2022-01-24 Mon
木村舘跡 田村四十八舘
旧逢隈村(現郡山市西田町)大字木村に在り、舘山と呼ばれています。
木村越中守、木村内記(天正年間)が居舘
口伝では、木村越中守の先祖、木村内記は初め同村古舘に居住していました。
後に木村舘に移りますが、天正十年に鬼生田弾正前舘主水によって討滅されます。
以後、木村舘は無住となります。
木村氏滅亡後、この城は田村氏の持城となり天正14年(1586)に田村清顕が没した後は、根木屋・宮田をふくむ木村郷は伊達政宗の命によって田村月斎・橋本刑部ら治め、木村城には橋本刑部少輔顕徳が統治したと伝えられています。
この時期は、伊達氏による奥州征覇の時期と重なり、田村家の内紛に係る「田村仕置」などの、政治的な背景から、 阿武隈川を望むこの本城跡が伊達方田村家の軍事的な最重要拠点として、田村家重鎮の橋本刑部を配し、城郭を現在の形に様に改築されたと思われます。
田村郡郷土史参照
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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