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「中妻の歴史」中妻生涯学習「すずらん学級」講話会    三春昭進堂 髙橋龍一 於さくら湖自然観察ステーション  R4.6.23 



「中妻の歴史」中妻生涯学習「すずらん学級」講話会    三春昭進堂 髙橋龍一

於さくら湖自然観察ステーション  R4.6.23 

三春城下商人の先人から「地域貢献」そして文化の担い手として民度の向上を教えられています。

「商品を売るのは当たり前ですが、目先の利益だけではない地域文化の向上、そして地域住民のお役に立たなければならいという指針が示され、まさに商いは、売り手と買い手だけでなく、その商いが社会全体の幸福につながるものでなければならないという商人の理念である「三方よし」の考え方を教わっています。

塵壺を発行しているという因縁もあってか歴史勉強会の講師をいえあいされることがあります。
ご縁もあり、今回はコロナ禍でのびのびとなっていた「中妻生涯学習スズラン学級」様、約40名の方々の勉強会で「中妻の歴史」という題でお話をさせていただきました。







中妻の歴史
                       

はじめに

テレビ出演・KFB福島放送「シェア」ふるさとリポーター 5週間に一回くらい

県内59市町村の中の一人 三春は紹介するところは豊富

小さい町だからすぐに目立つ メディアが拾ってくれる



伊勢参り 朝熊永松寺 高乾院殿 安倍實季入道 片山殿、娘のお千世方
中村寛亭 藩士 「御代参日誌」江戸末期の天保五年(1835)、早春から初夏にかけて行った“伊勢神宮参詣”の道中記




 三春昭進堂の髙橋 四代目 セリ場の横 おタリさんのおたりまんじゅう 
込木柳作 明治の終わりごろ 当初「おタリさんゲ」昭進堂は対象に入ってから命名



歴史への興味 

学校の先生からの^三春藩裏切り

三春と云えなかった自分 高校生

商売柄全国の経営者と話す機会 お国自慢




塵壺 毎月一万五千部発行 三春・船引・常葉・中田・西田・白岩
三春に来ていただきたい 当店だけではなく
経費やリスクが支店を出すより低い
平成3年3月~令和4年6月で3371号 約30年 手配200平成7年より新聞折込
令和版「三春城下絵図・三春物見遊山」・お菓子の紹介が3割、三春7割
三春昭進堂ホームページ お菓子0.5%、95%は三春




三春田村家三代 

義顕・隆顕・清顕 (愛姫父) 伊達政宗 田村大元神社宿所
10万石(郡山、岩瀬含)

・南朝忠臣 橋本一族 大神宮橋本神社 苗字 

・三春秋田氏 安倍・安東家

田村麻呂 阿弖流為 京都・清水寺「田村堂」

奥州藤原氏 清原家末 平泉金色堂 ジパング(黄金の国) 対源氏義経を匿う

・鎌倉時代・蝦夷探題 元寇・神風 ヒバの木造船

 安藤水軍 倭寇 東南アジア沿岸に日本人街 インド洋 ペルシャ湾

 十三湊 外国大使館 貿易 津波で壊滅 発掘調査


関ケ原の合戦後・宍戸五万に減封  水軍を取り上げ常陸宍戸へ 不満噴出   本来なら切腹・お家取り潰し=回避

旧管領細川氏娘が正室・家光の又従妹・強力な水軍? 

秋田城介官位から秋田氏

 生駒實季 伊勢朝熊隠居(永松寺)へ片山殿、娘のお千世方を連れて 

伊勢名物 和漢胃腸薬「秋田教方中倉萬金丹」

実季の長男 秋田俊季公  水戸藩徳川創設に伴い 三春(米が安い)へ 移封願い






鷹巣

・石の宮様 大元師明王 
大元帥明王の勧請は、平安時代となる弘仁十己亥年(819年)2月25日、磐城守山山中村(現郡山市田村町守山町山中)より奉還し、同社神主の柳沼市太夫神が神職として勤仕したと記されています。その後、応仁の乱後の室町時代となる文明17巳年(1485)、舊(旧)記山中村神主柳沼玄蕃、神人柳沼山ノ守、同民部代則、祭礼には鷹巣村近郷より寄付方控左書を綴奉するとの記載もありました。

・五龍神社(五龍大権現)

 鎮守府将軍陸奥守八幡太郎源義家公の奥州東征の折に、源氏の家臣鎌倉権五郎景政の休息した處ということで村人がその由緒をお祭りして「五郎権現」として祀ります。後に別当等が「五龍」と改め「五龍大権現」としました。







鷹巣鎮守「八雲神社」の由来は、瀬山にあった天正16年(1588)勧請の牛頭天王を、明治初期に廃仏毀釈神仏離反の命により、祭神を「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」、神社名を「八雲神社」と改めこの地に移したもので、鷹巣地区の総鎮守となっています。

戦国時代の三春城主田村家重臣、鷹巣七竈の首長と云われた橋本刑部左衛門貞綱が、尾州津島から勧請したと伝えられている「牛頭天王」
・田村大和は、鷹巣の修験・威徳院賢晃を改名した名前で、後に田村清見と再度改め初代鷹巣小学校の校長となった方で、鷹林和泉は二代目の校長です。



・宇賀神様 稲荷神社 宇賀玉(神楽)栗原新田秋田藩政下 新田開発

鎌倉銭洗弁財天・上野不忍池弁財天 弁天様の頭に鎮座 金運上昇・芸能上達


・橋本正吉様 「田村の庄」鷹巣の歴史 鷹巣の諸家由来や継承をまとめた力作
中妻小学校・三春中学校・県立図書館・国会図書館・三春町図書館・歴史民俗資料館へ寄贈

俳句の会(民度の高さの証)生活・文化レベルの高さ







・薬師寺 法相宗徳一和尚。

全国の有名寺社の6割、徳一弘法大師、坂上田村麻呂 大同年間(平安時代初期・806-810)
薬師寺のご本尊は、木造阿弥陀如来聖衆来迎像。

創建時は独尊であったと思われますが、阿弥陀二十五菩薩来迎像と呼ばれ阿弥陀如来の周囲に二十五菩薩が配置され、雲上に聖聚を従えて往生者を迎える様を描写した彫刻仏像です。この様式の仏画は多数みられますが、木造は大変珍しいものです。



沼澤地区

・沼沢子安薬師如来堂  徳一由来の創建 光明寺

会津慧日寺 閼伽井(赤井)岳薬師如来 波立薬師堂 

戦国田村氏要害、田村四十八舘沼沢舘にある光明寺は、舘主沼沢孫兵衛の屋敷跡と伝えられています。
江戸期には真言宗修験の守山大元帥明王別当師継院末寺と記録されています。

近代の明治の初めには中妻小学校の前進となる、達材小学校(後に沼沢小学校に改称)が設立されます。



・春日神社 境内末社の疱瘡神に奉納した相撲は近年まで続き、今も土俵の跡が残る

・沼沢往来 遠藤様 清水田様



斎藤地区

斉藤村社「三渡権現」 宝亀二年(771年)、土地の豪族、伊藤氏の遠祖藤原頼豊が、松樹山と呼ばれる現地に勧請したと伝えられています。
平安期に創られた古社として古い行事を今に伝えています。

祭神は天弁羅雲命で夏季祭礼には「お湯立て」の神事が行われます。

また、神楽・奉納される太々神楽は古式をとどめる出雲流で町の無形民俗文化財に指定されています。  



・安養寺、

寛永二年、三春城下大町にある浄土宗紫雲寺方丈の隠居寺として、良編岌誉上人により開山された小さなお堂で、御本尊は、如意輪観音で、三十三観音、子安観音、三光地蔵
尊を祀っています。

また、案内板には、その昔の縁日には説法会が開かれ、浄土宗ということもあり、町人が近郷近在の参拝者で賑わい茶店が軒を連ねたと云われます。


・月見崎には三春城主田村氏の重臣,田村四十八館の一つ松樹山上館主の斉藤大善の軍中勝利を祈願して、嫡子藤原頼位が建立した妙見様と呼ばれる、松樹神社があり、近くには五輪塔がありますが、その案内板には松樹山上館主の墓と思われるとありました。
 






西方地区

・霧の城 西方舘 千葉氏

・「西方不動堂」は「おてはんにゃ様」と呼ばれ、旧歴三月十五日の祭礼には「般若経」六百巻が転読され、参拝の村人の額には墨の角印を押してもらい無病息災を祈願します。

・「乳付け観音」と呼ばれる馬頭観音堂も鎮座しています。この観音様は「馬産安全」「子孫繁栄」に霊験あらたかで、田村地方では小野の東堂山と並んで信仰され、かつての祭礼は旧三月十七日で、西方の各戸では、団子を持参して参拝者に「団子撒き」をしていました。
 笹を浸して神前に供えておき、参拝者にこの笹と、小さな板に馬の走る焼き印を押して配り、馬が丈夫に育つようにと、たてがみに結んでいたとされています。
堂の内外には江戸期三春の馬画名匠と云われた徳山研山の書かれた大絵馬をはじめ四十六面の親子絵馬が奉納されています。


 毎年元旦に同地区で開催される、「西方水かけまつり」

 塩釜神社で、子孫繁栄と五穀豊穣祈願のため、三百年余りの伝統を持つ小正月の行事で、以前は小正月の十五日に行われていましたが、現在は正月元旦に行われています。
 前祝いの酒宴がもたれ、頃合いを見て全員がまわし一つの裸となり、村を流れる大滝根川に入って禊ぎをします。続いて一同うち揃って塩釜神社に参拝し、一気に行井戸にかけおりると、地区内の田んぼに入り桶やバケツで泥水を掻け合います。
古老の説明によれば、西方城主千葉紀伊守が、配下の与力や領民の士気を鼓舞するために始めた祭事といわれています。

もう一説には、村に疫病が流行ったとき、水場(行井戸)から霧が 立ち上り、まもなく疫病が治まります。一村全滅にもなりかねなかった疫病が、霧のごとく消滅したことを村民皆で喜び「これは西方鎮守塩釜神社神霊の加護に相違ない」と、村民が「水祝いの行事」で水垢離(みずごり)をとって御礼参りをしたことに始まったと言われています。


「中妻文化財を守る会」の方々が、地区にある史跡を後世に伝えようと立てているもので、中妻地区住民の地元に対する想いには、頭が下がります。








おわりに

故郷の歴史を知るということ 自分自身の足元を見る、自分自身を見る「照顧却下」

昨今、子供の中で「自己肯定」する割合が低いとされていますが、このような三春のお話をすることによって三春に興味を持ってもらいそれらを自身につなげてもらえればいいなあと考えています。

是非、家に帰ったら子供さん、そしてお孫さんに対してこういうお話をしていただいて、三春で生まれたこと、三春に縁がある事を通じて「どこに行ってもどんな状況でも、自分自身を見失わない」「三春に生まれたことを誇れる」という自身の自己肯定を以て、成長の過程に少しでも寄与していただければと考えています。

「日本の唯一の資源は人であり、人を育てるのは教育しかない」 




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:02 | comments (x) | trackback (x) | 菓匠蒼龍 焦心録::講話集 |