2018-02-06 Tue
「三春張り子人形」が店内にお目見えしました。
天狗谷の母と慕う橋本和子さんから旧三春農協の組合長だった故古川悟朗氏のコレクションをお借りしてきたものです。
生前、悟朗さんが収集した故小沢太郎氏の作品です。
ある雑誌に、当店が紹介された折に「店内で三春張り子がお出迎えしている・・・・」と記載されていました。
この記事を見て、他の市町村かららお越しくださるお客様目線で観れば、三春にちなんだもので飾りなどの調度品で統一された店内の方がより三春らしさの演出になるのではないかと考えました。
早速、天狗谷の妹に連絡をして悟郎さんの三春張子人形のコレクション拝借を打診してみました。
実は、このコレクションの存在は子供のころより知っていました。
田村大元神社夏季祭礼神輿渡御での御輿掛けになっていた古川家ですので、三匹獅子や長獅子・祭典掛りなどで、訪れる際に応接間で拝見していた品々です。
その悟朗さんの娘である”天狗谷の母”こと和ちゃんから 「いっぱいあるから季節ごと位に交換して飾ったら?」と快く貸し出していただきました。
やはり頼りになる天狗谷の母です。
何でも困ったことがあると相談できる、わがままも言える頼もしい本当の母のような和ちゃん。
多分、私と天狗谷を知る人の何割かの方々は、本当の母親だと思っている方も少なくありません。
何せ、天狗谷の名字は橋本なので、旧知の方でも私の事を「橋本君」と真顔で呼ぶくらいですから・・・・
悟朗氏コレクションの三春張子人形は、見れば見るほど、素朴さの中にも華麗さがある、北国の小さな城下町春陽郷三春の郷土玩具です。
三春張子人形は、江戸時代、三春藩領だった高柴村(現在の福島県郡山市西田町高柴)で作られはじめました。
江戸時代後期の正徳・享保年間 (1711~36) 以前は、“デク”、“デコ”と称する張り子玩具を作るのに、三春7代藩主秋田倩季公が、江戸から人形師を招いて「でこ屋敷」を与え、参勤交代の折りに歌舞伎や伝説上の主人公の人形を参考に、農民に技法を教えさせたと伝わっています。
現在は、三春だるまや各種のお面、恵比寿様、大黒様、そして、干支の縁起物をはじめ、雛人形や歌舞伎・浮世絵に題材をとる人形まで多くの種類があります。
人形が成立した時期などについて、正確なところはわかっていませんが、江戸時代、文化・文政のころに最盛期を迎え、その当時、非常に優れた人形が作られていたことがわかっています。
三春張子人形制作は、明治期に一時衰退していました。
それは、人形に使用される染料に制限が加えられたりしたことにより衰えはじめ、ダルマなどがわずかに制作されるまでになっていました。
これを復興させたのが、大東亜戦争後の民藝ブームの中、大阪のコレクターである本出保治郎氏に力づけられた高柴の橋本広吉さんをはじめとするデコ屋敷の方々と、小沢民芸初代で故小沢太郎氏でした。
春らしい五体の三春張り子人形です。
店内の飾り棚に配しますので、ご自由にご覧ください。
また、季節ごとに作品を入れ替えしながら古川コレクションをお楽しみいただけます。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 09:34 | comments (x) | trackback (x) | 🌸猪苗代磐梯造園 親方の教え |
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