2010-06-01 Tue

貝山白山比咩神社の白山公園にあるブナの大木です。
町の天然記念物に指定されています。

このブナの大木をよく見ると、名前や年号そして無数の穴があいています。
これは、この大木に幸不幸の「願掛け」をする際に、刻まれたものと聞いています。

貝山白山比咩神社祭神の、菊理媛神とは、白山の神は女の神様で、白山比咩神、またの名を菊理媛神(ククリヒメノカミ)といい、イザナギノミコト、イザナミノミコトと共に白山比咩神社に祀られています。

白山神が白山妙理大権現であり、その本地が十一面観音とされています。
そして本地垂迹説的の解釈では「菊理媛神は、十一面観音の垂迹身であり、白山比咩神はすなわち菊理媛神である」とされています。

養老3年(719)、白山修験道の泰澄大師が白山山頂で祀ったのは、高句麗媛(こうくりひめ)といわれます。

時代を経て、理知的な鎌倉仏教やの影響などを受けるようになると、白山において泰澄大師が祀った高句麗媛は、日本書紀における菊理媛神と同一であるとされた、とするものです。

郡山市の繁華街が一望できます。
日本人は古代から、「八百万の神」というように、あらゆる物の内に神がいる(宿る)と感じていました。特に、人の力の及ばない高い場所や、巨大なものに神様が降りてくるという考え方があって、高い山や巨木などはそれ自体が信仰の対象でした。
森は、森自体が、人が足を踏み入れてはいけない神聖な場所として守られています。
唱歌に出てきた「鎮守の神様」がいるのも、ですから、地域でいちばん高い山です。
日本の場合、「山」とはすなわち「森」ですから、鎮守の神様は身近な風景の中でいちばん高い山の、深い森の奥にいるものと考えられていたのです。
興味深いのは、その山にいる神様が、ときどき里に降りてくると考えられていたことです。
山から里に降りてくる神様を迎えるためには、里にも高い木のある場所が必要です。
そこで人々は、集落の中の小高い場所に木を植え、森を育てました。
これが「鎮守の森」です。
そこは、鎮守の神様が訪れる神聖な場所であり、この森が元気であれば神様は来てくれるが、森が滅ぶようなことがあれば神様が訪れなくなり、地域を守ってくれなくなる。
だから、みんなで協力して世話をし、大切に守り育てたのです。

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| ryuichi | 04:20 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
2010-05-26 Wed

旧貝山村にある貝山観音堂です。

田村三十三観音の第三十一番札所となっています。

十一面観音をお祀りしてあります。

路建設に関連して、白山神社の麓に移設建立されています。
| ryuichi | 04:46 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
2010-01-23 Sat

三春城下南、貝山村にある「正一位大石稲荷神社」

境内には、直径が四メートルも程露出している巨石「御霊石」が鎮座されています。

遷宮記念碑によると。
昭和52年春、県道改修のために、この大石と稲荷様社殿の移築作業入ろうとしたときに、天下にわかに曇り、雷鳴が響き渡り大雨となりその日の作業は中止となった。
七日後に、作業を再開しようとしたが、それまで晴天でしたが、にわかに稲妻走り轟音大雨となった。

しばらくして雨が上がって作業を再開したが、御霊石が「イタミ火」を発し工事用重機が押し戻されてしまった。
作業員一同、これは神霊だと、神示顕現を見たと作業は中止となったとあります。

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| ryuichi | 05:54 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
2010-01-20 Wed

旧春田村蟹沢の神明宮の碑です。

巨石です。

「村の鎮守の神様の・・・」 子供のころからお宮は遊びの場であり村の中心で、秋祭りには大きな吹流しが立てられ幟もたくさん立って、威勢のいい俵みこしが出て賑やかでした。しかしだんだんと寂れてきてお参りする人も少なくなりましたが、今は氏子総代の方々などお宮を大切に思われる人たちのお陰で次第にお参りする人も多くなってきました。家内安全五穀豊穣の氏神様を大切に守っていきたいものです。
| ryuichi | 05:56 | comments (x) | trackback (x) | 🌸旧中郷村::貝山・春田・春沢 |
2010-01-04 Mon



三春城下の南、滑津(なめず)地区にある馬頭観音のお堂
滑津(なめず)の馬頭観音堂
馬頭観音は不動明王と同格の強大な仏尊とされています。
そして「慈悲の仏」として広く信仰される観音様が、
怒りの表情をされて、三つの顔と六本の腕を持つ恐ろしい姿に変身したものです。

法を犯す不届き者を叱りつけ、分別の無い死霊・悪霊などは
打ち滅ぼすほどの威力を持った密教の秘仏として崇拝されています。

また、三春では「三春駒」と称された馬の殖産が盛んであったことから、街道が整備された江戸時代になると、農耕には欠かせない農耕馬をはじめ荷物を運ぶ馬などの守り神として
盛んに信仰され、三春各地には馬頭観音堂や石碑が数多く建立されます。

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