CALENDAR
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<  2022 - 07  >>
CATEGORIES
ARCHIVES
PROFILE
    k1
OTHERS




「三春歴代藩主と化け猫騒動」生涯学習支援ボランティア会講話 於ライスレイクの家  R4.6.21                         三春昭進堂 髙橋龍一




生涯学習支援ボランティア会講話 於ライスレイクの家  R4.6.21 

                       三春昭進堂 髙橋龍一


三春歴代藩主と化け猫騒動


はじめに

テレビ出演・KFB福島放送「シェア」ふるさとリポーター 5週間に一回くらい
県内59市町村の中の一人 三春は紹介するところは豊富
小さい町だからすぐに目立つ メディアが拾ってくれる



伊勢参り 

朝熊永松寺 高乾院殿 安倍實季入道 片山殿、娘のお千世方
中村寛亭 藩士 「御代参日誌」江戸末期の天保五年(1835)、早春から初夏にかけて行った“伊勢神宮参詣”の道中記


 三春昭進堂の髙橋 四代目 セリ場の横 おタリさんのおたりまんじゅう 
込木柳作 明治の終わりごろ 当初「おタリさんゲ」昭進堂は対象に入ってから命名








歴史への興味 

学校の先生からの^三春藩裏切り
三春と云えなかった自分 高校生
商売柄全国の経営者と話す機会 お国自慢



塵壺 
毎月一万五千部発行 三春・船引・常葉・中田・西田・白岩
三春に来ていただきたい 当店だけではなく
経費やリスクが支店を出すより低い
平成3年3月~令和4年6月で3371号 約30年 手配200平成7年より新聞折込



令和版「三春城下絵図・三春物見遊山」・お菓子の紹介が3割、三春7割

三春昭進堂ホームページ お菓子0.5%、95%は三春





三春田村家三代

 義顕・隆顕・清顕 (愛姫父)10万石(郡山、岩瀬含)
 伊達政宗 田村大元神社宿所
磐城国の由来 御城山掘削(地デジアンテナ工事)
・田村麻呂の末裔 平氏三春田村氏 藤原田村荘司田村氏 
・守山から田村大元神社 田村氏のお城・菩提寺福聚寺は日和田八丁目 
・阿武隈川東岸 本拠地 日和田・西田・阿久津・田村町・守山(江戸期守山藩領)
・南朝忠臣 橋本一族 大神宮橋本神社 苗字 
清顕急死 生首が飛ぶ 卯の刻参り女の殺害 



田丸具直 

天正19年(1591年)会津若松城主 蒲生氏郷の奉行人、与力。
・須賀川より、三春城代として入府
・関ヶ原の合戦前後 上杉景勝郡代を経て、蒲生源左衛門・蒲生五郎兵衛
(会津蒲生秀行家臣)・・・近代・三春城築城及び城下町創設 約40年



 加藤明利

 寛永四年(1627年) 豊臣秀吉恩顧、会津藩主加藤嘉明の三男。
・三万石にて入府。

 松下長綱

 寛永5年(1628年)豊臣秀吉恩顧、三万石にて二本松より転封。
・豊臣秀吉旧主松下松下加兵衛之綱の孫  約15年
・墓所   曹洞宗 天翁山州伝寺(前住太地玄亀老師)
・生母墓所 浄土宗 引接山光岩寺
・ 近代三春城下町の整備(現六町制)
・ 乱心を理由に徳川幕府により改易 御城受け取り 籠城討ち死・切腹・恭順
二本松・相馬・白川・会津藩城受け取り



三春秋田氏 

安倍・安東家 秋田俊季 水戸藩徳川創設に伴い 三春(米が安い)へ 移封願い

正保二年(1645年) 蝦夷探題・日ノ本将軍末裔安倍姓安東秋田家。

田村麻呂 阿弖流為 清水寺田村堂 アテルイ供養

安倍氏 安倍貞任 安倍首相先祖西へ 残留安東氏 

 平安末期大和朝廷 源義家 前九年の役 後三年

奥州藤原三代氏 安東氏縁・清原家 平泉金色堂 ジパング(黄金の国)  鎌倉初期対源氏義経を匿う







安東氏  

 蝦夷探題 元寇・神風 ヒバの木造船

 安藤水軍 倭寇 東南アジア沿岸に日本人街 インド洋 ペルシャ湾

 十三湊 外国大使館 貿易 津波で壊滅 発掘調査

安東氏・湊氏  浪岡氏(青森浪岡町 北畠親房・顕家末)


