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石見浜田観音寺参禅 2018.10 自利利他 




島根浜田の紅端山観音禅寺花吉老師の下での私の参禅は、午前3時起床で身支度を整えて3時30分前には観音寺へ出頭し、蹲にて洗足して着座します。

午前5時ごろまで坐禅、そこから朝のお務めである朝課が始まります。

午前6時ごろから山内廻り、そして老師接心があり、家に帰るのが午前6時30分・


今回は満天の星空の下、徒歩3分という目の前にある観音寺様への出頭

北極星を背に立つ観音寺dす。

様々な星座が励ましてくていれました。


夏とは違い、少し肌寒い本堂の壁際に坐布をひいて坐禅開始です。


窓を閉めているせいでしょうか、虫の声も少なく、風の音も聞こえません。

静寂という言葉がしっくりとはまる、蝋燭のほのかな明かりの中、無音の世界がひろがります。









今朝の接心では、お坊さんの仏道修行とは、修行者や求道者がみずから修行を積んで自身がその結果を得る己の修練である「自利」

そしてこれに対し生きとし生けるものの全ての救済のために実践することで他人を幸せ導く「利他」

この両輪をもって仏道に励むことが仏教者としても務めである。

そして、後輩を育て後を託す。

さらには、生まれ変わっても仏道修行に励むことこそが本懐である。とご教授いただきました。


帰宅してから、「自利利他」を思い返してみました。

江戸の三大商人のひとつ近江商人の教えが思い浮かびます。

近江の商人は織田信長による楽市楽座の拠点であった近江(滋賀県)に本店を置き、天秤棒をかついで他国に行商をしました。


近江商人は、「売り手良し、買い手良し、世間良し」の三方よしという経営理念を生み出します、日本中で信頼を得る秘訣となりました。

これこそが「自利利他の円満」という仏教の教えなんだと思っています。









布施や持戒じかいを保ちつつ、忍辱にんにく精進怠らず

禅定を修し智恵みがき日々の行いふりかえり、

自利利他ともに円なる生き甲斐のある一生をおくるぞ

人の道とこそ悟るぞ涅槃の訓なり

と「発菩提涅槃章」に教授してあります。

反省の上にたって自分を生き、他人をもたて、ともに円かな人生を目指して努力し続けたいものだと解しました。



正に、観音寺の花吉老師の生き方を見るようです。

また心が一つ洗われました。







さて、今日は三春帰還です。

朝のうちの昨日のペンキ塗り残しを仕上げて、帰りの途に就きますが、折角ですので出雲大社で参詣して帰りたいと思います。







浜田から出雲大社までは一般道と山陰道、そして山陰道未完の無料通行個所を経由して約2時間です。






雨が降りそうな天候ですが、たくさんの人で賑わう出雲大社。







神在月の所以が残りますが、それは旧暦ですので今回は所願成就を聞き届けていただきます。


男四人の珍道中!それぞれに祈願して回ります。








出雲大社は「二礼四拍手一礼」です。








参拝を済ませ、門前にて出雲そばを食して、いざ三春へ・・・・







ナビの到着時刻を見ると・・午前2時!









春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
「対機説法(たいきせっぽう)」 女房殿の実家を補修2018 島根県浜田市




三春から約1200キロ。

二泊三日の行程で、島根県西部にある港町浜田市にある女房殿の実家の補修作業に行ってきました。


次女娘の婿という立場なので、この家を次世代までつなげるのが私の役割だと思い、維持に努めています。

いい婿さんを演じさせていただいていますが、それもそうなんですが観音寺産での参禅、方丈様との接心、日本海の新鮮な魚介・・・・



ま、そんな訳で、今回は根本看板店専務、そして長男とその友達という男四人の旅です。







昨年も、この時期に補修に行きましたが、明治五年に発生した浜田大地震の後の復興建設となります。


築百年以上前に建てられた何分にも古い家なのでここを直せばあそこが~ってな具合で、次から次にと出てまいります。







しかし、この補修のおかげで、目の前にある実家の菩提寺「観音禅寺」花吉老師の下に参禅することができます。

また、日本海の幸が豊富な浜田の食を堪能することもできます。







早朝3時出発です。


新潟~若狭~中国道~浜田道というコースで午後2時前に到着です。





早速、観音寺さまやご近所様に挨拶を済ませ、現場と作業工程、必要資材の確認です。


徒歩3分のところにあるジュンテンドウというホームセンターがあるから何かと便利です。






実際の作業開始は二日目にして、今回はもう一つ夕日というテーマがありました。


家から車で10分の所にある浜田市下府にある国府海水浴場(海)のとなり、唐鐘漁港にある「石見畳ヶ浦」の夕日です。





夏に家族で帰省の折には時間の関係で昼間にお邪魔しました。


この時に、石見畳ヶ浦唐鐘漁港婦人部売店で偶然お会いしたお父さんたちに焼酎と今朝とれたての「白烏賊(剣先イカ)」を御馳走になりました。


特に夏の浜田で食せる各種の「烏賊(イカ)」たちの美味しさは知っていたつもりでしたが、漁師でもあるこのお父さんが朝上げてきた白烏賊は絶品でした~


それもコリコリと甘いと2種類~







そういう訳でこの時ごちそうしていただいたお父さん方にお礼にと思って三春からお菓子を持参した次第でした。







どうですかこの夕日と海に浮かんでいるような遠浅の海岸。







石見畳ヶ浦~ なんとなく時間がゆっくり過ぎているように感じます~









また、浜田帰還の際には寄らさせていただきます。







そしてこの日は車で15分にある「有福温泉 御前湯」にて湯浴み~






昭和初期で時間が止まったままのような有福温泉街のこのレトロ感がたまりません。




















夕食はいつもの、人気店「すし蔵」です。







店長の林田君にネタのレクチャーを受けながら浜田の海鮮に舌鼓~







私は明朝3時起床で観音寺の老師の下へ参禅です。






翌朝の老師との接心では、老師のお弟子さんが「伝法」に際し送った言葉の中から、「対機説法」をお話しいただきました。

仏教では、相手の理解度に応じて分かりやすく法を説き人びとを平穏に導きます。

それを「対機説法(たいきせっぽう)」(応病与薬)といいます。

「応病与薬(おうびょうよやく)」ともいいます。

仏教では、医者が病人に薬を与えるように、人の悩みに応じて教えを説くとされています。

つまり、「対機説法」と「応病与薬」は、意味するところは「同じ」です。







恵心僧都が弟子に鹿を打ち追い払わせたという逸話について道元禅師は、「道者の行いは、善行悪行につき皆思惑がある」「鹿を打ち追い払うのは、慈悲がないようだけど内心は慈悲でやっているのだ」と教授されています。

何事も物事の表面だけで判断するなということなのでしょう。


禅の教えでは仏道修行修練の先には「解脱」があると教えています。

しかし、そこへ導くための道は、いく通りもあり、ひとつでありません。

アプローチ・入口もどこからでもいいですし、直線だったりストレ-ト、曲がりくねったワインディングロードだったり・・・・

さらに、思い切り遠回りな道もあるでしょう。

こうした道と同じように、人はそれぞれ感じ方も考え方も違います。

しかし、人生における安心(あんじん・苦からの解脱)を望むのはすべての人に共通なはずですね。


また一つ心が洗われました。







さて作業状況ですが、屋根の補修及びペンキ塗り、雨どいの改修・補修、外壁下面のコンクリートでの養生、池排水補修・・・


何分海まで徒歩3分という港町にある家です。

否応なしに潮風にさらされています。


トタンにペンキを塗っても三春のようにはいきません。








早め早めの対応が肝要かと思います。


これで当分は持つでしょう^






こんばんは観音寺様から、4人でのご招待を受けまして、浜田の海の幸、そして美味しい般若湯~

皆で楽しい会食です。



実は、私はこれが一番の楽しみだったかもしれません・・・






方丈様、ありがとうございます。



おっと、明日も三時起床で参禅です。


ほどほどにしないと・・・・








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
石見浜田 紅蓮山観音寺参禅記 2018.夏




浜田では3時起床にて曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

朝3時、引き締まった空気の中、冷たい水で顔を洗って、徒歩一分という目の前にある観音禅寺へ満月に照らされた参道・山門を通り本堂へ出頭いたします。


北国三春の夏の夜とは違い、日本海特有の高温多湿の夏の真夜中・・・


冷房の効いた寝室から一歩外へ出るとジわっと汗ばんでまいります。







方丈様の下への参禅も気付いたら長男が生まれてからですのでかれこれ20年になります。


坐っているだけでも汗がしたたり落ちる本堂の片隅。


時折、火灯窓(かとうまど)より、吹き込むそよ風に”ちいさな幸せ”を感じます。

大袈裟な言い方かもしれませんが、普段なら気づかないような”小さな幸せ”に”ありがたさ”を感じ、”生きている”・”生かされている”ということが実感できます。


そして、老子の下で参禅させてもらっている家族へ感謝しながら、1年分の溜まりに溜まった”心の塵芥”の洗濯です。








お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。


文字通り「門前の小僧(50過ぎのおっさんですが)」、約3時間半のプチ参禅です。






何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。

約一時間半ですが暁天坐禅を心ゆくまで堪能しています。






参禅させていただいた期間が7月30日~8月2日まで。

この時期、観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」の最終段階でした。


夏安吾の観音寺様では、「楞厳会(りょうごんえ)」という偈分「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」をお唱えしながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。






そして、安吾も終終了の翌日は8月1日。

禅寺では元旦や、月の1日、15日を「祝聖」と呼んでお祝いの日としています。

僧堂でも祝聖の日は親指の分かれていない白足袋を履いて、朝課に出頭します。

そして、朝課を始めますが、日課のお勤めの前に、天皇陛下の聖寿をお祝いして興禅護国を祈願します。

そして、すべての仏様にお茶をあげます。






私など、門前の小僧で周りをきょろきょろとみているだけですが、とにかくお坊さんの朝は忙しく走り回り、無駄な時間がありません。

また、参道に鎮座する龍王尊守護 祈祷道場山形鶴岡にある龍澤山善寳寺からの分霊した「龍神」様、秋葉大権現様、そして、天満自在天さまをお祀りする鎮守堂。

地蔵堂のお地蔵様と無縁になった仏像。

歴代住職之墓、幕末の旧浜田藩松平〔越智〕家臣の墓、そして、日露戦争日本海海戦時の撃沈された軍用船「常陸丸」の乗員を弔う無縁地蔵等々を回向してまわります。







今回の方丈さまとの接見法話では大事な事柄をご教授いただきました。


・人に伝える学ぶ その方法もいく通りもある。

・一本調子ではなく柔軟な考え方が必要である。

・これは普段の生活においても同じです。

・俺が俺がではなく その有り様を考える事が大事である。







・絵師池野大雅

・片手仕事をしてはいけない

・一事一佛一成就 = 一つ一つの所作が修行である。

・娑婆訶「そわか」とは、もともと仏教のお経で最後に唱えられ「成就する」という意味。







・正宗の刀

・自由無碍 物事に執着しない

・名声成功習得など・・・・

・山登り詰めれば下りるだけ  = 天の上に天がある


・赤目老子

・弟子の旅立ちに対して、道中気をつけてとは、次の師家寺院までの旅だけではなく、その弟子の仏道成就・までの道程・人生



老師は"典座"を通して、真の弁道(修行)とは、坐禅や祖録公案だけではなく、 むしろ日常生活そのものが修行であると説いておられます。



この参禅、講義の中で、老師は
「禅修行”とは、この四日間の参禅だけが仏道修行ではなく、日々の暮らしの中にある事柄のすべてが禅の修行である。
日常生活の一つ一つの営みの中に、禅の教えを活かし、日々そのことを念頭に生きなさい。
そして、自分と身の回りの人に、安らぎと落ち着きを与え、明るく、正しく、仲良く、 日々の生活を送れることが大事である」


人生そのものが仏道成就のための“心の旅”であると老師はご教授されたと解しました。

心の旅、この世のすべては修行であり、何ひとつ無駄なことはありません。
つまり、どんな人生であってもこの世に“生きている”のは、修行のために“生かされている”ということなんだろうと思います。


日々精進ということですね。


ありがとうございます。







曹洞宗の坐禅は「只管打坐(しかんたざ)」、ただひたすらに坐るということです。

それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進されたことによって“悟り”を開かれたことに由来するとされています。


そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。







何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。
坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿と説かれています。

私たちは普段の生活の中で自分勝手な欲望や、物事の表面に振りまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。







道元禅師は、坐禅だけではなくすべての日常行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説かれています。

修行というと非日常的な何か特別苦行をすることのようにとらえがちですが、実は、毎日の生活の中の行い一つひとつがすべて前修行であり、何事も坐禅と同じ心で勤め、それを日々実践し続けることが大事で、それが修行であるということを教えていただきました。


また一つ心が洗われました。







幕末 石州口(石見口)の戦い
幕府は、慶応2年(1866)、第二次長州征伐の軍を起こし、四境(石州口・芸州口・大島
口・小倉口)より戦端が開かれました。
そのうち石州口の戦場となったのが浜田藩領益田で、のちの戊辰戦争で一番初めに長州藩と戦い敗れたのが浜田藩松平氏ということになります。


 当時は浜田藩松平〔越智〕家の第四代当主松平武聡は、父を水戸徳川斉昭(なりあき)とし、徳川将軍後見人一橋慶喜の異母兄弟です。

無益な戦いと知りながらも、そう簡単に城を明け渡すわけにも行かず、病気療養を理由に指揮権をほかの藩にと幕府に要請します。

そこで幕府が指名したのが、因州鳥取藩12代藩主池田池田慶德(よしのり)です。

慶徳は、武聡と同じく水戸徳川斉昭の息子で、二人は兄弟です。

ところがこの慶徳も、病気を理由に大将を辞退し、鳥取藩兵も撤退させてしまいます。

その後、応援に来ていた松江藩も、慌てて兵を撤退させます。
さらに翌最後まで残っていた浜田藩の兵たちが、本拠・浜田城に火を放って松江へと逃亡し、事実上、浜田は陥落しました。



後の日本帝国陸軍の創設者である長州藩大村益次郎は、石州口(島根県浜田市)方面の指揮官となります。


益田扇原関門関守浜田藩士 岸静江国治は僅かな部下と急募の農民と共に関門の守りについていました。

慶応二年(1866)6月16日朝 大村益次郎(旧名 村田蔵六)率いる長州軍約一千五百名が横田方面からこの地にさしかかったが、扇原関門の守 岸静江国治(浜田藩)は通過を許さず、ついに戦闘が開始されたます。

しかし、圧倒的な兵力を誇る長州軍のため、国治はまず部下と農民を退去せしめ、唯一人関門を死守するうち不幸敵弾を受け、圧倒的多数の敵兵をまえに岸静江は仁王立ちのまま絶命したと言われ三十一歳を一期として壮烈な戦死をとげました。

昭和八年 岸静江国治は靖国神社に合祀せられた。

尚、この岸静江国治の墓も観音寺墓地にあります。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍




| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
石見(島根西部)浜田の夏休み 浜田紅蓮山観音寺 2018夏


浜田では3時起床です。

目の前にある曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

夜明け前の空のことで、須弥壇の蝋燭球の仄かな明かりの中、夜の闇に包まれた本堂。






日本海に面した浜田港まで徒歩3分の港町です。


遠くに波の音が聞こえ、虫の声や出向する船の音以外は無音で、静かに坐って過ごすことが毎朝の楽しみになっています。








夏は座っているだけでも汗が吹き出してまいります。
しかし、時折吹き込む優しいそそ風に励まされながら坐っています。


この観音寺での数日間の座禅を快適に出来るよう念頭に置いて、一年間生活しているような気がしています。






1年分の溜まりに溜まった心の塵芥の洗濯です。

後夜の座禅(私は、3時起床、3時半着座)、そして朝課。

お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。








観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」が最終段階です。

朝課、勤行 の中で「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」という題名のお経を唱えます。

楞厳会(りょうごんえ)と言ってこの経を読みながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。

坐禅

“ただひたすら座る”

過去の行いや出来事、これから起きることを全部自分の中から捨て去って、ただ座るということ教えられています。

それが今生きている実感や生かされていること、日常のありがたさに気付くことでもある大事な修行です。







何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。



5月〜7月末の90日間、禅寺では集中修行期間の夏安居が行われています。
ここで「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」というお経(呪文)を唱えます。
これがまた古代インド語をその名前漢訳しただけの難しいお経で、長文のため20分くらいかかるお経です。






