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塵壺326号 三春城下のお葬式 監修 株式会社菊川屋 内藤忠 平成30年9月発行





       三春城下のお葬式        

監修 株式会社菊川屋 内藤忠 

 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。 死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難から逃れる妙法にて候」

越後の禅僧良寛和尚が友人へ出した見舞の一文です。

 「人として生まれたからには四苦八苦からは逃れることはできず、目をそむけず、あるがままに受け止め、その時々に自分が為すべきことをただ精一杯に為す」という禅の教えだと解していますが、近親者など親しい人の葬儀や法事なども為すべきことであり、その送り方で自身の生き方を見つめ直す機会になっているようにも感じています。


 三春城下でのお葬式は隣組で取り仕切り、葬儀の日程は遺族と隣組長が相談して「友引」と「寅の日」「三隣亡」を避けて、お寺さんや火葬場の都合と照らし合わせて決定します。

 「友引」は友をあの世に一緒に連れて行くとされ、「寅の日」は「寅は千里行って千里帰る」と言われたことから死者が成仏できずに帰って来るとされています。

また、三隣亡(さんりんぼう)凶日として「この日に事を行うと3軒隣まで亡ぼす」という各種行事が避けられていました。

 お葬式ができると、故人の近しい方々や、字内の方々などに葬儀の日取りを知らせる為、 「告げ人」と呼ばれる方々が葬儀の知らせ配りをします。

 「告げ人」は昼間に必ず二人一組(一人は立会人)で歩き、死霊への恐れから決して後ろを振り向かず、尚かつ寄り道をしないと云う慣習が残っています。

お葬式を「ザザンボ」と云うのは、忌・隠語なのでしょう、埋葬・野辺送りの葬列時の先頭にたつ妙鉢の音(ジャン~ジャン~ボー)からの造語からきていると考えられています。






また、三春城下ならではの風習として「差重(さしょうもり)」と称される知らせがあります。

差重とは、その家や故人と特に親しかった方々へのお知らせで差重を受けた人はすぐに駆け付け葬儀の手伝いをします。

本来、差重とは「病い差し重り、お知らせ申し上げます」という意味で、危篤の人を見守るということから差重と呼ぶと伝わっています。     

納棺は、棺の中にサラシの蒲団を敷き、着せる着物は白いサラシの行衣(ぎょうい)で、近親者や近所の女の人たちが手縫いしていました。
この時ハサミや物差しを使わず、サラシを目分量で測り、手で裂いて裁ちます。そして、返し針をしないで玉結びをつけない白い木綿糸で縫い上げます。

これらは、日常忌まれている行為で、行衣は、たたまずに死者に着せることから、日常の生活では「洗濯したものは、一度もたたまずに手を通してはならない。必ず一度はたたむように」と忌を嫌ったと云われています。





仏教思想の浸透から、死は十萬億土への旅立ちだと考えられていて、手甲、脚絆に草鞋(わらじ)女には草履を履かせ、頭陀袋を首からかけます。

頭陀袋には穴あきの六文銭を入れていました。現在では六文銭と紙に書いて入れていますが、本来六文銭とは「死者の小遣い」とも、「三途の川の渡し賃」だとも云われています。

 額には、白いサラシを三角状にして鉢巻きのようにしてつけます。

棺には故人が生前好んだもの、女の場合は櫛や化粧道具など、男の場合は筆やお茶などをいれます。

また、死者の手には数珠を持たせ、脇には金剛杖をおき、死者が動いたりしないように籾殻を詰めた紙袋を入れていました。
 

棺の蓋を閉めるのは出棺前に行い“これから閉める”という触れを出して六尺役の人々か、近親者が小石で釘を打っていました。
小石で打つのは、小石は三途の川の石を意味していて、三途の川を無事に渡れるようにとの思いを込め行うものです。

 出棺は、縁側から送り出し、二度と帰れないという意味を込めて故人の茶碗を割ります。

六尺(ろくしゃく)とは陸尺とも書かれ、その昔、縦棺(座棺)の幅が二尺、深さ四尺の樽で併せて六尺から来ている説と、土葬の深さが六尺だったからと言う説が残りますが、本来は力車(りきしゃ)からの訛りで、故人の棺輿を担ぐ者という意味からだとされています。
古くは、棺に蓋をしてから、きれいな模様の入った布で棺巻きをしていました。

この棺巻きで使った布は埋葬のお礼として六尺の方々に配られたと云います。




竹などを弓状に曲げて作った「仮門(かりもん)」を玄関の脇に用意し、出棺の際、棺や葬列をくぐらせる風習が残っています。
これには死霊との別離を確実にするといった意味が込められており、出棺後にはすぐに壊します。

こうすることで、もし死者が戻ろうとしても、この世とあの世の境になる門がないので、この世に帰って来られないと考えられています。
また、農村部などでは、「仮門」を燃やす「門火(かどび)」を焚く地域もあります。

「門火」をたくことで、故人が迷うことなくあの世へ行けるようにという思いが込められているそうです。


三日七日法要後のお斎、所謂 精進落としとも精進上げともいわれています。

三春城下では、三日七日用の引出物を別に用意してあり、御膳には刺身や肉などの生臭ものも解禁となります。

この時、『お開まんじゅう』と「三角油揚げ」が用意されます。

三春城下には寺社が多くある関係から精進料理と結びつく饅頭屋と豆腐屋が多くあり、その名残とも考えられています。




忌む(いむ)「忌」というのは、「きらい避ける」「遠ざける」という意味があります。

喪中も忌中も故人を追悼し身を慎む期間とされています。
これは親族に不幸があったことで元気がなくなり「気枯れた状態」なので外の人たちと接触しないで慎みなさいという強制の意味を持ったものが「忌」なのです。





三春町史参照  
                蒼龍謹白  さすけねぇぞい三春! 拝



塵壺326号に追記


| ryuichi | 04:13 | comments (x) | trackback (x) | 「塵壺」 三春昭進堂 |