2020-06-17 Wed
お陰様で銀婚式を迎えることと相成りました。
これもひとえに、女房殿のお陰だと思っています。
心より感謝しています。
結婚したのは阪神大震災の年でした。
アッというあの25年でした。
また、その日三春城下は三春小学校の運動会だったように記憶しています。
夫婦二人三脚という言葉がございますが、文字通り三春昭進堂を夫婦二人で切り盛りしてきました。
スタッフも、常時一人から3人に増え、季節アルバイトは4~5人から2人へと経営基盤を固めてkました。
サラリーマンの家庭で育った妻は、妻として、二人の男の子を持つ母として、女将として、私共々三春昭進堂の大黒柱として支えてくれています。
数字に表せ切れないと思いますが、食事も1年365日、一日三食の25年分の外食も入れて9掛けにしても24637食、洗濯も家族分で一日2回だとしたら18250回です。頭が上がりません。
そして〜仕事です。女将として店頭販売から製造、経理~ 本当にお疲れ様です。
子供の世話も加味されると〜〜
感謝の言葉しか出てまいりません
また、昭進堂の古いジンクスやしがらみをすべて改善・改修しながら、新しい三春昭進堂の親戚付き合いも含めた歴史ともいうべきストーリーを歩いてきました。
結婚以来、毎朝、私の大好きな豆を挽いて入れてくれるコーヒー ・・
25年前の写真を見返すと、やっぱり若いっすね~
ありがとう💖~そして、今後ともよろしく~
あとは、本当の孫を待つばかりです。
I love you,OK ?
この世界に たった一人のおまえに 俺の愛のすべてを捧げる
抱きしめればせつなくなる 俺のこの腕でいつも幸せにしたい
I love you,OK
振り返れば 長くつらい道も お前だけをささえに歩いた
窓辺にともる灯りのように 俺のこの胸にいつもお前が燃えてる
求め合って生きていたい この世界のすべてが闇に消えても
I love you,OK!
見つめ合えば ただそれだけで解る 誓い合った言葉は
I love you
I love you,OK 矢沢永吉
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2019-09-10 Tue
遠くの親戚もまた親戚!
先ごろ、大叔母である故萩元ギンちゃんの次男さん(御年70歳)ご家族にご来店いただきました。
おたりばあさんの孫で、当店3代目とは従妹という関係です。
私は初対面でしたが一目見ておぎんちゃんの息子さんだとわかりました。
新幹線好きのお孫さんを伴って新幹線を乗り継いでのご来店でした。
遠いところをありがとうございました!

大叔母のおギンちゃんには生前の母にはいつも気にかけてお声をかけていただいたのが今でも忘れられません。
お姉さんの博美さんには、時折おたりまんじゅうのご注文をいただいています。
「うちの三春のおばあちゃんの名前の付いたまんじゅうだよ~」と知人に配っていただいています。
ありがとうございます。
令和元年後半もいい年になりそうです。
またのご来店をお待ちしています!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2019-05-07 Tue
瀧桜も散り、観光のお客様、そして花見だんごも一段落した先日、時間を見て三春昭進堂の創業者でもある、おたりさんの生家旧根本村にある「笠石八幡宮」。
ひと月にわたる春の花見商戦大盛況御礼と端午の節句商戦における商売繁盛、そしてシーズン中の家内安全、身体無事を祈願に詣でました。
散り始めとはいえ満開の桜に中で参拝しました。
八幡様に感謝ですね。
参道に広がる古墳のような小山に植えられた桜たちも、若葉が生い茂りお天道様の日差しに、生命の有難さを満喫しているようにも見えます。
いつ行っても、心身を洗い流すような、爽やかな風が通り抜け、とても居心地の良い気持ちのいい場所です。
きっと、頑張って商いをしている私たちを”おたりさん”が褒めてくれているんでしょう。
おたりばあさんの亭主で、当三春昭進堂の創始者は髙橋民四郎と云います。
込木は柳作の本家から苗字とこの場所を頂いて分家しました。
子供の時分より講釈と物書きが大の得意で、畜産組合の書記・庶務や、目の前にある庚申坂新地の遊廓でも、会計や伝票書きの仕事を手伝う傍ら、酒席が大好きらしく、座敷に入っては太鼓持ちをやっていたと聞き及んでいます。
また、民四郎さんは、政治や時事論が好きで、昼間から客と論じあっていたようです。
髙橋タリの名前も見えます。
その間、おたりばあさんはせっせと饅頭や豆腐等で商いをして、10人の子供を育て上げました。
お世辞にも可愛いとか綺麗という賛辞の語は見当たりませんが、苦労が顔に滲みこの人に人生ありの素敵な尊顔です。
皇紀二千六百年記念石板には息子の髙橋伝蔵の名前も刻まれています。
笠石八幡宮
柳橋海道から駒枝に抜ける途中の集落沿いにあります。
道路沿いに、木の鳥居があり、うっそうとした杉木立に覆われた境内には、本殿を取り囲むように巨岩が累々と積み重なっています。
小さな社殿の横から上方に掛けて、数体の岩が顔を出し、最上部に巨石が鎮座しています。
昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。
これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。
麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。
今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。
この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。
笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。
その巨石には
「はしかとて 折ればかろし 笠石の蹄の址や 八幡の家」と刻まれている。
文久年間に別当東光寺住によって奉納された灯篭
当三春昭進堂は、お客様に新鮮で美味しいものを味わっていただくため、大量生産はせずに、ひとつひとつ心を込めて作っております。
当店の御菓子を召し上がっていただき、ホッと幸せなひとときを感じていただければと思っております。
そして、“御菓子もお店もスタッフも” 全てをお客様に受け入れていただけて、「また来店したい」と思っていただけるよう心掛けております。
湯殿山
下記の日程にて、花見~端午の節句商戦の代休として休業とさせていただきます。
5月7日(火)・8日(水)
5月13日(月)・14日(火)・15日(水)
三春城下開花期間中、そして、ゴールデンウィーク期間中の定休日の代休となります。
お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願い致します。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2019-05-05 Sun
遠くの親戚もまた親戚!
花見のころに続いて埼玉の親戚にご来店いただきました。
大叔母である故萩元ギンちゃんの孫娘という間柄になります。
旦那さんと息子さんと共に福島までの日帰りドライブでのご来店です。
遠いところをありがとうございました!

先にこの娘さんとおたりさんの奇遇というか不思議な御縁がありました。
おたりばあさんの実家である根本近内家の長男が大学進学のために埼玉に住んでいました。
この長男のアルバイト先で「福島の饅頭だから」と差し入れがあり、よく見ると“おたりまんじゅう”です。
もちろん差し入れたのはこの孫娘さんです。
「三春昭進堂の~」と言うと、「なんでしているんだ」ということになったそうです。
この時は当人同士も話がつながらなかったみたいですが、後日両方の親からの聞き取りによって事態が呑み込めたみたいです。
福島出身者が多いとされる遠い埼玉のアルバイト先で、おたりさんの実家の息子さんと、おたりさんの娘の孫娘が、偶然にも会っていたというのはご縁としか言いようがありませんね。
この長男君はこの春卒業し家を継ぐために福島で就職し三春根本に帰ってきたそうです。
しかし、不思議なご縁があるもんですね!
そういうわけで、実はこの孫娘さんとは初対面なんですが、とても身近に感じる親せきです~
やはり、「遠くにいても親戚は親せき」ですね。
お母様の博美さんには時折おたりまんじゅうのご注文をいただいています。
「うちの三春のおばあちゃんの名前の付いたまんじゅうだよ~」と知人に配っていただいています。
ありがとうございます。
令和元年もいい年になりそうです。
またのご来店をお待ちしています!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2019-04-15 Mon
三春から離れた東京町田で暮らす祖父の従兄弟髙橋正吾(古人)の伴侶である髙橋シロちゃんとご家族様御一行様にご来店いただきました。
シロちゃんも三春城下北町の大久保家出身です。
今年92歳になるとお聞きしましたが、以前と変わらず温和で朗らかな笑顔で元気なお姿を見れてうれしく思います。

“遠くの親戚より、近くの〜〜“と世間では言うそうですが、当三春昭進堂をルーツとするご親戚の方々にお会いするのは実家を継ぐものとすればうれしいものです。
日ごろより、何かと気にかけていただいてるる大伯母さまです。
「龍ちゃんは、母ちゃんの園子さんに似て商売上手で、頑張っているなぁ~!」「郡山の哲夫(故人)おじちゃんも褒めていたよ。ありがとうね~」とのお褒めの言葉をいただきました。
こうして心配してるれる大伯母さまが居てくれる。
三春で頑張って商いをしていてよかったなあと、そして、涙が出るほどうれしく思います。
今回の三春訪問は、先に次女さんが息子さんと一緒にご来店され、その話を聞いたお母様が「私も三春に滝桜を見に行きたい~」ということで長女さんその息子さん、そして次女さんとご一緒に三春に帰省され滝桜を見ながら当三春昭進堂へご来店いただいたという次第です。
シロちゃんとは義理の甥っ子となる当家先代の父民夫も交えて少しの時間でしたが、兄弟である正吾さん(故人)の話など昔話に花が咲き楽しい時間を過ごさせていただきました。
花見の時期ですので商売が忙しいだろうとご配慮いただきありがとうございました。
また、お土産を頂き心より御礼申し上げます。
三春昭進堂四代目として益々頑張ります!

またのご来店を待ちしています。
追伸
後日、シロちゃんからお礼のお手紙が届きました。
ありがとうございました。
おたりまんじゅうの生みの親”タリ”さんの生家がある旧根本村の「笠石八幡宮」
シロちゃんのご主人である大叔父の正吾さんが出征の折に、母タリが武運長久・無事に帰還できることを祈念して石段整備に寄付したこを記した石板があります。
髙橋タリの名前も見えます。
偶然にも隣のご尊名は「三本木」様
御縁でしょうか、シロちゃんの長女さんが三本木家に嫁いでいます。
当三春昭進堂の創始者おたりばあさんの亭主は、民四郎と云います。
込木は柳作の本家から苗字とこの場所を頂いて分家しました。
子供の時分より講釈と物書きが大の得意で、畜産組合の書記・庶務や、目の前にある庚申坂新地の遊廓でも、会計や伝票書きの仕事を手伝う傍ら、酒席が大好きらしく、座敷に入っては太鼓持ちをやっていたと聞き及んでいます。
また、民四郎さんは、政治や時事論が好きで、昼間から客と論じあっていたようです。
その間、おたりばあさんはせっせと饅頭や豆腐等で商いをして、10人の子供を育て上げました。
お世辞にも可愛いとか綺麗という賛辞の語は見当たりませんが、苦労が顔に滲みこの人に人生ありの素敵な尊顔です。
皇紀二千六百年記念石板には息子の髙橋伝蔵の名前も刻まれています。
笠石八幡宮
柳橋海道から駒枝に抜ける途中の集落沿いにあります。
道路沿いに、木の鳥居があり、うっそうとした杉木立に覆われた境内には、本殿を取り囲むように巨岩が累々と積み重なっています。
小さな社殿の横から上方に掛けて、数体の岩が顔を出し、最上部に巨石が鎮座しています。
昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。
これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。
麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。
今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。
この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。
笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。
その巨石には
「はしかとて 折ればかろし 笠石の蹄の址や 八幡の家」と刻まれている。
春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍
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2019-03-31 Sun

昭和初期戦前の三春昭進堂
おたりさんの息子 髙橋正吾さんの出征の記念写真です。
民四郎さん、おたりさんの間に正吾さんが座っています。
柳作の髙橋家御本家や、従兄弟の方々も写真に納まっています。
橋長魚店の初代橋長」さんのお顔も見えます。
尚、最後列右から4番目のメガネの方は、私からは大叔父にあたる髙橋哲夫さんです。
昭和20年代
小さな城下町三春で「三春昭進堂」の四代目として和菓子屋を営んでいます。

昭和30年代
当店は、三春城下旧磐城海道沿いの水芭蕉の咲く寺として知られる藩主祈願寺真照寺の門前、そして三春駒の名で知られる三春産馬や牛の「競り市場」の目の前に立地しています。

昭和50年代
画面左の真照寺参道側に、左折れの松の古木があるのが見えますか?
店内の一部を真照寺参道を拝借していたものですから、この松の木が店内から生えているように見えていました。
この下り松は江戸時代から生えている老木で苔が生えています。
幹の太さは根元で1メートルは超えていました。
子供の頃は、よく幹に乗って遊んでいましたが、今思うとネバーエンディングストーリーにあった龍に乗って空を駆け巡っていたかに見えたのかもしれません。
敬慕する河井継之助にあやかり、今雅号としている「三春蒼龍」を彷彿つさせてくれます。
これも何かのご縁なのでしょうね〜〜。

昭和56年
新築した現店舗です。
商売の始まりは、明治の終わり頃、私の曾祖父の初代民四朗の妻おたりが、競り市に集まる博労(畜産農家)達に、売ろうと作った素人饅頭が美味いと評判になり、おたり婆さんが造る三春名物「おたりまんじゅう」として三春内外の方々に親しまれています。
そして、現在の店舗です。
私は おたりまんじゅうです
砂糖や甘いものがまだ貴重品であった頃 三春に産声を上げました
私を造ってくれた おたりばあさん に似たのでしょう
色黒で、ちょっと不細工の私ですが 私に出会った人たちが笑顔になってくれます
いくつもの時代を超えても その笑顔が忘れられなくて
元気な笑顔のお客様にお会いしたくて
そして 愛され続ける存在でありたい・・・
そう願い続けて 毎日蒸気の中で生まれています
お客様から 愛する方々へ
幸せを届けて行きたいと願っています。
そう思いながら、今日もそして明日も元気に産声を上げつづけます
創業明治中期 三春名物「おたりまんじゅう」本舗


冒頭にある写真、おたりさんの息子正吾さんの出征記念の写真とご紹介しましたが、御縁なのでしょうか?
先日、その正吾さんの娘さんとその息子さんにご来店いただきました。
このブログを4月初頭に掲載しようと予約投稿していた矢先でした。
私は初めてお会いしますが、なんとも不思議なご縁です。
やはり、遠い親戚ですが身内のお会いできるのはうれしいものですね!
春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 髙橋龍一
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2018-04-17 Tue
(2018.4.12撮影)
瀧桜も散り、観光のお客様への花見だんごも一段落した先日、時間を見て三春昭進堂の創業者でもある、おたりさんの生家旧根本村にある「笠石八幡宮」。
ひと月にわたる春の花見商戦大盛況御礼と端午の節句商戦における商売繁盛、そしてシーズン中の無事を祈願に詣でました。
散り始めとはいえ初めて満開の桜に中で参拝しました。
八幡様に感謝ですね。
参道に広がる古墳のような小山に植えられた桜たちも、若葉が生い茂りお天道様の日差しに、生命の有難さを満喫しているようにも見えます。
いつ行っても、心身を洗い流すような、爽やかな風が通り抜け、とても居心地の良い気持ちのいい場所です。
きっと、頑張って商いをしている私たちを”おたりさん”が褒めてくれているんでしょう。
当三春昭進堂の創始者おたりばあさんの亭主は、民四郎と云います。
込木は柳作の本家から苗字とこの場所を頂いて分家しました。
子供の時分より講釈と物書きが大の得意で、畜産組合の書記・庶務や、目の前にある庚申坂新地の遊廓でも、会計や伝票書きの仕事を手伝う傍ら、酒席が大好きらしく、座敷に入っては太鼓持ちをやっていたと聞き及んでいます。
また、民四郎さんは、政治や時事論が好きで、昼間から客と論じあっていたようです。
髙橋タリの名前も見えます。
その間、おたりばあさんはせっせと饅頭や豆腐等で商いをして、10人の子供を育て上げました。
お世辞にも可愛いとか綺麗という賛辞の語は見当たりませんが、苦労が顔に滲みこの人に人生ありの素敵な尊顔です。
皇紀二千六百年記念石板には息子の髙橋伝蔵の名前も刻まれています。
笠石八幡宮
柳橋海道から駒枝に抜ける途中の集落沿いにあります。
道路沿いに、木の鳥居があり、うっそうとした杉木立に覆われた境内には、本殿を取り囲むように巨岩が累々と積み重なっています。
小さな社殿の横から上方に掛けて、数体の岩が顔を出し、最上部に巨石が鎮座しています。
昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。
これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。
麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。
今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。
この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。
笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。
その巨石には
「はしかとて 折ればかろし 笠石の蹄の址や 八幡の家」と刻まれている。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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