2021-04-26 Mon
双六山城 門澤 田村四十八舘
七郷村大字門澤にありました。
平貞盛七代の孫である安俊が、源頼朝に仕え、後に門澤○季を称し、奥州門澤深山御座城に居住し、安種に至ります。
時代は下がって、永禄年間に三春城主田村清顕に属し橋本城に移り、其の子満定門澤六郎と称し双六山城に居住します。
天正十七年、岩城城主岩城常隆が大軍を率いて田村領に攻め込みます。
この際に、伊達政宗の援兵茂庭定直と共に奮戦して戦死します。
墓所は、門澤常洛寺(現常楽寺)に在ります。
尚、茂庭定直の墓所は門澤宇堂山飛龍寺にあります。
茂庭定直は、伊達政宗より三春田村の援軍として加勢し、門澤城を守備しますが岩城勢と激戦の上天正十七年に戦死します。
門澤城攻防戦
天正17年5月27日、 岩城常隆は小野に布陣して門沢を攻めます。
従う勢は竹貫三河守重元・同越後守 同大蔵少輔・ 好間土佐守・白土摂津守・植田但馬守 舟尾右兵術将以下3千余。
27日から門沢城に弓鉄砲を射掛け攻防が始まりました。
門沢勢は、伊達家中の中島右衛門宗意 大町宮内少幡守ら千余人の加勢を受けて善戦しましたが、数に勝る岩城勢に押され町郭を焼かれ、門沢城の外構えを破られます。
門澤勢が、三の丸を固めた中島右衛門尉以下 20余騎は討たれ、 大町 宮野内らは三春に退却します。
この門澤城の攻防戦で田村方は城主以下 400人が討たれ、 岩城勢も 100余人を失います。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
TOP PAGE △