2017-02-21 Tue
三春町消防団三春分団第六部新屯所落成式
三春分団三春分団第6部(新町消防)の新屯所落成式がありました。
県道の拡幅工事に伴っての移設新築です。
私も第6部出身の元分団長として”むらさき会”名でお招きを受け、喜んで出席してまいりました。
旧屯所は、現役時代16年、そして正副分団長として4年間お世話になった思い出深い消防屯所でした。
三春城下新町では、消防団と別火講中(お祭り)、そして若連(盆太鼓)の3つはワンセットだといわれ、このセオリー通りもれなくこの”フルセット”に加入です。
現役当時、三春の和菓子屋として仕事がら、三春の商人が一年で一番忙しい花見の最盛期に開催されていた、春季検閲式にはほとんど出たことがない不良消防団員でしたが、火災現場出場は三春で一番ではないかと思います。
もっとも、副分団長就任時には私たちの意見をもとに4月から5月に時期が移されました。
災害現場での若いころの失敗した経験をもとに、三春分団内の商工会青年部の先輩でもある他の部諸先輩方から火災防御消火活動の手ほどきを現場で徹底的に叩きこまれました。
組織論を八幡町の洋菓子屋さん、町内火災防御論を大町のお茶屋さん、火災防御のテクニックを中町の役場職員から等々といった具合で、良き先輩に恵まれました。
当時の先輩方は、プロ級の消火隊を形成していました。
厳冬期、真夜中、各種建物火災。
山を越えての一線延長放水。
水利が無く、放水後の戻り水をせき止めての放水。
小川を土のう、シート、はしご、さらには外皮など様々な部材を使っての水利確保。
夜通しの火災現場保持。
一日3回の火災現場出場。
林野火災での、8時から17時までの放水。
水害での2泊3日屯所泊まり込みでの対応。
人探しの12時間徹夜体制対応等々・・・・・。
経験と閃きをもとに様々な工夫をしながらの消火活動。
まさに、多くの旗下団員の方々に支えられました。
そして、現場の有事対応指揮官として、様々な火災現場を体験する中で、人生に必要ないろんなことを学んでまいりました。
部長時の一年間では火災はもとより、水害も含めた有事出動回数が70数回を超えました。
また、分団幹部である正副分団長時の4年間でも有に100回は超えていました。
その中で、現着一番もざらにあり、第6部の指揮者が広域消防も含めた全出場消防隊へ火災防御体制構築の支持を出す・・・・
火災現場に出場途中に様々なことを想定しながら、出場団員の安全確保を最優先に、火災現場へ出場指令を出します。
現着後、水利にポンプ吸水管をブッコミホースを延ばして放水し、火災鎮圧を目指す・・・・たったこれだけの単純なことなんです。
しかし、100の現場があれば100通りのアプローチがあり、水利確保が難しい。
有事の現場に於いて、どれだけ冷静に分析、判断、即決、そして実行できるかが勝負でした。
よくやっていたなあと思います。
また、消防団に入っているから商売が疎かになっては本末転倒です。
商売にも身が入りました。
しかし、私たちのような消防団活動は、当時商工会青年部員が100名を超えていた時代。
そのほとんどが消防団員で、三春分団6部体制(後7部体制)で、平日日中の出動率が最大7割、夜間でも8割出場可能といった、今では考えられないような出動率を誇っていた分団という恵まれたな事情があります。
時代は変わり、消防団に入ったころに生まれた子供が部の幹部となって司会進行、挨拶をつとめ、大勢の来賓を迎えて滞りなく新屯所落成式をこなしている姿に、時を感じると共に新町消防として”町火消マインド”が受け継がれているんだろうなあと安堵した次第です。
ちょっと当店のマスコットも乗車させていただきました!
三春町からの無火災無災害をご祈念申し上げます。
福島民報 民報サロン
「一隅を照らすもの是国宝なり 髙橋龍一」
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
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