CALENDAR
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
<<  2020 - 10  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春城下中町、愛宕社(現愛宕神社)別当庚申跡の地蔵改修供養



三春城下中町、愛宕社(現愛宕神社)別当庚申跡の地蔵改修供養


中町の愛宕神社山内への参道中腹左にある旧中町児童公園跡の朽ち果てた姿のお地蔵さまの補修が、有志の方々いよって行われました。






中町鎮守の愛宕神社は、明治維新前は三春城下の火伏の神様である愛宕権現(愛宕将軍地蔵)を祀った愛宕社です。


その祭事を司る塔頭である修験の庚申、大光寺、西福寺が愛宕社が愛宕山にはありました。






愛宕社山内への参道階段の中腹にある旧中町児童公園は、他中の一つ庚申(大光寺?)があった場所です。



補修完了後、皆で線香をあげて供養いたしました。







明治維新後の廃仏毀釈の際に落とされたお地蔵さんの頭が、150年ぶりに付きました。







そのあとは、直会です。


会場は、お地蔵様のある庚申跡の敷地内にある中町若連の太鼓練習場です。







外には御城山を望み城下を一望しながら供養のお酒を一献!







さわやかな、済んだ秋空のを望みながら親しい方々と酌み交わす般若湯はさいこうです!








ソーシャルディスタンスをキープしながら、各々様々な話で大いに盛り上がり・・・・



〆は中町らしく「中町山車太鼓」








三春城下に馬鹿囃子が響き渡ります。



戦国末期の慶長十八年(1613年)、時の三春城主、会津城主蒲生氏郷の三春城代蒲生郷治は、三春鎮護と火伏せ当を祈念して、京都嵯峨野にある総社の阿多古神社から火の神様とされる「迦具槌命」と戦勝の神「将軍地蔵尊」を分霊して、京に習い三春城から西方の現在地に愛宕山地蔵堂「愛宕堂」を建立して祀りました。

それ以後、愛宕堂は塔頭である庚申や西福寺・大光寺には代々法印が居住してご祭神を守護してきました。


本殿は、神仏習合の名残から奥の院と称され、勧請時のご本尊「愛宕将軍地蔵」が納められています。







秘仏とされ二重の桐の木箱に納められていますが、箱書きには「愛宕山 本地秘仏 国家安穏 将軍地蔵尊」と記されてあり、古来より「将軍地蔵尊」を念ずれば競争に打ち勝ち、或は貧虚から免ぜられるといわれ、三春城下の人々の信仰を集めてきました。

明治維新後には、この勝軍地蔵尊像は、新町の真照寺に納められましたが、勧請の時とみられる勝軍地蔵尊の小像が現愛宕神社に残されています。








もう一つの塔頭愛宕社(現愛宕神社)別当西福寺跡にある西福寺第三のお地蔵様







愛宕神社から一段下の南東面、参道中腹右側に位置する平場に堂字がありました。


宗派は真言宗、 愛宕社の別当寺院であったと言われていますので、愛宕社成立と共に建立されたと思われます。






江戸時代後期に無住寺となりました。近年まで山裾には墓地が残っていましたが、現在は本堂も残されておらず、「西福寺第三」の銘がある地蔵一体が残るのみです。


また、旧山内の土手の斜面に石仏の残欠が残っていたとも伝わっています。

六地蔵があったことが推定されますが、近年の急傾斜地の整備と共に姿を消しました。





三春城下清水 天狗谷


三春城下清水の天澤寺参道西側の地区を”天狗谷”とよんでいますが、正式な地名ではありません。

元々修験の行者が管理する愛宕将軍地蔵尊を祀ったお堂があった場所とされています。

約350年前、江戸期の三春城主秋田家が宍戸より三春へ移封の際に、愛宕地蔵堂を城下中町へ移築し、秋田より移設した古四王堂(後に真照寺境内へ移築)の御借屋があった場所でした。




春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:44 | comments (x) | trackback (x) | 三春城下中町::愛宕神社 |