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塵壺307号 平成29年2月号 「平成版三春怪奇説・佐塚様の老猫」


塵壺平成29年2月号 平成版「三春怪奇説」佐塚様の老猫

2月22日(にゃん・にゃん・にゃん)は猫の日だそうです。
昨今は空前の猫ブーム!ネコノミクスなどと言う言葉も生まれるなど、癒しの存在として猫好きの人が増えているようです。

そのような流れに逆行しますが、三春には「化け猫」の話がいくつか伝わっています。
江戸期のお家騒動絡みの話がほとんどですが、明治以降に作られた話です。

明治維新後、三春町民は、不安な世情と大火や大雨など天変地異から、憶測が憶測を呼び少しずつ物語が作られていったのでしょう。





 三春藩のお家騒動に絡む“化け猫話”に「腹切り梅」の話がよく取りあげられます。
しかし、このお家騒動は、享保年間に発生し、天明の「滋野火事(怪猫騒動)」の大火までは70年。
また、明治の大火での化け猫騒ぎまでは、なんと170年という時間が経過しています。この時間差に因果を求めるのは無理な話ですが、世情不安のなかで人々は不安を抱き、悪役を作りたかったのでしょう。
化け猫伝説は、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。



下記は、その化け猫伝説の一つ「佐塚様の老猫」という古いお話です。
町役場の南、三春町民俗資料館付近は、桜谷と呼ばれています。
あの高台は、旧藩時代の武家屋敷で、佐塚(秋田)様と云われた秋田廣記500石の家老屋敷がありました。
 佐塚家では、犬を二匹飼っていましたが、猫は絶対に飼わないという家でした。
江戸中期元禄の頃、当時は佐塚家には幾年重ねたかわからない老猫が飼われていました。
いつからか、昼間はゴロゴロとして寝姿ばかり見せていましたが、夜になると、どことなく姿が消えるようになりました。

ある年の5月、佐塚秋田家の若党権助が主用で江戸表に行っての帰途、磐城守山(現田村町守山)から赤沼、鷹巣を過ぎ、今の貝山古内集落に入ったのはとっぷりと日も暮れたころでした。
その道端に当時大きなモチの木があって、その繁った枝が道を覆い昼間でも薄暗く気味の悪いところだったといいます。
気のせいか、急に暗さが増したと思ったら、前の方から無数の三毛猫の群れが、こちらの方を向いて押し寄せてくるではないか・・・
驚いた権助は、逃げ場を失い、傍らのモチの木によじ登ります。
よく見ると、猫の群れの中程に、主家の御老母さまが居るではありませんか!
しかも、御老母様は、鋭い爪を立てて権助めがけて迫ってきます。




権助は、とっさに道中脇差を抜いて、老母の左肩を一突きします。
すると、「ギャー~!」と激しい一声を残して、老母も猫の群れも一瞬で跡形もなく姿を消してしまいます。

それから、半刻して桜谷の主家へ帰宅すると、今起こった恐ろしい出来事を主に打ち明けました。
主に今しがた御老母様は「肩が痛む」と言っていたと告げられます。

よく朝、佐塚家の老猫が、姿を現すのを待って戸を開けたところ、老猫は物凄い形相で飛び出し行方をくらましてしまいました。
それからというもの、佐塚様では猫を飼わない家となったと伝わっています。




三春での化け猫伝説をこういう話の集大成ではなかったと想像力を膨らませています。
また、三春では、昔から猫の出し物の演芸が行われないといわれています。




    蒼龍謹白  さすけねえぞい三春!   拝


春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂



| ryuichi | 05:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸「塵壺」 三春昭進堂 |