2016-12-13 Tue
天寧寺 近藤勇墓所
先日、所用があり会津若松の奥座敷東山温泉まで出かけました。
東山温泉はもうなんやかんやで、30年有余来年に一二回は訪れている近しい温泉街です。
千石通りから飯盛山下を抜け、東山温泉街道の途中に「近藤勇の墓 天寧寺」の看板があります。
ここは以前より気になっていましたが、いつも時間がなく通り過ぎていた場所でした。
今回、ちょっと時間があったので訪ねてみました。
天寧寺裏手墓地の小高い丘の上に、新選組局長近藤勇の墓はありました。
副長の土方歳三が、遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに仮埋葬したとされています。
新撰組局長 近藤勇
1863年幕府浪士隊に採用され、京都守護職配下で新選組を組織。
祇園祭の宵に、倒幕派の志士を制圧した池田屋事件で天下に新撰組を知らしめます。
幕末動乱の京都楽内を会津藩預かりという立場で武装し治安まもります。
禁門の変や鳥羽伏見の戦いを経て、江戸に転戦した戊辰戦争では甲州勝沼の戦いで敗れ、板橋で処刑されます。
その首は京都で何者かによって盗まれている。
早乙女貢さんの墓所もあります。
また、天寧寺には、藩主松平容保が京都守護職にあった際の国家老で、戊辰戦争の責任者となり明治2年に切腹した萱野権兵衛と、その次男郡長正の墓もあります。
天寧寺は、応永28年(1422)、芦名氏の招きによって会津に来た傑堂禅師が、11代芦名盛信の建立により創立した寺。
かつては会津曹洞宗の僧録司で、末寺33カ寺、12の寺院をかぞえました。
後に伊達氏の侵攻にあって焼けたため、芦名氏の菩提寺としての面影は、本堂の礎石にわずかに残るのみです。案内板より
東山温泉の宿は「庄助の湯 瀧の湯」さんです。
本日は、昔自動車競技会にエントリーしていた頃の仲間内の集まりでした。
以前は、レースの事やら車の事、永ちゃんの事、そして商売のことなどなどの話が中心でした。
しかし、近年は皆様いいおっさんになってきましたので、株の話も早々に、いつの間にか歴史の話等に興味が集まてきたみたいで、先にNHKなどで放映していた「戦艦武蔵」や「中島飛行機」そして「石原莞爾」の話に花が咲きました。
また、近藤勇の墓参の話をすると、翌朝に皆さま行かれたみたいでした。
また来年、笑顔でよろしく!
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
| ryuichi | 05:25 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録 |
TOP PAGE △