・安東實季 関ケ原までは、出羽国秋田湊城主

妻・五か国管領細川昭元の娘・円光院(織田信長妹お犬の娘)

徳川三代家光の又従妹 吉兆細川家 細川護熙分家

応仁の乱 京都市内 東軍大将細川勝元 西軍 山名宗全 西陣由来 

若狭国小浜の羽賀寺建立 安藤水軍寄港地縁  

宍戸五万に減封  水軍を取り上げ常陸宍戸へ 不満噴出   本来なら切腹・お家取り潰し=回避

旧管領細川氏娘正室・家光の又従妹・強力な水軍? 

秋田城介官位から 生駒實季 伊勢朝熊隠居(永松寺)へ片山殿、娘のお千世方を連れて
 


隣接する常陸笠間藩主が忠臣蔵でお馴染みの播磨赤穂藩主浅野家

小野寺氏、大高氏、不破氏等々…三春宍戸由来家臣の親戚

※赤穂浪士で有名な浅野内匠頭長矩(ながのり)が切腹した一関藩江戸屋敷(藩主田村建顕)というのも三春縁になります。

※安政7年(1860年)に水戸藩浪士らによって大老・井伊直弼が暗殺された、あの「桜田門外の変」三春藩は江戸詰御用人小野寺舎人を番頭として「外桜田門御番所御当番」の役職にあり、「内桜田門」は「桔梗門」のことでその警備を任されていました。

秋田家文書「桜田門勤務心得」「桜田御番所御当番火事行列帳」(元文四年未六月)「外桜田御門番所御出馬行列帳」(寛保元年酉四月)三春藩江戸定府公役には桜田門警備記載
 
また、「桜田門外の変」の水戸浪士の参謀役と言われている人物に、元三春藩士の小野寺慵斎(ヨウサイ)がいます。



伊勢名物 和漢胃腸薬『秋田教方中倉萬金丹』

『三重県薬業史』によれば、山麓の朝熊村から出る「秋田教方中倉萬金丹」

実季の長男 秋田俊季公 母である「円光院」は「織田信長」の孫にあたり、2代将軍「徳川秀忠」夫人の従姉妹でもありました。 




日之本将軍(ひのもとしょうぐん)

北日本・津軽・北海道・千島にまたがる蝦夷の地。この一帯を蝦夷管領として支配下に置いたのが“日之本将軍”と称された安東(あんどう)氏でした。

東日流(津軽)十三湊(つがるとさみなと 青森県五所川原市十三湖の辺り)を中心に、北方の文物の交易で大いに栄えたため、「日之本将軍」などと言う大層な名前で呼ばれました。



「正徳・享保事件」お家騒動 化け猫騒動の発端

江戸期の三春藩秋田藩政時代に起きた藩主後継者問題による御家騒動。

 家老荒木玄蕃(輝季妹の夫)や、輝季公後妻の実家である佐塚氏が、藩重臣による権力争を憂い藩政の実権を握ろうとして、3代藩主輝季公の嫡男である広季を廃嫡して、代わ
りに荒木氏から旗本秋田氏に養子に入っていた頼季が藩主の座に就きました。

この結果、広季(就季に改名)は45歳で亡くなり、代わりに荒木高村の子である頼季が藩主となり、三春藩の実権は荒木氏と佐塚氏に握られます。

 このことに不満を持つ三春藩重臣達と荒木・佐塚氏との争いから、三春藩に於ける藩政の争いと発展し、さらには、徳川幕府譜代幕閣の老中抗争の先端的様相を呈しはじめ、またその波及は藩内の秋田由来の家臣団と、宍戸由来の家臣団の権力争いも加わり、上は幕府閣僚から町方までに及ぶ“お家騒動”の事件となりました。


 幕閣での政争の末に徳川8代将軍徳川吉宗公が介入して裁断を下し、頼季の子である治季(後に延季に改名)を5代藩主に据えて、藩主頼季の閉門、家老荒木玄蕃の蟄居等、多数の犠牲者をだして終幕しました。



