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春の笠石八幡参詣 2018

(2018.4.12撮影)


瀧桜も散り、観光のお客様への花見だんごも一段落した先日、時間を見て三春昭進堂の創業者でもある、おたりさんの生家旧根本村にある「笠石八幡宮」。

ひと月にわたる春の花見商戦大盛況御礼と端午の節句商戦における商売繁盛、そしてシーズン中の無事を祈願に詣でました。







散り始めとはいえ初めて満開の桜に中で参拝しました。

八幡様に感謝ですね。


参道に広がる古墳のような小山に植えられた桜たちも、若葉が生い茂りお天道様の日差しに、生命の有難さを満喫しているようにも見えます。

いつ行っても、心身を洗い流すような、爽やかな風が通り抜け、とても居心地の良い気持ちのいい場所です。

きっと、頑張って商いをしている私たちを”おたりさん”が褒めてくれているんでしょう。






当三春昭進堂の創始者おたりばあさんの亭主は、民四郎と云います。

込木は柳作の本家から苗字とこの場所を頂いて分家しました。






子供の時分より講釈と物書きが大の得意で、畜産組合の書記・庶務や、目の前にある庚申坂新地の遊廓でも、会計や伝票書きの仕事を手伝う傍ら、酒席が大好きらしく、座敷に入っては太鼓持ちをやっていたと聞き及んでいます。

また、民四郎さんは、政治や時事論が好きで、昼間から客と論じあっていたようです。





髙橋タリの名前も見えます。




その間、おたりばあさんはせっせと饅頭や豆腐等で商いをして、10人の子供を育て上げました。

お世辞にも可愛いとか綺麗という賛辞の語は見当たりませんが、苦労が顔に滲みこの人に人生ありの素敵な尊顔です。




皇紀二千六百年記念石板には息子の髙橋伝蔵の名前も刻まれています。








笠石八幡宮

柳橋海道から駒枝に抜ける途中の集落沿いにあります。

道路沿いに、木の鳥居があり、うっそうとした杉木立に覆われた境内には、本殿を取り囲むように巨岩が累々と積み重なっています。

小さな社殿の横から上方に掛けて、数体の岩が顔を出し、最上部に巨石が鎮座しています。







昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。

これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。

麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。

今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。
この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。

笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。






その巨石には

「はしかとて 折ればかろし 笠石の蹄の址や 八幡の家」と刻まれている。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:45 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |
「三春張り子人形」 天狗谷古川悟朗コレクション



「三春張り子人形」が店内にお目見えしました。

天狗谷の母と慕う橋本和子さんから旧三春農協の組合長だった故古川悟朗氏のコレクションをお借りしてきたものです。

生前、悟朗さんが収集した故小沢太郎氏の作品です。








ある雑誌に、当店が紹介された折に「店内で三春張り子がお出迎えしている・・・・」と記載されていました。

この記事を見て、他の市町村かららお越しくださるお客様目線で観れば、三春にちなんだもので飾りなどの調度品で統一された店内の方がより三春らしさの演出になるのではないかと考えました。





