CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2024 - 03  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




三春昭進堂に巨大な「三春駒」がやって来た!




三春昭進堂に巨大な「三春駒」がやって来た!

酣たけなわプロジェクト「地酒三春駒どら焼き」発売を記念して巨大な三春駒を製作し、店内の配しました!

もちろん政策は城下新町の根本看板店専務です。






子供さんなら乗用も可能ですが、昨今のコロナの影響もかんがみて周囲での写真撮影にしてください。

当三春昭進堂は、旧三春家畜組合セリ市場に隣接する当店にはもってこいのオブジェです。







インスタ映え間違いなし(^^)





春の晴れた日には店頭に出馬します〜







「三春駒」と称される木馬は「高柴村製子育て木馬」と呼んでいました。

江戸時代に書かれた書物には、一切「三春駒」という名は使われていません。

「三春駒」というのは、三春産の馬、つまり本物の三春馬につけた名前とされています。

高柴村でつくられていた「子育木馬」がいつの間にか「三春駒」と呼ばれるようになったと伝えられています。








高柴村製「子育木馬」

三春町を去る約一里、高野村大字高柴にて彫木の馬を作る、之を子育馬といふ。其形態を見るに三寸、四寸、五寸及一寸内外のものとの四種あり。
何れも粗製なれども編幹、四肢能く其度に適ひ、素朴なる真に愛すべく、曾て第四回内国勧業博覧会に出品せしが大に好評を博し、益々人の愛翫する所となれりといふ。
今其製作の元祖たる橋本鶴吉氏の所持する木馬伝来記を見れば左の如し。

夫奥州三春城外高柴村にて製出す木馬は、延暦士四年乙亥年坂上田村麿大滝山(大滝根山のこと)の石窟に住める大多鬼丸といひる夷賊を征し給ふ時、帰依僧延鎮(京都清水寺の開祖)五体の仏像を造り余る材にて鞍馬百疋を刻み贈られしを、将軍鎧櫃に蔵め下向し給ふ。





己に挑戦に及び官兵遠路 に疲れ煩ひしが、何ぞ図らん鞍馬陣営に走り入りしを幸に兵士に賜ひ、之れに乗らしめ大滝山に政登り、意に賊将大多鬼丸を亡ぼし、凱旋の後鞍馬は行方知れずなりぬ。

然るに明日一疋の木馬悉く汗して高柴村に在りしを、軍人杵阿禰といふ者拾ひ、延鎮の作なる百定の一なる由を伝へ聞き、自から九十九を作り補ひ置きしに三年の後、其拾ひし木馬一馬は行方知れずなり、唯九十九のみ有りしを杵阿が子孫之を模作し、里児村童に与ふるに、之を弄ぶもの一人として健かに成長せざるはなく、又子なき家にも之に日に三粒つとの大豆を飼ひば必ず子を得。
殊に這窟、擁疹を軽くすとて何人か「子育木馬」と呼びなせしかば、貴家高堂にも専ら愛し給ふことはなりぬ。
と其聞き伝ふるところなり





附言
三春城外八十余村今名馬を多く出せるも斯かる因縁ある故にや。
又高枝馬村と書せるものあるは恐らく好事家の文字を漫りに索強せしものならんか、其確かなるを知らず

蟠松園 主人

此の子育馬高柴村農夫三家の作に限る。只素朴を旨として時の新工を加へず、然るに何時の頃よりか弘く世に之を知りて便につけてそ求むるもの多し、よりて此素朴の製を見且つ其由来をのべて愈々公にす。







三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:19 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春昭進堂菓匠蒼龍  |