「腹切り梅」

亡くなった広季の守役だった滋野多兵衛は責めを負い切腹を申し渡されます。

その切腹場の紫雲寺に現れた滋野の飼い猫。滋野は「主人の代わりに怨霊となり、この恨みを晴らせ」と言い残し猫の首を斬り自らも切腹して果てます。その血に染められた傍らにあった白梅は、以来紅梅になったという。

滋野は事前に妻子を離縁、るいの及ぶのを防ぐ。 妻墓所岩代に在りという

天明の凶作や天明5年の大火による城下町の焼失後も猫(滋野)の怨霊に夜毎苦しめられた三春藩4代藩主頼季の孫である7代藩主倩季公が、この木像の胎内に滋野多兵衛の位牌を入れて祈願所である真照寺に納めて、その怨霊を鎮めたと伝わる木像です。
 この弘法大師と興教両大師木像は、木像安置の70年前に起こった「正徳・享保事件」そして「腹切り梅」「三春化け猫騒動」と呼ばれる、三春に伝わる古い伝説が付随しています。



化け猫騒動

家老の荒木氏が娘を化け猫騒動関連の三春城下大火の際に、城下を焼き尽くしお城も焼け落ちた壊滅的な被害を受けますが、真照寺門前で消火の陣頭指揮の為に出坐した殿様を追うように延焼した火炎が収まった

本堂の中には、化け猫騒動、天明大火後、時の藩主秋田千季公が納めた弘法・興教大師像があります、これは、夜毎、猫の怨霊にうなされた千季公が、その霊を鎮めるために納めたもので、中に腹切梅の滋野多兵衛の位牌が納められている


滋野の腹切梅の事件後、荒木玄蕃や藩主頼季の夢枕に毎夜猫の怨霊が現れるようになったと言うもので、以来、三春城下の大火の度に猫の怨霊が火を点けてながら駆け回ったという話が広まり、昭和のはじめ頃まで大火の度に囁かれたといいます。



「猫冢(塚)」化け猫伝説の証明

御城坂にある家老屋敷跡から「猫冢(塚)」が発見されました。

旧三春藩秋田家上席宿老(家老)山舘秋田氏の家老屋敷跡の庭

お城側の土手の雑木を伐採中に、紅枝垂れ櫻の根本付近から出土したということです。

その中心人物の別格家老荒木玄蕃。

•化け猫騒動として三春城下が大火災に見舞われ御城まで消失します。

•大雨の影響で荒木屋敷が土砂崩れで崩壊し多数の死者を出します。

この枝垂れ桜は樹齢200年以上です。


又、枝垂れ桜は土砂崩れ防止にために植樹したと考えると、その樹下に猫冢を置くというのは、何か因縁めいたものを感じます。



主夜神(しらしん) 夜神

三春城御花畑にあったという「主夜神」紫雲寺山内にもあったと記録に在ります。

主夜神は、「婆珊婆演底主夜神(ばさんばえんていしゅやじん)」として、「華厳経入法界品」に記されています。
恐怖の厄を免れさせて安隠を与へるなど、古くからすべての衆生を救護する神とされ「主夜」から「守夜」と転じて、夜を守る神として崇められ、盗難や火災などを防いでくれる大変なご利益をもつ神様であるとされています。

夜を守る神と、闇夜に眼を光らせる猫がむすびつき、主夜神は古くから猫、とりわけ黒い猫が御使いであるとされています。

この辺にも「三春城下化け猫伝説」との何かしらの因果が見えてきます。









おわりに

故郷の歴史を知るということ 自分自身の足元を見る、自分自身を見る「照顧却下」

昨今、子供の中で「自己肯定」する割合が低いとされていますが、このような三春のお話をすることによって三春に興味を持ってもらいそれらを自身につなげてもらえればいいなあと考えています。

是非、家に帰ったら子供さん、そしてお孫さんに対してこういうお話をしていただいて、三春で生まれたこと、三春に縁がある事を通じて「どこに行ってもどんな状況でも、自分自身を見失わない」「三春に生まれたことを誇れる」という自身の自己肯定を以て、成長の過程に少しでも寄与していただければと考えています。

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」 




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:21 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |