2019-03-07 Thu
新日本プロレス『旗揚げ記念シリーズ 2019』 郡山大会
1972年3月6日に大田区体育館で旗揚げ戦を行った新日本プロレス。
設立47年目を迎える2019年も『旗揚げ記念日』として『旗揚げ記念シリーズ』が開催され、先の3月4日(月) 郡山・ビックパレットふくしま大会に参戦してきました!
三春昭進堂用人相川氏と、用人で郡山市安積町でウェルネス安積整体院の院長大津氏を伴っての観戦です。
会場には、2000名近くのプロレスファンが詰めかけ、熱気に包まれています。
やはり、今どきのプロレスです。
若い女性や、子供さんが多くみられます。
プロレスとみていると、他界した祖母も大のプロレス好きで、40年数年前に郡山にプロレスを見に行った時のことを思い出します。
場所は、元ボウリング場だった郡山セントラルホールです。
当時の全日本プロレスだったかと思います。
どうも、ジャイアント馬場さんのファンだったらしく、プロレスが始まるとテレビの真ん前に陣取って大声で応援していました。
外国人レスラーに栓抜きなどの凶器を使って攻撃され、いつもいつもやられながら、最後は正攻法で勝利するというお決まりのパターンです。
馬場さんがやられるたびに祖母は・・・
「バカ馬場、避けろ~」「バカ馬場、負けるな~」と「バカ馬場」と叫んでいました。
最後には興奮しているんでしょう「バカ馬場」「が「馬場・馬場」そして「ババババ」「ババババ」と連呼が始まっていました。
そして、プロレス観戦当日を迎え、家にあったビール会社からもらった大きめの栓抜きをもって出かけようとします。
「その栓抜きはどうするん?」と聞くと
祖母は「いつも馬場が、外国選手の凶器(栓抜き)攻撃でやらっちばっかりだから、この栓抜きを渡すんだ~」と言い残し意気揚々と出かけていきました。
私も友人と同じ会場に臨場していましたが、栓抜きを手にして本気でリングに熱い視線を送る祖母のそわそわした姿が今でも忘れられません。
結局その栓抜きは渡せるはずもなく、晩年までそのことが悔しかったらしく、時折話の中に出てきておりました。
私たちは私たちで、花道で試合終了後の毛羽立った外国選手の肩をたたいたり、出血した額にタオル終わてたりしに何度もチャレンジしていましたが、いつも撃退され外国人レスラーや若手選手にボコボコにされていました…
それはそれでいい思い出です!
時代を超えたプロレス観戦! 最高です!
今回も当家長男坊とその友人、そして、次世代のプロレス会場係アルバイトを担う三春城下荒町の伊藤肉店三男坊とその友人の7名で会場係を務めました。
それぞれに楽しんだようです。
今回は伊藤肉店専務夫婦もプロレス観戦の後に臨場。
そして、郡山市神明町にあるつけ麺や自家製麺工藤の大将夫妻もお見えです!
新日本プロレス・Tさん・青葉企画・息子・アルバイト・ひら山・伊藤肉店・相川・大津・・・
一瞬と呼ぶべき短い人生の中で、様々な深いご縁あって、今生、、互いに巡り会い、そして、一つの時を共に一堂に会して酒宴を共にする。
たくさんの方々とのご縁をいただき、楽しい時間を過ごさせていただいたことを大変嬉しくありがたいことだと思っております。
その中で、全国1000万のプロレスファンから絶大なる人気で支持されているT選手。
当日郡山入りして、試合直後で疲れているのにもかかわらず 、疲れを微塵も見せず、同席させていただいた私たちのサインや写真撮影に笑顔で気さくに応じてくれました。
また、体つくり・筋肉の話、ファッションの話、同席できなかった方々への配慮など、気配りの中で様々なお話を聞かせてくれました。
ありがとうございます。
2000年代半ば、危機的な状況にあった新日本プロレス。
あらゆる遠征地に先乗りし地方局の番組にこまめに出演するなど、長年にわたる地道なプロモーション活動など総合格闘技とは異なるプロレスの魅力をアピールして、新しいファンを呼び込もうと頑張ってこられました。
先代の残した“負の遺産”に苦しみ、倒産寸前だった新日を支え抜き、不屈の精神と努力で奇跡の復活へ導き団体を改革して経営不振から、今の地位まで押し上げてこれた理由がわかりました。
実際お会いすると、こんなに爽やかな偉丈夫がいるのか?というくらいの好男子!
老若男女を問わずトリコになるわけです
”自信がないから頑張れる。 失敗するから成功できる。”
まさに“Tという「新日の太陽」は決して沈まない”です。
本当にありがとうございました。
本当にご縁の中で生かされていることを実感いたしています。
とりあえず買ってみました!
春陽郷三春城下 御菓子司三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 05:06 | comments (x) | trackback (x) | 🌸物見遊山諸国見聞録::エンターテイメント |
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