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門前の小僧 お盆明けの山陰石見 曹洞宗紅蓮山観音寺参禅 2025.8




門前の小僧 お盆明けの山陰石見 曹洞宗紅蓮山観音寺参禅 


もう30年になりますが、盆明けの夏休みに墓参を兼ねて山陰島根県浜田市に帰省しています。浜田の家も老朽化と無住ということもあって今年夏前に解体が終了して、徒歩10分のと事にあるビジネスホテルを我が家のように使っています。

紅蓮山観音禅寺方丈 穆清道久老師の下で参禅しました。
朝2時30分に起床して、観音禅寺へ

月に照らされた山門を通って坐禅堂を兼ねた本堂へ向かいますが、北国三春の夏の夜とは違い、日本海特有の高温多湿の夏の真夜中で、冷房の効いた寝室から1歩外へ出るとじわっと一気に汗ばんでまいります。

 曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。







 今回は、修行僧の中村和尚、祖燈和尚、そして観音寺後継者となる道隆和尚様にご指導をいただいての参禅です。

 坐っているだけでも汗がしたたり落ちる本堂の片隅で、大きく息を吸いゆっくりと吐くという坐禅本来の呼吸をしながら、時折、火灯窓(かとうまど)より吹き込む微風に、幸せを感じながら、只々坐り続けます。

 大袈裟な言い方かもしれませんが、この非日常的な空間の中に、普段なら気づかないような”小さな幸せ”に”ありがたさ”を感じ、”生きている”、”生かされている”ということが実感できます。

家族へ感謝しながら、1年分の溜まりに溜まった”心の塵芥”の洗濯です。

暁天(後夜)の坐禅、そして曹洞宗朝課の後に、朝食をいただきます。

禅宗の寺院では食事をつくることと、それを食することは座禅をすることと同じように大切な修行であると考えられています。

修行僧は応量器という食器で食事をいただきます。

自分で食べられるだけの量をいただく、適量を心得ることを基本とします。

使った食器は水を無駄使いしないよう、食作法にしたがって自分で洗います。








食事は坐禅と同じであるとご指導いただきました。


足を組んでお経を唱え、一言も言葉をはっぜず無言で目の前の食事をいただきます。

観音寺では玄米粥です。

一口分を三回に分けて口に含みます。

そして約百回ほどよく噛んでから飲み込みます。

少量の小豆の入った玄米の粥は程よく触感があり、噛めば噛むほどに甘みが増してきます。

他に副食として、数種類の煮物、煮豆、漬物、そして、ごま塩

全て単品で口に入れてからよく噛みます。

一品一品の食材をよく味わうように、ごま塩以外は一緒に口に含みません。


粥なら百回、副食物でも30回は嚙んだ回数を数えながら食べていますので、正しく坐禅同様です。

「法は是れ食、食は是れ法」

鎌倉時代、曹洞宗の開祖となった禅僧道元禅師が、仏法に適うように食事をつくり、作法を守って食べることが禅の修行であると説いています。

食前、食後に「いただきます」「ごちそうさま」と唱えて、食べ物となってくれた生き物の命と、食事作りをしてくれた人々に感謝するのは道元禅師が教えた食事作法からだといわれています 


 
「赴粥飯法」には食事する心得が説かれています。

食の乱れは心の乱れとして、日常茶飯事という言葉通りに日々に心掛けるべき生活の基本が食事のいただき方を説いています。

また、食事をいただく場所である僧堂への入り方から、箸の上げ下ろし、自前の食器の洗い方・しまい方まで、食事に関する作法をご指導いただきました。

1つは、器や箸を持つときは必ず両手で扱うこと。

こうすると、まず物を丁寧に扱うことになり、食べる姿が美しくなります。また、他の器に目移りして迷いをすることもなくなるので、いまこの瞬間に目の前にある食事としっかり向き合うことができます。


2つは、噛む間は箸を置くこと。

これも、口の中に食べ物があるときにはその感覚にしっかり意識を向けるということにつながります。



3つは、食べるときには話をせず、なるべく音を立てないようにすること。

これは1つ目にも通じていて、ながら食べをしないためにも大切なことです。



4つは、食べ終わったら食器にお茶やお湯を注ぎ、1切れ残しておいた漬物などで食器をぬぐうこと。

これは、洗い物に使う水の節約になり、またそのお茶も最後に飲み干すことで、料理として表現されたすべての命をいただききるという実践になります。



食事をいただく直前には、「五観の偈(げ)」と呼ばれる偈文を唱えます。


五観の偈は、料理を食べようとしている人に、さまざまな「反省」を促します。

今目の前に運ばれてきた料理は、多くの人の手を通って初めてここに成立している一期一会の存在であることをきちんと認識しているか、その料理を食べるに値する徳行をふだんから積んでいるか等々。

そこには厳しい“問い”があるように思います。


食事の前にこれらのことを思い返すことで、自分を支えてくれている他者への感謝や、命に対する畏敬の念、今の状況に対するありがたさを感じながらいただきます。







 観音寺方丈様の師匠の白山老師の提唱された「玄米食・噛むの効用」 

最低100回はよく噛む

噛むことによって分泌される唾に含まれる「パロチンホルモン」と「パンクレアチン酵素」

1、爪が割れず
2、かかとあれず
3、手かじかまず
4、痰からまず
5、炎症起こさず
6、熱発せず
7、風邪ひかず
8、鼻汁です
9、睡眠五時間以下
10、目方上がらず
11、傷口化膿せず
12、毛太く強くなる
13、リズム食判る
14、夏負けせず
15、陽性になる
16、腹減らず
17、便通ヨシ
18、頭禿げず
19、視力強くなる
20、間食なくなる
21、神経 太くなる 肝が据わる
22、安心泰 脈良好
23、腰冷えず
24、歯強くなる
25、冬暖かし
26、自己の波長が判る
27、無意識能力
28、執着・固執せず
29、集中力抜群
30、呼吸 深くなる
31、毒物浄化排出


また一つ、心が洗われました。







今回は、コロナ禍もあっての5年ぶりとなる津和野、太鼓谷稲成神社も参拝







そして出雲大社にて御祈祷を受け、八足門内にて参拝して様々なご縁に感謝申し上げました。







玉虫くんおお出迎え!初めて見ました・・・







直会もしっかり







三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





| ryuichi | 03:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
島根県浜田 紅蓮山観音寺「夏安居入制」 令和7年5月 




所用があり3日間の連休で、車で約11時間、片道約1100キロ。

島根県石見の浜田城下にある妻の実家へ帰省してきました。


結婚30年、年に1~2回は、お墓参りのために帰省してきました。

また、ちょうどその日は結婚記念日でした。






朝は3時起床で、夏安居の紅蓮山観音寺方丈さまの下へ参禅。

この時節は、雨安居と呼ばれる「夏安居入制」です。


座禅後、夏安居の朝課には楞厳会があり「楞厳呪」を読経です。

「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」楞厳呪(りょうごんしゅ)と云う難しい陀羅尼を読誦し、寺院の繁栄、修行僧の仏道増進、檀信徒の安穏を祈る「衆寮諷経」が修行されました。

楞厳呪は呪文のようなお経です。

私のような、門前の小僧の様な在家には、読経といわず文字を目で追うだけでも難儀します。途中から読経速度が早くなり、とても難しいお経です。

さらに、本来は、地面の邪気を抑えるということで、歩きながら読経する歩行禅!








