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旧根本村にある「笠石八幡宮」 コロナウイルス感染の終息と商売繁盛祈願の参詣




桜が開花して三春城下に春が訪れました。

時間を見て三春昭進堂の創業者でもある「おたりさん」の出身地である旧根本村にある「笠石八幡宮」へ、例年の行事として境内の掃除を兼ねてコロナウイルス感染の終息と商売繁盛祈願のために参詣いたしました。

勿論、コロナウイルスの終息祈願でもあります。





門前にある「笠石馬頭観音の紅枝垂れ桜」や染井吉野の大木はまだ咲き始めといった具合です。

いつ行っても、心身を洗い流すような、爽やかな風が通り抜け、とても居心地の良い気持ちのいい場所です。

きっと、頑張って商いをしている私たちを”おたりさん”が褒めてくれているんでしょう。






笠石八幡宮

三春城下から瀧桜を超えてる天領柳橋への街道から駒枝に抜ける途中の集落沿いにあります。

道路沿いに、木の鳥居があり、うっそうとした杉木立に覆われた境内には、本殿を取り囲むように巨岩が累々と積み重なっています。

小さな社殿の横から上方に掛けて、数体の岩が顔を出し、最上部に巨石が鎮座しています。

昔、八幡太郎源義家が安倍一族討伐の時、根本村に立ち寄ったところちょうど村では麻疹が大流行で村人たちは大変困っていた。

これを聞いた義家は、「それは大変だ。その悪魔を征伐してやる」と、笠石八幡の場所より南西の天目がけ、馬上より鋼弓に一矢をつがえて射放した。

麻疹の悪魔もその威勢に恐れて退散したのか、重い麻疹も急に快復した。

今も射放した場所には、馬蹄の跡が石についており、放たれた矢は、遠く堀越村の井堀に落下して井戸となったという。
この間を「一矢間(ひとやま)」と伝えられている。

笠石八幡の祠に至る前に、二つに割れた石の胎内くぐりがあって、笠石と呼ばれる巨大な石が載っているところから、笠石八幡と呼んでいたという。






当三春昭進堂の創始者おたりばあさんの亭主は、民四郎と云います。

込木は柳作の本家から苗字とこの場所を頂いて分家しました。

子供の時分より講釈と物書きが大の得意で、畜産組合の書記・庶務や、目の前にある庚申坂新地の遊廓でも、会計や伝票書きの仕事を手伝う傍ら、酒席が大好きらしく、座敷に入っては太鼓持ちをやっていたと聞き及んでいます。

また、民四郎さんは、政治や時事論が好きで、昼間から客と論じあっていたようです。

その間、おたりばあさんはせっせと饅頭や豆腐等で商いをして、10人の子供を育て上げました。

お世辞にも可愛いとか綺麗という賛辞の語は見当たりませんが、苦労が顔に滲みこの人に人生ありの素敵な尊顔です。






三春っ子の私は、やはり春が大好きです。

もちろん、仕事が忙しくて、面白くて仕方がないというのもあります。

また、寒い冬を越す新春を愛でるという日本人的な感性ということもあろうかと思います。

日暮前の少しの時間に、散歩を兼ねてお城山や寺社のゴミ拾いに出かけます。


気晴らしと運動不足解消です。
これがまた楽しいんです😊

春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍


| ryuichi | 04:34 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯::季節のお菓子  |