2017-03-20 Mon
古蹟漫歩 不動山
不動山。三春城下中心部に位置する小高い石山です。
戦国時代の天正3年、三春城最初の城主田村義顕が、同地に清水寺を建立し、ご本尊の揚栁観世音と不動尊の二像を安置します。
このために、不動山と呼ばれたとされています。
また、奥之院には千手観音を安置したと伝えられています。
仏像は、いずれも木製で室町中期の作と推定されています。
清水寺は、戦国の田村家から松下家、そして江戸期の秋田家と歴代三春城主が信仰するところとなり、江戸期の記録を見れば三春秋田家三代藩主秋田輝季候は、石高八斗七升九合を寺領として寄進しています。
尚、安永九年、火災によって焼失しますが、同年中には再建されています。
明治二年、神仏分離、廃仏毀釈により廃寺となりますが、同年7月2日の夜、盗賊が押し入り観音堂の扉が破られ、仏像はことごとく持ち去られ、以来行方が分からなくなっています。
後に清水寺は三春城下大町の回春堂橋元柳平氏が、その荒廃を見かねて不動山から芹ケ沢公園に移築して、田村三十三観音の一番札所「無量庵清水寺」址として現存しています。
かつては、田村三十三観音の第17番札所として、庶民の信仰を集めていた清水寺の山内も、今は山頂の畑地と後免町の上がり口階段に、往年の姿を偲ぶだけとなっていましたが、差不動山散策路が整備され、途中には石板供養塔の欠片らしき石などが半分顔をのぞかせていたり、散策を楽しめるようになっています。
不動山西側の麓には、戦前まで、うなぎ料理で有名だった「たま川」(佐々木氏)の建物がありました。
あの敷地は、戦国時代末の天正18年から寛永四年までの四十年間は、会津蒲生、会津上杉、二本松加藤と三春を兼領した歴代の代官所が置かれていた場所です。
江戸期には、旗本秋田氏の代官所となっています。
昭和30年代の広報三春内コラム参照
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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