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三春人形を店内に配しました。




三春人形を店内に配しました。


これは、おたりまんじゅうの味噌でお世話になっている城下北町の中屋さんから借り受けた張り子の「三春人形」たちです。






ひな人形、踊り人形、唐人人形・・・







上方の影響を受けた上品な張り子の人形です。






とりあえず、一部ですが所狭しと並べてみました。







中屋の先代のコレクションです。



三春人形は、江戸時代、三春藩領だった高柴村(現在の福島県郡山市西田町高柴)の住人、戦国大名三春田村氏の宿老橋本刑部少輔顕徳の末裔となる方々によって作られはじめました。

この里を「ダルマ屋敷」「デコ屋敷」と呼ばれています。








高柴の人形師が三春の藩主秋田公の庇護を受けた事は、口碑や、僅かに遺る古文書に徴して疑う余地のないことではあるが、藩主と人形師との間にどのような形で、どの程度の関係があったかは、詳細には解らない。


会津藩における「赤べこ」、米沢藩における「笹野彫」などのように下級武士の内職として発達したというような様子はまったくないが、口碑によると人形師は三人扶持を給され、城下神社の鳥居内の店張りを特に許されるなどの特典を与えられていたようである。

しかし、人形師の身分については士農工商のいずれにも属さぬ、特殊な存在として取扱われたのではないかと思われる節がある。






恵比寿様、天神様、歌舞伎・助六、子供







さまざまなモチーフの張り子たち・・・








今にも踊りだしそうな躍動感が凄く良いんです!


俺らの張り子人形は三春の宝だと思います。







ご来店の際にはごゆっくりとご鑑賞いただければ幸いです。







時節によって入れ替えをしてお客様に楽しんでいただこうと考えています。






明治維新後、文明開化のあおりを受けて、人形に使用される染料に制限が加えられたりした。


これによりでこ屋敷の張り子や三春駒(木駒)の需要衰退と共に製作・販売も衰えはじめ、ダルマなどがわずかに制作されるまで衰退していましたが、昭和30年代の柳宗悦らの推奨する「民藝運動」の影響を受けた大阪のコレクターである本出保治郎氏に力づけられた高柴の人々と、故小沢太郎氏が、これを復興させた現在に伝わっています。






日本の文化的遺産の中で郷土玩具は見落してならないものの一つである。かつて玩具を豊富に持っていた国が概ね勃興し、乏しかった国が衰亡している事実から見ても、世界有数の郷玩国日本を改めて見直さなくてはならないのである。

かつて敗戦虚脱の 状態の中にあった時、私は この事実を挙げて、日本が敗北して再び起ち上れないような錯覚に陥ってはならない、という事をラジオで放送した事がある。

金くかつての日本の郷玩は質量共に溢れていたが、その中でも特筆したいのがこの三春人形である。

三春駒の名は知る人が多いのだが、張子の方は存外に知られていない。

これ等の名作は概ね過去の遺産だからである。







張子は型に貼って抜く関係から造型的には極度に単純化され、動きは殆んどなくて安定感だけが強調される気味がある。

達磨などがその代表的なものである。

ところが三春人形だけはこの制約にとらわれる事なく自由にのびのびと優雅な肢体に美しい律動を描き出している点で一寸張子の仲間に類例のない個性をもっている。







そしてその平和な円みと適度の甘さとが人を魅了せずにはおかないのである。

こうした世にも美しい作品を所有する事はもとより、見る事さえも覚束なくなった現在、多数の原色複製版を収めて三春人形の豪華な一大絵巻が上梓される事は感謝されるべきである。


三春人形   坂本万七撮影 小沢太郎著

橋元四郎平氏 あとがきに替えて 参照

武井武夫氏 三春人形讃 参照



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍





| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春昭進堂菓匠蒼龍  |