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耳鳴りの彼方へ 2
   H18年度秋季検閲式消防ふれあいデイに係わるレポート提出を受けて
                             H18.11.30
                        三春分団長 高橋 龍一
 
1.序文にかえて
日本人が行動を決定する場合、「みんながやっている。自分だけ取り残される」とか、「みんなが持っている。だから欲しい」というように、いつも「みんな」が基準になる。その人の意思とか、信念、さらに良心はどこかに忘れ去られてしまっているのである。
 政治倫理が問われ、企業倫理そして消防倫理が問われて久しい。政治も企業そして消防団も、しょせんそれを動かすのは人である。要するに経営者の、人としての倫理観の問題である。それがまったくなってないということではないか。 普通の人なら、「十人十色、千差万別。いろいろあるだろう」とすませても、我々消防団の幹部は、そうはいきません。
公人としての哲学とか倫理が必要である。すなわち、しっかりとした生き方や考え方、自分の足元を見つめる目と時代の未来を見据える目、その複眼を失ってはならない。また公人として、していいことと悪いことのけじめを失ってはならないのである。

2.はじめに
平成15年4月に、副分団長に任命されて以来、三年半、10回目のレポート提出になります。その間に様々な提言を上申してまいりましたが、主体的な部分が取り上げられて具体的に形として、さらには感覚として三春町消防団に採択、そして採用されたことに対しまして、団本部はじめ町当局そして各分団の幹部の皆様には、深く御礼を申し上げます。
 本「平成18年度秋季検閲式消防ふれあいデイのレポート提出」を受けてのレポート提出でも、検閲式及び消防ふれあいデイの具体的な詳細な事項の反省と問題提起については、直接指揮を執った三春副分団長からのレポートと、添付の資料である、三春分団各部長名で出された各部末端団員までの意見を集約したレポートに託したいと思います。
 本レポートでは、将来的に発生するであろう諸問題に対する消防改革の本丸とも言うべき、消防施設及び資機材の要望に関する分団長取りまとめの意義の開示、そして次年度三春町の防災の要として次世代を担う各分団の副分団長への苦言、そして分団問わず各部長以下班長の職責にある消防団幹部の皆様に、老婆心ながら提言を呈したいと思います。

 3.消防施設及び消防資機材分団間取りまとめの上要望の意義
今年度、平成19年度以降5年間の防災計画を策定及び作成にあたり、これまで事務局一任であった消防施設及び資機材の配備を、所轄地域防災のトップとして、また、直接現場で指揮を司る各分団長の集まりである平成18年度分団長会として相互分団の地域性や、実情を十二分に協議して団本部へ、向こう5年間の年次配置・配備計画として要望して行きたいと思います。そこには、将来的に懸念される平日昼間の有事現場出場団員の出動率の低下に伴い有効的かつ効率的な活動を確保する為に、防災戦略及び戦術の確立と合わせて提言すると云う核の部分が含まれています。
 消防施設に関しては、昨今の三春町消防団主催の北部・南部に別れてのポンプ運用火災防御訓練なども、訓練場所は、自他共に認める水利欠乏箇所、即ち火災が起きたときに消火まで時間のかかることが予想されている箇所です。その実状を考慮しながら施設要望をして行きたいと思います。
 また、消防資機材については、消防備品と消耗品をかけて考え、分団対応(各部対応)と臨時及び緊急事務局対応とに振り分けをして、各項目ごとに要望して行きたいと思います。そして、これを基に副分団長及び分団幹部諸君に諮り(はかり)ながら、H18年度分団長会の連名で団本部に要望及び上申して行きたいと云うのが趣旨ですが、そこには全ての責任を団本部及び役場に押し付けるのではなく、各分団の幹部としてその職責において責任を負うということ、そして地域の安全と安心は自分がその職責の名に於いて絶対確保を意図するものであり、「我田引水」の助長では在りません。

  4.各分団の副分団長諸君への苦言
一斉放水訓練などは、普段実施している定期のポンプ整備で放水訓練や中継訓練を実施していれば予習など必要なしという認識の基に、予習では位置確認のみで訓練可能という認識を持っていました。
それを踏まえた中で、今回、全ての反省点の根源は、事前準備の一斉放水訓練の予習にあります。それを具体的に表すならば、一斉放水訓練の注意点を編成順位一位である三春分団長として伝達しましたが、その中の一つに「一斉放水の指揮官は各分団の副分団長である。その内容は副分団長間で決めていただきたい」と伝達しました。
その前段で、事前準備参集後に、編成順位最右翼三春の分団長が、予習開始前に整列の号令を掛け各分団の人員報告を受け、本部分団長へ申告した意味を各々がどのように理解したかと云う点にあります。
 それは、あえていうなれば、消防団活動の全てが規律であります。それを踏まえた中で、上記は、「始まる前と終わりには整列しけじめをつける。」という単純なことだけではなく、また、今まで事前準備には整列もなく、唯なんとなく時間に集まり、終わりがはっきりしないまま流れ的な解散としていたことへの「抗議的」意味合いだけではありません。
今回、主題として副分団長の皆様に理解していただきたかったのは、「烏合の衆・棟梁だけのチームでは家は建たない」ということ。具体的にいうなれば7人の副分団長の中の指揮者を自己認識で互選し、選出して訓練方法の統一を図るということ。そしてその方法の中で予習の為の役割分担として水元指揮者、火点指揮者、中継指揮者、全体指揮者を配して、直接ポンプ運用の部隊には、その指揮者に副分団長間での決議事項を、しっかりと伝達して予習及び本番に臨んでいただきたかったと思います。
決定的・偶発的な局面で、最高指揮官が不在であり、尚且つ、組織的にも責任の所在が曖昧で、分団内の各部隊が勝手な思惑で行動し、指揮官がそれを統率できないという日本型組織にありがちな欠陥の露呈です。あえて言うならば、マネジメントは在っても、リーダーシップが無い事に起因するのではないだろうか?
マネジメントとは、目の前の梯子をいかにして効率よく昇るかであり、リーダーシップとは、その梯子が正しい場所に架けられているかを判断する仕事であると考えます。
どんなに梯子を早く上っても、その梯子が間違った場所に架けられていれば、その目的は達成できない。どんなにマネジメントが優れていても、リーダーシップが不在であれば、結局は失敗する。
これらの意味に於いて、副分団長の諸君には、目の前に迫った既成の行事などを処理する能力には長けている人は多いが、全体としてどの方向に向かって行動し、何を行なうべきかを統一的に指示する指揮官の存在を欠いているのではないだろうか。
さらに付け加えるならば、将来の消防団を見据えた中で現況の中で消防団幹部は「本来の消防団の本質」を理解して、実戦力の低下を防ぐよう努力されたい。
我々分団長が、昨年来より事あるごとに参集して諸問題について協議したり、各分団長連名での上申書提出などは、我々が分団長だからではなく、各々が各分団の最高指揮官・最高責任者だからです。そして今回の各分団の最高指揮者は中隊長である各副分団長でるということ。そして、任期半年となる各分団長が外皮も着用せずに一斉放水訓練に臨んだ意味などを良く考えていただきたいと思います。
 昨年の消防団主催ポンプ運用火災防御訓練の「三春分団長所見」でも述べましたが、フランスの古い諺に「一匹の羊に率いられた百匹の狼より、一匹の狼に率いられた百匹の羊の方が、勝る」というのがあります。これは、指揮官の資質を物語っている諺で、指揮官への戒めです。
 正副分団長という消防団幹部は、「お飾りの村の名士や名誉職」ではなく、有事対応部隊の指揮官で各地区の防災最終総責任者であり、各種災害現場に出場の団員の身を守るためにいるといっても過言ではありません。
その意思反映と云う意味での、消防団の意思伝達機関は、整然と分団内部長(幹部)会を実施して各部の幹部に理解し、その幹部諸君が、部内幹部会を召集実施して、各班長諸君に伝達し、各班長が定例会などの中で末端団員まで周知徹底を図る。これは、意思伝達と共に安全管理上どうしても必要な行為であるし、それが消防団であろうと考えます。
そのための抽象化として、通常点検での大隊編成があり、ポンプ操法があり、一連の規律訓練があります。
訓練以前の問題として、副分団長の方々には、今後も指揮を執るつもりなら、もう少し消防資機材(中継ポンプの活用法やメーターの見方)に精通すると共に、どんなに有効的な指揮・司令も、難しい言葉や過密で繊細な司令では団員には伝わらないという事を理解したうえで、人的成長を成し遂げて、指揮命令とは何かを学んでいただきたいと思います。
実際の有事現場では、常に本部分団長や、分団長がいるとは限りません、次年度は皆様方が消防団のトップを形成して行くわけですので、副分団長間及び各分団内の意思の疎通を図るとともに、社会通念や一般常識を理解し、健全な分団経営を営むことを希望します。

5.次世代を担う部長以下の消防団幹部の皆さんへ
1、 指揮官は、現場到着前に部下の役割分担を決め、災害現場を予想し防御包囲体制をイメージして、その対応を予測していく。そして、現場に着いてから状況を見て修正を加え、人員の役割分担や、ポンプ・ホースの位置・取り回しを部下に指令するような考え方で出場してください。

2、 分団内も含めて、各部長間、部長及び班長間の意思の疎通を図り、安全且つ円滑で健康的な連携と統率の取れた消防団活動に従事すること。

3、 各部所有のポンプ車及び小型ポンプ、中継金具パッキン等の些細な資機材を含めての点検整備を怠らない事。更には、不具合がある場合は正副分団長に速やか且つ正確に不具合個所を指摘連絡する事。

4、 通常のポンプ整備、中継訓練でも、現場におけるあらゆる場面をも想定して、訓練に臨んで下さい。
訓練に於いても、災害時においても同じことですが、目の前の失敗は、失敗として冷静に受け止めて、「次の対応をどうするか?」という瞬時に機転を利かした的確な判断ができるような心構えと体制つくりを普段から心がけてください。
「訓練は現場を想定して厳しく、現場は訓練を思いだして冷静的確に」

5、 消防団員である前に、人間として資質を高める様に努力して、相互互助の育成に努めること。

6、 健全な家庭があり、仕事があり、健康な心と体があって、はじめて消防団活動に従事できます。団員は勿論、部長はじめ幹部にも言えることです、団員がその相互関係において思いやり、労り合いながら一致協力して、地域のリーダー的存在である事を認識しながら、各部とも部内の活性化に勤める事。

7、 反省とは、同じ失敗を繰り返さない為に必要な事柄であり、災害現場における安全管理の第一歩であります、各員この趣旨をよく理解して消防団活動に邁進して頂きたいと思います。
    正副分団長は、皆様よりは、消防活動を少し早く経験した者であり、客観的に自分自身の消防人生を振り返ることができる年齢になってきました、そうして振り返ってみると、後悔する事ばかりです。
自問自答の繰り返し、各災害現場での反省を元に、三春町消防団の方向性というもの、「安全」を念頭に押し進めたい考えています。
    親が子供を叱る時、自分と同じ過ちをさせない様に、必死で忠告してくれるのも親自身の実体験を基にしてのものであります。
    私達正副分団長しかり、団本部しかり、自分自身の実体験の中で、部下である団員に現場での安全というものを念頭において、通常のポンプ整備や、中継訓練などの中で強い口調での叱咤激励があります。
    各部長・班長諸君、消防団活動以前の地域のリーダーという存在をよく認識して、自分自身を客観的に見る素直さを持ち、日々反省の中で、過去の失敗から何かを学ぼうとする、謙虚な心をもって一生懸命努力する事が大事なのではないでしょうか。

8、 団員は勿論、幹部に於いても言えることですが、その良好な人間関係に於、個人的な領域まで踏み込んでの叱咤激励、相互扶助を念頭に置いて、様々な状況の中での消防団活動に「無理をきたさない活動」「個人に無理を集中させない組織つくり」という事を心がけてください。

9、 三春分団はじめ三春町消防団においては、良好な人間関係の中で「ヒューマンウエアー」が、確立しているものと確信しています。
   安全管理を前提とした災害出動の中で、その反省の意味も含めて、ポンプ整備があり、必要に応じた中継訓練があり、部長会・幹部会が在ります。
   この訓練という一連の流れの中で、是非幹部だけではなく一般団員も含めて、消防について、とことん話し合って下さい。
その繰り返しが、幹部を含めた消防団員の人生に於いて貴重な財産になるはずです。
 
10、火災現場に出動し、当然反省の意味でポンプ整備があり、中継訓練があります。その延長線上に中隊訓練・ポンプ操法等の規律訓練廃止論等の「時間の有効活用的」という三春町消防団の目指す実質的消防が成立します。

11、「火災発生時においては組織立てをしての出動を前提として消防団が存在している以上、火災防御・鎮圧活動の前に当然考えるべき事柄、部下である各分団団員を火災現場へ安全に引率して、安全に火災防御活動に従事させ、災害現場にてのあらゆる危険から守り、火災鎮圧後に部下の安全を確認して、安全に各屯所まで帰還するという、当たり前の事を、当たり前にやることの再認識と、そのために必要不可欠な、各分団幹部としての自覚と意識の高揚を目指し、その延長線上にある火災現場を想定した実践的な部単独及び分団の火災防御・送水・中継訓練や、通常のポンプ整備の徹底や、ポンプ車等資機材の実情と使用方法把握、安全管理・危機意識の再構築」という、「消防学校」では習えない消防団幹部として身近で最も大事な事柄、そして消防団として当たり前の事柄を、実質的な火災防御・放水・中継訓練等の実質的な訓練の企画立案、そして構築・習得していくことが、部長以下班長の職責にある皆様方の求められていると思います。

6.「老婆心切」 結びにかえて
 皆さまは姥捨山の物語をご存知ですね。昔々齢をとりすぎて働けなくなった老人を捨てる村がありました。ある日その村の一人の男が、齢老いた母を背負って山へ捨てにゆく途中のこと、背中で時々枝を折る音がするではありませんか。
「さては母が、捨てられたあと一人で山を降りるための目印を作っているな」男はそう思いましたが、知らん顔でようやく山奥にたどりつき、お母さんにさよならを告げました。その時お母さんはこう言ったのです。
「いま、山を登ってくる時、お前が帰り道を間違えないよう枝を折って目印をつけておいたよ。それを頼りに気をつけて里へ帰りなさい」。
 自分が捨てられようとしながら、なお我が子のために道しるべを残してやろうとする親心に男はいたく感動し、親不幸を詫びるとともに再び老婆を背負って山を降りるのでありました。その後男が孝行したことはいうまでもありません。
 自分のことは一切考えに入れずに只相手を思いやる-これを老婆心といいます。姥捨山の元の話は雑宝蔵経(ざっぽうぞう)の棄老国(きろうこく)の話であり、また老婆心は中国や日本の禅書によく出てくる言葉です。「禅の師匠は一見厳しいだけのように見えるが、老婆が子や孫をいつくしむような深い愛情に裏づけられているのだ」ということでしょうか。
 自分を目いっぱいに考えに入れ、自分の面子と損得で消防団の幹部を無難にこなそうと思っていませんか?そんなことでは本当に姥捨山においてこられます。
老婆心切、これこそ後継者作りの根本精神であることを、それこそ老婆心までに申し添えておきます。
 そして思わぬ落とし穴が「傲慢」です。権勢によって傲慢になることが、ある意味で自然なことであるというのは、昇進し権勢が大きくなるにしたがって、忙しくなる、祭り上げられる、ちやほやされる、恐れられて注意・忠告されることが少なくなるからである。
ローマ時代に確かアウグスティヌスという皇帝だったと思うが、農民から皇帝に上り詰めて、退位する時は惜しげもなく退位して、また農民に戻ったという話を聞いたことがあります。そして、「実る穂ほど垂れる頭かな...。」という言葉があるが、形ばかりではなく心から「感謝」の気持ちや「謙虚さ」を身に付けた人物にして初めて、消防団幹部を成し遂げることができることを言ったものであると確信します。


| ryuichi | 07:02 | comments (x) | trackback (x) | 「戦陣藻」 心苦雑記 |
耳鳴りの彼方へ 4
 平成17年度三春町消防団春季検閲式、消防ふれあいデイレポート提出を受けて
                                H17.6.24 
                          三春分団長 髙橋龍一
 
平成17年度三春町消防団春季検閲式及び秋季検閲式提言に係わるレポート提出を受けて、三春分団長提言書という形で提出したいと思います。
 *春季検閲式について
春季検閲式では、車両大隊長を拝命しその職責に答えるべく、その任務遂行に邁進していたため、閲団及び通常点検の詳細は三春副分団長以下、部長裁量の提言書に委ねます。
 車両大隊に関して言えば、事前準備のときに石井本部分団長に言上した、車両分列行進時の車両長のステップ乗車による挙手敬礼ですが、当日車両大隊長としての練習後の訓示の中で、通常の消防活動でのステップ乗車は禁止、検閲式は車両形態の変化と複雑化の中で車両中央への乗車が困難(幌を外すのは容易ではない)の為、特例としてステップ乗車での挙手を容認するとし、車両員各分団には指令しました。また、その際安全上の注意点として、車両後部のステップバーを握る左手の白手袋は外し、スピードは時速6キロ以下(駆け足程度のスピード)を指示し、今検閲式での車両分列行進は、各分団の車両整列形態の見直し(各分団本部車両を分団車両分隊長車両として先行し、車両長の挙手が点検者に見えるように左右の並走を変則化)も含めてスムーズな行進ができたと、自画自賛しているところです。
 更に言うなれば、今後の車両大隊長の為にも、シナリオの見直しを図ったほうが良いのではないかと考えます。
 
 *検閲式来訪者の増加について三春分団所見
 今検閲式は、三春分団新野副分団長初めての検閲式ということで、新任の新野副分団長の晴れ姿を激励の意味も込めて一目見ようと、三春分団の分団長OBとして、中町の岩崎・橋本両三春分団後見さんが、何年ぶりだろうと照れながら、むらさき会のはっぴ姿で来場し、閲団や通常点検のでは、優しさの中にも厳しい指摘などがあり、三春分団としては何時になく緊張する検閲式だったと思います。
 さらにお気づきかと思いますが、三春分団長、副分団長の出身部の新町・中町後見会は11名全員がはっぴ姿で来場し、また三春分団独自の副分団長選出方法の中で正副分団長の選出に最後まで携わった後見さんの姿の多数見られて、私たち正副分団長としては大変心強いものがあります。
 さらには、分団問わず、団員の奥さんや子供、父兄そして彼女等の来場が目立ち、団長推進の「風通しの良い消防」、「出前消防」の成果、そして何より「火消し」としての三春町消防団への期待の高さとの認知度が伺えます。

*秋季検閲式消防ふれあいデイについて
 詳細については、三春分団各部長へ、業者屋や事務局への丸投げではなく、昨年度の秋季検閲式や、今春季検閲式での来場者を視野に入れて、「自分たちで何ができる」ではなく「自分たちは、何がしたいか」を念頭に手作りのイベント骨子作成を示唆しましたので、別紙の副分団長以下各部長らの提言に委ねます。
 私からは、基本的な方向性として、検閲式とふれあいデイのどちらに重点を置くか、また、来場者の客層をどこに設定するか、そして一番重要なことは、客層設定での時期的な問題を踏まえて、消防団として「何がしたいのか」ここを明確にして秋季検閲式の骨子立案に参画したいと考えます。

・ 「来店型消防体験」の実施
昨年度秋季検閲式の内容に、体験型をもう一歩前進させ、三春分団所有のポンプ車に装備されている放水銃を活用しての放水体験を入れたいと思います。
 町内の小中学校に、体験参加を呼びかけ、「出前消防」の延長として「来店型消防体験」の実施と位置づけてもいいのではないかと考えます。
 昨年度の自主防災会との連携は、町営グランドとの場所の兼ね合いで、実質的な活動の制限(地理的制約で自主防災会の主要構成員である各組長さんの参加が無理)のため、その趣旨からは逸脱した物となったように感じました。
 
・秋季検閲式開催場所の各地区巡回制について
現在各々の分団が抱えている問題として、団員の減少・幽霊団員の増加があります。そして自主防災組織の再構築もあります。この二つの問題の中で共通の主要要因に「住民の地域離れ」があると考えます。
住民の地域離れの抑止と、そして消防団を含む地域防災の相互理解増進のためにも、地域住民と一体化した作業が必要不可欠と思いますが、その作業の一環として「消防ふれあいデイ」が最適なのではないかと考えます。
これは、開催場所が貝山にある町営グランドという地理的制約から、来場者が限られていると考えます。「出前消防」で小学校に出向く感覚で、ふれあいデイを前面に押し出し、各地区を廻って相互理解の場として設定すべきと考えます。
さらに、その郭となる自主防災会との連携を踏まえたうえで、秋季検閲式を消防ふれあいデイ一本の名称に一元化して、開催場所の各地区巡回制導入を提案し、住宅密集度や新興住宅地とその増加対応として岩江地区(岩江小学校か中学校グランドでの開催)を推薦します。
分団の人員減少幽霊団員の増加の要因として地域との離反(新興住宅地の問題)が含まれていると考えます。各々の分団でその融和には努力しているところではありますが、手遅れになる前に三春町消防団として手立てを画策してしなくてはなりません。
 
・開催期日について
時期(期日)ですが、先の提言書にも書したが、「有事対応能力の高い消防団を目指す組織づくり」の延長線上で、消防団行事の夏季集中化のなかで、春季検閲と秋季検閲式の時間的距離が少ないのではないか?また、三春分団に於いては、次週に三春大神宮祭礼を控えて、祭礼の主要構成員である三春分団員は、寄付集め・練習・打ち合わせ・花車・神輿作成等の祭礼準備におわれ、一般的にはお彼岸の仏事が絡み、検閲式の準備も含めて時間と時期的に無理があったのは事実です。

・ラッパ隊について
別紙参照の事

*今後の三春町消防団進行方向の模索について

1. 消防車両並びに、消防ポンプの更新時における実状に合った配備考察。
 各分団へ消防車両(ポンプ車含む)及び小型ポンプの更新を行っているが、その配備順位の選考の中で、車両配備一覧表の数字上の事務的順位ではなく、団本部として各分団の現況(使用頻度を含めた)を十分に把握した上で有効且つ効率的な配備をお願いしたい。
 車両配備一覧表における、数字上の今年度配備順位予定の中で、消防積載車は沢石分団第一部へ、また小型ポンプは要田分団第一部となっていますが、沢石分団では平成12年度定数を含めた条例改正の中で防災センターを立ち上げ、分団の拠点活動の構築により、新時代に即した効率的な消防活動を展開しています。
その中で、本年度消防車両更新計画の中で、沢石分団該当車両の更新が説に必要なのかは疑問である。防災センター方式により各部が、独立した屯所での活動ではなく、センターを拠点として火防督励等の消防活動に使用し、車両についても同様の体系が採られており、現状での使用頻度は低レベル化しています。したがって該当沢石車両の更新が遅れても支障はない現状を考えると、使用頻度の高い三春分団第七部(常時12名出動可能、配備年式については別紙参照)への配備が妥当なのではないかと考える。
また、小型ポンプについては、消防ポンプ配備一覧表の数字上の更新計画で要田分団第一部として計画しているところであるが、要田第一部管理消防ポンプで、同じく平成12年度定数を含めた条例改正で削減された要田第4部車両及び小型ポンプを所有しています。
この旧要田第4部車両及び小型ポンプは、現在は予備としてほとんど消防活動に使用されることなく保管されていますが、この小型ポンプはまだ年式も新しく、本年度更新を予定されている要田第一部小型ポンプと交換して使用すれば十分使用可能で、これもまた使用頻度と年式を考えれば、御木沢分団第2部の小型ポンプが最優先されるべきでしょう。
上記の提言の中で、一番主題とする事柄は、消防資機材の配備更新については、事務局一任ではなく消防団本部並びに分団長会議で、使用頻度、予備資機材の是正など各分団の実状を十分考慮のうえ、十分に検討して策定すべきであるということである。

2. 出動手当ての支給項目の是正。
 十分な説明もなく策定された本年度の出動手当て支給項目のなかで、事務的に団主催と分団主催で色分けされているが、分団主催によるポンプ運用火災防御中継訓練の削除の意味するところが納得いきません。我々三春町消防団は、「災害現場対応能力高い消防団」を目指す中で火災防御訓練は必要不可欠であると考えます。その現状の中でその火災防御訓練さへ実施しない、いや実施できない分団もあることは事実です。
この現実を踏まえた中で分団主催のポンプ運用火災防御中継訓練への出動手当て支給停止とは、分団主催ポンプ運用火災防御中継訓練はしなくてもいいよといっているに等しく、とても災害現場対応能力高い消防団を目指すために同じ方向を向いての消防団活動はできかねます。また、有事現場での安全管理上不安で仕方がありません。
 確かに、当三春分団では各部との定例のポンプ整備には、部単独や複数の部で毎回安全管理を含め、災害時における様々な状況を想定して、分団管轄内外でポンプ運用による火災防御訓練を実施して、防御戦略を含めた火災防御技能向上に努めていますが、他分団ではどうでしょうか?
 出動手当ての支給というのは、ある意味団本部の公認的な意味合いが含まれていると認識していますが、上記の現状の中で、分団主催ポンプ運用火災防御中継訓練の分団主催ポンプ運用火災防御中継訓練停止というのは、将来的に三春町消防団の資質の低下を招きかねないと考えます。
 また、この項目についても財政縮小方向に向いている三春町の実数は知りませんが、事務局一任ではなく三春町の防災を司る消防団幹部として我々はその核なる部分にも関与しなくてはならないと思う。

3. 三春町消防団費の現況把握。
 この項目についても、上記の項目の趣旨の中核とする部分であるが、現在三春町が有する消防費の実数を我々三春町消防団の幹部として掌握し、その収支の細部まで消防団幹部として関与すべきと考える。

4. 団本部及び町防災担当の実質的な各分団の現況把握。
 先に提出した、防犯協会の総会資料及び各分団の総会資料を参考にしながら、各分団の実状を分団幹部として、実状や実態を相互共通の認識として確認しあい各々の分団が抱えている定数や地域性、そして考え方をも含めた方向性を。議論を重ねた中で理解しあい、同じ三春町消防団として同じ方向を向けるように足並みをそろえなければならない時期に来ていると考える。
 また、少し掘り下げて有事出場頻度実数を災害出動手当て請求から割り出し可能ではないだろうか?その指数を割り出し、団本部はじめ我々分団長は、三春町消防団幹部として、冷静にその事実を現実として認識し、さらには団本部はじめ分団長間で実情を把握して、毅然とした指令の中で資機材の配置転換をすべきと考えます。さらにはそれが可能な「実質的な風通しのよい消防組織」を構築すべきではないでしょうか?

5. 分団内に於ける資機材配置の再考。
 この項目は、上記1の主題を、分団としての対応策を提言するものでありますが、予備のポンプの分団内配置転換や、上記4の延長線上で相互理解のうえで成り立つであろう消防資機材の有効的且つ効率的な配備を構築するを主題とするものである。
 消防車両(ポンプ車)配置の中で、消防ポンプ車と積載車の配備予算形態の違いは周知のことではあるが、現状の中でポンプ車に固執せず、小型動力ポンプ付積載車の配備を検討してもいいのではないか?消防ポンプ車も小型動力ポンプ付積載車も性能的には違いはあるが、消防ポンプを、その分団の実状の中で無理に維持しなくても、小型動力ポンプ付積載車で十分間に事足りる実状は、周知の通りです。
要は消防資機材の三春町消防団として有効且つ効率的な活用方法を構築してもいいのではないか?また、その時期に来ていると考える。

6. 総括として
 1~5の項目で共通して取り上げている主題としては、効率化の追求にあります。これは消防団機構のみならず、自治防災グループの仕事軽減もその一つと考えます。
 三春町行政改革機構の一環として担当制の弊害排除を目的として創設されたグループ制の導入により、グループ構成員の職務は多様化しその職務内容は膨大な量になっていると考えられます。その現状を踏まえた中で、何でもかんでも事務局に任せるのではなく、我々消防団幹部としては、その自己責任においてグループ職員の膨大な仕事量の軽減に努めるべく、消防団業務の事務的な部分の一役を担い現状にあった消防団組織の構築を模索して
いくべきではないかと考えます。

・ 添付資料について
1、 三春分団各部からの提言書
2、 消防車両配備詳細一覧表
3、 ラッパ隊に係わる提言書
4、 要約版 消防団公務災害防止等に関する研究報告書
 三春町消防団で殉職団員の有する三春分団長として、災害現場の危険性と安全管理を訴え続ける為に。(防火刺子・外皮に拘る理由として)
5、 火災防御消火訓練の手順


| ryuichi | 07:01 | comments (x) | trackback (x) | 「戦陣藻」 心苦雑記 |
耳鳴りの彼方へ 8
「平成18年度消防防災科学に関する論文」を受けて

「耳鳴りの彼方に・・・」
“町火消し”その視点と正義について

はじめに
団員の安全確保と云う観点から、様々な災害現場出場に際して、我が三春町消防団では、外皮(防火服)、防火ヘルメット、安全長靴、そしてグローブの完全装着と基礎訓練を実施して安全自己管理の徹底を義務付して安全には細心の注意を払うように示唆し、非常心理が発生する災害現場での様々な状況下で起こりうる事故の危険から、部下である団員の身を守ろうとしています。
しかし、新聞・テレビ等の報道で、簡易ヘルメットと法被という無防備な装備で、火災現場を含む様々な災害現場で献身的に活動する消防団員の姿を、目の当たりにして、私も消防団の指揮官である大隊長としての職責を踏まえた中で、有事災害現場での指揮官としての安全管理とその確保について改めて考えさせられます。
本書は、日常的な消防団業務遂行の上で、全国自治体消防団に対して安全管理の重要性の再認識と、現在そして将来的に抱える不合理さゆえの諸問題に対する単純な改善改革案の認識確認と、その諸問題が自然発生的に生じた自治体消防発足以来の、この組織に慢延し受け継がれた現組織体制への再確認と方向修正、そして価値観をも含めた新しい基本理念及び道徳的概念の、模索とその確立を、“町火消しの頭“として誇りと自負を持ち、実戦実動部隊の大隊長として、そして三春分団全員の共通認識の確認として、ここに謹んで提唱するものです。

序文にかえて
先に公表された「新時代に即した消防団の在り方に関する検討委員会」中間報告を踏まえた上で、この種の言わば日本国憲法の根源ともいうべき、国民主権と自由主義とともにこれを創造し構築するような人格の概念にも批判と是正を求めたいと考えます。
自治体消防団は、昭和22年の制度発足以来、地域防災の要として地域住民の生命財産を守る上で重要な役割を果たしてきました。近年は、広域消防組合の充実により消防の常備化が進み多くの地域で消防団の役割も変化し、火災等への対応の面では常備消防が中心的役割を果たしている地域が増加しています。
また、消防団を取り巻く社会環境も著しく変化し、過疎化の進行、就業構造の変化、住民意識の変容に伴い団員数の減少、そしてサラリーマン消防団員の増加が加速して、消防団活動のあり方そのものの見直しを迫られているのが現状であります。
このように、消防団を取り巻く環境は大きく変化している一方で、近年の地震や土砂災害などの自然災害に対して、消防団は重要な役割を果たしているほか、平時でも防火啓蒙や指導等の面でもその重要性が見直されています。
「阪神淡路大震災」以降、地域消防体制の整備が積極的に進められている状況下の中で、消防団が果たしていく役割等について、消防団員と行政それぞれ意思の疎通を図り、長中期と短期のそれぞれビジョンの策定に向けて積極的に検討することが必要となってきています。また、総務省消防庁消防課で取りまとめを行った「新時代に即した消防団のあり方に関する検討委員会」などで、時代に即した消防団のシステム創りを模索しています。
上記の事柄を踏まえた上で、我が三春町消防団に目を向けますと、三春町が提唱する「都市計画」「自治基本条例」「消防に関する各種条例」及び「三春町防災計画」の下に、行政改革と実質的な消防力維持強化の狭間に揺れながら消防団活動を実践していることは承知のとおりです。そして、この案件に対する認識の捉え方は消防団の今後について、考える者(組織)と考えない者(組織)、そして行動する者と、行動しない者を自然に選り分けることになったと考えます。そして、各分団ともに十年後いや五年後、もしかしたら三年後の消防団を予想出来ないのが現状なのではないでしょうか。そのためにも現状の消防団に甘んずることなく、近い将来を視野に入れ、消防団としての「ビジョン策定」に向けて、危機意識をもって議論を重ねて行かなければならないと思います。

消防団の主体と現状、そして、その進むべき方向性について
自治体消防団組織の主体は、ヒューマンウエアーと言う観点からすると、視点の取り方や言語のさまざまな「技法」プロセスによって規定された、ある意味においては架空のものであり、現実的に実像として存在しているものではありません。また、それ自体が各々の意味の上において、消防団が普遍性に対して開かれている根拠な訳ですが、それが誰で在れ、その他一切の区別に関係なく消防団というフィールドにおいて、消防団独自の規則と技法が存在・尊守されている限り、消防団の主体の価値を採ることも可能です。つまり、消防団の機能的共同体というものがあるにしても、それはあくまでもその主体的な機能的共同体であって、決して現実に存在する者の共同体ではありません。
ところが、地域の消防団においては、実戦部隊の実動隊組織という体質上、この機能的共同体は、消防団のフィールド上にあって種を異なる共同体が存在する、さまざまなエーストや伝統、ビジョンによって規定された存在する者の運命をも共にする、言うなれば運命共同体にほかなりません。
消防団の進むべき方向性の先には、自分たちの住む地域を各種災害から守り抜く、という正義感と責任感が確実に存在し、その非日常ともいえる消防団員としての社会的現実と、実社会に於いて職業を持ち家庭を持っているという個性的現実、この相克の狭間において、曖昧な現況の地位・立場にある、唯一、責任感、義務感と正義感、そして、「男気」をもって日夜、その業務に対応しているのが現状ではないでしょうか。

消防団を取り巻く社会的環境の変化とその対応について
グローバリゼーションと呼ばれる地球規模での経済・文化平準化の現象が進む中、消防団員の取り巻く環境も例外ではありません。平成不況と呼ばれる中で、日経平均株価が一万円代中頃を推移し、事態は回復の兆しを呈しているといえますが、社会の雇用情勢が不安定視される昨今、サラリーマン化が進む消防団員の日常である社会、勤務先である会社もその影響を少なからず受けています。時代の推移に伴い、業務以外の所属組織に対して大変シビアになってきていることは、当然承知だと仮定して話を続けます。
団員のサラリーマン化が進む中、実際の状況として会社を営む経営者の視点から見れば、消防と言う名目で勤務中に出動されたり、休まれたのでは、業務が停止するばかりではなく、会社としての対外的な信用の欠如ともなりかねません。極論からいうと、「仕事と消防どちらが大事なのだ」ということは、日常的に交わされるのではないだろうか。そして、どちらかのウェイトが社会的な意味に於いて、変革し、実社会人として、基本である仕事・職業が社会環境の変化に伴い、不安定な組織の構成要員を排除しつつある傾向にあるのは、紛れもない現実であります。また、従来の自営業者に於いても、消防だからと理由で、その生業である仕事を放り出していたのでは、直接的に収入減を生じ、これもまた対外的な信用が欠落し仕事である生業そのものの消滅にも発展しかねない。それでも大多数の消防団員は、義務感、正義感の中で、曖昧な立場のままに災害があると果敢に出動し、任務を遂行しています。

消防団に於ける組織の組織的共同体化とその危険性について
本来、消防団と言う組織は機能体として発足した組織であるが、ひとつのエリアに存在する不可思議なこの組織は、機能体を超越した共同体、言い換えれば、機能優先運命共同体組織ということが言えるかと思います。
一般的な見解を消防団に定義した場合、消防団はその基本的な価値や中心となる構成部分を、外部環境からの恣意的な介入による干渉から護ろうとする作用が働いている組織の核となる部分を可能な限り外部環境によって左右されないように保護し、隔離しようとするのである。
外的変化によって組織の核が直接的に影響を受ける事は、組織としての現在の主体性を危うくするものであり、組織存続意義や全体としての組織生存を脅かす事につながるからです。
組織的共同体というのは、もちろん「ともに生きる」共同体です。そこには、共同の記憶があり、経験の蓄積があり、それに伴うさまざまな感情が存在し、そうした思いの数々をその共同体への帰属の意識が支えています。そこで働いているのは、基本的には、「同一化」の機能です。
一度共同体が危機に陥るなら、そこでは容易にすべての団員が自己同一化するような叙述的「人間形成」が出現し、それを核にして強度の感情である熱狂が組織化されます。
組織的共同体は、同一化を可能にする「ともに生きる」感情によって支えられ、地域の中で消防団はそこに根付いています。それは決してそれ自体がとがめられるような事では在りません。むしろ我々の共同体が本質的にそのような傾向をもち、しかし、危機的な状況には、その危機を口実にして、消防団はその感情的傾向の中で盲目的な「熱狂」に組織することがあることに注意しておくべきであるのです。しかし、何が、誰がそうした注意を払うのか。それは、「良識」でありそして消防団自身が主体とする消防団イズムの役割がそこに存在します。
しかしその共同体に在りながら消防団の幹部として、共同体の「熱狂」のなかで「しかし、これは公平だろうか?」と問い、そして共同体の彼方に在る、或いは、未来に在る、その共同体には属さない他者がいる事を忘れずに、倫理的・道徳的に対地域住民への責任、対自分自身の責任の名に於いて、冷静に消防組織の行く末を見極める孤独の必要性を認識しなくてはなりません。

全国にある消防団の幹部意識レベルの確認について
福島県の消防団は、新潟・長野・山形・兵庫の次に団員の数が多い地域で、約3万8千人という人員を要しています。また、私の所属する三春町消防団は七分団構成、定数500名で編成され、平均年齢からすると、約29.5歳となり、全国的に見て平均年齢が一番若い消防団といえます。
三春町消防団の中でも、中心基幹分団である三春分団は、「三春、町火消しの直系」として、その質そして意識ともに全国トップレベルの体制を誇っており、7部体制、総定数110名をもって消防業務を遂行しています
歴史上に三春の名前が、阿武隈山系の小さな山間の谷間に登場する鎌倉時代から受け継がれてきたこの「町火消し魂」は、数え切れえない大火経験(多数の住宅類焼)の有無により、“恐怖にも似た危機感”から、歴史的背景をバックに三春町民と三春分団に於ける消防に対する共通認識として受け継がれ脈々と育み根付いてきたものに他なりません。
その歴史と伝統のある三春分団幹部として日々の業務遂行の中で、気付いたことがあります。部長・班長といえども個々に格差はありますが、現場での指揮・命令指令は、経験や危機意識だけでは的確に出せないことを実感として感じました。一連の規律訓練は、それを補う指揮官の為の訓練だという事です。これは個人の性格と行ってしまえば済みますが、消防は機能体組織です。指揮・司令に関しては個が介在しては成り立たない分野と考えますが、現実は個が勝っています。昨今、消防団の資質低下が取り沙汰されますが、正しく規律訓練の本筋を見失った結果だと感じえます。その上で、最近感じるのは、果たして団員は簡素化的改革を望んでいるか?という疑念です。これは、ただ単に楽をしようと言う風潮があるのは否めませんが、安易な変革は、消防団全体の、堕落の元という事です。指示待ち指揮官が普遍化し、以前の指揮官とは、異次元の部長達が消防団にも存在する現実は見逃せません。
定期のポンプ整備・中継訓練等の通常訓練や災害現場での各部幹部の言動を見極めで具体的な行動を指導しようと考えます。私としては実践訓練強化の為に、過剰な儀礼を緩和したいだけで、組織の短絡的・楽観的簡素化とは一線を画したいと考えます。
団員が百人いれば、百の考え方があります・それを纏めるには、考え方の違い・目的意識の相違をそのままにして、唯当面の目標・いわば手法的目標(火災・水害など緊急事態に対応すべきポンプ整備)の共通性だけで消防団全員を一体化していくと言う手法を採択し、各指揮官の人格的資質強化及び向上の教育的指導やポンプ整備の充実などで、消防団活動を媒体そして活用した全団員の人格形成に寄与し、既に役職は個人の人格からはなれるべきで、今「何をすべきか?」ではなく、「何がしたいか?」という事を指導的教育の前提として注入していこうと考えます。

消防団組織の意思統一について
消防団の各分団レベル意識格差の問題点は、大きく別けて三つ在ります。
第一の問題点は、よく言われる「情報の軽視」ということです。それは、単に情報を軽視したのみとは言い切れない問題を含んでいます。むしろ、情報の処理の仕方に問題があると思います。消防団としては様々な情報を摂取してはいますが、それが組織である消防団各分団の中を流通していかないということです。組織を人間の肉体と例えると、情報は血液のようなもので、この血液が円滑に流れない組織は、いつしか硬直化して、やがて腐敗していきます。近年頻発する公官庁・企業の不祥事に於いても、「部門間の風通しの悪さの為に、情報が一部に留まってしまった」とか「トップは何も知らなかった」という発言が繰り返されています。この点でも、消防団を含む、日本型組織といわれるものは、はなはだ閉鎖的で臆病な側面をもっており、公の場での議論することが少なく、どこかわからないところで、一握りの人間により、その組織の意思決定が行われている。また、会議の中で話される建前と、会議以外の場で話される本音が、正反対ということもママ在る事といえます。当事者は判っていても、その情報が他に明かされない。その結果として曖昧な危機感ないしは根拠の無い楽観だけが助長され、誤った意思決定が続く事になる。そういう愚を避ける為には、雰囲気に流されずに、事実を事実として見つめる態度が、様々な行動の前提と為らなければ為らないのではないかと考えます。
第二の問題点は、「身内の利害を優先する姿勢」であります。
消防団の実質的な団員の減少を前提として、各分団間の連携が重要視されている現在に於いて、出身分団の低レベルな慣習・権利だけを主張している場合ではないと言う事です。災害出動しなくても検閲等団行事を主体としていれば大丈夫というような悪習慣でも、消防団として悪い事をしているという意識は毛頭ない分団幹部が存在する事は確かです。身内意識の中に埋没していくと、目の前しか見えなくなり、自分の分団だけよければ、他はどうなろうとかまわないと言う態度につながっていきます。そうした行為の温情は、大極的に見れば、結局は非情につながり、誤った情報の連鎖が、結果的には消防団全体の首をしめる結果となり、自分と部下に跳ね返ってくることになるかと考えます。これは、農耕民族である日本の組織に特有の、いわゆる「ムラ社会」体質(我田引水)の欠陥を鋭く衝いている事柄でしょう。
第三の問題点は、「リーダーシップの不在」です。
前記の中に在るように、分団及び分団幹部の中には、決定的な局面で、最高指揮官が不在(実際の不在ではなく人格的資質の不在と言う意)であり、なおかつ、組織的にも責任の所在が曖昧で、分団内の各部隊が勝手な思惑で行動し、指揮官がそれを統率できないという日本型組織にありがちな欠陥の露呈です。
あえて言うならば、マネージメントは在っても、リーダーシップが無い事に起因するのではないだろうか。どんなにマネージメントが優れていても、リーダーシップが不在であれば、結局は失敗する。これらの意味に於いて、消防団には、目の前に迫った既成の行事などを処理する能力には長けている人は多いが、全体としてどの方向に向かって行動し、何を行なうべきかを統一的に指示する存在を欠いているのではないだろうか。或いは、消防団の段階的経営者としてその立場にある者が、人格的資質の欠如に於いて的確なリーダーシップを発揮できなかったと言えるのではないだろうか。

消防団の組織としての自己批判とその責任について
消防団における価値観をも含めた主体は、その地域性とポジション、そしてスタイルによって決まるものであって、感情という存在の厚みを持っていません。それだからこそ、逆に超越的な視点が持てる訳ですが、消防団の言説を行う現実的な個人は、それぞれの思とともに運命共同体的意味合いの消防団の中に存在し、なおかつ、個人のさまざまな事情と感情を持っています。
そうした存在の拘束を消防団、いや消防団の言説が完全に淘汰することが理系の言説ならば、ともかく文系・個人が人間文化の担い手である限り、現状況の価値観をも含めた秩序の中では、とても困難なように思えます。
消防団が行う消防団に対する政治的な行為の最も基本的なものは、実情を把握した上での批判に他ならない訳です。しかし、批判が正に対立の構図の上に成立するものである以上、そこには常に感情的な攻撃性が忍び込む可能性があります。消防団員という社会的現実と一般社会・家庭における個人という個性的現実。この不条理ともいえる狭間にある消防団員は、現実が確実に発生している現状を踏まえて、批判というのが自然発生的に生まれてくると思います。   
実際、現実に行われている批判の多くは、理論的であるよりはるかに感情的なものであることが多い。論点の相違が、いつのまにか、相手そのものの全面否定となったり、一見論理的なようでありながら、結局は、自らの恨み事に依拠するものであったりする言説が横行していますし、それを正式な形として書面をもっての批判的行為が余り見当たらない。そこには、男としての美学「男気」とやらが存在し、お付き合い(馴れ合い)意識も手伝って、運命共同体の「一番の欠点」が発生してきました。しかし、現消防団が抱える、さらには、抱えるであろう問題のひとつとして「団員減少」が浮き彫りになりつつある現状を考えると、「男気」だけでは乗り切れるものでもなく、まして、団員を取り巻くハード的状況や、ソフト的状況を配慮した場合、どうしても批判を唯批判としてだけではなく、ひとつの社会的問題と定義して、その提示をも含めた批判行為をしていかなければならないのではないか。
機能的組織の本質として、火災・災害出動に対して「命をかけろ」という考え方では、消防活動は成立しません。恐らく消防団員の誰一人としてもついては来ないでしょう。それは団員にもそれぞれ家族がいるわけですから、「ここで死んでくれ」と言われたところで死ぬわけには行きませんし、「火傷や怪我をするかもしれない」と言われても現場には行けません。
消防団員万全だから出動する。無事帰還出きる技術と経験が在るから出動する。逆に言えば怪我等の事故が起こるのは万全な態勢や、曖昧な考え方で出動していないといえる。その「万全な態勢の創造」の延長線上に三春町消防団が実践する一連の合同訓練があり、その本質を確立できると考えます。

消防操法競技大会について
自治体消防団発足時は、有効的な団員技能向上の手段であったが、いつのまにか、行政の後押しの中で、競技会種目として意味合いの的位置付けが普遍化することによって様々な諸問題が発生しています。
訓練方法として早朝4時から一年間も練習したとか、毎晩遅くまで何ヶ月もとか、これでは普通に社会で仕事を持つ健全な若者が聞いたら、もうそれだけで消防団に対し拒否反応を示すのは当然の解釈だと思うし、先に言及に及んだが実社会では、受け入れられない。これこそが、現在日本全国にある消防団が抱える最大の問題である、「団員減少問題」の一番の原因と考えられる。
そして、消防団として今後の消防団活動の中でこの消防操法の位置づけを今一度見直す時期に来ているのではなかと考えます。
冒頭でも記載しましたが、火災等への対応の面では常備消防が中心的役割を果たしている地域が増加しているという事実、そして、消防団を取り巻く社会環境も著しい変化し、過疎化の進行、就業構造の変化、住民意識の変容に伴い団員数の減少、そしてサラリーマン消防団員の増加が加速して、消防団活動のあり方そのものの見直しを迫られているのが現状であります。
その原因の一つに消防操法が挙げられているのは現実の問題として上がっています。近隣市町の過剰なほどの訓練を見聞するに、この「お祭り騒ぎ」の影で消防団本来の業務を、広域消防組合の常備消防任せ(頼りにと言い換えたほうが適当かもしれません)、その業務を疎かにしていることに気付いている消防団幹部が何人居るでしょうか。
常備消防においても、東京消防庁は、全国常備消防に先立ち、全国消防救助技術大会などの見世物的な大会出場を取りやめに踏み切り、披露目的ではない実質的な消防救助技術訓練様式を採用したと聞き及んでいますが、今後、この訓練様式は全国の常備消防にも波及することでしょう。
しかし、消防団が旧態然として現状の消防操法訓練様式を採用し続けるということは、有事対応の放棄につながり日本消防協会の意図する現場対応能力の高い消防団の構築からかけ離れた消防団しか存在するという危惧が私の脳裏からは払拭されません。
これは、何も消防操法の全てを否定しているのではないことをご理解いただきたいと思いますが、近年の消防操法における分署員の指導方法の充実(安全管理を念頭に各項目の意味までも教授)や、その延長線上にある「水出し消防操法」への移行など、消防団員としての有事対応の基礎的役割は今後の消防団業務の技量向上の為には欠かすことの出来ない訓練様式です。また、規律の面においても消防団の基本中の基本となる訓練様式ですので、この部分を疎かにすることはできませんが、大会を前提とした過剰な訓練日程による「お祭り気分の末の本末転倒的な位置づけの認識」に危惧しているだけであります。
この事柄は、三春分団長として再三苦言を呈している、厳冬期の県消防学校入校の時期及び内容と同様の事柄と考えます。

自己革新組織としての原則理論について
機能的共同体・消防組織が継続的に環境に適応していく為には、その組織内における一幹部の個人的感情、利権は黙殺し、あくまで、その組織・機能態的共同体に主眼を置き、組織は主体的にその戦略/組織を環境・時代の変化に適合するように変化させなければならない、つまり主体的に進化する能力の在る組織が、自己革新組織である。
最近の進化論の有力な考え方のひとつは、進化の普遍的な原則を、この自己革新組織という考え方に求めている、組織は、そういう行為・行動を通じて日々進化を遂げていく、組織内における社会的現実と個人という個性的現実の相克の不条理が存在する消防・消防団組織もこの例外ではないのである。
全ての消防団員が持つ、口には建前上言えないポンプ操法批判などは、先の大戦中に行われた神風特別攻撃隊の根底にあるものと「似て非なるもの的感覚」が見受けられます。人間が、共同体の構成員である事を最大かつ最終的に確認できるのは「共同の死」を意識した時であると言われます。この瞬間にこそ、全ての機能は失われ、人間はただ共同体の構成員と言うだけの存在になる。
太平洋戦争でアメリカ軍と戦ってみて、言い訳もつけないような機能上の弱体を思い知らされた旧日本陸海軍は最後に、この共同体意識のみに没頭し、共同の破壊を求め、これを拒むことを許さなくなってしまった。
日本海軍における、敷島隊・大和隊にはじまる神風特別攻撃隊、これを国民性という観点から見るならば、特攻作戦を可能にした精神的背景には稲作民族の体質から生まれた歴史的大家族主義に伴う強い愛国心、美化された武士道の影響、昭和初期の「神祇院」による国民思想統制の上に成り立つ「戦陣訓」に表徴される戦前教育。また、特攻隊への志願者には他人の評価を過度に意識する世間体という拒否・選択を許さぬ「ムラ」社会の恥意識などが加わっていたのではないだろうか。最後まで特攻を拒み、通常攻撃に徹した海軍131航空隊美濃部正中佐や、インパール戦で独自の判断で撤退した陸軍第二十八軍桜井中将など例外はあるが、この種の「死を恐れぬ精神」を勇気と言う人も居るだろうが、事実は共同体的拘束から抜け出せなかっただけなのです。このために日本陸海軍は「死に急ぎ」となり、反省すべき事を反省せず、一部の人間の保身のために冷静な作戦思考さえ失った戦争指導者の指示により、多くの将兵が戦死・餓死・戦病死したのが、このような状況下で発生したのだからなんとも切なく、割り切れない思いがします。
適応力のある組織は、環境を利用して絶えず組織内に異変、緊張、危機感を発生させている、或いはこの原則を、組織は進化する為には、それ自体を不均衡状態にしておかなければならない、といってもよいであろう。
不均衡は、組織が環境との間の情報やエネルギーの交換プロセスのパイプをつなげておく、すなわち開放体制にしておく為の必要条件である。完全な均衡状態にあるということは、適応の最終状態であって組織の滅亡を意味する、逆説的ではあるが、{適応は適応能力を締め出す}のである。もちろん、ある時点での、組織の全ての構成要素が環境に適合する事は望ましい。
しかし、環境が変化した場合には、諸要素間の均衡関係を突き崩して組織的な不均衡状態を作り出さなければならなくなる。 
均衡状態から外れた組織では、組織の構成要素間の相互作用が活発になり、多様性が創造されていけば、組織内に時間/空間的に均衡状態に対する確認機能や破壊・疑問が自然発生的に起こり進化の環境適合性がはじまるのである。

個々の資質を含めた消防団の高度成長について
消防団は、組織として、他の組織(全国的視野を持って)と比較して組織内外に絶えず緊張が発生し、不安定な組織であると考えるかもしれないが、それは、平時だけのことで、非常時には企業組織が常時市場とつながりを持ち、そこでの競争に晒され、結果のフィードバックを頻繁に受けるという開放体制の組織利点作用が働き、個々が切磋琢磨し、問題意識が個々の中に芽生え、その問題に対して各々が、奮起・努力するものと考える様に、消防組織は、平時にいかに組織内に緊張を創造し、多様性を保持して高度にして不確実な非常に対して備えられるかが問題になってくる。
このような、組織内に緊張を創造する為には、客観的環境を主観的に再構成或いは、演出する分団幹部の洞察力、異質な情報、知識の交流、人間の抜擢などによる引率者の消防以外(一般社会人として人格形成を組織体制によって向上・構築という意味)をも含めた人格向上体制組織構造が必要不可欠なのである。更には、一切の哲学的思弁を排除して、極めて現実的にこの問題を考察するならば、理念が現実に内在して現実を動かすと言うのは、理念が達成せらるべき目標として現実の人々の、現実意識の中に宿り、現実人の意欲を方向うずけると言う事なのである。それも、一人または、小数の人々理想として描き出されているだけでなく、消防団に在籍する大多数の人々が、同一の理念を達成すべき目標として渇望し、これを共同の意欲の対象とし、共同の行動によって、その理念を実現していくことなのではないのだろうか。
多数の人々が、同一の理念を意欲の対象とし、それに向かって主体的に働きかけるとき、そこには、統一のある行動が現れ、それが新しい機能共同体を作り、組織を動かす原動力となる。この力は、対抗する力が在ればあるほど、これと抗争してこれを制圧し、場合によっては現存する大きな意味での現消防組織を粉砕する革命力(あえてこの言葉を選択)ともなって成就するのではないかと考えます。

リーダーシップとマネージメントの重要性について 
大東亜戦時下、京都には第16師団という軍隊組織がありました。この師団「ぼんぼん師団」と呼ばれるほどの部隊で弱い部隊として有名で、「また負けたか、16師団」と言われる程の最弱を誇る部隊であったという話です。この部隊、組織の再編成を図るために師団長として有名な石原莞爾が配属されます。石原は、師団の組織改革にあたり初めに手をかけたのが実は「食事の充実」だったそうです。衣、食、住。人間の基本であるこの3要素の中で食べ物の充実を課題として初めに取り掛かりました。「腹が減っては戦は出来ぬ」といいます。兵隊と言えども人は人。食わなくては死んでしまいます。組織の士気を上げるために石原の着目点は考えられそうで結構すごいことなのではないでしょうか。人に対して感謝する気持ちや動こうと思う動機付けは簡単な作業のようで結構難しい作業です。全くその気の無い人を動かすのは人物に対するカリスマ性やそれなりの信頼関係が無くては出来るものではありません。軍隊といえども組織は組織。人間生きるのに不可欠な欲求を満たす事で組織の根底から改革して言ったわけです。
 また、幕末に活躍した村田蔵六(大村益次郎)は技術者としての兵法家なのですが、部下が、指揮官である蔵六を良く知らない状況下で、一連の長州征伐と呼ばれる幕府対長州の戦争が始まります。この長州征伐の際、川を目前にした村田蔵六指揮の部隊は目前の敵に対して架橋して渡るか思案する事となります。その時、蔵六は指揮官として大声で「川へ飛び込め!」と命令し前進、目前の敵に対して戦闘を仕掛けたらしいです。そして、戦闘が終了し、川向こうの元いた場所に部隊が帰還しようとした際、今まで掛かっていなかった橋が掛けてあり部隊は橋を渡り帰還したというのです。蔵六曰く、これから戦闘をする部隊に勢い川へ飛び込む事が命令として出来ても帰還する際、疲れきりまた川を渡る事は部隊士気に影響するだけでなく戦力にも影響するのだ、と。後方の架橋部隊を上手く指揮したという面でも優れた采配ともいえますが、部隊の指揮にまで配慮した彼の演出とも言える采配で部隊は蔵六の指揮を安心し彼に付いて行ければ間違いが無いと思えるようになったとあります。これは司馬遼太郎の「花神」の逸話を拝借させてもらったのですが、まさに人を動かすのに命令一辺倒だけでは組織にボロが出るという逸話だと思います。
蔵六は戦う事だけ、戦闘に勝つことだけを考えたのではなく、そのような配慮にも長けていたのでしょう。
この石原莞爾、村田蔵六の逸話には、消防団幹部のリーダーシップとマネージメントの重要性を説いています。
今、非常時の組織として成立したはずの消防団が、平時の対外的内的見栄か、それとも、地位の私物化か、その本文を忘れ長い時間の間に少しずつ、その主体的目的から他与的条件、自己中心的な個与的条件の中でずれが生じてきた。  現消防団幹部には、マネージメントは有っても、リーダーシップ(現場指揮能力及び災害非常心理克服)が無いように感じられます。
マネージメントとは、目の前に有る梯子をいかにして効率よく昇るかを考える仕事であり、リーダーシップとは、その梯子が正しい場所に架けられているかを見極め判断する仕事です。どんなにすばやく梯子を登っても、その梯子が間違った場所に架けられていたら、目的地に達する事は出来ません。どんなにマネージメントが優れていても、リーダーシップが不在であれば結局のところその組織は無力にすぎない。それは、旧日本軍とその政府のように、本来は目的だったはずの事柄を目標だと思い込み、ノモンハン事件などの失策失敗の教訓を無視して、それを疑問にすら考察出来ずに、大東亜戦争に突入し暴走自爆の末に、国を滅亡に追い込む結果となったプロセスのようである。
我々消防団幹部は、現状を直視して目の前の問題を真剣に考え、そして将来を見据えた上でのビジョンを示すということ、そして、為すべき事は、次世代を担う団員に如何に自分で考え、自立を促すかだと思います。更になれば、自立できるような能力と意識をどう造るかであり、その自立できた能力と意識を相互の目的と照らし合わせて、消防組織が個人を、個人が消防組織を活用し合えるような仕組みを創設し維持して行かなければなりません。実質的な消防を目指す「町火消し」イズムの継承と、更に高度な資質の向上並びに伝承が、消防団幹部の使命ではないかと考えます。そのためには、各階級幹部が各階級指揮官としての自覚と誇りを持ち、全力で任務の遂行に真剣に取り組むことである

結びに代えて
「心よりのお願いと概念的改革案提示」
消防団業務は多岐にわたり、火災や風水災害への対応、そして行方不明者捜索など、厳密な意味においては、24時間、年中無休体制での任務の遂行です。 これは実社会での仕事や家庭を投げ打ち、分団長の命令での出動、または、待機等、この実情を考えると、義務感とか正義感、使命感と言うありとあらゆる薄っぺらな言葉などそこには存在せず、家族を守る・地域を守るその想いの中で「唯そこに災害がある、助けを必要としている人がいるから」、古い語を借りて言うならば、文字通り「滅私奉公」と言う事に成るのではなでしょうか。
今、消防団の幹部に求められているのは、自治体消防組織とそれを司る行政に対し、儀式的行事・競技的行事・団員の地位向上(官給品、団員報酬、社会的身分)などの消防団が抱える事柄を現実の問題として捉え、非日常的組織の部下を持つ組織人として、また、一人の人間として、改善提案及び改善要求しなければならない最重要課題であると思います。
この事柄こそ、現時点ではまだ自治体消防発足当時の体制が奇跡的に現存(実存組織体制、人数、平均年齢、そして正義)するこれらの地域の現役消防団員や、これから入団するであろう団員に対して上級現幹部がこの諸問題を、責任在る立場、権限を持って模索、そして打開策の確立を目指し行動を示す事により、非常時における人間関係が向上しその本来の業務「町火消し」である筈の「消防」の本質的かつ実質的主体性が受け継がれ、地域住民に対しての期待への受態性、そして、団員が胸を張って「私は消防団です」と自信を持って応えられる日が来ると確信します。

改革を妨げる壁として、
一・・・・自治体消防団そのものの制度の壁
一・・・・物理的な壁
一・・・・意識(心)の壁
組織改革とは、この三つの壁を打ち壊すことである。そこためには、
1、平時、有事に係わらず情報の共有化
2、消防団、分団での様々な問題に対し、討論の活性化
(全員参加意識の向上)
3、その合意を尊重する。(現場の声を聞く、意思疎通回路を太く、短く設定)。
4、現場(部そのもの)を重視する。(トップダウン)
5、消防団の指導者の信頼回復(ボトムアップ)
つまり
WHAT・・理念・目的の再確認と認識(実態の報告)
WHEER・限界の確認と認識(方針の明示)
WHY・・・障害の確認(自己限界の明示)
DO・・・・可能性の追求(協力の要請)
以上の項目を、消防団の幹部と称する方々によく理解してもらいたい。
無責任な組織にならない為にも消防団の指導者及び関係者に対し、楽をさせたいと言うのではなく、考察方法をもう一度再考し、限られた時間の制約の中で、より有効的な本来の業務に勤しんで貰う為、そして貴重な限られた時間を有効に活用したいと言う事を、十分理解して頂きたい。
そして「耳鳴りの彼方に」町火消しその視点と正義・・・と題して、日本国消防団が暴走自爆する前に、耳鳴りのする愛すべき三春分団の後輩たちの為、そして家族と三春町民の為に謹んで上申するものである。

「耳鳴り・・・」この題名は、三春分団員の会話の中で、
「シー!」「何か聞こえる」「サイレンか?」「なんだ換気扇か。」と言う語を、よく耳にする、耳の奥にサイレンの音がこびり付き離れないということである。          
END


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耳鳴りの彼方へ 3
平成16年度春季検閲式実施に係るレポート提出を受けての提言書
                          H16.6.11
三春分団副分団長 髙橋龍一
 
平成16年度春季検閲式実施に係るレポート提出を受けて、三春分団副分団長として春季検閲式並びに、三春町消防団のテーマ「災害現場対応能力の高い消防団創り」引率分団としての誇りを根底に、「三春町火消し組」の直系として、また「災害現場対応型消防団最右翼」自任し、そのために必要な各種訓練や啓蒙活動を実践して「災害に対して備え待つ組織」を構築している三春分団から、当然次回分団長会議の添付資料となり、各分団幹部が読んでくれるのを意識して、三春町消防団の今後進むべき方向性を団本部・他分団への提言として上申したいと思います。
 
1.はじめに
 先の「三春町消防団幹部研修会」、団長挨拶の中で、「地域社会の変化・団員の就業体系多様化など消防団活動には危機意識をもっている。特に昼間の有事出動可能団員の減少が危惧される(自営業者の多い三春分団でも7部隊約35名、三春分団全体の3分の1程度)。将来の消防団を見据えた中で現況の中で消防団幹部は「本来の消防団の本質」を理解して、実戦力の低下を防ぐよう努力されたい。その為には部長職の重要性の再認識が必要不可欠である。部長の資質低下が消防団の戦力を左右する、副分団長同等の危機意識・安全管理意識をもって、その資質向上に努められたい。部内数十名団員の命を預かる立場として、また団員を教育する立場の者として、各自部に持ち帰り「現場対応能力の高い消防団創り」を目指ざす指針として下さい」という訓示が示す様に団本部でも、三春町消防団の現況を理解し危惧しています。
ここで三春町消防団幹部の諸君に間違って解釈して欲しくないのは、団本部が検閲式をはじめ様々な三春町消防団活動に於いて、我々消防団幹部の意見を聴取し、意見を取り上げて消防団活動の実質的効率化を図り三春町消防団の改革を推し進めているのは、消防団活動を簡素化し簡略・縮小・楽にして、酒飲みを増やそうという事ではなく、分団幹部は各個の資質向上を図り「部落意識の屁理屈」と「間違った規律の解釈」を払拭して、団員の消防活動に於る限られた時間を有効活用して、簡素化して生じた時間を実質的な訓練に重点的に充てるということです。
また、認識不足の「規律訓練」や「既成のポンプ操法」の指導をすることにより分団幹部を誇示しようとする低レベルな分団幹部を戒めていると各自自覚して頂きたい。

2.平成16年度春季検閲式について
「中隊訓練が廃止」・「実践水出しポンプ操法」となっての初めての検閲式に際し、当日感じた事・改善点や代替案を箇条書きにて列記します。
尚、詳細は三春分団末端団員まで、聞き取りの上各部長の提言を取りまとめたものを、分団長が添付しますので、そちらをご覧下さい。
まず、現在三春町消防団が行っている春季検閲式の各項目の意味を原点に立ち返り一つ一つ確認したいと思います。
・団長閲団
消防団最高指揮官への、部隊編成と支給資機材の保管管理報告
・ 通常点検
   町民代表への、部隊編成と支給資機材の保管管理報告
・ 大隊編成
・分団幹部の災害現場での式命令系統の確認と団員への告知である。
・大隊長は、災害現場発生地区当該分団長である。
有事の際は、他分団との連携系統の確立に務める。
・中隊長は、各分団の指揮官として、現場では我分団活動の指揮にあたる。
・小隊長は、各部の指揮官として部活動の指揮にあたる。
・分隊長は、部内の班長として、班活動の指揮にあたる。
・ 水出しポンプ操法
過度な規律は別にして、消防団の本文である火災現場でのポンプ操作の基本。
普段から、分団火災防御放水中継訓練や、ポンプ整備の日に放水訓練を実施していれば特別な訓練などしなくても出来ない筈が無い。
・ 分列行進
   分団の分団長指揮命令での分団行動の抽象的な体現動作。

1・ポンプ操法
当日、郡山広域消防三春分署長からポンプ操法披露の際、「ショウ的要素の高い既成の操法ではなく実質的な水出しのポンプ操法です」と説明があったと通り、「現場対応能力の高い消防団」を目指す三春町消防団に有効的なポンプ操法だったと思います。
また、三春分団においても、空操法でしたが「水出しポンプ操法」の理念と位置付けが普段のポンプ整備でやっていることなので、疑いも無く取り組めたと思います。
2. 休憩時間
 中隊訓練の廃止を受けて時間的に余裕が生まれるかと思いましたが、「水出しポンプ操法」など初めての試みが多かったせいか、時間に追われていたような気がします、次回は行事の合間を速やかにする創意工夫をして時間を捻出し、随時休憩時間を取りたいと思います。
3・閉会式
 来賓祝辞の時間短縮や代理受領の撤廃など小手先だけの手法で時間短縮を図ったり、既成の行事を要して閉会式でのこれ以上の時間の短縮は無理なのではないかと考えるに、各種表彰の期日場所を変えて行って時間の短縮を図ってもらいたい。
例えば、「出初め式」三春町消防団幹部交礼会で餅を搗く時間があるのなら各種表彰式を行ってもらいたい。
退団者表彰などは、辞令交付式で行って貰いたい。
4.その他
・ 昨年春の提言書提出で、2,3の分団から「大隊長を経験しないで終わる分団長かいるのはおかしい」という提言が出されていましたが、大隊長経験の有無に意味を見出せない。また何の為の通常点検大隊編成か、また先の「三春町消防団研修」での石井本部の講義の中であった規律の意味を分団幹部として自覚を持って、尚且つしっかりと理解・把握して提言しなおして貰いたい。
・ 間違った解釈の中で、規律訓練(ポンプ操法含む)によって分団幹部を誇示しても、災害現場で役に立つわけでもなく、その誤解釈規律が分団幹部の自己満足となり、それが団員の消防団意識の希薄に繋がり、これが要因で「団員の幽霊化」や「検閲要員」の増加となり、分団の衰退が始まる危険性があることをこの場を借りて提言します。
・ 大隊長の細部動作、中隊長の細部動作を口頭での申し送りではなく、書面で残してもらいたい。
・ 団旗の定義を聞きたい。
・ 各分団、部長班長を再教育して、3年未満の団員や新入団員に自分団消防の行事日程と意味をしっかりと伝達してもらいたいと思います。これは、昨年度もありましたが今年度に入ってから他分団の新入団員や3年未満の団員が、三春副長に日程やその行事の意味を聞きに来た事例が数回ありました。
聞くと三春分団では考えられない事ですが、「自分の部長や班長から何も聞かされていない」「名前だけ貸して」とかの話でした。これでは、折角やる気で消防団に入団したにもかかわらず、出だしで挫かれ幽霊団員の輩出要因となってしまいます。
5. 総括として
 検閲式後、三春分団正副分団長は、分団内7箇所の慰労会場を回りますが、検閲式に来場した各区長並びに字委員から、今年度から実施された「水出しポンプ操法」への評価は、大変好評で、「オイッチニー」の消防より消防らしいと一様に「頼もしい消防団」「有事の際はちゃんと放水出きるんだな」という言葉をいただきました。
今後も、一般の方々にも解る「開かれた消防団」を目指していきたいと思います。

3.三春町消防団としての基準策定
三春町消防団の実力はどうか?これを考察するに、まず7つの分団を推し量る何らかの基準が無くてはならないと考えます。
よく、「何かを変えたいなら、各分団の意見を統一して本部に提言しろ」と云われますが、三春町消防団には7つの分団があり、その管轄地域の風土に根ざした地域性や社会環境の中で消防に対する考え方も7者7様です。
たとえば三春分団の定義する「消防」とは、間違いなく「火消し」であり、そのための安全管理であります。しかし他分団の中には、「消防」とは、「規律」であり、「既成のポンプ操法」であり、「地区の役職」、さらには「幹部の権威誇示」だったりします。
また、守備範囲も三春町全域とするか、方部のみ、または、管轄地域のみと定めている。などまちまちです、これには様々な要因が挙げられると思いますが、この七つの分団に一つの変革を求めるのは至難の業ではないでしょうか?
しかし、消防とは本来「火消し」・災害対応組織の筈です。
また三春町民が求めている消防も「火消し」の筈です。
三春町消防団を本来の消防に戻す為には、一つの基準として、三春町消防団テーマ「災害現場対応能力の高い消防団創り」の各分団の理解と認識度の確認と徹底が上げられると考えます。
昨年度三春分団においては、あらゆる火災現場を想定して「分団火災防御放水中継訓練」三回実施し、要田地区・岩江地区で実施した「三春町消防団主催火災防御訓練」に二部隊を編成して各方面に参加、また7つある部に於いては、それぞれ部管轄地域において問題意識を持ち、月二回は、ポンプ整備と称し放水訓練を実施しています。
その結果、部長以下幹部に於いては、様々な問題提起とその解決に邁進し人格形成に寄与し、新入団員でも、「右向け右」は出来なくても、「水出しポンプ操法の応用」とも言える、部内放水訓練に於いては水利確保・ホース延長・ポンプ操作・放水までの一連の流れは出来る様になっています。
先の「三春町消防団幹部研修会」の中で、副団長の講義にあった「幹部認識の高揚」を図り、石井本部の「災害現場を想定した規律訓練の意味と重要性」を理解し、そして赤井本部の「各分団・各部のポンプ整備の創意工夫」を実践しています。
しかしながら、他分団ではどうでしょう?三春分団までは、見えてきません。
例えば、住宅密集地域を抱える分団・広範囲な山林を有する分団・放火による火災発生頻度の高い分団等、もし三春分団管轄地域だったら・・・と思う事が沢山あります。
しかし、これがそれぞれの分団管轄地域の地域風土に根ざした各分団の色であれば、我々三春分団としては口を挟む筋合いではないと考えますが、他分団での有事(特に平日昼間・建物火災)の際に三春分団としては当然分団待機で2部隊は残留させ5部隊展開での火災現場出場となります。
我々、三春分団としても現在の平日昼間の人員不足には苦慮していますが、先に述べた各種訓練に於いて、少数精鋭を資質の向上を図り、有事に対応していきたいと考えていますが、当分団員も消防団員という性格上他に生業を持って消防団業務に従事している以上、無理はさせられません。
出来れば、他分団への火災出場の再は速やかに当該分団と交換し撤収したいと考えますが、当該分団員が不足・何も訓練していない・当該地域の水利状況説明も出来ないでは、連携の採り様もありませんし、速やかな撤収も覺付きません。
まして、班長レベルの話ですが、警戒の時に事前に屯所での飲酒や、放火常習危険地帯を三春分団車輌二台で警戒しているのにもかかわらず当該部が屯所でくつろいでいたり、「三春分団が警戒に来るから、俺たちも出なんねえ」「三春分団は出すぎじゃねーの」という言葉が出るような分団とは、いくら私たち三春正副分団長が警戒出場指令を出しても三春分団員は納得しては動きません。

4.三春分団から団本部・他分団への問題提示
・ 消防団の目的を再確認・・「火災や風水害が発生した場合の、対応対処する組織」と定義して、そのために必要な事柄を再確認の意味を含めて列記します。
:災害現場出場が本文の三春町消防団
:出場するからには、まず団員の安全確保_災害家屋進入・屋根登上の禁止
:外皮・ヘルメット・グローブ・長靴の着用指示_団員自身での危機管理意識啓蒙と安全管理
:実質的火災防御放水訓練_危険回避指導・実戦対応
:指令伝達の為の規律訓練_命令一下の整然とした規律によって安全行動の伝達
:各部内での危機意識の確立_管轄地域危険個所の把握と安全行動規範の模索と確立
:部内幹部である部長・班長・副班長の意識改革_安全行動の部内伝達機関
:分団幹部による火災防御戦略の確立
:後方支援としての、後見会・分団後見会・後援隊そして字会・自主防災会へのアプローチ

・ 実質的な各種訓練の奨励・・
各部のポンプ整備時に於の放水訓練を含めた、南部3分団・北部3分団主催の連携での火災防御放水中継訓練の実施。
    また、団本部からの指令を待つまでも無く、最低年一回は危機意識を持って各分
団単独の分団内危険個所分団火災防御放水訓練の実施をしないような分団は、分長
会議での発言などできる筈など無いと考えます。

・ 分団各部のポンプ整備現況調査の実施
団本部による各分団各部で実施している、定期のポンプ整備・夜警・火防督励等の状況調査を実施して、各分団各部の状況把握の上での教育的指導を願いたい。
ポンプ整備のやり方がわからない分団があれば、三春分団として全面協力は惜しみません。もし指導要請があれば、三春分団副班長程度で対応可能ですので随時受け付けます。

・ 団員への安全管理・・
分団幹部として団員の安全に目を配るのは当たり前の話ですが、有事は勿論、実質的な放水訓練では、アルミ外皮・ヘルメット・長靴そして手袋の着用を義務付け、危機意識の中で自己安全管理を徹底して頂きたい。

・ 団本部からの教育的指導・・
他分団へ1分団の正副分団長から提言しても、その分団のトップとしてのプライドや慣習そして、三春町消防団要綱・基準の不透明、その分団の地域性や幹部個々の資質・人間性などから、受け入れ難いのは事実でしょう。
三春分団としては、是非にも団本部で三春町消防団基本指針要綱・基準を策定し本部からの分団ごとの実質的な教育的指導を要望します。
団本部から、分団としての機能の活性化を指令しても、分団幹部の資質からして、今出来ない様な分団に自発性を期待しても、百年経っても出来ないばかりか、分団崩壊の憂目に遭ってしまいます。また、今少数でも居る、防災・危機意識を持っているやる気のある分団員が、腐ってしまいます。

・ 防災無線の活用
有事の有無に係らず、消防車輌出場の際は防災無線のスイッチは入れるよう指導願いたい。

・ 分団員の実働実数の公開提示・・
各分団とも5年後・10年後の分団の姿が見えますか?
来るべき時が着てからの対応では遅すぎます、現況の中で各分団員の実数を把握して実質的な団員確保を目指して、「幽霊団員」「検閲要員団員」の撲滅を図るべきではないだろうか?
また、郡山市消防団の例もあります、意図的に「幽霊団員」を捻出して消防活動費に充てている分団は皆無と思うが、団員年俸の使途状況調査を実施して、その是正と明瞭化を図って団員年俸の無駄を無くし、限られた町消防予算の有効活用に寄与して頂きたい。

・ 副分団長・部長研修の移動消防学校への格上げ
放火の全て払拭されていない現況の中で、火災多発が懸念される冬季間の消防学校の入校は三春分団としては考えられません。
「分団長以下分団の幹部に任せろ」と云われる方もいられるかと思いますが、そんなことは百も承知です、副長一人居なくても、我三春分団は全国の何処の分団より信頼して任せられる分団です、解らない筈がありません。
しかし、私が云いたいのは、火災多発次期に入校を促すという行政と受諾する行政「お役所仕事」的考え方への批判です。
実際に行かれた歴代副分団長に於いては、疑問を持たずに入校した者など居る筈など無く、仕事を投げ打って全てを飲み込み苦汁の選択の中での消防学校入校だったはずです。    
その代わりとして、郡山市消防団西地区隊が、一昨年から平日の夜間に年数回、西地区隊分団幹部(分団内班編成での副班長以上)対象に大槻分署二階で「西地区隊幹部火災防御戦略セミナー」を実施しています。
これは、先の郡山市消防団定数削減を受けて、西地区隊少数精鋭化を目的として教員資格のある現役分署員を講師として迎えて開催している講習会で、現役分署員から文字通り火災防御の戦略(目的)を基本とした火災防御戦術(手法)まで、生きた消防活動を教授できる座学と実践の講習会です。(私的聴取のため、詳細は分署で確認してください)
三春町消防団でも「三春町消防団幹部研修会」を分団長から班長まで落とし込み、「西地区隊火災防御セミナー」を参考とした、副長・部長研修を平日の夜間に年数回開催し、講師に三春分署員を迎えて実施しては良いのではないだろうか。そしてその格上げを図り移動消防学校として認可できないものか?

・分団幹部の危機意識の高揚
  三春正副分団長は、常に消防無線を携帯しています。これは、情報の早期掌握は、
自身の余裕に繋がり現場での「あせり」を払拭し冷静な判断の元に指揮命令を発令下命する為です。
また、前消防担当者のように、任期中「私的には三春から一歩も出なかった」と言
う訳には行かないが、公私共々町外出張の際は連絡を取りあいながら、正副分団長どちらかは三春在駐するよう心がけています。
もしかしたら自分の連れ合いより、自分の行き先を把握しているかもしれません。
当然三春分団7人の部長にも連絡しています。
これは、「杞人の憂い」かもしれませんが、災害はいつ起こるか解りません。
三春分団は正副分団長不在でも、部長指揮のもと有事現場に措ける対応は、全国レベルで成し遂げるとは思いますが、我々正副分団長が残るわけは、災害現場に於ける指揮命令系統確立・安全管理だけではなく、他与の無謀な命令から三春分団員を護る為です。
三春分団は、現在7つの部、車輌7台、人員実定数108名で構成され、三春分団
長に指揮下に、二部隊(分団長引率4部・副長引率3部)で編成してあります。
また、7名の部長の分団幹部として役職も、先任部長・副先任2名・分団会計担当・
分団庶務担当・防犯協会担当そして分団訓練担当と決められていて、自分の部内管理は副部長として、分団経営に参画して、各部長の分団幹部意識向上に務めています。

・三春町消防団火災防御放水中継訓練の実施
昨年秋に実施した、南部・北部2地区で実施した、「三春町消防団火災防御放水中継訓練」の分団持ち回り実施を継続事業としてお願いしたい。
担当当該分団幹部は、この訓練の企画立案骨子作成に携わることのほうが、検閲式で大隊長の経験の有無より意味があるのではないか。

・ 災害時交通整理の重要性の確認
   各分団に於いては、災害現場出場の後方支援としての交通整理は、誘導灯並びにトランシーバー(防災無線1ch・2chは第一線防御部隊が使用)使用でお願いしたい。
また、常に消防車輌に搭載していないと有事の際に使えませんので、誘導灯・反射ベスト・トランシーバーは車輌常備搭載してください、無ければ分団で買い揃えていただきたい。

・ 消防資機材の配備
ポンプ車・小型ポンプや屯所・防火水槽等の消防資機材の、住宅密集度合いや、有事出場実働部隊への優先的配備をお願いしたい。

・ 町事務局へのお願い・・先の大雨の際、小滝地内旧道で側溝が溢れて住宅への浸水が危惧され、住民の三春副長への連絡で、三春正副分団長・三春第6部・第2部が応急処置に当たりました。この地域は、6・7年前から側溝のつまりが指摘されていた個所です。
当該三春第6部から、分団長経由で町防災担当には報告及び改善要求済みですが、実際の担当手当部署である、建設課へは防災担当からの要請が皆無のようです。
我々消防や住民は防災担当へ報告で、建設課へは通達要請済みと思っていましたが、各担当部署への横の連携が無い事を知りました。
桜川氾濫の時など、当該部は、字への報告・分団への報告・建設課・保険環境課・土木事務所への報告と、緊急時少ない人員で水害対応に追われている中で5箇所へ報告しなければなりません。
各種災害に出動し現場に対応する消防団の事後対応として町役場内、各担当部署間の情報の相互性と連携を構築して頂きたい。


6. 春町消防団幹部研修会赤井本部の講義を受けて
 先に行われた「幹部研修会」で赤井本部分団長講義の中にあった項目を列記しました、三春分団では当然行なっている事柄ですが、他分団でもその組織が現場対応を目的とする組織なら是非実践してください。
1.有事現場を念頭に、訓練でも号令は「大きな声で!」下命する。
2.危機意識を持ち、部長一人が800名の生命財産を護っている事をよく認識する。
3.定期のポンプ整備(火防督励)時の時間の有効活用(効率化の工夫)
4.時間厳守・連絡の徹底。
5.始まりと・終了にはメリハリをつけるため「集合」をかけ整列し「番号」呼称(出動団員数の把握)の上で、部長訓示を行う。規律の基本
6.ポンプ整備を積極的の行い当該地区内の様々な水利を活用して放水訓練を実施する。(管轄地域の状況把握と様々な状況設定での放水訓練)
7. 各部長は、管轄地域の区自主防災会・後援隊等の各組織と連携を密にしてコミニュケーションを図り、後援組織の整備に務められたし。
8.部長職の任期間で人間的な成長とげ、地域担い手として活躍して頂きたい。


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耳鳴りの彼方へ 1
 平成15年6月8日
「耳鳴りの彼方に・・・」
“町火消し”その視点と正義   
                        
三春分団副分団長    髙橋龍一


「平成15年度春季検閲式に係るレポート提出」を受けて、平成15年度より、三春分団後見も含めた三春分団全員合意の下で三春分団副分団長の職責を任された、髙橋龍一が謹んで上申するものであります。
これも三春町消防団団長の方針である「風通しの良い消防」「元気を消防団から発信」この体現化なのかなと深く感謝申し上げます。
本上申書は、部下である現役三春分団団員を危険から守るために、三春町消防団、三春町に対しての現在そして将来的に抱える不合理さゆえの諸問題に対する単純な改善改革案の認識確認と、其の諸問題が自然発生的に生じた自治体消防発足以来の、この組織に慢延し受け継がれた「理念無き、理念」・「統率の外道」とも言うべき現組織体制への再確認と方向修正、そして価値観をも含めた新しい基本理念及び道徳的概念の、模索とその確立を要望するものである。
そしてその指針を提示するものであって、三春分団以外の現役三春町消防団幹部諸君及び三春町にはひとつの警告とも認識していただければ幸いであり、幹部諸君が今までの全ての行為の中に在った消防団に対する認識及び、考察方法をもう一度再考し、限られた時間の制約の中で、より有効的な本来の業務に勤しんで貰う為に愚考した。
消防団の自由と権利に密接に関連しているのは、自由で独立した自我としての人格の概念である。それは、自らが選択しない道徳的・政治債務には拘束されないという前提があると仮定してである。
本上申書では、この種の言わば日本国憲法の根源とも云うべき、自由主義とともにこれを創造し構築するような人格の概念にも批判と是正を求めたいと考えます。
在任中、“町火消し“として誇りを持ち、批判的要素を加味し、反抗的に様々な奇行、愚行を繰り返し、三春分団第6部部長として平成11年度、年間118日出動の内約65%を有事出動(火災、風水害、警戒、屯所待機、行方不明者捜索など)し、実戦実働部隊を自負して任期満了退団した、「元三春分団員」としての集大成とその意味、そして再び現役復帰し三春分団団員の羨望のまなざしの意中に居る三春分団副分団長として、また三春分団全員の共通認識の確認として、ここに謹んで上申するものである。




三春町消防団に係わる諸問題の根源・・・・
はじめに、三春町消防団員約五百名(幽霊団員含む)の中で、入団時に於ける気概として、人を助ける、災害から三春町を守るという正義・認識の欠落した団員は、おそらく一人もいないと思う。
これは、消防団以外の一般三春町民が、この非常時に活躍し自分たちを守ってくれると信じきっている三春町民の総意の上にあった筈の自然的な、考え方(認識)であろう。
しかし入団と同時に、何やら、伝統とかしきたり、はたまた儀礼的な行事が無数に存在し、入団以前の認識がちょっとずれていた事に、気が付く団員も少なからずいることは、事実です。
それにもまして、無意味な経験とやらを、重ねていくうちに、少しずつ自分もその伝統やらしきたりやら儀礼的な行事を、無難にこなしはじめ、もう少ししたら、なんなく前年通りに過ごしたら、無事消防を抜けられる、といった、堕胎的自虐的な意識の中で、消防団活動を終了する者も確かに存在する。
こうした、無責任の霧のような仲良しこ良し的な組織に疑問を感じ、反発・反感を持った者は、途中リタイヤするか、其の流れに身を委ねるか、もしくは反発しつづけるか・・・

三春分団の主体と現状、そして、その進むべき方向性・・
自治体消防団組織の主体は、ヒューマンウエアーと言う観点からすると、視点の取り方や言語のさまざまな「技法」プロセスによって規定された、ある意味においては架空のものであり、現実的に実像として存在しているものではない。(他に職業を持ち、発生時における基本的ビジョンの違い。と言う意)
 それ自体がその意味の上において、消防団が普遍性に対して開かれている根拠な訳ですが、それが誰で在れ、その他一切の区別に関係なく消防団というフィールドにおいて、消防団独自の規則と技法が存在・尊守されている限り、消防団の主体の価値を採ることも可能です、つまり、消防団の機能的共同体というものがあるにしても、それはあくまでもその主体的な機能的共同体であって、けして現実に存在する者の共同体ではありません。
 ところが、三春分団においては、実戦部隊の実動隊組織という体質上、この機能的共同体は、消防団のヒィールド上にあって種を異なる共同体が存在する、さまざまなエーストや伝統、ビジョンによって規定された存在する者の運命をも共にする、言うなれば運命共同体にほかなりません。
三春分団の進むべき方向性の先には、自分たちの住む、この三春町を各種災害から守り抜く、という正義感と責任感が確実に存在し、その非日常ともいえる消防団員としての社会的現実と、実社会に於いて職業を持ち家庭を持っているという個性的現実、この相克の狭間において、曖昧な現況の地位・立場にある、唯一、責任感、義務感と正義感、そして、{男気}をもって日夜、其の業務に対応しているのが現状ではないでしょうか.
(消防団に係わる、事件、事故等の訴訟を裁判所判例で見ると、意図的に隠蔽され、任務遂行中にもかかわらず、団員個人の業務上過失および行政処分の場合が大半を占める、・・朝日新聞調べ)

三春分団を取り巻く社会的環境の変化とその対応・・・
平成不況と呼ばれる中、日経平均株価が一万円代を大きく割り込み、社会情勢が不安定視される昨今、サラリーマン化が進む三春町消防団員の日常である社会、勤務先である会社もその影響を少なからず受けている。
時代の推移に伴い、業務以外の所属組織に対して大変シビアになってきていることは、当然承知だと仮定して、話を続けます。
グローバリゼーションと呼ばれる地球規模での経済・文化平準化の現象が進む中、我々が住むこの、三春に於いても、部下である三春分団員の取り巻く環境も例外ではありません。
団員のサラリーマン化が進む中、実際の状況として会社を営む経営者の視点から見れば、消防と言う名目で勤務中に出て行かれたり、休まれたのでは、業務が停止するばかりではなく、会社としての対外的な信用の欠如ともなりかねない。
極論から云うと、「仕事と消防どちらが大事なのだ」ということは、日常的に交わされるのではないだろうか。
そして、どちらかかのウエ~トが社会的な意味に於いて、変革し、実社会人として、基本である仕事・職業が社会環境の変化に伴い、不安定な組織の構成要員を排除しつつある傾向にあるのは、紛れもない現実であります。
また、従来の自営業者に於いても、消防だからと理由で、その生業である仕事を放り出していたのでは、直接的に収入減を生じ、これもまた対外的な信用が欠落し仕事である生業そのものの消滅にも発展しかねない。・・・実際に生じている地域がある。
(後ほど説明するが、三春分団員には、兼農業家がいない為に、今の仕事以外収入が無い、)
それでも多数の消防団員は、義務感、正義感で、曖昧な立場のまま災害があると果敢に出動し、任務を遂行しています。しかし、政治はけしてア・プリオリな普遍性の延長線にではなく、あくまでも地域の消防団的共同体の利害・関心interest~それは過去から未来へと続く機能共同体の中に根付いているのです。

三春分団に於ける消防組織の共同体化とその危険性・・・・・
本来、消防団と言う組織は機能体として発足した組織であるが、ひとつのエリアに存在するこの不可思議な組織は、機能体を超越した共同体、言い換えれば、機能優先運命共同体組織ということである。
一般的な見解を消防団に定義した場合、消防団はその基本的な価値や中心となる構成部分を、外部環境からの恣意的な介入による干渉から護ろうとする作用が働いている。
組織の核となる部分を可能な限り外部環境によって左右されないように保護し、隔離しようとするのである。
外的変化によって組織の核が直接的に影響を受ける事は、組織としての現在の主体性を危うくするものであり、組織存続意義や全体としての組織生存を脅かす事に繋がるからである。
共同体というのは、もちろん「ともに生きる」共同体です、しかしそれは、既に在る「ともに在る」です、そこには、共同の記憶があり、経験の蓄積があり、それに伴うさまざまな感情が存在し、そうした思いの数々をその共同体への帰属の意識が支えています。
そこで働いているのは、基本的には、「同一化」の機能です、ですから、一度共同体が危機に陥るなら、そこでは容易にすべての団員が自己同一化するような叙述的「人間形成」が出現し、それを核にして強度の感情である熱狂が組織化されます。
共同体は、同一化を可能にする「ともに生きる」感情によってささえられ、三春分団はそこに根付いています、それは決してそれ自体が咎められるような事では在りません、むしろ我々の共同体が本質的にそのような傾向をもち、しかし、危機的な状況には、其の危機を口実にして、三春分団は其の感情的傾向の中で盲目的な「熱狂」に組織することがあることに注意しておくべきであるのです。
しかし、何が、誰がそうした注意を払うのか、それは、「良識」でありそして三春分団自身が主体とする三春分団イズムの役割がそこに存在する。
共同体の「熱狂」のなかで「しかし、これは公平だろうか?」と問い、そして共同体の彼方にある、或いは、未来に在る、其の共同体には属さない他者がいる事を忘れずに、倫理的・道徳的に、対三春町民への責任、対自分自身の責任の名に於いて、衰退する共同体としての中にある、三春分団をあえて独立心を高揚し、盛上げようとすること~、
 

三春分団から見た三春町消防団幹部・・・
それこそ、冷静であるべき三春分団意識の役割であるべきです。
三春分団イズムは必ずしも三春町消防団的共同体の利益には奉仕しない、消防団の自己陶酔・自己中心的な感情を三春分団に措いては正当化したり、それを、補強したり、それにおもねたりしない。
場合によっては、組織機能共同体の感情に抗してすら、それをより三春分団的普遍性への主体的主観の方へと開き、導く論理的な道筋の提示をしなければならない。
その道筋提示の背景に有ったものは、平成11年度までの現役消防団員当時までは、三春分団の中に根づいている閉鎖的な組織体質に陥っていることにすら気付かない、もしくは、気が付いても何もしようとしない三春町消防団の団長以下、本部を含む他分団及び他分団長への不信感の存在がある。(広義的表現をすれば全国の自治体消防団への不信感)
しかし、今年度副分団長に就任して感じた事は、平成11年当時の三春町消防団は既に消滅し、橋本団長の言われる「風通しの良い消防」が現実に存在し、私個人の根底にあった「三春町消防団像」を根底から変革しなければなりませんでした。
平成11年度までの「三春町消防団」を例えるに、旧日本陸海軍首脳部を例にあげます。
太平洋戦争時、ガダルカナル戦でのアメリカ軍報告書「ICPOA報告」の中に「日本陸軍№6日本兵の正体」というものがある。
その中に「日本軍士官は軍刀と部隊を操る力でその腕と勇気を見せ、兵士たちは銃剣でそれを示そうとする。日本兵にとって武器と言うものは、重機関銃から戦車まで勝利を得る為の手段ではなく、単なるアクセサリーにすぎず、士官にあっては組織内にある自分地位を守る為に部下を紙くずのように捨てている。」とあるが、現在の三春町消防団幹部諸君にも同じような事が感じ得てならない。
それは、本来の消防団業務のプロセス(手法)をビジョン(目的)と取り違えている点である、例えば、現場を無視した規律訓練や中隊訓練、そしてポンプ操法などに見る過剰とも云うべき“こだわり”とその練習など、非実線的かつ非人道的行為の命令及び行使である。少しでも現場を経験した事がある者なら、この無意味さを誰でも判るはずなのだが、判らないのか、判っていても変えようとはしないのか、いずれにしても日本軍士官と少しも違わないのが現状である。
非常時に対する根本的な消防団としての主体性的価値観と考察観の相違が、三春分団と他分団の間に確かに存在する確信は、団長、副団長、本部分団長、他分団長との日常の意見交換や、有事の際での自分の任務としての仕事的認識欠如の中で確認する事が出来る。
これは、役職の上の見解か個人的見解か定かではないが、前者だとすれば組織論、後者だとすれば個人論。この事こそ、本上申書の核とも言うべき論点。
三春分団及び三春町消防団員を取り巻くメンタルな問題、消防団構成員としての組織論的社会的現実と実社会・個人的個性的現実の相克と葛藤については、そのバランスの上に均衡が保たれている。
上記で云いたいのは、そのバランスが崩れてきている事実を明らかにして、不規則な非常時に主体的な任務に就く消防団員へ、その実質的本質を無視するかのような不必要・無意味な儀礼的行為や無駄な競技、単なる見栄の対外的折衝について、撤廃もしくは改革的改善の要求を三春町消防団と三春町に拠り明確にする為、この上申書全般に渉って列記するものである。

三春分団の組織としての消防批判とその責任・・・
三春分団における価値観をも含めた主体は、そのポジション・スタイルによって決まるものであって、感情という存在の厚みを持っていません、それだからこそ、逆に超越的な視点が持てる訳ですが、しかし、三春分団の言説を行う現実的な個人は、それぞれの思とともに運命共同体的意味合いの三春分団の中に存在し、尚且つ、個人のさまざまな事情と感情をもっています。
そうした存在の拘束を三春分団、いや、三春町消防団の言説が完全に淘汰することは、ことが理系の言説ならばともかく、文系・個人が人間文化の担い手である限り、現状況の価値観をも含めた秩序の中では、とても困難なように思えます。
三春分団が行う三春町消防団に対する政治的な行為の最も基本的なものは、実情を把握した上での、批判に他ならないわけですが、しかし、批判が正に対立の構図の上に成立するものである以上、そこには常に感情的な攻撃性が忍び込む可能性があります。
消防団員という社会的現実と一般社会・家庭における個人という個性的現実、この不条理とも云える狭間にある、消防団員は、現実が確実に発生している現状をふまえて、批判というのが自然発生的に生まれてくるとおもいます。
実際、現実に行われている批判の多くは、理論的であるよりはるかに感情的なものであることが多い、論点の相違が、いつのまにか、相手そのものの全面否定となったり、一見論理的なようでありながら、結局は、自らの恨み事に依拠するものであったりする言説が横行していますし、それを正式な形として書面をもっての批判的行為が余り見当たらない。
そこには、男としての美学「男気」とやらが存在し、(お付き合い意識)も手伝って、運命共同体の「一番の欠点」が発生してきました。
しかし、現三春町消防団が抱える、又、抱えるであろう問題のひとつ・「団員減少」が浮き彫りになりつつある現状を考えると、「男気」だけでは乗り切れるものでもなく、まして、団員を採り巻くハード的状況や、ソフト的状況を配慮した場合、どうしても批判を唯批判としてだけではなく、ひとつの社会的問題と定義して、その提示をも含めた批判行為をしていかなければならないのではないか。
私が三春分団在籍時に行った一連の実践的消火訓練なども、其の批判の一環としての意味合いとして捉えていた部分も少なからずあったように思えるが、機能的組織の本質として、火災・災害出動に対して「命をかけろ」という考え方では、消防活動は成立しません。
恐らく三春分団の誰一人としても付いては来ないでしょう。それは団員にもそれぞれ家族がいるわけですから、「ここで死んでくれ」と云われたところで死ぬわけには行きませんし、「火傷や怪我をするかもしれない」と云われても現場には行けません。
消防団員万全だから出動する、無事帰還出きる技術と経験が在るからから出動する。
逆に云えば怪我等の事故が起こるのは万全な態勢や、曖昧な考え方で出動していないといえる。その「万全な態勢の創造」の延長線上に一連の合同訓練があり、その本質を確立できると考えます。
いい例として、
NHKの番組「プロジェクトX」のホテル・ニュウジャパン火災の時のレスキュー部隊を紹介した プロジェクトX 平成13年5月22日放送
 「炎上 男達は飛び込んだ・・伝説の消防士たち」の中での隊長の談話、
「消防で一番難しいのは、現場に着いてからの10分間なんです。それでほぼ決まってしまう所があるので、まずはその10分のことを考えます。」
 よく言うんですが、隊員ならば「10分間にどういうふうに動いたか」、指揮官ならば「10分間にどういうふうに命令を出し隊員に行動させたか」を自分で振り返って反省してみると自分の活動がトータルで良かったか悪かったかわかるもんなんです。
まず自分で全体的な動かし方のシュミレーションをするんです。さらにその中の隊員一人一人の能力を考える場合もあり、具体的に何が足りないのか、どんな訓練をすれば実践で能力を発揮できるのか、と言った事を想像していきます。やはり隊員一人一人の能力をキッチリ上げて置かないと、全体的なレベルアップが果たせない。
指揮官は現場に着く前にシナリオをつくります。シナリオを創ると言いましても、それを組み立てる時間は限られています。到着するまでの消防車の車内で想像します。現場がこうだったらこういう手を打っていく、と言う風にあらかじめ予測を立てる。そして現場に着いてから状況を見て修正していけばいいんですよ。ただ現場には一つとして同じ状況は無いわけですから、いくらマニュアルがあっても通用しません。だから基本が大事なんです。小さな基本の一つ一つをどれだけ自分の中に持っているか。それを積み重ね、頭の中で組み立てることによって、きっと一つの道が見えてくると思います。
不安というものは、我々現場では最も避けるべきです。災害現場では、あれこれ迷ったり、自分の気持ちに不安定なものが出てきたりすると、どうしても命令や行動のひとつひとつが中途半端になってしまいます。そうなると、失敗や怪我の確立が非常に増すことになるんです。
 現場にて、あせって失敗してやり直すのと、ゆっくりでも一回できっちり仕上げるのでは、時間的にも一回のほうが早いわけで、この早く仕上げた時間差が、次の行動に移る際に気持ちの余裕の違いとなって現れるんです。
 「訓練は現場のように」という言葉を我々は口にします。どんな修羅場に行っても、訓練のように落ち着いて動けたらそれはすごいと思うんです。
 現場では、マニアルにはない事柄、例えば機転を利かせるように努力します。現場では色々な物を使って行動します、にっちもさっちも行かなくなった時、「このベルトを使って」とか「このホース」とか。
「東京消防庁特別救助隊隊長 高野甲子雄の談話より」

上記の事柄などこそが、私が「万全な態勢の創造」の延長線上を経て、三春分団幹部に求めた事柄であり、己が求めた三春分団の本質を考える時、それは、三春分団としては、その本質は普遍的行為であるにもかかわらず、三春町消防団に対する批判的要素を考えての行為だとすれば、批判としての自己満足であり、問題提起にまで昇格しえなかったことについていささか責任を感じます。

三春分団以外の三春町消防団の資質批判・・・
三春町消防団(在郷分団)と三春分団を概念、価値観、理念を含めた全てに於いて対比比較を考察するにあたり、幹部の方向性の相違が一番に感じられます、これは、入団時からの問題ではなく、各分団の中で歴史的背景をバックに脈々と育み根付いてきたものに他ならない、在と町場では歴史上の大火経験(多数の住宅類焼)の有無により、“恐怖にも似た危機感”の欠如から、三春分団に於ける“町火消し”としての消防に対する認識と、地区の“若衆組“としての消防の認識では、同じ消防団としてヒィールドにいるとはいい難い、又団員個人の資質にも同じことが言える、それは、実社会での仕事に対する考え方である。
事も在ろうに団幹部が公の場で公然と、「部長をやる為に仕事を辞めた」とか、他の後輩幹部に「消防に出やすい仕事に替えろ」(この場合の消防とはあくまで儀礼的消防の意味で非常時のことは考慮されてはいない)とか、消防団幹部として、団員の個にまで入り込むような事を云っていいものかと人間としての資質を疑はざる終えない、又三春町消防団はこのようなことを平気で言えるような団幹部を容認している、これが三春分団以外の三春町消防団とそれを支える自治体消防、三春町当局及び行政の体制だとすれば(もちろん三春分団以外の消防団員の全員とは言わないが、三春分団内での他分団に対する認識として)、
いや、東北北陸エリア限定の自治体消防団の体制だとすれば、三春分団は、其の本来の業務責任の名において、現状の自治体消防団組織から離れ、あくまで“独立三春分団“もしくは、“三春基幹分団“として自立、独立して存在し、活動して、三春町民そして家族の為、活動し続けるしか方法が見つからないのではないか。
 
自己革新組織としての原則理論・・・・
機能的共同体・消防組織が継続的に環境に適応していく為には、其の組織内における一幹部の個人的感情、利権は黙殺し、あくまで、其の組織・機能態的共同体に主眼を置き、組織は主体的に其の戦略/組織を環境・時代の変化に適合するように変化させなければならない、つまり主体的に進化する能力の在る組織が、自己革新組織である。
最近の進化論の有力な考え方のひとつは、進化の普遍的な原則を、この自己革新組織という考え方に求めている、組織は、そういう行為・行動を通じて日々進化を遂げていく、組織内における社会的現実と個人という個性的現実の相克の不条理が存在する消防・消防団組織もこの例外ではないのである。
全ての消防団員が持つ、口には建前上云えないポンプ操法批判などは、先の大戦中に行われた神風特別攻撃隊の根底にあるものと似て非なるもの的感覚が見受けられます。
 人間が、共同体の構成員である事を最大且つ最終的に確認できるのは「共同の死」を意識した時であると言われます。この瞬間にこそ、全ての機能は失われ、人間はただ共同体の構成員と言うだけの存在になる。
 太平洋戦争でアメリカ軍と戦ってみて、言い訳もつけないような機能上の弱体を思い知らされた旧日本陸海軍は最後に、この共同体意識のみに没頭し、共同の破壊を求め、これを拒むことを許さなくなってしまった。
 日本海軍に於ける、敷島隊・大和隊にはじまる神風特別攻撃隊、これを国民性という観点から見るならば、特攻作戦を可能にした精神的背景には稲作民族の体質から生まれた歴史的大家族主義に伴う強い愛国心、美化された武士道の影響、昭和初期の「神祇院」による国民思想統制の上に成り立つ「戦陣訓」に表徴される戦前教育、また、特攻隊への志願者には他人の評価を過度に意識する世間体という拒否・選択を許さぬ「ムラ」社会の恥意識などが加わっていたのではないだろうか?また各地で相次いだ玉砕、戦艦「大和」の沖縄出撃等は皆それの現れではないだろうか。
 最後まで特攻を拒み、通常攻撃に徹した海軍131航空隊美濃部正中佐や、インパール戦で独自の判断で撤退した陸軍第二十八軍桜井中将など例外はあるが、この種の「死を恐れぬ精神」を勇気と言う人も居るだろうが、事実は共同体的拘束から抜け出せなかっただけなのではないだろうか?
 このために日本陸海軍は「死に急ぎ」となり、反省すべき事を反省せず、一部の人間の保身のために冷静な作戦思考さえ失った戦争指導者の指示により、多くの将兵が戦死・餓死・戦病死したのが、このような状況下で発生したのだからなんとも切なく、割り切れない思いがします。
適応力のある組織は、環境を利用して絶えず組織内に異変、緊張、危機感を発生させている、或いはこの原則を、組織は進化する為には、それ自体を不均衡状態にしておかなければならない、といってもよいであろう。
不均衡は、組織が環境との間の情報やエネルギ~の交換プロセスのパイプをつなげておく、すなわち開放体制にしておく為の必要条件である。
完全な均衡状態にあるということは、適応の最終状態であって組織の滅亡を意味する、逆説的ではあるが、{適応は適応能力を締め出す}のである。もちろん、ある時点での、組織の全ての構成要素が環境に環境に適合する事は望ましい、しかし、環境が変化した場合には、諸要素間の均衡関係を突き崩して組織的な不均衡状態を作り出さなければならなくなる.均衡状態から外れた組織では、組織の構成要素間の相互作用が活発になり、多様性が創造されていけば、組織内に時間/空間的に均衡状態に対する確認機能や破壊・疑問が自然発生的に起こり進化の環境適合性がはじまるのである。

個々としての三春分団の高度成長・・・・
三春分団は、組織として、他の組織(全国的視野を持って)と比較して組織内外に絶えず緊張が発生し、不安定な組織であると考えるかもしれないが、それは、平時だけのことで、それは、非常時には企業組織が常時市場とつながりを持ち、そこでの競争に晒され、結果のフィ~ドバックを頻繁に受けるという、開放体制の組織利点作用が働き、個々が切磋琢磨し、問題意識が個々の中に芽生え、其の問題に対して各々が、奮起・努力するものと考える様に。だからこそ、消防組織三春分団は、平時にいかに組織内に緊張を創造し、多様性を保持して高度にして不確実な非常に対して備えられるかが問題になってくる。
このような、組織内に緊張を創造する為には、客観的環境を主観的に再構成或いは、演出する分団幹部の洞察力、異質な情報、知識の交流、人間の抜擢などによる引率者の消防以外(一般社会人として人格形成を組織体制によって向上・構築という意味)をも含めた人格向上体制組織構造が必要不可欠なのである。
さらには、一切の哲学的思弁を排除して、きわめて現実的にこの問題を考察するならば、理念が現実に内在して現実を動かすと言うのは、理念が達成せらるべき目標として現実の人々の、現実意識の中に宿り、現実人の意欲を方向うずけると言う事なのである。
それも、一人または、小数の人々理想として描き出されているだけでなく、消防団に在籍する大多数の人々が、同一の理念を達成すべき目標として渇望し、これを共同の意欲の対象とし、共同の行動によって、其の理念を実現していくことなのではないのだろうか。
多数の人々が、同一の理念を意欲の対象とし、それに向かって主体的に働きかけるとき、そこには、統一のある行動が現れ、それが新しい機能共同体を作り、組織を動かす原動力となる、この力は、対抗する力が在ればあるほど、これと抗争してこれを制圧し、場合によっては現存する大きな意味での現消防組織を粉砕する革命力(あえてこの言葉を選択)ともなって成就するのではないかと考えます。

三春分団イズムの三春町消防団への移入と未来へと続く正義・・・・・
そのために、三春分団の幹部は、三春分団と言わず、三春町消防団、牽いては、東北・北陸・北海道地区限定自治体消防組織全てに対し、儀式的行事・競技的行事・団員の地位向上(官給品、団員報酬、社会的身分)などの消防団が抱える事柄を現実の問題として捉え、非日常的組織の部下を持つ組織人として、また、一人の人間として、改善提案及び改善要求しなければならない最重要課題であると思う。
火災や、風水害、行方不明者捜索など、厳密な意味に於いては、24時間、年中無休体制での任務の遂行、これは実社会での仕事や家庭を投げ打ち、分団長の命令での出動、または、待機、この実情を考えると、義務感とか正義感、使命感と言うありとあらゆる言葉などそこには存在せず、「唯そこに災害がある、助けを必要としている人がいるから、」、古い語を借りて云うならば、文字通り「滅私奉公」と云う事に成るのではないか。
この現時点ではまだ自治体消防発足当時の体制が奇跡的に現存(実存組織体制、人数、平均年齢、そして正義)するこれらの地域の現役消防団員やこれから入るであろう新入団、に対して上級現幹部がこの諸問題を、責任在る立場、権限を持って模索そして、打開策の確立を目指し行動を示す事により、非常時における人間関係が向上しその本来の業務「町火消し」である筈の「消防」の本質的かつ実質的主体性が受け継がれ、三春町民に対しての期待への受態性、そして、団員が胸を張って「三春の消防団です」と自信を持って答えられる日がくるのではないだろうか.






「平成15年度春季検閲式実施に係るレポート提出について」

これまで、三春町消防団および三春分団に対しての、主体的な倫理観をも含めた組織的理念・概念論を提示してきたが、まとめに変えて、三春町消防団が現在もしくは、将来的に発生するであろう様々な問題を、具体的に提示するものとする。
※ この具体的な提示は、平成十年度末、当時第六部副部長だった私が、第六部部長の許可を頂き、三春分団第六部からとして、三春分団長宛に提出した「三春町及び三春町消防団への要望書」に加筆したものである。

@平成15年度春季検閲式について
今年度より、春季検閲が五月の第三日曜日に移行しての挙行に関しては、まず一連の規律訓練の意味を充分とは言わないまでも、ある程度の部分までは副分団長である私を始め、三春分団幹部には周知できたのではないかと考えます。
それは、今までより延長された一カ月と言う時間の中で私を含め、分団幹部諸君が、消防行事を自問自答の中で「もがき苦しんで」考え、幹部間の中でぶつかり合いながらも、互いに自己充足しあいながら、ある出口を漠然としながらも目指す道筋の行程が確立されたということであります。
特に今年度、三春分団は中隊訓練の当番でしたので、この中隊訓練実施に対する訓練の過程に於いての一般団員をも含めて、内面的な葛藤は想像を絶するものがありましたが、三春分団110名、七部体制において、それを克服・超越して文字通り一致団結して今回の検閲中隊訓練に臨んだ結果が、今回の高い評価として現れたのではないかと考えます。
諸悪の根源は単に、この儀礼的なこの行事に尽きる、春季・秋季検閲の一連の行程・路上閲団・三春グランドまでの行進・通常点検・中隊訓練・ポンプ操法・各種表彰・挨拶そして、三春町消防団一斉に行う、慰労会、早朝より約17時間以上。
まず、時期である、秋季はまだわかるとして、問題は春季でした。
まだ全国的に乾燥注意報が発令される中(自治省消防白書・過去十年平均の四月に於ける火災発生率・約14・38%)の挙行は、正に無知の知、暴挙としかいい様がない。
また、慰労会の挙行である、約500名の三春町消防団のほとんどと言っていい位、慰労会に参加し、酒を飲んでいる状況を冷静に見てほしい、そんな時に、もし火災など発生したら消防団としてどのような対応で出動をするのか?
命令とはいえ、部下への下命で飲酒運転での出動?現場での飲酒幹部による指揮?冷静に見れば、日本国憲法道路交通法にも触れる行為であり、三春町民にたいして無責任すぎる背反・違背行為にあたる。
正に違法である。それを、消防団としてどのように認識しているのか。
静岡地裁の判例で、飲酒の上でポンプ車での出動途中に単独人身事故が発生した、この事故で同乗の消防団員11人が重軽傷を負った。この事故では、任務遂行中にも拘らず、理不尽な判決が言い渡された、運転手のみ道路交通法での行政処分が確定、命令者は処罰対象外、重軽傷を負った団員への賠償については後日自治体災害給付が摘要された。(朝日新聞社調べ)
秋季検閲を取り止め、「消防ふれあいデイ」として、防災訓練と三春町民参加型に変更された、三春町消防団団本部のご英断には敬意を表します。

@消防行事年間スケジュールについて
春季検閲式の「五月移行の一番の意味合い」は、火災発生率の低い時期での消防行事遂行と言う事である。この三春の地にて商売を営んでいる大多数が、4月の花見の時期に主眼を置いています、又、置くべきと考えます。
例えば、今年度四月二十日に行なった「三春町消防団幹部・入団三年未満団員研修」を見てみます。
現在、三春町消防団全体を見ても、人員確保が困難とされる昼間出動の団員構成の中で、主力を成しているのが三春分団の自営業(商店)者団員であります。
将来的にも、この自営業者消防団員に対する負担構図は変わり様がありません。
三春町消防団三春分団幹部・団員の育成の為にも、商売が傾いては消防どころではありません。
是非「花見の時期」の消防行事立案は避けて頂きたいと考えます。
忙しいなら欠席すればいいと言う問題ではないと思います。
消防団員には消防団という確立した明確なスタイルは存在せず、三春分団団員百十名居れば百十名の消防団が存在しており、それぞれの消防団が構築されています。
そのそれぞれの中で構築された消防団と消防団員の個々の責任に於いて消防団の各行事に対しての出欠が、それぞれの問題提起として存在している事実を考えて頂きたい。
またそれを踏まえて、この花見時期に消防団の訓練を執り行うと言うのはいかがなものか再考していただければなあと考えます?
折角、春季検閲が5月の第三日曜日に移行したのに、桜満開が予想されるこの時期に何故にして行なうのか?三春消防団の将来的に予想される総括した問題として時期の移動を考えて頂きたい。
また、新幹部・新入団員の規律訓練等は、各分団正副分団長に一任してもいいのではないでしょうか?
また、冬季に於ける空気乾燥期の火災発生率・危険度の高さは、今更私が言うまでも無く、承知の事と話を進めますが、昨今の不審火も加味して、三春町消防団を取り巻く環境は、戒厳令前夜的・危機的状況を呈しています。
このような状況下での11月から4月まで、所謂火災発生多発時期に、消防団の行事(二月予定の消防学校入校や、分団長研修、副分団長研修、三月末の年度締めなど)
を組むと言うのはどういう了見なのでしょうか?
団幹部を始め、三春町二万人の生命と財産護持の一翼を担っている三春町消防団員とすれば、実践的な訓練や、実質的な出動・警戒などに時間を費やすべきではないかと考えます。また三春分団としては、それを実践しています。ここで団本部はじめ幹部諸君に再考して頂きたいのは、様々な消防行事を火災発生率の低い月に移行すべきではないかということです。当然、火災発生率の低い月が消防行事で込み合います。これは無理な事ですよね、では消防行事を簡略化していけばいいことではないでしょうか?


@ポンプ操法について
自治体消防団発足時(約55年前)は、有効的な団員技能向上の手段であったが、いつのまにか、単なる競技会種目に成り下がり、実践的消火活動には大変不都合な演目である。また全国大会出場予選と称して、何ヶ月も「演目の為の競技」の為の練習をする、これこそ、三春町民に対しての背徳行為の何者でもない、何故なら、何ヶ月も練習し、自分たちを火災から守ってくれると思って頼もしい消防団と思っていろことに在る、それは、ポンプ操法を実践訓練と勘違いしているということである。
来年度より「水出しポンプ操法」移行すると聞きましたが、全国的に見れば、福島、新潟、長野、熊本など団員の数が四十七都道府県の中でも段違いで人数の多い県の上位四県が、これから「水出しポンプ操法」に移行するというのは、余りにも遅過ぎたのではないでしょうか?しかしこの移行を決断された評価は高いでしょう。なぜなら阪神大震災移行日本国民が防災安全に対しては、敏感になってきている今、真に消防団の在り方を国民に裁決を仰ぐ絶好の機会と考えるからです。
また、三春分団では考えられないが、早朝4時から3ヶ月も練習したとか、毎晩遅くまで何ヶ月もとか、これでは普通に社会で仕事を持つ健全な若者が聞いたら、もうそれだけで消防団に対し拒否反応を示すのは当然の解釈だと思うし、先に言及に及んだが実社会では、受け入れられない。
これこそが、現在日本全国にある消防団が抱える最大の問題である、「団員減少問題」の一番の原因と考えられる。
三春分団検閲慰労会の席上でも、各字の区長さん(特に今年度新任区長)から口をそろえて言れていたのは、中隊訓練の軍隊を連想する嫌悪感と、「水出しポンプ操法」を聞いてからの「現行ポンプ操法」の無意味さからの失望感でした。
この現実を改めて私たち消防団幹部は、消防行事の一つ一つを税金を払っている一般住民の目線まで掘り下げて、再考していかなければならない事柄なのではないでしょうか?

@中隊訓練
これは北朝鮮のマスゲームか、男同士のホ~クダンスか?と言いたくなる、命令一過での消防団活動はわかるが、愚の愚的な行為だと思いませんか?あれを三春町民全員が見たら、果して何人の人が認めるでしょうか、また、自分たちを守ってくれるであろう消防団と思うでしょうか?三春町民の大多数の方々は、三春町消防団に対して現実的実態を知らないままに、今でも、自分たちを守ってくれると信じています。
今回平成15年度春季検閲式に於いては、三春分団が中隊訓練を順番により勤めましたが、私としては「最後の中隊長」を自任しております。来年度は、ポンプ操法も水出しに移行し、検閲式では時間の制約という物理的な面と、三春分団以外分団の人数不足などの理由から、是非にも中隊訓練を廃止して頂きたいと接に要望するものであります。

@地位の確立
限りなく曖昧な位置に属する特別地方公務員と言う立場だが、出動一回800円では高校生のアルバイト時給にも満たない額の、年中無休、24時間体制の消防団員出動報奨金なのか?また、報酬金の額にしてもあまりにも少なすぎるのではないか?お金が目的では無いが、この有事の際の消防団活動や儀礼的消防団活動による拘束時間によって生じる団員の損金は、計り知れないものが在る。

@装備・備品
三春分団は例外(自己部内会計によりアルミ外皮、ヘルメット、アルミ長靴を購入、それは部下である団員の安全確保という認識から、)として、有事の際の現場での服装である、法被・ヘルメット・長靴では危険この上ない、また、いまどきお祭りでもないのに法被ではないだろう、帽子も同じく。また、ホース径の違いなど、もう少し広域分署の合理的・物理的・近代的な部分を模範としてもいいのではないか?


@個人レベルの生命保険
 現在、消防団員が私的に生命保険に加入しているが、消防団員として災害に出動し負傷・死傷した場合、現在加入の生命保険は平常生活という条件のもとでの契約であって消防団員という非常時に活躍するという組織構成員を前提としてはいないため、払戻し請求金額は全額出るとは限らないと言う事実をご存知でしょか?
以上、上記のことがら全てを即時是正しない限り、三春町消防団は消滅の危惧が起こりうる可能性が多大である。

「心よりのお願いと概念的改革案提示」
今、非常時の組織として成立したはずの消防団が、平時の対外的内的見栄か、それとも、地位の私物化か、その本文を忘れ長い時間の間に少しずつ其の主体的目的から、他与的条件、自己中心的な個与的条件の中でずれが生じてきた。
現消防団幹部には、マネジメントは有っても、リーダーシップ(現場指揮能力及び災害非常心理克服)が無いように感じられる。
マネジメントとは、目の前に有る梯子をいかにして効率よく昇るかを考える仕事であり、リーダーシップとは、その梯子が正しい場所に架けられているかを見極め判断する仕事である。どんなにすばやく梯子を昇っても、その梯子が間違った場所に架けられていたら、目的地に達する事は出来ない。どんなにマネイジメントが優れていても、リーダーシップが不在であれば結局のところその組織は無力にすぎない。
それは、旧日本軍とその政府のように、本来は目的だったはずの事柄を目標だと思い込み、ノモンハン事件などの失策失敗の教訓を無視して、それを疑問にすら考察出来ずに、太平洋戦争に突入し暴走自爆の末、国を滅亡に追い込む結果となったプロセスのようである。
全国的に行政改革が模索されている今日、全国に先立ち我が三春町がその先陣を切り、行政改革の行動に移った。行政が変わろうとしているこの時に、消防団も変えなくてはならない時期にきているのではないか、行政が消防団に遠慮し、消防団が行政に遠慮するという最終責任の擦り合いを超越し、三春分団が、三春町消防団及び三春町を引率して、全国の自治体消防団に先立ち組織改革の先陣を切り、全国の自治体消防団へ、発信することが、自由民権運動の発祥の地三春町に在籍する三春分団の義務であり、使命なのである。
 四年前、私が現役当時は訓練部長という事で旧町内のいたるところで、中継訓練等を実施いたし、最強の軍団に仕上げたの自負しておりますが、私が副分団長に現役より推挙されたと云うのは、その成長を見届けろと言う事なのかなと考えます。
アメリカのコンピュウターの会社にIBMがあります、その会社の社章は野鴨だそうです。これはインデアンの教えの一つで、ご存知のように野鴨とは本来渡り鳥ですが、ある池には親切な老人がいて、餌をやりつづけていたそうです。しかし鴨たちは、あるときから一年中餌をもらえるならとその池にいついたそうです。
やがて老人が亡くなると餌が得られなくなり本来の習性で遠い餌場まで飛び立とうとしましたが、すでに翼は長距離の飛行に耐えられるだけの筋力は残っておらず、その池のかも立ちは全て死に絶えたそうです。
この物語の中でインデアンたちが言いたいのは、「現状に甘えず、常に状況を把握し状況の変化に対応できる力を養っておきなさい」ということなのでしょう。まさに消防団当てはまる「ポンプ整備の重要性」を説く「教え」だなあと考えます。
 先ほども申し上げましたが、実質的な消防を目指す三春分団イズムの継承と、更に高度な資質の向上ならびに伝承が私の使命ではないかと考えます。

改革を妨げる壁として、
一・・・・自治体消防団そのものの制度の壁
一・・・・物理的な壁
一・・・・意識(心)の壁

 組織改革とは、この三つの壁を打ち壊すことである。そこためには、
1、 平時、有事に係わらず情報の共有化。
2、 団、分団での様々な問題に対し、討論を活発にする。(全員参加意識の向上)
3、 その合意を尊重する(現場の声を聞く、コミニュケ回路を太く、短く設定)。
4、 現場(部そのもの)を重視する。(トップダウン)
5、 三春町消防団の指導者の信頼回復。(ボトムアップ)
つまり
   WHAT・・理念・目的の再確認と認識。(実態の報告)
   WHEER・限界の確認と認識。    (方針の明示)
   WHY・・・障害の確認        (自己限界の明示) 
   DO/・・・可能性の追求。       (協力の要請)
 以上の項目を、三春町消防団の幹部と称する方々によく理解してもらいたい。

無責任な組織にならない為にも三春町消防団の指導者ならびに関係者に対し、楽をさせたいと言うのではなく、考察方法をもう一度再考し、限られた時間の制約の中で、より有効的な本来の業務に勤しんで貰う為、そして貴重な限られた時間を、有効に活用したいと言う事を、十分理解した戴きたい。
そして「耳鳴りの彼方に」町火消しその視点と正義・・・と題して、三春町消防団が暴走自爆する前に、謹んで上申するものである。

耳鳴りのする、愛すべき三春分団の後輩たちの為、そして三春町町民である家族の為。

「耳鳴り・・・」この題名は、三春分団員の会話の中で、
「シー!」「何か聞こえる」「サイレンか?」「なんだ換気扇か、」と言う語を、よく耳にする、耳の奥にサイレンの音がこびり付き離れないということである。
                           
END                       


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耳鳴りの彼方へ 5
                          平成16.10.15
平成16年度秋季検閲式・消防ふれあいデイのレポート提出を受けての提言上申
                      三春分団副分団長 髙橋龍一

 最近、分団長会議の添付資料にされないのを残念に思いながら、その背景に団本部による各分団への教育的指導の充実があるものと安心しています。そして今回は、分団長会議の添付資料のなることを期待しつつ上申します。
まず、反省点としては、1.時期的な問題。2.検閲式という名称へのこだわり。3.規律ある消防団らしからぬ実質的な規律の乱れ。等が挙げられよう。先の提言書にも言及しましたが、本気で盛大に住民参加型の消防団行事の遂行を目指しているならば、この問題を解決してはじめて成立するのではないか。
 評価できる点については、1.形はどうあれ自主防災会の参加。2.赤十字奉仕団の参加。3.ふれあいデイ各種種目の解説と誘導。4.沢石後援隊と椀用ポンプ披露等が特筆すべき事柄だろう。
 反省点を主体に、消防団の本来の目的、検閲式の意義を再確認しながら、提言を上申するものとする。

1.時期的な問題
 ・先の提言書にも書したが、「有事対応能力の高い消防団を目指す組織づくり」の延長線上で、消防団行事の夏季集中化のなかで、春季検閲と秋季検閲式の時間的距離が少ないのではないか?また、三春分団に於いては、次週に三春大神宮祭礼を控え、寄付集め・練習・打ち合わせ・花車・神輿作成等の祭礼準備におわれ、一般的にはお彼岸の仏事が絡み、誰がどう考えても時期的に無理があった。

       2.検閲式という名称へのこだわり
 ・住民参加型の消防ふれあいデイ開催で、一般の住民と消防団員のふれあいを通じて、消防団への更なる理解と協力を請い、次世代を担う子供たちに消防と無火災を認識してもらう明確な意思の提示なのか、検閲式におまけでふれあいデイと称して子供だましがしたいのか、その意図が不鮮明ではないか?
・ 時間の調整だけで、大隊編成など、通常点検など実施されていては、先の消防団幹部研修で、規律の意味、幹部の心得、等消防団における規律が実践の有事を想定しての身のあるものだとの再確認が確立したはずだが、またもとの不透明な規律にもどすような愚行であろう。

      3.規律ある三春町消防団らしからぬ規律の乱れ
・ 前週の予習訓練などを見ていても、三春分団は、ポンプ運用はいつものポンプ整備の延長で予習出場でしたが、各分団とも当日の失敗を恐れてか、臆病すぎる予習内容であるし、火災防御訓練にも係わらず、外皮未装着の分団があり、「卵が先か、ひよこが先か」本末転倒ではないか。
・ 当日、終日禁煙を言い渡されていたが、各分団まちまちで統一がなされていなかった。これこそ、規律の乱れであろう。また、来賓用の喫煙場所だろうが、団本部の喫煙が見受けられとの報告を受け、「上官の規律の乱れが、部下の乱れ」を感じる。
・ 一連の火災防御訓練時の会場入り口付近に屯しろしている分団員が、緊急車両侵入に邪魔になっていたが、各分団とも、部長会・各部幹部会を開き本「ふれあいデイ」の内容を伝達そして周知徹底のうえで熟知していたかが問われよう。

評価すべき項目
1. 自主防災会の参加
・ 中妻・中郷自主防災会も皆様の参加は、自主防災会の意識付けという意味においては大変有意義だったと思う、また、各自主防災会の方々に置かれましても、昔取った杵柄で、改めて自分も昔消防団に携わっていたという誇りが漲っていたように思われる。
・ いまだ、不審火が払拭されていない両地区の自主防災会の皆様と消防団が協力できる組織の構築を望む。
・ 談話室での反省会に、各自主防災会の皆様に出席いただければ、なお結構だったのだが。
・ 火災防御の項目での、農業用の噴霧器での消火作業があったが、実際の林野火災などでは、事故防止のため、初期消火以外は出場不可を伝達していただきたい。

2. 赤十字奉仕団の参加
・ 朝からの「炊き出し」には感謝申し上げる。
・ 自主防災会の要との言える、「炊き出し」をもう少し、各区長に認識していただけるよう方策を講じたい。(各自主防災会持ち回り)

3. ふれあいデイ各種項目の解説と誘導
・ これは、ひとえに三春分署人見署員に御礼を申し上げたい。
・ 昨年の反省点が改善されていた項目で、ふれあいデイの各種項目が、来場した一般の方々にもよく理解ができて、訓練の意味合いの説明なども解説していて、とてもよかったと思う。

4. 沢石後援隊と腕用ポンプ披露
・ 先の沢石建物火災の時にその実力が発揮されていましたが、沢石地区の自主防災会と後援隊の団結力には、われわれ現役消防団員は頭が下がる思いがいたします。

総括として
1. 春季・秋季問わず、検閲式での閲団・大隊編成・通常点検までの簡略化(所要時間約30分)を実現し、団員の労力軽減を図っていただきたい。
・ 現行午前8時整列完了を、午前10時整列完了とし、お昼終了を目安とす。
・ 各種表彰式の「出初・幹部交礼会」や「辞令交付式」への移行。
2. 上記の簡略化達成後、春季なら「水出し消防操法」一斉披露の開催。また、秋季には、消防ふれあいデイの内容の充実を図るべきではないか。結局中途半端はいけません。
3. 検閲式の簡略化、簡素化の変わりに、「有事現場対応能力の高い消防団」を目指すべく、各分団・方面隊(南北3分団)・消防団全体による火災防御中継訓練の実施頻度ならびに内容充実を奨励すべきである。
4. 先にも述べましたが、大隊編成やポンプ操法を含む一連の規律の意味を、有事現場対応時配役の擬似・抽象化との位置づけと定義しているのであれば、昨今の有事現場においてその定義は崩れつつあり、その対応策の構築が急務と考えるが、その是正の原点に、消防団の存在意義を再考し、有事対応能力の再認識という観点から、団(年1回)・方面隊(年2回)・分団(年2回)そして各部(月2回)ごとの定期火災防御訓練が必要なのではないか。
5. 検閲式での現大隊編成を改編し、第一大隊、第二大隊、第三大隊の3大隊編成を実現して組織力の充実を図り、実質的な訓練を通して、消防団の意義を確立すべきであろう。また、消防団は、縦社会といわれるが、虚栄や体裁という贅肉をそぎ落とし、その階級に見合った消防見識・認識を養い、そして団員減少の現実の中で、方面隊的要素の強い南北3分団の連携強化を図り、少数精鋭にて有事現場対応可能な、誇りある消防団を目指すべきだろう。
6. 団幹部甲種正装礼服の取り扱い注意。
7. 他市町村の消防団員から「三春は検閲が年1回でいいない」とお褒めの言葉をいただきます。この言葉が示すように、近隣の市町村消防団の団員から我が三春町消防団は羨望の眼差しでその挙動が注目そして期待されています。その背景には、現場での三春町消防団の活躍があると考えています。


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