夏安吾接心では、全てが仏道ということを教示されました。

〝凡事徹底〟の大切さ、即ち、挨拶をする、身の回りを整理する、掃除する、時間を守る、服装を正す等、感謝と御礼。

コレが人として生きる上で大事であるとご教示いただきました。

また一つ、心が洗われました。






今回は、空き家になっている浜田の実家の解体がきまり、その確認とご近所様へのあいさつ、そして、諸手続きの確認が目的でした。

作業員の方にも挨拶をして、私たち家族が“浜田の母”と呼ぶ、なんやかんやと面倒見てくれるご近所の床屋のお母さんに、諸事情を伺ったりとミッションが完了です。

夕刻、浜田の美味しい魚とお酒を堪能して、いい心持で、解体の進捗が確認したくて、家や土地の神様に、お酒を買って再度伺いました。

般若心経を唱えながら御礼の気持ちと、当代で建物及び土地を手放す事になった事を、私からお酒を撒きながらお詫びを申し上げてきました。






祖父自慢のさざれ石にもお酒をかけたいと池端の足をかけましたがあと1センチのところに約6センチは出ていたサビ釘の板があり、危うく踏み抜きをするところでした。

すると、付近を舞う“つば九郎”たちが、川上家のご先祖様が守ってくれたんだよと言っているようでした。

ありがたくて、ちょっと感傷的にもなっていたんでしょう涙が溢れててきて難儀しました。
やはり、来てよかった。

翌朝の参禅後にも、方丈様から温かいお言葉とお土産をいただき恐縮至極でした。


ありがとうございました。








三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
石見浜田帰省 観音寺参禅 雨安居2 『佛埀般涅槃略説教誡經』山梨韮崎願成寺住職山本正乗和尚記拝領




先の所用があり3日間の連休を利用して車で片道約1100キロ、約11時間の島根県石見の浜田城下にある妻の実家へ帰省です。

朝は3時起床で、夏や水の紅蓮山観音寺方丈様の下へ参禅です。

この時節は、雨安居と呼ばれる「夏安居入制」で、座禅後、夏安居の朝課には楞厳会があり「楞厳呪」を読経です。

「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」楞厳呪(りょうごんしゅ)と云う難しい陀羅尼を読誦し、寺院の繁栄、修行僧の弁道増進、檀信徒の安穏を祈る「衆寮諷経」が修行されました。





楞厳呪は呪文のようなお経で、読経だけでも難しい上に、歩きながら読経する歩行禅です。


途中から読経速度が早くなり、とても難しいお経です。

夏安居 修證一如時而今

穆清






接心の中で、山梨韮崎の願成寺住職 山本正乗和尚の記された『佛埀般涅槃略説教誡經」』經本を拝領しました。

正乗和尚は、二十年ほど前に観音寺でご一緒し、教えをいただいたことがあります。








「仏遺教経」とか、単に「遺経」とも略されて通称されています。

「仏遺教経」は、その名の示すとおり、釈尊が八十年のご生涯を終えられるにあたって、さいごに示された、いわば遺言とも言うべき教典と教えていただきました。








鳳凰山願成寺(がんじょいうじ)は、771年(宝亀2年)の創建と伝わる曹洞宗の寺院です。

 武田信玄から15代前の甲斐武田氏の始祖武田信義が再興して祈願寺とし、後白河法皇から「鳳凰山」の山号を賜ったのだとされています。

 本尊の阿弥陀三尊は、信義が再興した際に祀られたもので、国の重要文化財に指定されています。


 信義の法号は「願成寺殿俊照国公大禅定門」。

願成寺霊廟殿

武田家累代御霊殿には、新羅三郎義光から始まる甲斐源氏三代と武田信義から武田信虎・信玄・勝頼・信勝に至るまでの武田氏十八代の位牌が安置されている。


近くには、武田信義館跡の武田氏の氏神「武田八幡宮」があります。







浜田城は、日本海・松原湾に突き出た標高六七メートルの亀山と呼ばれた山頂に築かれた平山城で、別名「亀山城」とも呼ばれる。

北は松原湾を介して日本海を望み、南から西にかけては浜田川によって囲まれた天然の要塞です。







元和五年(一六一九)に伊勢(三重県)松坂から古田重治が五万四千石余の浜田藩主として転封となり、翌年二月には築城に着工、同年一一月には造成が終わり、元和九年(一六二三)五月には城及び城下が整ったようです。











山頂の本丸には三重櫓の天守があり、中腹の二ノ丸には焔指蔵や番所、時打番所等が配置され、中ノ門を境とした山顔の三ノ丸には細殿をはじめ、多くの蔵や役所、番所等がありました。










また、城の東側には武家屋敷を配し、浜田川以南には八町から成る城下がありました。











浜田城では、古田家(二代)から松平周防守家(五代)、本多家(三代)、再び松平周防守家(四代)、そして松平右近将監家(四代)と替わり、幕末の慶応二年(一八六六)七月に村田増六率いる長州藩による第二次長州戦争(石州口の戦)に敗れ、浜田城は近世城郭としての役割を終えます。











浜田城跡の浜田護国神社の境内に小説「花神」で第二次長州征伐(四境戦争)における石州口の戦いの取材のご縁で、司馬遼太郎の「浜田藩追懐の碑」建立されています。








又、同地には「シンデモ ラッパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ」の木口小平の銅像やノモンハン戦慰霊碑もあります





三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 03:22 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
令和元年夏 紅蓮山観音寺参禅 龍吟初夜後




龍吟初夜後

山陰の浜田へ帰省の折に観音寺様で義祖母の二十三回忌法要を営んでいただきました。

その際の塔婆の裏に表記の「龍吟初夜後」と記されていました。

法要後、方丈様にこの「龍吟初夜後」の意味をお聞きしました。







禅語の一説で、語句「龍吟初夜後 虎嘯五更前」

龍は吟ず初夜の後、虎うそぶく五更の前

という禅語の一説です。






禅では夜を初夜、中夜、 後夜と三つに分けています。

その夜に仏の教えがあり、お釈迦様も明け方の明星に悟りひらいたとされています。

注 一夜を、初更(甲夜)・二更(乙夜(いつや))・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜(ぼや))に五等分した称。

そして、「龍吟雲起 虎嘯風生」と解され、

初夜の後に「竜吟雲起~」(竜が唸ると雲が起る)がつく。

暁天(後夜・戊夜寅(とら)の刻)虎が吼えると風が生じる。

その後に禅修行の雲水への尊い悟りが待っている。と訳されていました。








「龍」は九つの動物の特質をかねそなえた聖獣・霊獣と云われています。

仏法を守護する天部八部衆の中でも、八大龍王は仏法を護る八体の龍神です。

三隅龍雲寺「法堂」の龍雲図のように、寺院の障壁や天井によく龍が描かれるのはそのためです。


古くより「龍」が一度鳴けばにわかに空がかき曇り、雷雲、嵐を呼ぶといわれています。


私の名前にも、龍の文字が入っているものですから他人事でゃありません。









「板塔婆」とは、故人の供養のため、梵字や経文などを書いて法要の時などに墓に立てる細長い板のことで、卒塔婆 (そとば)ともよばれています 。

板塔婆を建てることは良いこと善行をすることにつながり、その功徳を故人に廻らすという供養の一つの形ということのようです。

年回法要の時に、一回の法要に一枚だけ建立と思っていましたが、実は、花やお供物などと同じように、故人の供養と施主自身の功徳のために建立するということでした。




建てる数も施主が一本のみというところもありますし、建てたいという親戚も建てて20本くらい一度に建てるところもあります。
つまり、故人が親ならば法要の施主のみならず、兄弟や子供たちが各一枚ずつ建立というのもあり得るということでした。

また、建てなければ供養にならないということでもないということです。

そういえば、都内の墓地を見ますとやたら板塔婆の数が多いことを思い出しました。

当家でも本家ですので、先祖供養の年忌法要を多々施させていただいていますが、初めて聞くことでした。

どおりで板塔婆の料金が別に必要なわけですね。




この板塔婆を、よくよく調べてみますと、年忌法要や彼岸などに、お墓の周りに立てて、故人の冥福を願って建立するもので、サンスクリット語の“ストゥーバ”が語源と伝わっています。
その昔、お釈迦さまが入滅したあと、その舎利(遺骨)を納めた塔(ストゥーパ)を建てて供養したのが始まりとされ、それが日本に伝わり、三重塔や五重塔、多宝塔の意味となり、五重塔を模して五輪塔が建てられましたと記され、板塔婆とは、その五重の塔などの塔の簡略化したものです。










また一つ心が洗われました。


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 04:42 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
令和元年夏 紅蓮山観音寺参禅 1 貝葉経




夏休みをいただき当店女将の実家がある島根県の西部、日本海側にある港町浜田市に帰省をしています。
年に一回の参禅でもあります。







浜田市にある曹洞宗紅蓮山観音寺方丈の花吉老師の元にて、朝だけですが午前3時起きで座禅、そして朝の勤行・・・

一年分の心の垢を洗い流しに行って参ります。






また、老師様との会食が一番の楽しみでもあります。






この会食の際に貝葉経(ばいようきょう)は葉に書かれたお経を拝見させていただきました。






貝葉とは貝多羅葉(ばいたらよう)の略で貝多羅は音写です。

梵字(サンスクリット語)の原形とされる貝葉体と呼ばれる書体で紙がまだ出来ない時代に葉に釘のようなもので傷をつけ文字を刻んだそうです。







また一つ心が洗われました。






尚、9月8日放送の「何でも鑑定団」出張鑑定は浜田市、そして11月3日NHKのど自慢も浜田市より生放送です!










春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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石見浜田観音寺参禅 2018.10 自利利他 




島根浜田の紅端山観音禅寺花吉老師の下での私の参禅は、午前3時起床で身支度を整えて3時30分前には観音寺へ出頭し、蹲にて洗足して着座します。

午前5時ごろまで坐禅、そこから朝のお務めである朝課が始まります。

午前6時ごろから山内廻り、そして老師接心があり、家に帰るのが午前6時30分・


今回は満天の星空の下、徒歩3分という目の前にある観音寺様への出頭

北極星を背に立つ観音寺dす。

様々な星座が励ましてくていれました。


夏とは違い、少し肌寒い本堂の壁際に坐布をひいて坐禅開始です。


窓を閉めているせいでしょうか、虫の声も少なく、風の音も聞こえません。

静寂という言葉がしっくりとはまる、蝋燭のほのかな明かりの中、無音の世界がひろがります。









今朝の接心では、お坊さんの仏道修行とは、修行者や求道者がみずから修行を積んで自身がその結果を得る己の修練である「自利」

そしてこれに対し生きとし生けるものの全ての救済のために実践することで他人を幸せ導く「利他」

この両輪をもって仏道に励むことが仏教者としても務めである。

そして、後輩を育て後を託す。

さらには、生まれ変わっても仏道修行に励むことこそが本懐である。とご教授いただきました。


帰宅してから、「自利利他」を思い返してみました。

江戸の三大商人のひとつ近江商人の教えが思い浮かびます。

近江の商人は織田信長による楽市楽座の拠点であった近江(滋賀県)に本店を置き、天秤棒をかついで他国に行商をしました。


近江商人は、「売り手良し、買い手良し、世間良し」の三方よしという経営理念を生み出します、日本中で信頼を得る秘訣となりました。

これこそが「自利利他の円満」という仏教の教えなんだと思っています。









布施や持戒じかいを保ちつつ、忍辱にんにく精進怠らず

禅定を修し智恵みがき日々の行いふりかえり、

自利利他ともに円なる生き甲斐のある一生をおくるぞ

人の道とこそ悟るぞ涅槃の訓なり

と「発菩提涅槃章」に教授してあります。

反省の上にたって自分を生き、他人をもたて、ともに円かな人生を目指して努力し続けたいものだと解しました。



正に、観音寺の花吉老師の生き方を見るようです。

また心が一つ洗われました。







さて、今日は三春帰還です。

朝のうちの昨日のペンキ塗り残しを仕上げて、帰りの途に就きますが、折角ですので出雲大社で参詣して帰りたいと思います。







浜田から出雲大社までは一般道と山陰道、そして山陰道未完の無料通行個所を経由して約2時間です。






雨が降りそうな天候ですが、たくさんの人で賑わう出雲大社。







神在月の所以が残りますが、それは旧暦ですので今回は所願成就を聞き届けていただきます。


男四人の珍道中!それぞれに祈願して回ります。








出雲大社は「二礼四拍手一礼」です。








参拝を済ませ、門前にて出雲そばを食して、いざ三春へ・・・・







ナビの到着時刻を見ると・・午前2時!









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 🌸島根石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
「対機説法(たいきせっぽう)」 女房殿の実家を補修2018 島根県浜田市




