2020-02-07 Fri
三春藩主秋田家祈願所「日乗山真照寺」初寅祭典 2020
江戸期の三春五万石藩主秋田家の祈願所である日乗山真照寺で「初寅祭典」が開催されました。
本年の初寅の日が2月5日となっています。
この日が、今年初めての“寅の日”と云うことで、この日を初寅祭典となり、“寅の日”は「毘沙門天(多門天)」の縁日とされています。
当三春昭進堂髙橋家は、先々代の祖父より門前の信徒として初寅祭の世話人を務めておりました。
先代である父、そして、私と三春昭進堂の当主としてその世話人の職責を引き継いだ次第で、初寅祭に出頭いたしました。
毘沙門天は四天王の一人で、北方を護る神様で東北の守り神とされ、商売繁盛・家内安全・長寿・勝運など様々な御利益がある神様です。
この日に真照寺の毘沙門天に参拝すると、毘沙門天の無量の大福を授かることができるとされており、毎年初寅講中の各地区世話人の方々を中心に多くの檀信徒の皆様が多く参詣されています。
初寅とは、12日ごとに来る「寅の日」のその年の最初に来る日を「初寅」といって、虎(寅)は「千里を行って千里を帰る」特別な力を持つとされ、吉日の中でも最も金運に
縁がある日として、「金運招来日」ともいわれていると伝えられています。
特に、今年最初の寅に日である“初寅”は毘沙門天とご縁が結びやすいと言われています。
真照寺山内の古四王堂内にあった毘沙門天尊は、身にまとった甲冑は守護神であることを意味し、左手の宝塔は仏教の教えを、右手には宝物を出す如意宝棒(にょいほうぼう)を持ちます。
この毘沙門天は、「福徳毘沙門天(ふくとくびしゃもんてん)」と云われ“福徳”を司る神様で、七難を避け七福を与える北方の守護神で闘神としても厚く信仰されています。
上杉謙信も、毘沙門天を信仰していました。
戦いの際に使っていた旗印は刀八毘沙門の「毘」一文字の旗は「戦の加護と勝利」を、そして、懸かり乱れ龍の「龍」一文字の旗は敵に総攻撃を仕掛ける時に本陣に立てられました。
尚、「龍」の文字は不動明王を表しているそうです。
この日は、古四王堂を模した本堂内の安置場所から、本堂中心の須弥壇に安置されます。
法要では、三春城下清水の天澤寺新保住職、そして、須賀川白山寺松木住職を副僧に迎えて、商売繁盛、家内安全等々の諸願成就の護摩焚き御祈祷があり、梵天にて参列者をお祓いしてもらいます。
このとき梵天を授けていただき(手で引っこ抜く)、お守りとします。
そして、直会。
古四堂内の須弥壇には、大日如来像と四天王・東の持国天,南の増長天,西の広目天,北の多聞天 (→毘沙門天 ) がありました。
大日如来像は、現在はありません。
他の四天王は本堂内に保管されています。
古四王堂は、鎌倉期から戦国末期にかけて「日ノ本将軍」「蝦夷探題」として青森から蝦夷にかけて覇を唱えた海将阿倍安東氏の直系三春藩主秋田氏が、三春国替えの際に祈願寺真照寺とともに建立したものです。
本拠地である青森十三湊時代は、出羽柵(後に秋田城)に近く、城の守りとして創建されたと見られる四天王寺と習合し、中世を通じて古四王大権現として崇敬されていました。
今年は檀家役員の手代木さんが明治37年に作成された真照寺絵図の模写を奉納されました。
現在はないお堂や石碑などが描かれており往年のお姿に檀家の皆様も感心しておられました。
2月3日の節分会、そして初寅祭、お寺の行事ということで先に52歳の若さで旅立った仲間・若松屋若旦那を偲び、そのご冥福を祈りながらお手伝いさせていただきました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
春陽郷三春城下御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 05:31 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春藩主秋田家祈願所 真照寺::節分会・初寅会 |
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