早速、天狗谷の妹に連絡をして悟郎さんの三春張子人形のコレクション拝借を打診してみました。


実は、このコレクションの存在は子供のころより知っていました。

田村大元神社夏季祭礼神輿渡御での御輿掛けになっていた古川家ですので、三匹獅子や長獅子・祭典掛りなどで、訪れる際に応接間で拝見していた品々です。

その悟朗さんの娘である”天狗谷の母”こと和ちゃんから 「いっぱいあるから季節ごと位に交換して飾ったら?」と快く貸し出していただきました。

やはり頼りになる天狗谷の母です。







何でも困ったことがあると相談できる、わがままも言える頼もしい本当の母のような和ちゃん。


多分、私と天狗谷を知る人の何割かの方々は、本当の母親だと思っている方も少なくありません。

何せ、天狗谷の名字は橋本なので、旧知の方でも私の事を「橋本君」と真顔で呼ぶくらいですから・・・・







悟朗氏コレクションの三春張子人形は、見れば見るほど、素朴さの中にも華麗さがある、北国の小さな城下町春陽郷三春の郷土玩具です。

三春張子人形は、江戸時代、三春藩領だった高柴村(現在の福島県郡山市西田町高柴)で作られはじめました。

江戸時代後期の正徳・享保年間 (1711~36) 以前は、“デク”、“デコ”と称する張り子玩具を作るのに、三春7代藩主秋田倩季公が、江戸から人形師を招いて「でこ屋敷」を与え、参勤交代の折りに歌舞伎や伝説上の主人公の人形を参考に、農民に技法を教えさせたと伝わっています。






現在は、三春だるまや各種のお面、恵比寿様、大黒様、そして、干支の縁起物をはじめ、雛人形や歌舞伎・浮世絵に題材をとる人形まで多くの種類があります。

人形が成立した時期などについて、正確なところはわかっていませんが、江戸時代、文化・文政のころに最盛期を迎え、その当時、非常に優れた人形が作られていたことがわかっています。






三春張子人形制作は、明治期に一時衰退していました。
それは、人形に使用される染料に制限が加えられたりしたことにより衰えはじめ、ダルマなどがわずかに制作されるまでになっていました。





これを復興させたのが、大東亜戦争後の民藝ブームの中、大阪のコレクターである本出保治郎氏に力づけられた高柴の橋本広吉さんをはじめとするデコ屋敷の方々と、小沢民芸初代で故小沢太郎氏でした。



春らしい五体の三春張り子人形です。

店内の飾り棚に配しますので、ご自由にご覧ください。


また、季節ごとに作品を入れ替えしながら古川コレクションをお楽しみいただけます。






春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 09:34 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |
孫は可愛い!


“民さん”“民さん”と呼ばれる、私の父は今年の夏で満85歳を迎えます。

若いころより、自分は体が弱く長生きはしないと云いながら85です。

膝が痛い、腰が痛いとは言いながらも、いたって元気です。
たぶん「今が人生で一番楽しいんじゃないの?」と思えるくらいです。

高齢者免許更新手続きの葉書が届きました。
民さんは、葉書を見るたびに年寄り扱いしやがって!と息巻いていますが、85です。
75歳以上の予備検査必要なんです。

毎日、三春駅まで、大学生と高校生の孫たちの送迎、それも登校時間が違うために毎日二往復や、繁忙期での店の配達などの車運転をこなしています。


数年前に、カローラバンを軽自動車に替えたとき、軽自動車をバカにしていましたが、小回りが利くと気に入っていまるようすです。





自動車運転免許証は、昭和26,7年ごろの取得で、三春でも数十人しか保持者がいない頃の取得ですので、自慢の種です。

若い頃などは、療養を兼ねて東京荻窪のおばさんの家に居候をしながら、運送屋で三輪オートトラックの運転手をしていたり、三春へ帰郷後は、当時三春出身の代議士湊哲朗さんの運転手もしていたこともあり選挙の時の遊説や国会議事堂への送迎などしていたようです。


また、祖父との確執から一時郡山に所帯を持ち、タクシーの運転手をしていたこともあり運転には今でも自信があるみたいです。

普段の生活でも、束縛されるのが嫌いなのでしょう、隠居にて自分の身の回りのことなどは、すべて自分でこなし、悠々自適な暮らしを送っています。

しかし、孫は可愛いんでしょうね?

常に食卓の上には電車の時刻表があり、孫の送迎を頭に入れて生活のパターンを組み立てているようです。
とにかくこの孫たちが自慢で仕方がないらしく、友達にはありとあらゆる孫自慢をエンドレスで話しているみたいで、どれだけ孫が可愛いのか・・・・・。

最も、上の孫が幼稚園の頃ですから12年くらい前でしょうか、心筋梗塞をおこして隠居で苦しんでいたところをその孫に発見してもらい、九死に一生を得たということがありました。

以来、孫たちには命の恩人と云わんばかりに、孫中心の暮らしになっています。

しかし、末っ子の孫も、大学進学で現在は新潟です。

失業したなぁ~と言っていましたが、今度は・・・・






出産・子育て・育児休暇を終えた、スタッフの子供を一昨年の秋より約一年半の間、出勤時間は面倒を見てもらいました。

お客様や近所の方々からは本当の曾孫のように可愛がっている様子が微笑ましく映っていたみたいです。






毎日毎日一緒に過ごしてくれました。


この曾孫も、昨年晩秋より保育園に行くようになり、「またまた失業した~」と笑っていました。


御菓子 三春昭進堂 髙橋龍一




| ryuichi | 19:06 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |
司馬遼太郎著小説「峠」 幕末越後長岡藩牧野家 家老河井継之助



このところの大雪と寒波の。
寒いのなんのって・・

その分、春を迎えた時の”ワクワク感”は格別なもので、桜の花がより綺麗に見えますよね。







毎年のことですが、雪の片づけをしていると司馬遼太郎の小説「峠」の一節を思い出します。

幕末の越後長岡藩牧野家の家老河井継之助を描いたその「峠」の中に,

「雪が来る」そして「北国は損だ」という言葉が出てきます。

私も、北国に住む者として、司馬作品の中でも最高の文章表現だと思っている箇所の一つです。

さらに続きます。
・・・・北国では町中こうまで働いても、たかが雪をよけるだけのことであり、それによって一文の得にもならない。
が、この城下のひとびとは、深海の魚がことさらに水圧を感じないように、その自然の圧力のなかでにぎにぎしく生きている。

・・・・(北国の人々は)鈍重で、折れ釘や石ころを呑めといわれればのんでしまう連中だ。のむ前はさすがにつらい。
つい大酒をくらう。大酒で勢いをつけ、唄でもうたって騒ぎ、いざのみこんでしまっては、ぼろぼろ涙をながしている。








これは、長岡だけではなく、北国の城下町に住む方々の独特な感覚でしょう。
正に的を得た表現だと思っています。






兎にも角にも、“雪”とのお付き合いは、北国に住む者の宿命です。
あまり気張らず、気長に付き合いたいと思います。

それにしても、雪の片付けでは、その家固有の性格が出てきますよね・・・

道路に出すのだけはやめてくださいね。



春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |
”ご縁・夢なら醒めないで~” 一世一代の誕生日プレゼント!54th





”ご縁” 一世一代の誕生日プレゼント!2018



本日、54回目の誕生日を迎えています。

毎年になりますが、どういう訳だか自分の誕生日にはウキウキ・ワクワクという感覚で楽しい気分に浸っています。


ある時は、テレビの取材の申し込み。
また、ある年は、雑誌の取材申し込み等々、瀧桜を抱える三春の饅頭屋にはこの時期何かとマスメディアの方々からの引き合いが多いんです。






本当に有り難いことです。


しかし、今年は一味も二味も違います。

WHY? 何故かって?


それは年末のことです。

私のところにサンタクロースと神様と仏さまが三人そろって舞い降りて来たような吉報が入りました!
もう~「青天霹靂」!お正月とお盆が一緒に来たような!という例えがピッタリな感覚です。

正に、一世一代の誕生日プレゼントです!



ナ、何となんと餓鬼の頃より約40年、いつも傍らに置いて聴いていた・・・・。
そして、歌のそうですが、その本人の男としての生き方にも憧れていたあのBOSSの事務所から飲み会の御誘いが届きました~今回のお話と相成った次第です。

場所も、あえて飲み会というスタイルでセッティング。

そして、 同じ店という空間の同じテーブルで…Bossと・・・・


おみやげは、もちろん“おたりまんじゅう”と地酒“三春駒の滝桜”!






思えば、今から40年くらい前、郡山市民会館にコンサートがあり、私は親衛隊気取りでお手伝いをしたことがあります。

公演終了後、撤収作業をしていると、ご本人様がフッと表れて「ありがとうね〜」の一言!着替えもまだ済んでいないのに、手伝いを自分たちの事を機にかけていただいて言葉をかけていただきました。それから40年!
その時以来の再会っス(๑˃̵ᴗ˂̵)


これは神様のイタズラか?ご褒美か?一生モノの出来事・思い出だと思います。
これはいくら銭を積んでかなえられる夢ではありません。

やっぱり地に足をつけて真っ当に生きる人間だけに巡って来る、御縁と幸運って云うご褒美なんだろうと思います(^_-)





この世に生きていてレッドツェッペリンのギタリスト“ジミー・ペイジ”、歌舞伎界の花形千両役者“坂東玉三郎”、そして、この方・・・・・。
〜同世代を生きているだけで幸せだと思っていました。






その一角、ガキの頃よりあこがれていたBOSSと一緒に呑めるなんて・・・・夢なら醒めないで~!

髙橋龍一、一世一代の晴れ舞台となりそうです! 
ヨ、三春昭進堂!






今回の事や、映画「鎌倉ものがたり」の件、そして、今までの人生での事柄全てにしても、御縁の成せる業なんだろうと心からそう思います。

正に「袖ふれ合うも他生の縁」です。
この語は古より言い伝えられている言葉でが、人と人とのつながりにはこの“縁”“ご縁”というものが必要なんだろうと思います。

人が生きている間、夫婦・家族の出会いはもちろん、友人にも、また会社の上司や同僚、隣人との間にも、このご縁の作用が働いていて、その力によってお互いが結びつけられて生かされている、援けてもらっていると考えられるのではないでしょうか。






かつて武田信玄も「人は城、人は石垣・・」といったように、最終的には人と人の繋がりによって生かされている自分に気が付きなさいということなんだろうと思います。

今までを振り返ってみますと全ての事象に当てはまります。

友人とは・・・・私にとって、いや当家族、そして三春昭進堂にとっての地からず良い仲間であり、大切な財産です!


今年も春から縁起がいいねぇ~

誰かって?…  それはまだ内緒っす!




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍



| ryuichi | 05:37 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |
御満足饅頭(おたりまんじゅう) 三春昭進堂初売り2018




新春のお慶びを申しあげます。


お客様各位に於かれましては、旧年中は御贔屓を賜りましたこと、重ねて御礼を申し上げます。
本年も、変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。
三春昭進堂の初売りは、1月2日(火) 午前8:30 開店です。
心ばかりの粗品を御用意して皆様のご来店をお待ちしています。






御満足饅頭(おたりまんじゅう)
徳山和尚来たり 点心求む
心不可得に参じ 画餅不充飢を学ぶと
まずは
御満足饅頭(おたりまんじゅう)召し上がれ お茶をどうぞ
身土不二 三春の味 如何 安心満り足る
島根浜田観音寺住 花吉道久老師


上記は、島根県浜田市にある曹洞宗の古刹、紅蓮山観音寺の方丈さまより頂戴した、佛詩「御満足饅頭(おたりまんじゅう)」です。
私たち、三春昭進堂のスタッフ一同はこの詩のような菓子を造りたいと、日々研鑽をつんでいるところです。






三春昭進堂のお菓子は、美味しさにこだわって、高級材料を使い、一つ一つ丁寧に造っています。
「よりやわらかく、より美味しく、より御満足頂ける饅頭造り」を目指して、創作菓子にも力を入れ、日夜菓子造りに励んでいます。

和菓子の原則は素材を生かすことです。
素材が良くなければ、良い職人の腕を以てしても良い和菓子はできません。
風味や歯ごたえなど素材の持ち味も美味しさの重要なポイントと考えています。

「身土不二」という言葉があります。
これは体の健康と風土とは分かつことができない、日本の風土で育ったものが身体に馴染み、健康に良くおいしいという意味です。
厳選された国内の素材を使うことがお客様の健康にとっても第一だと考えています。
 もうひとつ大切にしているのは旬です。
春夏秋冬、季節は移ろいを感じさせる旬の素材は和菓子の世界にとってなくてはならないものです。









 また、着色料、防腐剤、その他の添加物は使っていません。
少々色が鮮やかでなく、日持ちがしなくとも、それが自然の姿だと私どもは考えております。
もともと、餡は保水力があり砂糖を加えたものは腐りにくいという特徴があります。
当店の和菓子はほとんどが職人による手作業でつくられています。
手作りにこだわるのは、薄利多売による品質の低下を憂いているばかりでゃなく、その日その日の温度、湿度によって微妙な加減を加える必要があるからです。  

自然の素材は毎年、作柄が違います。
特に餡の原料となる小豆は、秋の早霜で小豆の成長を止めてしまうなど、気温や日照時間や降水量によって風味や品質が左右されるデリケートな作物です。






季節の素材も形をかえ、色、香をかえてゆきます。
 このため、職人が経験と勘を頼りに微妙に加減して、季節に合った味に仕上げています。
旬の姿やおいしさをそのまま受け継ぎつつ、最高のおいしさを引き出すため日々、職人は腕を磨いております。

人の手は最高の道具です。
人は手を動かすことによって知恵がついたと言われています。手で何かつくり出すことは、人にとって大切なことなのではないでしょうか。







接客も気持ちよくお買い求めいただけるよう、明るく親切、笑顔で思いやりをモットーにおもてなしを大切に心掛けています。

地元の信頼できる材料でお客様に喜んでいただける和菓子をつくる時の充足感、そしてお客様から寄せられる感激の声が励みとなり、さらなる精進への意欲が生まれます。 

手作りだからこそ味わえる職人、そして商人名利につきると思っております。





店主 蒼龍謹白

三春昭進堂 髙橋龍一



| ryuichi | 03:04 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |
三春物語642番「三春昭進堂」


昭和初期戦前の三春昭進堂

尚、最後列右から4番目のメガネの方は、私からは大叔父にあたる髙橋哲夫さんです。



昭和20年代



小さな城下町三春で「三春昭進堂」の四代目として和菓子屋を営んでいます。



昭和30年代


当店は、三春城下旧磐城海道沿いの水芭蕉の咲く寺として知られる藩主祈願寺真照寺の門前、そして三春駒の名で知られる三春産馬や牛の「競り市場」の目の前に立地しています。



昭和50年代 

画面左の真照寺参道側に、左折れの松の古木があるのが見えますか?

店内の一部を真照寺参道を拝借していたものですから、この松の木が店内から生えているように見えていました。

この下り松は江戸時代から生えている老木で苔が生えています。
幹の太さは根元で1メートルは超えていました。

子供の頃は、よく幹に乗って遊んでいましたが、今思うとネバーエンディングストーリーにあった龍に乗って空を駆け巡っていたかに見えたのかもしれません。
敬慕する河井継之助にあやかり、今雅号としている「三春蒼龍」を彷彿つさせてくれます。
これも何かのご縁なのでしょうね〜〜。



昭和56年

新築した現店舗です。


商売の始まりは、明治の終わり頃、私の曾祖父の初代民四朗の妻おたりが、競り市に集まる博労(畜産農家)達に、売ろうと作った素人饅頭が美味いと評判になり、おたり婆さんが造る三春名物「おたりまんじゅう」として三春内外の方々に親しまれています。



そして、現在の店舗です。
  
 私は おたりまんじゅうです
 
砂糖や甘いものがまだ貴重品であった頃 三春に産声を上げました

私を造ってくれた おたりばあさん に似たのでしょう 

色黒で、ちょっと不細工の私ですが 私に出会った人たちが笑顔になってくれます

いくつもの時代を超えても その笑顔が忘れられなくて 

元気な笑顔のお客様にお会いしたくて

そして 愛され続ける存在でありたい・・・

そう願い続けて 毎日蒸気の中で生まれています

お客様から 愛する方々へ 

幸せを届けて行きたいと願っています。

そう思いながら、今日もそして明日も元気に産声を上げつづけます


 創業明治中期 三春名物「おたりまんじゅう」本舗 




三春昭進堂 髙橋龍一


| ryuichi | 05:10 | comments (x) | trackback (x) | 三春昭進堂 菓匠蒼龍 髙橋 |