2017-11-19 Sun
実業之日本社発刊、八木澤高明著「色街遺産を歩く 消えた遊廓・赤線・青線・基地の町」
が届きました。
タイトルから察しられる通り、日本全国に分布現存している色街の遺産を紹介した本となっています。
三春城下にも、かつて本書に取り上げられるような色街である庚申坂、そして弓町新地がありました。
今回、本書にある三春弓町新地の資料を提供したということで見本誌として送付いただいたものです。
三春庚申坂・弓町新地「遊郭跡」
三春昭進堂の向かい側の道を入ったところが弓町です、この一番奥が「新地」とも「新庚申坂」とも呼ばれた、遊里遊郭跡があります。
旧岩城街道は、「岩代の国」と「磐城の国」を結び、「磐城の国三春」から江戸に向かう重要な街道で、江戸期参勤交代にもこの道は使われました。
新町の坂を上りきって、化粧坂にかかる手前の井戸の上に、地蔵様がまつられ、その傍らに数基の庚申塚が建ち並んでいます。
その左手の坂が古庚申坂で、三春六入り口の一つ「岩城口」と称されていました。
花屋楼
「奥州三春に 庚申坂なけりゃ 旅の馬喰も 金のこす」と三春甚句にも謡われた庚申坂には、江戸時代後期より遊郭があって、明治二十八年五月に新町小字弓町に移転するまでこの地で繁盛していました。
弓町の遊郭は新開地の遊里ということで、「新地」と呼ばれましたが、世に知られた伝統的庚申坂の名は捨てきれず、「三春庚申坂」の名で呼ばれ、町の人々は、元の庚申坂を「古庚申坂」、弓町を「新庚申坂」と区別していました。
島屋楼
「新庚申坂・弓町新地」の遊里には、花楼・島楼・二葉楼・島村楼・宮城楼と五軒(後に宮城楼廃業の為四軒)の遊郭がありました。
その他、仕出し屋の「しんこや」や、一番奥には病院と呼ばれた娼妓の為の定期診療所があり、検診のため医師が週に一度福島から定期検診に来ていました。
双葉楼
妓楼の前の広場を「馬つなぎ」といい、ここで遊里だけの盆踊りも行なわれていたといいます。
新庚申坂が最も繁盛したのが、大正のはじめ頃、三春産馬の需要が最盛期を迎えた頃で、馬競市場の近くということで田村郡はもとより、県外からもお客さんが集まって来て、大変な賑わいだったと言います。
島村楼
太平洋戦争敗戦後の昭和二十一年一月の「公娼廃止に関する連合軍総司令部の覚書」によって公娼制度は廃止され、昭和三十一年「売春防止法」が公布され、「三春庚申坂・弓町新地」の長い歴史に幕を閉じました。
現在は妓楼の建造物四軒が、当時の面影だけを伝えています。
蒼龍謹白・・・・・・・合掌
送り状にもありますが、昨今は若い世代、とくに女性の方々には、色街という響きに「歴史好きな中高年」とはまったく違った視点で魅力を見出している方が多くいるみたいで、各地を訪問する方も多いと聞き及んでいます。
この手あぶりは弓町新地の遊郭にあったものです。
本書は、著者である八木澤高明さんの情感あふれる写真とともに、八木澤さんが実際に訪ね、集めたエピソードで構成しており、そんな方々の“道しるべ”となれると思っております。
色街とは、人間の欲望だけではなく政治や経済とも密接に結びつき形成され、
間違いなく日本の歴史の一部であった。
ただひとつ言えるのは、色街は常に移り変わるものであり、かつて存在した色街は、もう二度と同じ形で息を吹き返さないということだ
「はじめに」より
春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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