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「三春歴史カルタ」 田村郡三春町立中郷小学校平成7年度卒業生(1997)




「三春歴史かるた」 田村郡三春町立中郷小学校平成7年度卒業生(1997)



元三春町歴史民俗資料館調査員の橋本さんを詠み人として、担任の橋本先生の指導の下に卒業制作として造られたものです。



以前、おかずかりしていた中郷小学校平成7年度卒業生の卒業制作「三春歴史かるた」のファイルを補修して再度店頭に飾ってみました。






「三春歴史かるた」を見返していますと、その制作にかかわった方や、親御さんの見知った顔が目に浮かびます。






かるたの唄に合わせて、町内にある文化財を書写しての製作です。



20名の卒業生での製作です。 さぞ大変だったことと思います。







店頭に配しておきます。


ご自由にご覧ください。







滝桜のお膝元にある小学校です




三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍








| ryuichi | 03:52 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村 |
貝山の荒木屋敷




貝山の荒木屋敷

三春郊外、貝山の泉沢に、「お下屋敷」とよばれる場所があります。

現在の貝山にある三春町営グランド付近になります。


今は畑となっている敷地には、古池があり、その辺には広い台地と舟形の大きな石が由緒ありげに残っています。

土地の古老の話を聞くと、昔はこの池には、蓮や水連、じゅんさいがあり、池畔には紫陽花、躑躅がよく生い茂り、美しい花を咲かせ、眺めも良いので、散歩がてら人が立寄っていたものだといいます。


しかし、心無い人人たちが草木をとり荒し、今では全く手の届かぬところに僅かに草花が華を残すのみとなっています。


この下屋敷跡は、三春藩の家老荒木内匠の屋敷跡です。

荒木内匠は、正徳年間に秋田家の客分家老として大いに権勢をふるった人です。


ここからの話は三春城下に伝えられている怪奇伝説の類になります。




荒木氏は、しだいに権勢がつのり、幼君を亡きものとして、自分の孫を跡継ぎに立てようと企むに至ります。

御殿医三宅良庵と老女鳴瀬とを巻き込み、朝の食事に一服盛り、幼君を毒殺したと伝えられています。

その朝、荒木は貝山の下屋敷にあって、先の舟形の大きな石を西方の大滝根川から運ばせている最中でした。


もう少しで庭に入るという時に、幼君休止の報せが本城からもたらされたので、驚き、悲しみを装って、急ぎ登城したという。

その後“腹切り梅伝説”の忠臣滋野多兵衛の亡霊譚の下りとなりますが、荒木は御城の上屋敷には居たたまれず。

この下屋敷へ逃れ、大きな番犬数等と警固の武士を配して引き籠ったとされます。






三春絵図画像 三春町史より

折角西方より運んだ舟形の庭石は、これも滋野の亡霊の祟りで、その後いくら手を尽くしても微動だにせず、庭外に放置され、伝説を秘めて風雨にさらされています。

定めし、豪華を誇ったであろう荒木氏の下屋敷跡も、今はたばこ畑と豆畑に姿を変えている。

古い広報三春コラム「古蹟萬歩」貝山の荒木屋敷参照


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂


| ryuichi | 05:41 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
和衛門の崇りと霊明権現(蛇沢)
和衛門の崇りと霊明権現(蛇沢)


昔、慶応年間のころ、蛇沢村に和衛門という一人暮らしのやもめがいた。

その者が三丁目村で女にいたずらをしたということで、三丁目庄屋より蛇沢庄屋時衛門へ、その者を引き取られたいという達しが来たので、村に連れて来ることになった。

しかしそんな悪い事をする者を村に入れても困るということで、学滝ノ入りの村境にある大きな松の木の下に穴を掘り、連れて来た和衛門に酒を飲ませ、酔ったところを無理矢理穴に押し入れ、生き埋めにしたという。

その祟りだということで、村人は霊明権現に祈願をしてその霊を慰めた。

それでも不思議なことが度々あったという。

和衛門の屋敷は蛇沢にあったが、つぶれてしまい、田や畑は某氏と菜氏の二軒で分けた。

庄屋の命令でそうしたらしい。


三春の昔話より



三春城下真照寺参道 御菓子司三春昭進堂菓匠蒼龍


| ryuichi | 03:39 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::過足・上石・狐田・蛇石・樋渡 |
三春物語287番「芹ヶ沢天形星王社(現津島神社)」




芹ケ沢鎮守  「天形星王社(現津島神社)」


三春城下の西、旧小野海道芹ヶ沢村の入り口を見下ろす小高い丘に、鎮守津島神社、芹が沢稲荷神社、見渡神社が合祀された社があります。

旧神号は、天形星王社とあります。

※ 天形星とは天刑星(てんけいせい)ともいわれる道教の神で、木星を意味していると伝わっています

津島神社は、古くは芹ケ沢牛頭天王宮と申して、今日もなお一般に「お天王さま」と尊称されております。

主神:建速須佐之男命 『古事記』

※『日本書紀』では、素戔嗚尊、









かつて、春と秋の祭礼には、「お人形祭り」として、三春領五人形様の一つ「天形星王のお人形様」のお衣替えという行事がありました。


祭礼前日に、氏子が社殿に集まり、大人形を作ります。

まず、大きな樹の柱を胴骨にして、コモを巻き、頭部に篭を被せて紙を貼り、顔を描きます。

胴体には、杉の葉をたくさん差して着物にします。


これを「お衣替え」としていました。


この人形を押し立てて、神官の祈祷の後に氏子一同で拝みます。

そして人形様は、神精霊の形代として、村に入り込む厄や流行病除けとされてきました。


その偉容は、厄病を威嚇するに相応しい中国・朝鮮調の鬼面のような人形であったと伝えられています。


この津島神社の「お人形祭り」は、春秋の二回欠かさず行われてきましたが、近世に発生した社殿の焼失で現在は行われていません。
 





こちらの桜、龍が天に向かって舞い上がるお姿に見えませんか?

天形星王の桜です。

御神木なのでしょう、今年も新しい枝には可憐な桜花が咲いていました。







天形星王とは、妙見菩薩のことか牛頭天皇かはっきりしませんが、古代の北斗星信仰の名残かもしれません。






参道石階段の踊り場には、子待供養塔、庚申供養塔(青面金剛(しょうめんこんごう))、山神様、湯殿山石塔


※子待供養は、甲子または子の日に夜遅くまで起きていて精進供養(祭祀)をする行事、甲子待ともいう子待の礼拝本尊は大黒天(大国主神)です

※二十三夜塔とは、庚申講(こうしんこう)と同じく民間信仰のひとつとして、人々が集まって月を信仰の対象として「講中」といわれる仲間が集まり、飲食をし、お経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事(月待行事)。
供養石塔は、その記念や供養のあかしとして建てられたもので、月待塔(つきまちとう)ともいいます。


※湯殿山は、山岳信仰(修験道)の霊山。
月山・羽黒山と合わせて出羽三山と呼ばれ、月山・羽黒山で修行をした行者がここで仏の境地に至るとされている。







そして、二十三夜石塔、古神様(古峰講)、疱瘡(天然痘)を治療する神を祀っている若木山石塔(山形県東根市の若木神社・最上家親所縁神社)など、修験道の民間信仰の痕跡も見て取れます






芹ヶ沢には、旧小鳥山もあり紅葉が見事です



三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 15:47 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |
中郷小学校「滝桜を守る会」 滝桜の種採取ブルーシート 2024




三春滝桜を未来につなぐ 福島県三春町・中郷小の「守る会」 種拾いや洗浄作業




今朝も三春滝桜まで、ウォーキングです。

滝桜の根本はいつもとは様子が違います。





滝桜の枝下根本を囲うように、ブルーシートが敷き詰められています。



これは滝桜の種(実生)の採取の為のシートです。



 福島県三春町の中郷小の「滝桜を守る会」は19日、地元にある三春滝桜の種拾いや洗浄作業を行った。


 全校児童36人が参加。

滝桜まで行き、ブルーシートの上に落ちた滝桜の種を一つ一つ丁寧に拾い集めた。

町職員や三春さくらの会が種拾いの準備、アドバイスするなどして協力した。


 学校に戻ると、集めた滝桜の種の実を洗い流す作業を行った。

児童は班ごとに分かれ、種を水で果肉を洗い流し、約300個の種を取り出した。

猛暑などの影響か、昨年の10分の1ほどに減っていたことなども学んだ。

 児童たちは活動を通じて、名木を守る作業や自然の大切さを学ぶとともに、地域住民との交流を深めていた。

 育てた滝桜の苗木は、卒業記念として6年生に贈られるという。

福島民報県南版より







滝桜保存会の皆様により、三春の桜守として千年後にも生き続ける桜を育てようと、苗木からではなく、種からの育成(実生)しています。


2008年に地元小学生が拾った種(約200粒)は、スペースシャトル・エンデバー号で国際宇宙ステーションに届けられ、日本のモジュール「きぼう」船内で、若田光一宇宙飛行士とともに4100回地球を回る8カ月半(08年11月~09年7月)の旅を行ったことでも話題になりました。








三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:26 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::柴原・滝・根本 |
「愛姫をもっと知ろう」 ~琵琶と舞と歴民の藤井さんのおもしろ講話~





「愛姫をもっと知ろう」

~琵琶と舞と歴民の藤井さんのおもしろ講話~

令和6年4月13日(土) 13:00~


三春交流館「まほら」大ホール 入場無料







〜プログラム〜   司会 中村利孝

1. 横笛・箏「春の海」「さくら」・・・・・笛・菅野啓明 箏・菅野幾代

2. 講話「生ききった愛姫」・・・三春町歷史民俗資料館副館長 藤井典子

3. 琵琶「敦盛」・・・・・黒瀧定光


4. 琵琶「愛姫」・・・・作詞・作曲 博多龍声

5. 歌謡吟詠「山月の城」・・・・・蜂章山

6. 舞踊「三春の愛姫」・・・作詞•作曲歌 峰章山

舞・夢月美寿友  振付・夢月賀奈友



主催 良い調べに耳を傾ける会 


 問い合わせ 0247-78-2005(博多歯科クリニック)


| ryuichi | 03:01 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::柴原・滝・根本 |
甚十郎・紋十郎地蔵 (現笠松地蔵尊)
 



甚十郎・紋十郎地蔵 (現笠松地蔵尊)

 貝山郷に、甚十郎・紋十郎地蔵と呼ばれる地蔵(現笠松地蔵尊)があり、義民伝説が伝えられている。

元禄年間のことである。貝山村に義に篤く智に富んだ甚十郎と紋十郎という若い百姓がいた。

その年は、日照り続きでひどい水不足だった。

特に村内「前ノ久保」のように天水田では作付けが出来ずに困り切っていたと云います。

そこで甚十郎と紋十郎の二人は、この前ノ久保水不足の救済を何とかしたいと考え、同じ村内にある井堀田の水を引くより方法がないと、時の庄屋に申し入れたが、水源が低いからと聞き入れてはもらえなかった。

何度も何度も懇願したが相手にもしてもらえず、百姓たちの落胆ぶりは見るに忍びなかった。

百姓たちは命の綱が切れたようにがっかりした。

二人は見るに忍びず、自ら水路をつくり始めた。

百姓たちも生き返ったように元気をとりもどし、喜んで協力したので工事ははかどった。

縄引き目別の測量であったが見事に立派な堀ができ、水はとうとうと流れてきて田植えができた。

その時の百姓の喜びはひと通りではなかった。


これを見た庄屋は面目丸つぶれ、心中おもしろからず、この二人を目の仇としていた。

二人は、その年のご上納米の時、五升何合の不足、となって、おかしいと思ったが、これを弁納した。

次年度も同じ様に五升何合の不足という。

算に明るい二人は今度は承知せず、村中の田園を再測量することを決意した。

はじめにその起点を庄屋の家の中心からとることとしたが、生屋では恐ろしい大犬を飼ってこれを防害していた。

二人はしばらく床下に隠れて避り出し、苦心に苦心を重ね遂にこの大難事業をなしとげ、庄屋のごまかしであることがはっきりわかった。

重ね重ねの庄屋の不義不徳で、徴の情やる方なく領主への直訴となった。

昨嘩両成敗で庄屋は転封、二人は国払いとなった。

それでも直派という大罪にしては寛大な措置であったという。

二人は無木村桜や清水という所に追放されたが、何用あったか領内に入ったのを役人に見付けられ、捕らわれくこの大量の目置のよて投獄された。

これを聞いた福聚寺の和尚は法衣をかけて助けてやろうとかけつけたが、時すでにおそく、斬首刑に処せられこの世の人ではなかった。

和尚は無念に思い二人のなきがらを引き取って境内に葬った。

元禄十五年旧三月四日であった。



橋本門十郎 十六歲(祖善章)、渡辺甚十郎 十八歳(祖功)、二人の若妻も夫のあとを追い自害した。

村人は二人の義徳に感泣して堂守を設けて地蔵尊を配った。


いまなお部落を守護するかのごとく、笠松地蔵としてたたずんでいる。


(中郷老寿会への聞き取り)




三春城下藩主祈願所真照寺参道 御菓子司 三春昭進堂菓匠蒼龍 






| ryuichi | 04:48 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |