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三春物語287番「芹ヶ沢天形星王社(現津島神社)」




芹ケ沢鎮守  「天形星王社(現津島神社)」


三春城下の西、旧小野海道芹ヶ沢村の入り口を見下ろす小高い丘に、鎮守津島神社、芹が沢稲荷神社、見渡神社が合祀された社があります。

旧神号は、天形星王社とあります。

※ 天形星とは天刑星(てんけいせい)ともいわれる道教の神で、木星を意味していると伝わっています

津島神社は、古くは芹ケ沢牛頭天王宮と申して、今日もなお一般に「お天王さま」と尊称されております。

主神:建速須佐之男命 『古事記』

※『日本書紀』では、素戔嗚尊、









かつて、春と秋の祭礼には、「お人形祭り」として、三春領五人形様の一つ「天形星王のお人形様」のお衣替えという行事がありました。


祭礼前日に、氏子が社殿に集まり、大人形を作ります。

まず、大きな樹の柱を胴骨にして、コモを巻き、頭部に篭を被せて紙を貼り、顔を描きます。

胴体には、杉の葉をたくさん差して着物にします。


これを「お衣替え」としていました。


この人形を押し立てて、神官の祈祷の後に氏子一同で拝みます。

そして人形様は、神精霊の形代として、村に入り込む厄や流行病除けとされてきました。


その偉容は、厄病を威嚇するに相応しい中国・朝鮮調の鬼面のような人形であったと伝えられています。


この津島神社の「お人形祭り」は、春秋の二回欠かさず行われてきましたが、近世に発生した社殿の焼失で現在は行われていません。
 





こちらの桜、龍が天に向かって舞い上がるお姿に見えませんか?

天形星王の桜です。

御神木なのでしょう、今年も新しい枝には可憐な桜花が咲いていました。







天形星王とは、妙見菩薩のことか牛頭天皇かはっきりしませんが、古代の北斗星信仰の名残かもしれません。






参道石階段の踊り場には、子待供養塔、庚申供養塔(青面金剛(しょうめんこんごう))、山神様、湯殿山石塔


※子待供養は、甲子または子の日に夜遅くまで起きていて精進供養(祭祀)をする行事、甲子待ともいう子待の礼拝本尊は大黒天(大国主神)です

※二十三夜塔とは、庚申講(こうしんこう)と同じく民間信仰のひとつとして、人々が集まって月を信仰の対象として「講中」といわれる仲間が集まり、飲食をし、お経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事(月待行事)。
供養石塔は、その記念や供養のあかしとして建てられたもので、月待塔(つきまちとう)ともいいます。


※湯殿山は、山岳信仰(修験道)の霊山。
月山・羽黒山と合わせて出羽三山と呼ばれ、月山・羽黒山で修行をした行者がここで仏の境地に至るとされている。







そして、二十三夜石塔、古神様(古峰講)、疱瘡(天然痘)を治療する神を祀っている若木山石塔(山形県東根市の若木神社・最上家親所縁神社)など、修験道の民間信仰の痕跡も見て取れます






芹ヶ沢には、旧小鳥山もあり紅葉が見事です



三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 15:47 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |
三春郊外込木の八方谷地内に向日葵畑が出現!2021




三春郊外込木の八方谷地内に向日葵畑が出現!





ご覧いただけますでしょうか?

ひまわり畑です。


多目的込木集落の「景観作物」 ひまわり畑2021!







午後は逆光です♪






三春昭進堂から車で3分!







磐越道の高速道路からだとバッチリの角度です。



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:33 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |
「半夏生(はんげしょうず)」 込木見渡神社「辻切り」の御札




田植えを終える目安とされる「半夏生(はんげしょうず)」の頃、三春城下在の各地の集落入口付近で、細竹の先に「御札」を括り付けて村境付近に建てられているのを目にします。





磐越自動車道と飯野三春石川線の辻



 これは「五穀豊穣」と「村内の安全」を祈願して「夏越の祓(なごしのみそぎ)」として神主さんに「辻切り」の御祈祷を受けた「御札」を、村の入口の「辻」と呼ばれる道の交差するところ、特に鬼門(東北)や裏鬼門(南西)の方角に立てて村外からの疫病などの災厄(さいやく)が、村内に侵入するのを防いでいるものです。





 この御札には「込木見渡神社」等の鎮守名と「御祈祷 御璽(ごきとうぎょじ)」と共に「村内安全」ではなく「洞内安全」と記載されています。

込木洞…この洞(うつろ・ほら)とは、室町期以降の東国の武士、地侍の一族郎党が所領する集落を指しています。






三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:47 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |
込木見渡神社、楽内熊野神社 五穀豊穣、洞内安全祈願の辻札




三春城下郊外、「込木洞」込木集落入口にある込木見渡神社の五穀豊穣、洞内安全祈願の辻札です。


昔より、三春城下在村人は、村の外から疫病(えきびょう)や災厄(さいやく)が村内に入り込むのを防ぐために、村の出入り口で「道切り(みちきり)」と称される「祈祷(きとう)」や「呪(マジナ)い」をしました。









毎年、夏越しが過ぎ7月はじめ付近になると、三春城下郊外の村々では御祈祷といって一家の戸主(世帯主)が村内の神社神前に集り、神主さんを呼んで、洞というくくりでの村民の無病息災・五穀豊穣を祈念しています。


その祈祷した「お札」を竹に括り付けて「御祈祷御璽(ごきとうぎょじ)」、「辻切り(ツジキリ)」の辻札として、辻などの突当りとなる村の入口、特に鬼門(東北)や裏鬼門(南西)の方角に立て「魔物の防壁としたもので、 ...外部より病魔や災難が村内に進入しないように願っています。









お札には、洞(ふら・うつろ)内安全と記載されています。

洞(うつろ)とは、集落を指しています.

その語源は、室町時代後期から安土桃山時代・戦国時代にかけて、三春城主田村氏(奥州及び坂東の戦国大名)に見られた田村氏一族以外の配下・合力与力の「武士団」形態で、田村領八十八郷の村々の地侍・惣領である地域の当主を中心に一族呼ぶ総称です。










鎌倉武士の「一所懸命」という感覚で、生活の糧である先祖代々伝わっている所領(田畑土地山林、屋敷など)を一族郎党で命をかけても守るという考え方が残り、力関係で国主.盟主の配下として与力する一つの武士集団のくくりで、農兵分離後の江戸幕藩体制の確立に基づく近世大名における「家中」、家臣という位置づけです。








戦国時代の仙道(今の福島県中通り地方附近)は、中小の戦国武将・地侍がひしめく激戦区でした。


田村荘司田村氏の流れを汲む三春田村氏も同じ、長年にわたり四面楚歌の状態が続いています。


その状況下の中で、三春田村領内に於いて地侍と地縁的、族縁的な「洞中」の領主連合を形成し、その盟主としての地位を固めていったと考えています。







楽内熊野神社 「楽内洞」の辻札










医学の未発達な時代、人々にとって「疫病」は大きな脅威でした。

疫病に罹らないように行われたこうした加持祈祷には、人々が期待し、慎み、みんなで協力して疫病や災厄を祓い、それによって幸運が訪れることを願う気持ちは現在も同じです。










また、村の入口には道祖神が祀られています。


「塞の神」とも呼ばれ「塞(ふさ)ぐ」という意味です。





込木末の馬頭観世音石碑



この神さまも、村の外から来る疫病 (伝染病)や災害などをもたらす悪霊を防ぐために、村の入り口(村境)や道が交差し様々なものが吹き溜まるところとされる“辻”に祀られた神さまであります。






辻切りのためなのか、川平道と滝道の辻の突き当りに建立され「魔物」の防壁としています。






田中坂末の馬頭観音石碑





こちらも、芹ケ沢道と滝道(御館道)の辻の突当りに建てられています。







込木洞の一つです。







高速道路「磐越道」の陸橋下、柳橋道の立体交差にも設置してあります。







交差する辻は、平面立体問わず、天界・地獄界も含めた”辻”という意味合いも含まれており、位階的な感覚なのでしょう。


行き場のない魔物や禍が迷い澱む場所とされています。


洞内の交通安全祈願です。








春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:07 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |
三春物語935番「楽内・込木の蛍」


昨夜、長男と運動不足解消の散歩がてら、当店の在る三春城下新町の北、288バイパスを超えた楽内及び込木地内へホタル観賞に行ってきました。

家内が散歩の際にが見つけて来たんですが、行って見てびっくりするほどいました。



画像は残念ながらiphoneの為、この程度しか映りませんが、実際現場にいますと驚くほどの光景が田園の中に広がっています。

早速、馬場の湯温泉の若松屋と三ツ美屋旅館の両若旦那に連絡して、この時だけのイレギラー企画ですが、宿泊のお客さん向けのサプライズイベントとして提案させていただきました。



カップルや小さいお子さんがいるご家族にはうってつけのイベントだと思いますよ・・・

夕食後にマイクロバスにお客様を乗せてホタル観賞!

現着までバスで3分。

ロマンチクな満天の星空の下、ホタル観賞なんていかがでしょうか?



イメージデス・・・

多分、三春の郊外に行けばどこでも見られる光景なんでしょうね、稀に三春城下でも清水小滝や大平の桜川に近い田んぼでは見られます。




蛍の里は、込木地蔵桜の周辺に広がります。


三春昭進堂 髙橋龍一



| ryuichi | 05:05 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |
三春物語921番「込木地蔵桜・野菜売りのおばちゃん~新日本風土記」


新日本風土記の中で、野菜売りのおばちゃんこと橋本タリさんが、インタビューを受けていた込木の地蔵桜

三春昭進堂髙橋家もこの込木柳作の髙橋が本家なので、この桜には特別な思いもあります。



テレビを見た方々に「テレビ見たよ~」などと声をかけられます。

一番理想な形でテレビに映ることが出来ました。



三春昭進堂 高橋龍一

| ryuichi | 05:11 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |
三春物語128番 「込木宮ノ下(旧宮志田)見渡神社」



三春城下の南に、くぐりきと読みます”込木”の宮ノ下に見渡神社があります。

江戸期は、「飯渡大権現」権現さまと呼ばれ、古くからトリケの神と称して、百日咳にかかったときは鳥居の石を削って呑めば治ると云われていて拝殿には鶏の絵馬が多数奉納されている。






三春昭進堂の創始者高橋民四郎の本家も、込木柳作です。

かつて、十月の祭礼には、民四郎の妻おタリや、その子で当家先々代の傳造が饅頭を台八車に乗せて、社殿下で売っていたと聞き及んでいます。






今も残る、昭和初期の社殿改築記念石碑には民四郎の名前が刻まれています。







また、拝殿には戦後の屋根改装での寄進木板があり、高橋傳造の名前も見えます。



 




三春昭進堂代表 髙橋龍一






| ryuichi | 06:18 | comments (0) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::楽内・込木・芹ケ沢 |