三春から約1200キロ。

二泊三日の行程で、島根県西部にある港町浜田市にある女房殿の実家の補修作業に行ってきました。


次女娘の婿という立場なので、この家を次世代までつなげるのが私の役割だと思い、維持に努めています。

いい婿さんを演じさせていただいていますが、それもそうなんですが観音寺産での参禅、方丈様との接心、日本海の新鮮な魚介・・・・



ま、そんな訳で、今回は根本看板店専務、そして長男とその友達という男四人の旅です。







昨年も、この時期に補修に行きましたが、明治五年に発生した浜田大地震の後の復興建設となります。


築百年以上前に建てられた何分にも古い家なのでここを直せばあそこが~ってな具合で、次から次にと出てまいります。







しかし、この補修のおかげで、目の前にある実家の菩提寺「観音禅寺」花吉老師の下に参禅することができます。

また、日本海の幸が豊富な浜田の食を堪能することもできます。







早朝3時出発です。


新潟~若狭~中国道~浜田道というコースで午後2時前に到着です。





早速、観音寺さまやご近所様に挨拶を済ませ、現場と作業工程、必要資材の確認です。


徒歩3分のところにあるジュンテンドウというホームセンターがあるから何かと便利です。






実際の作業開始は二日目にして、今回はもう一つ夕日というテーマがありました。


家から車で10分の所にある浜田市下府にある国府海水浴場(海)のとなり、唐鐘漁港にある「石見畳ヶ浦」の夕日です。





夏に家族で帰省の折には時間の関係で昼間にお邪魔しました。


この時に、石見畳ヶ浦唐鐘漁港婦人部売店で偶然お会いしたお父さんたちに焼酎と今朝とれたての「白烏賊(剣先イカ)」を御馳走になりました。


特に夏の浜田で食せる各種の「烏賊(イカ)」たちの美味しさは知っていたつもりでしたが、漁師でもあるこのお父さんが朝上げてきた白烏賊は絶品でした~


それもコリコリと甘いと2種類~







そういう訳でこの時ごちそうしていただいたお父さん方にお礼にと思って三春からお菓子を持参した次第でした。







どうですかこの夕日と海に浮かんでいるような遠浅の海岸。







石見畳ヶ浦~ なんとなく時間がゆっくり過ぎているように感じます~









また、浜田帰還の際には寄らさせていただきます。







そしてこの日は車で15分にある「有福温泉 御前湯」にて湯浴み~






昭和初期で時間が止まったままのような有福温泉街のこのレトロ感がたまりません。




















夕食はいつもの、人気店「すし蔵」です。







店長の林田君にネタのレクチャーを受けながら浜田の海鮮に舌鼓~







私は明朝3時起床で観音寺の老師の下へ参禅です。






翌朝の老師との接心では、老師のお弟子さんが「伝法」に際し送った言葉の中から、「対機説法」をお話しいただきました。

仏教では、相手の理解度に応じて分かりやすく法を説き人びとを平穏に導きます。

それを「対機説法(たいきせっぽう)」(応病与薬)といいます。

「応病与薬(おうびょうよやく)」ともいいます。

仏教では、医者が病人に薬を与えるように、人の悩みに応じて教えを説くとされています。

つまり、「対機説法」と「応病与薬」は、意味するところは「同じ」です。







恵心僧都が弟子に鹿を打ち追い払わせたという逸話について道元禅師は、「道者の行いは、善行悪行につき皆思惑がある」「鹿を打ち追い払うのは、慈悲がないようだけど内心は慈悲でやっているのだ」と教授されています。

何事も物事の表面だけで判断するなということなのでしょう。


禅の教えでは仏道修行修練の先には「解脱」があると教えています。

しかし、そこへ導くための道は、いく通りもあり、ひとつでありません。

アプローチ・入口もどこからでもいいですし、直線だったりストレ-ト、曲がりくねったワインディングロードだったり・・・・

さらに、思い切り遠回りな道もあるでしょう。

こうした道と同じように、人はそれぞれ感じ方も考え方も違います。

しかし、人生における安心(あんじん・苦からの解脱)を望むのはすべての人に共通なはずですね。


また一つ心が洗われました。







さて作業状況ですが、屋根の補修及びペンキ塗り、雨どいの改修・補修、外壁下面のコンクリートでの養生、池排水補修・・・


何分海まで徒歩3分という港町にある家です。

否応なしに潮風にさらされています。


トタンにペンキを塗っても三春のようにはいきません。








早め早めの対応が肝要かと思います。


これで当分は持つでしょう^






こんばんは観音寺様から、4人でのご招待を受けまして、浜田の海の幸、そして美味しい般若湯~

皆で楽しい会食です。



実は、私はこれが一番の楽しみだったかもしれません・・・






方丈様、ありがとうございます。



おっと、明日も三時起床で参禅です。


ほどほどにしないと・・・・








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



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