きっさこ)はと“まあ、茶を飲みなさい”ということですが、方丈様は、お茶を飲む、家の修繕をするこれらすべての日常生活の中に仏道修行があるということを教えようとするものです。

正に禅でいう「修行こそが悟りであり、悟りこそが日々の修行」ということを教えていただきました。


また一つ、心が洗われました。


ありがとうございます。






浜田で、いつもお世話になている床屋の土田さんの女将さんはじめ、真光町のご近所の皆々様にご挨拶と感謝を申し上げて帰路につきました。


今回も、様々な方々のお陰で、こうして幸せに暮らしているということを学ばさせていただいた旅となりました。


心より感謝申し上げます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 06:19 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
「おたり饅頭の願い」 佛詩拝領 浜田市曹洞宗紅蓮山観音禅寺 方丈穆清和尚




島根県石見は浜田市にある曹洞宗紅蓮山観音禅寺の方丈花吉老師より額装された「おたり饅頭の願い」と題された佛詩を拝領しました。

方丈様の雅号穆清和尚で記された佛詩を、弟子である定岡蔵心和尚が書に認めた大作です。


早速店内に配させていただきました。







今年の夏前に詩は頂戴していましたが、立派な額に入れられたものを拝領して感無量でございます。

詩も方丈様の人柄が現れた優しさと慈愛に満ちた心温まる句の中に、禅的生き方を示唆するお導きの句がちりばめられており、日々我が身を顧みて、今年に夏のご教授された無功徳的な生き方、そして詩にある“没蹤跡”の生き方を目指したく存じます。






おたり饅頭の願い

どうぞ皆さん 一口召し上がれ 心に安らぎ与え申さん
どうぞ皆さん 二口召し上がれ 康らぎ施し申さん
どうぞ皆さん 三口召し上がれ  信心発祈り申さん

功名を知られず 
利を多く求めず
ただ餡を練ります
饅頭作り申さん

没蹤跡に去りにし
三春の地より
本に細やかなりし 
幸福お届け申さん

穆清和尚の詩






「没蹤跡(もつしょうせき)」とは、足跡を残さない生き方

足跡を残さない生き方とは・・・・?

生死を含めた過去を引きずらず、未来にもこだわらない。唯々今に没頭しなさいということなんだとしています。

即ち、没蹤跡とは、今を懸命に生きることで「過去や未来と言った時間的なこだわりまでも捨ててしまえ!」という教授なんだと思います。


公案と肝に銘じて、日々の精進の中で学びたいと思います。





御礼の電話を差し上げました。


いつ時でも変わらず優しい声で発せられるお言葉と、お心遣いをいただいたことへの感謝の気持ちと嬉しさ・・・・

そして、優しい御母堂様のお心遣い、書家でもある蔵心和尚の達筆な書・・・

心が満たされたのでしょう、手を合わせて物資を拝見していますと涙があふれ出てまいりました。

本当にありがとうございました。

また、このような素晴らしい老師と巡り合うことが出来たのも、当女将と出会ってからこそのことです。

女将がいて、浜田出身のご両親がいる


家があり、お墓もある・・・・様々な要因が重なり今がある。


このご縁に感謝です。





お坊さんは、小さな布を継ぎ接ぎした「袈裟」をかけています。

その「継ぎ接ぎ」は「ご縁」そのもので、その小さく切った一枚一枚の布が回りの布に支えられている姿に、この世のすべてのことは、他のものによって生じている、そして人の生き方そのものだと説いています。

私には良いご縁が多々ございまして、観音寺方丈様をはじめ、先輩、後輩、そしてお客様など様々な方々に支えられております。

「人の生き方」「商人の心得」「命の大切さ」「町衆の心意気」等を教えていただき、そして皆様方が「袈裟」を支える布、そして「ご縁」そのものとして、応援を頂き、支えられて商いをさせて頂いています。

「俺が俺がの「我」を捨てて、お陰お陰の「偈」で生きよ」と云う語がありますが、全ての事柄は自分一人の力で出来たのではなく、有縁無縁、周り居る方々のお陰ということを改めて学びました。


また一つ心が洗われました。






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| ryuichi | 05:42 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記 |
「紅蓮山 観音寺だより」第69号(平成29年9月吉日発行)



「紅蓮山 観音寺だより」第69号(平成29年9月吉日発行)が届きました。

冒頭の「只今観音寺」方丈様の寄稿住持 穆清(雅号)には、「禅寺と掃除作務」と題されて掃除の功徳が記されていました。

草取とけよと、雲水の仕事として命じられています。
それはただの雑草取りではなく、一草取り除くごとに煩悩妄想の草を取り除いているんだと老師は教えています。




 
禅宗の掃除についての考え方は、汚れていれば美しくすることはもちろんですが、汚れの有無にかかわらず、日々清掃することが修行であり、掃除が日課とされています。

夏は草の成長が早く、取っても取っても直ぐに生えてきます。

秋には、落ち葉が・・・

冬には、雪が・・・

春には・・・

というように、かくのごとく雑念もまた然りです。

このように人々の心の中に生えてくる様々な煩悩妄想や雑念は振り払っても直ぐに湧いてきます。

その煩悩妄想などの雑念という”雑草”を毎日取り除くのが修業です。

そして、取り除くことによって佛性が出現するとご教授していただきました。






これは夏の草取りだけではありません、家や店舗は今生における修行の場ですので、毎日掃除をして不染汚(汚れなき清らかな場所)を保ちなさい。
そのために毎日の掃除は欠かしてはいけないということなんだと思います。
正に、日々掃除するのは、掃除そのものを不染汚の修行としているからということなんですね。

また一つ心が洗われました。




今回も38ページにも及ぶ編集作業。
編集に携わっている小笠原正克様はじめ編集員の方々には大変お疲れ様です。
お陰様で、楽しく拝読させていただいています。



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浜田紅蓮山観音寺参禅記2017 若い先生へのエール



浜田帰省観音寺参禅の御褒美、観音寺方丈様との薬石会食に招かれました。

これが楽しみで毎年参禅していると言ったら怒られるかもしれませんが、方丈様と同じ世代を生き同じ空間にいるということだけで有り難さを感じます。

薬石のお話の中で、様々な事を御教授頂きました。

その中で、先にご挨拶に来られた檀家さんのご子息でこの春より教師になられた方へ送った方丈様の仏詩を紹介させていただきます。





「若い先生の誓願」
みな素晴しい生命一杯の仏性の子
覚めよや どうぞ お手伝いします
互に尊貴なれば、ただ奉仕あるのみ

みな溢れる個性一杯の業生の子
気付けよや どうぞ 手助けします
型に填めざれば、応病与薬自在なり

みな 素直な純粋一杯の法性の子
伸ばせよや どうぞ保護します
時節到来せば、鉄は熱い中に打たん





「教師応援歌」
師資一枚の法門あり。本より虚心坦懐なれ
先生の方からとび込みなされ恩愛一杯
隔てなければ、秋空に片雲なし

師勝資強の禅語あり。眼合せて相い見る
学生の心を受け止めなされ
因縁一杯 尊貴なれば、春陽に若芽立つ

浜田紅蓮山観音寺方丈





春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 10:00 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |