2009-11-30 Mon
三春城下磐城海道境の旧楽内村に鎮座する「金比羅様」です。
かつては、農家方々からは繭の神様として信仰を集めていました。
また、山一つ隔てた弓町遊廓、庚申坂新地のお女郎たちからは、
年期が早く明ける祈願所として信仰を集めていました。
拝殿裏には、奉納された石仏、石碑、石燈籠が多数建立され、
小さな霊場を形成しています。
本殿を鎮る、阿吽の仁王石像
参道石段の地蔵
鍾馗像とおもわれます。
鬼母神石像
弁財天
大黒様
弘法大師
山頂の供養塔
子安観音
不動明王
三春ではめずらしい「烏天狗石像」
カラス天狗は、インド発祥のヒンズー教の護法神であり、後に仏教に
習合された鳥神・ガルーダが日本独自の変化を遂げたものとされ、優れた霊験があり、多くの参拝者を集めている。
天狗は山岳地帯で修行した密教の高僧や修験道の行者である山伏が
死後に化身して山を守護している場合もあり、神聖な山に無断で侵入して
動植物を乱獲するような人間を懲らしめる役目も担っているとされています。
2009-10-13 Tue
芹ヶ沢小鳥山
山々の紅葉が里に下り始め、北国の小さな城下町三春にも色鮮やかな山々のデッサンが拡がり、収穫の秋を迎えました。
そんな秋晴れの中、子供を連れて久しぶりに芹ヶ沢にある小鳥山へ紅葉狩りに行きました。
私が小さい頃、秋になると子供会などで鳥山と称して小鳥山に行き、よく芋煮会をしたものでしたが、近頃はあまり聞かなくなりました。
小鳥山公園は、明治の末に、凶作による難民救済事業の為、大町の薬種商回春堂橋元柳平氏が私財を投じて競馬場として整備し、田村馬場と称し、三春駒として名高い三春産馬振興を目指しました。
大正期に入り、当時の新しい乗り物「自転車」での競技場としても使われ、その後小鳥山は公園として、また競技場跡は散策路として広く町民に開放され、秋になると絶好の紅葉狩りの名所として、町民に愛されています。
散策路の途中には、大町の回春堂橋元柳平氏が大町不動山から移築した、田村三十三観音の一番札所「無量庵清水寺」址が在り、橋元氏の偉業が偲ばれます。
私も商いを生業とする一人として柳平氏に敬意を表し、息子共々無量庵址に手を合わせて来ました。
戦乱にあけくれた唐の時代(627年)、生きる希望を無くしかけていた人々を救おうと、一人の青年僧が長安の都を旅立ちました。
その名は、玄奘、後の西遊記で有名な玄奘三蔵法師です。
それまで名僧、高僧が天竺へ旅立ちましたが、誰一人帰ってきたものはいませんでした。
玄奘は、16年という歳月と、苦難の末、天竺(現在のインド)より、経典や仏像をたくさん持ち帰ったと言われます。玄奘は、帰国後、亡くなるまでの約20年間、その経典を翻訳し続け、人々を救済しようとしました。
人々は、玄奘が天竺よりもたらした経典だけでは、生きることの苦しみからは解き放たれませんでしたが、玄奘三蔵法師のその勇気と、亡くなるまで翻訳しつ続けた救済心は、生きとし生ける者の心の支えとなり、今日まで般若心経など仏教の経典として人々を導いています。
橋元柳平氏も玄奘三蔵法師も人々を救済するという強い意志で事に臨み、その姿が人々の生きる支えとして今も心の中にあるようです。
合掌
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
2009-09-18 Fri
天形星王社(現津島神社)
三春城下の西、旧小野海道芹ヶ沢村の入り口を見下ろす小高い丘に、鎮守津島神社、芹が沢稲荷神社、見渡神社が合祀された社があります。
旧神号は、天形星王社とあります。
かつて、春と秋の祭礼には、「お人形祭り」として、三春領五人形様の一つ「天形星王のお人形様」のお衣替えという行事がありました。
祭礼前日に、氏子が社殿に集まり、大人形を作ります。
まず、大きな樹の柱を胴骨にして、コモを巻き、頭部に篭を被せて紙を貼り、顔を描きます。
胴体には、杉の葉をたくさん差して着物にします。
これを「お衣替え」としていました。
この人形を押し立てて、神官の祈祷の後に氏子一同で拝みます。
そして人形様は、神精霊の形代として、村に入り込む厄や流行病除けとされてきました。
その偉容は、厄病を威嚇するに相応しい中国・朝鮮調の鬼面のような人形であったと伝えられています。
この津島神社の「お人形祭り」は、春秋の二回欠かさず行われてきましたが、近世に発生した社殿の焼失で現在は行われていません。
天形星王とは、妙見菩薩のことか牛頭天皇かはっきりしませんが、古代の北斗星信仰の名残かもしれません。
芹ヶ沢には、旧小鳥山もあり紅葉が見事です
2009-06-25 Thu
楽内「金比羅宮」
新町より一坂越えた、込木宮下にある大きな枝垂れ桜がすきです。
その根元には地蔵堂と弁財天、山神、庚申、廿三夜塔、安政四年の大黒天等の十五基の供養塔が並んでいて風情があり、健康増進の為、散歩がてら花見と洒落込んでいます。
し
少離れて見渡神社は、「飯渡大権現」権現さまと呼ばれ古くからトリケの神と称し百日咳にかかったときは鳥居の石を削って呑めば治ると云われていて拝殿には鶏の絵馬が多数奉納されている。
また、途中の楽内地区に小さな社殿の金比羅宮が勧請されています。
天保のころから明治初頭までは非常に信仰され参道から裏山の山頂にある奥の院には、参拝の方々が奉納した石燈篭や石仏、小祠等が八十五基林立しています。
拝殿には、夥しい数の繭数珠、絵馬が奉納されていてこの地より遠く離れた越前福井の方などの氏名も見られます。
とくに絵馬は庚申坂遊郭の遊女衆の年期明け祈願の絵馬が多く見られます。
これは、金比羅様は、「悪い縁を切り、良縁を結ぶ」といわれている為ではないかと思います。
主祭神の崇徳天皇が、讃岐の金刀比羅宮でいっさいの欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、当宮は断ち物の祈願所として信仰されてきました。
また、戦によって心ならずも寵妃烏丸殿とお別れにならざるを得なかった、崇徳帝の悲しみのお気持ちは、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶ちきって下さいます。
男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切っていただいて、良縁に結ばれて下さい。
良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありませんのでご安心を。
蒼龍謹白・・・合掌
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