なんちゃって小僧の私など漢字にカタカナがフってありますがコレすら間違えています。
途中に「〜〜夜彌(ヤミー)」の連呼があります。雑念を振り払って一生懸命お経を読んでいる最中ですが〜いつもヤミーを連想してしまいここで間違えています。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 07:13 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
紅蓮山観音寺参禅記 2018.5 その2 「卒啄同時 (そったくどうじ)」




今朝も、本堂内を肌寒い位の涼やかな風が通り過ぎ、初夏の気配を感じながら座禅をさせていただきました。


坐禅

“ただひたすら座る”というだけです。

過去の行いや出来事、これから起きることを全部自分の中から捨て去って、ただ座るということ教えられています。

それが今生きている実感や生かされていること、日常のありがたさに気付くことにつながるんだろうと思います。



三春への帰還の朝の挨拶では「卒啄同時 (そったくどうじ)」という言葉をご教授いただきました。


卒啄同時とは、禅の修行の中で「絶妙なタイミングで師弟の呼吸がぴったりと合い、悟りの境地へ導く」ことをさしています。               

これになぞらえ、禅の世界では、師匠と弟子の間で佛法を相続、伝授するときに使われる大切な教えです。


これを、鶏の親鳥と、生まれ来る雛鳥を例えにして導いていただきました。

雛が卵の外へ出ようと殻を内からつつくことを「啐」、そして親鶏がそれに応じて殻を外からつつくことを「啄」といい、両者が一致し同時であってこそ雛は誕生することができる。

夫婦、親子、友人関係など様々な人間関係においても、相互の啐啄が合致していれば、うまくいくでしょう。

「機縁」という語があります。
これは、あることが起こるようになるきっかけをあわらしていますが、おのずとおとずれてくるものであって、つくろうとしてもつくれるものでもありません。

この機縁がこそ「啐」であり、「啄」だということなんだろうと思います。






まさに、観音寺参禅での接心では、方丈様にいつも私自身の普段の行いや、心の内を見抜かれた様なお言葉でご教授いただいています。




磐城三春から石見浜田は約1200キロ離れています。

普段の行動か見えているはずはありません。

しかし、気付かないうちに己の顔や態度に出ているんでしょう、毎回「ハッ!」として自身を顧みています。

禅の老師は、「啐啄の機」をもって雲水(修行僧)を指導されたと伝えられていますが、まさにこのことなんだと思っています。






曹洞宗の朝課・勤行の中で偶数の日に唱えるお経に「宝鏡三昧」があります。
雲水・修行の僧の心構えを説く長いお経ですが、その一説に「~潜行密用は愚の如く魯の如し、只能く相続するを主中の主と名づく~」となります。

禅僧・人としての真価は、他人の見ていないところでの行動で決まるという言葉で、人知れず潜かに「功徳」を積んでいくということであります。

 潜かに目立たぬように、という行為がどれ程難しいことか・・・。
 
本当に大切なことは人知れず行うことで、それは愚(おろかもの)や魯(でくのぼう)と謗りを受けることがあっても、一途な想い、そして真に自己を見つめて生きている禅僧は、そんなことを気にしてはいけません。

人としての真価は、他人が 見ていない所での行いにこそ有るように思います。

実社会でも、ささやかな仕事、目立たぬ仕事にベストを尽くし、利益や名前・肩書きの為でなく、 人としてなすべき事を行動として現したいものです。

そして、宝鏡三昧は「只よく、相続するを主中の主と名づく」と結ばれます。


これは、何事も続けていくこと大切さを説かれています。






このような素晴らしい老師と巡り合うことが出来たのも、当女将と出会ってからこそのことです。

女将がいて、浜田出身のご両親がいる・・・

家があり、ご先祖様のお墓もある・・・・様々な要因が重なりあって今がある。


そして、夫婦をはじめとする世の中の人間関係においても、この「啐啄同時」の教えは、とても意味深いのもなんだと肝に銘じた次第です。

さらには、ご縁に感謝です。

ありがとうございました。








楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、さあ、三春、そして娑婆へ帰還の時間が迫って来ました。

正に、夢のようなひと時(3日間)でした。


それにしても山陰浜田迄は遠い〜〜

往復2400キロ、高速道路日本海ルートで約12時間!

京都ぐらいなら毎月帰れるのになぁ〜〜とも思いますがこの距離も「卒啄同時 (そったくどうじ)」なのでしょう!






浜田で評判のすし屋にも行けたし、有福温泉にも入れました。





また夏に浜田紅蓮山観音寺参禅に来れますよう頑張ります。







春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 石見國浜田 曹洞宗紅蓮山観音寺記::門前小僧の参禅記 |
紅蓮山観音寺参禅記 「夏安吾(げあんご)」 2018.5



春「お花見商戦」そして「端午の節句」と立て続けに忙しい日々が続き、三春の和菓子屋は一年で一番忙しい繁忙期でした。


特に今年は桜前線が驚異的な速さで三春に訪れてくれたお陰で4月当初より繁忙期に入らさせていただき、スタッフや家族も約一つ期間休みなしの営業です。

三春昭進堂では、毎年の習慣通り「端午の節句」、そして「ゴールデン・ウィーク」の終了した7日(月)~9日(水)までの3日間連休をいただきました。






子供たちとも予定が合わない3連休です。

女将とどこか温泉でも・・・などとあれこれ考えていましたが、4月の島根県太田市を中心とした地震の折に浜田市観音寺様に安否伺いの電話をした際に、方丈様のお舗絵を拝聴して急に“里心”が付いたのでしょう?

私の中では、秘かに連休明けは山陰浜田の観音寺花吉方丈さまの下に参禅しようと決めていました。

さらに、昨年末に広島にいる女将母方の叔母が亡くなりその葬儀にも参列できませんでしたので、お墓参りも兼ねての急速な浜田帰還と相成った次第です。







浜田では3時起床にて曹洞宗紅蓮山観音寺に於いて師と仰ぐ方丈様である花吉道久老師の下で朝だけですが、座禅と勤行に参禅させていただいています。

3時、と言っても真っ暗闇の引き締まった空気の中、冷たい水で顔を洗って、徒歩一分という目の前にある観音禅寺に参禅にむかいます。

方丈様の下への参禅も気付いたら長男が生まれてからですのでかれこれ20年になります。


1年分の溜まりに溜まった心の塵芥の洗濯です。

後夜の座禅(私は、3時起床、3時半着座)、そして朝課。

お寺では、方丈様の弟子である善福寺持住の中村敬信様、定岡蔵心様に御指導いただき、観音寺方丈様の下で、座禅、そして朝課勤行に勤しんでいます。






観音寺様では90日間の集中修行である「夏安吾(げあんご)」が始まっていました。

山陰浜田の曹洞禅院観音寺様では、朝課、勤行 の中で「大仏頂万行首楞厳陀羅尼(だいぶっちょうまんぎょうしゅりょうごんだらに)」という題名のお経を唱えます。

楞厳会(りょうごんえ)と言ってこの経を読みながら本堂を歩きながらお経を唱える「行道」をして修行期間中の無事を祈念しています。




   紅蓮山観音寺  暁天座禅後
      朝課諷経

 開経偈
 懺悔文
 三帰依文
 三帰礼文
 
・羅漢拝稱号

・楞厳会

大仏頂万行首楞厳陀羅尼
   
・仏殿諷経

 摩訶般若波羅蜜多心経

 消災妙吉祥陀羅尼 三遍
    
・応供諷経

 参同契(奇数日)
 宝鏡三昧(偶数日)
   
・祖堂諷経
 
 大悲心陀羅尼
   
・開山歴住諷経
 
 妙法蓮華経如来寿量品偈
    
・祠堂諷経
 
   普回向
 
摩訶般若波羅蜜多心経
 
消災呪 三遍
 
韋駄尊天陀羅尼等 七遍
 
座禅儀 会下








文字通り「門前の小僧(50過ぎのおっさんですが)」、約3時間半のプチ参禅です。


何物にも代えることの出来ない、満ち足りた一番有意義な“しあわせ”な時間です。

そして、ゆっくり自分の身体や心と向き合う大切な時間です。

約一時間半ですが暁天坐禅を心ゆくまで堪能しています。

今回は、久しぶりの五月の連休明けの参禅です。

夏とは違って涼しく、快適な座禅を行うことが出来て足の痛ささえ心地よく感じます。






禅寺の朝は忙しく動きます。

曹洞宗日課に則り厳粛な雰囲気の中粛々と執り行われます。

その間に、宇内の仏さま方のろうそくに火を灯し、線香をあげて回ります。

その後、数種類のお経を読経している間に、方丈さまや上席修行僧が仏さまに各々お茶を差し上げます。

本堂でのお勤めが終わると、玄関に鎮座する韋駄天様前にて、数種の読経。


そして、山内の仏さまや神様に線香を上げに回ります。






そして庫裏の各仏さまに線香をあげ、方丈さまとの会下(接見)にて、法話を頂きます。
そののち北堂様にご挨拶し、上席雲水の下同門の挨拶。
私はここで退散しますが、時刻は6時30分過ぎ・・・

私など、門前の小僧で周りをきょろきょろとみているだけですが、とにかくお坊さんの朝は忙しく走り回り、無駄な時間がありません。


今朝の挨拶では「無所得」、「慈悲の心」という禅僧の修行におけるたしなみを示す言葉をご教授いただきました。


禅では「目立つこと」、「際立つこと」を戒めていると教わっています。

人の為に何かを、教えてあげるとか、してあげるとかという意識の中で功徳を積むというのであれば、どんなに良いこと(善行)でも役には立たない。

人知れずこっそりと積むのが「善行」を積むことが「功徳」と説かれ、誰かの為に行た善行ではすべての特が帳消しになってしまいます。

功徳を積んだという思いじたいが「無・功徳」、我々修行僧は、只々無心に黙々と善事を重ねることに深い意味があり、心の修業が成就する.

「禅」結果を求めないところにこそ真の修業があると説いていただきました。



誰かに褒められよう(所求)、名前を売ろう(所得)などといった下心があれば、良い結果が得られないものでしょう。

それは、修行だけに限らず、仕事でも同じ事、またそれを大括りに行動とみても 変わらないと思います。
 
 女将と共に招いていただいた夜の会食会で方丈様は、「禅の師家は、その人を磨くのではなく、本来その人が持っている本来の自分自身に気付かるように招いている。例えば、押しつけの教育の様にメッキをするのではなく、本来人は金無垢なはず。その本来の姿に戻るためのきっかけやヒントを導き出している」と説いていただきました。

そして、「その人に他人を思いやる心を起こさせなさい」とご教授いただきました。

また一つ心が洗われました。






今日はこれから、広島から柿ノ木村経由で津和野へ墓参です。







柿ノ木村は、亡き叔母のご亭主の出身地です。

神童と云われ飛び級して旧制広島中学、京都大学を卒業し三菱レーヨン社長まで勤め上げられた方でした。




シボレー社1957製Oldsmobile Super 88






広島二日市から柿ノ木村経由津和野までの「旧津和野街道」で発見!

つい、シャッターを・・・・







そういえばこの道・・・・十年以上前の話ですが、当家の目の前、弓町の松本さんの長男が転勤で二日市島根の山奥の農場へ配属されてから毎日通っていた道だということを思い出しました。


ここで奥さん出会って見事ゴールイン!





そしてこの車も、当時から看板としてあるそうです。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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岩見浜田の家の補修! 2泊3日の山陰浜田弾丸出張ツアー!



島根県は石見浜田市にある女房殿の父方の実家へ、2泊3日の弾丸帰省してまいりました。

片道1200キロ、本来なら約12時間の車の旅です。


この度は、台風21号が三春通過という最悪のコンデションの中です。


大雨の中、高速道路も”親知らず”付近で通行止めのため海沿いの一般道を経由、さらに、若狭道通行止めで渋滞の名神道へ、そして極めつけは真夜中の浜田道広島と島根の県境の通行止です。


三森峠の旧道のような山中の道をひた走りで、14時間かけてやっとさ浜田帰還となりました。





以前よりの懸案だった実家の雨漏り対策・屋根の修理と外装木部補修の為なんです。


今回なんとか時間を調整して、三春城下新町の根本看板の専務と、中町のポリシス社長に出張を依頼しての今回の帰省となりました。






築100年は経つであろう商家造りの古民家です。


私も、この家の娘婿としては、少しでも長持ちをさせて次世代へ伝えたいという思い、そして、留守にしている家なので港町浜田市真光町のご近所さんのご迷惑にだけはしたくないという思いがありました。







持つべきものは・・・やはり気心の知れた仲間は頼もしいです。


私が思い描いたよように中一日半という短時間で出来る限りの修繕を施していきます。





腐食に強いトタンを張って石州瓦の下地にして屋根の補修。


約30年前に、構造上無理して拵えた雨どいの補修も、トタンで箱を造りコーキング補修しながら水路の確保!





外装にある木部のペンキ塗り。

古い台所の棚の補修。

そして、古くなった屋根雪止めの撤去等々・・・・・





朝から晩まで、そして翌日の午前中をかけて施工していただきました。


お陰様で、見違えるような仕上がりです。


翌朝、雨が降ってきましたが補修箇所は、ばっちり機能していました。





この家の守り神である、鬼瓦も大満足の様子です。






北国奥州磐城国の小さな城下町”三春”から、山陰は石見国浜田に出張していただいたからには、日本海の海の幸を堪能していただかないと、日本海に申し訳が立ちません。


早速、昼には浜田で一番人気のすし屋「すし蔵」で”山陰の海の幸”を堪能してもらいました。


のどぐろ・鯖・烏賊・ほうぼう・・・・・






そして、作業の関係で遅くなった夕食は、やはり浜田で一番人気の和食の店「植本本店」で”海の幸”と山陰名物”石見おでん”を堪能してもらいました。





秋の山陰。


海の幸も旬を迎えた白見魚が沢山上がっていました。






浜田帰省といえば目の前にある禅寺観音寺様方丈花吉和尚の下での参禅が一番の目的なんです。


浜田へ到着したのが深夜2時近くでしたので、翌朝にご挨拶に伺い先に頂戴した「おたり饅頭の願い」の扁額の御礼と帰省した挨拶をさせていただきました。


そして、参禅の許可をお願いしたところでした。

その翌朝は参禅の予定でしたが・・・・・時間調整不足で朝起きれませんでした・・・・残念!





帰り間際、改めてご挨拶に伺いました。

美味しいお茶を頂きながら、少しの時間でしたが近況を報告などのお話をさせていただきました。

いつも思いますが、方丈様のご尊顔を拝する、お話を伺う、そして、同じ時間を共有するというだげで心が洗われる気持ちになります。

まさに、”尊く、ありがたい”という言葉が頭をよぎります。



さあ、帰りの時間が迫ってまいりました。

方丈様は、いつもの通り優しい笑顔で見送っていただきました。







今月号の「禅の心」の”開山”と題された特集記事に使用されている写真が三隅の龍雲寺野原眞承和尚晋山式の模様が使われているということで拝聴してまいりました。

写真には、観音寺雲水定岡蔵心和尚、観音寺花吉和尚、そして龍雲寺眞承和尚がばっちりアップされています。









帰りの車中で、禅語「喫茶去」を考えていました。

帰り際、出発前のあわただしさの中、方丈様の下へご挨拶に行った際、あえてお茶を勧めていただきご馳走になってきました。

私が、疲れのせいで朝の参禅に来れなかったことを悔やんでいるだろうと、強いてお茶を勧めてくれたんだろうと解しました。





喫茶去(きっさこ)はと“まあ、茶を飲みなさい”ということですが、方丈様は、お茶を飲む、家の修繕をするこれらすべての日常生活の中に仏道修行があるということを教えようとするものです。

正に禅でいう「修行こそが悟りであり、悟りこそが日々の修行」ということを教えていただきました。


また一つ、心が洗われました。


ありがとうございます。






浜田で、いつもお世話になている床屋の土田さんの女将さんはじめ、真光町のご近所の皆々様にご挨拶と感謝を申し上げて帰路につきました。


今回も、様々な方々のお陰で、こうして幸せに暮らしているということを学ばさせていただいた旅となりました。


心より感謝申し上げます。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

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