2022-04-07 Thu
【三春駒どら焼】
ちょっと過ぎてしまいましたが、4月4日は #どらやきの日だったそうです。
三春牛頭天王バターどら焼き
牛頭天王は、ごずてんのうと呼びます。
福島県「酣takenawa プロジェクト」の「地酒三春駒どら焼き」や福島県6次化スーツプロジェクトの「三春ハチミツどら焼き」との差別化を図るために、有塩バターの短冊をトッピングしました。
丑年ということもあって、畜産組合が真照寺山内に勧請した昭和初期の牛頭天王祭礼で使われていた焼き印を使用してみました。
丸々太った恰幅のいい牛さんと三春牛頭天王社、よく見ると鳥居の前に階段らしきものがあります。
年季の入った焼き印ですが、使用頻度は低かったと見えて綺麗な焼き印が押せます。
三春牛頭天王は、旧三春畜産協同組合が昭和26年に、三春方部家畜飼養農家一同の畜産振興と牛体守護、家内繁盛並びに五穀豊穣等を祈願して、家畜に対する報恩感謝の拠り所として、“竹寺”の愛称で親しまれている埼玉県飯能市旧吾野村にある医王山薬寿院八王寺の御本尊「牛頭天王」の御分霊を、三春城下新町にある旧三春藩主祈願所である真照寺様に勧請した御霊です。
檀家の皆様の特別なるご協力を頂いて山内の一部に奉安しました。
三春牛頭天王の御神体をお祀りするお堂の落慶式が11月6日に挙行されたために同日を例大祭日と定めて、以後、真照寺様によって毎年、祈願護摩祈祷により挙行しておりました。
牛頭天王堂を、奉安した当時は娯楽らしいものは全く無く、各地において素人演芸会が流行致し開催されており、弁当又は家で出来る御馳走を作り一家総出で観に行ったものでした。
牛頭天王祭にも祭の盛会の為余興として素人演芸会を開催、当時の市場北側に舞台を掛け(職員が何日もかかって作り)、出演者は各地区に割当て出演して頂き、年々盛大になりました。
当時は交通事情が不便だった為、福島交通(県南バス)が臨時バスを運行する程の賑いでした。
三春家畜市場<通称「セリ場」に隣接し、旧三春畜産食い合いと一緒に明治、大正、昭和と激動の時代を乗り越えてきた当三春昭進堂です。
馬さんと牛さんには感謝でしかありません。
そのせいでしょうか馬の桜肉と牛肉が大好きです!
酣プロジェクト*日本酒入りスイーツ*
#たけなわ)プロジェクト
福島県内の酒蔵と菓子舗がペアを組み、🍶日本酒入りスイーツ🍰を開発!✨
滝桜から車で約5分の三春昭進堂では「地酒三春駒どら焼き」を販売いたしました。
三春城下のお酒と云えば何といっても「地酒三春駒」です。
お祭りの樽神輿にも三春駒の樽が使われているほどです。
「地酒三春駒どら焼き」は、その三春駒の中でも三春町内限定販売「三春駒黒ラベル」を使用しています。
三春昭進堂は、旧三春家畜市場(通称セリ場)に隣接し、旧三春畜産組合と共に、明治、大正、昭和、そして、平成から令和へと四世代に亘り時代を乗り越えてきた和菓子屋です。
「地酒三春駒どら焼き」を発売以来、ご来店のお客様には大変親しまれています。
三春盆踊りの「三春甚句」に「駒の手綱も夜露にぬれて 三春甚句の流し唄」と歌われていまが、田村麻呂の三春駒伝説以来、江戸時代秋田藩政での独特の馬政が功を奏して、三春産馬は、農耕馬や軍馬のかつては全国有数の産地をして知れ渡っていました。
江戸中期より昭和の初めまで、旧三春藩領の馬「三春駒」の競り市は、現在と同じ新町真照寺下の広場でおこなわれてきました。
ここは通称「せり場」と呼ばれ、馬市が隆盛だった頃は、雌馬の市が五月、雄馬の市が十一月に大々的に開かれ、全国の馬喰たちが訪れて、三春の城下は馬市一色の賑わいを見せたと云われています。
競り市の開催時に新町筋には、茶店や露天商の屋台が大元帥明王下の山中まで建ち並びました。
夜ともなれば遠来の馬喰や馬を売りに来た百姓たちが繰り出す「遊郭庚申坂」からは、お囃子の太鼓が鳴り響き、この界隈は祭礼のごとき賑わいでごった返しの人出があったといいます。
添加の効果
酣 takenawa プロジェクトの参加商品「地酒三春駒どら焼き」です。
調味料として1パーセントの三春駒(日本酒)を添加しています。
生地のしっとり感が増し、たまごの甘さを引き出してくれています。
しかも一度沸騰させてから添加し、さらに、どら焼きの生地に練りこんでいるので、銅板の上で焼いている時にアルコール分は飛んでしまいます。
子供さんや車を運転する方にも安心安全でお召し上がりいただけます。
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
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#三春昭進
続き▽
| ryuichi | 05:01 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |
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