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塵壺372号 「田村四十八舘」御春輩(みはるのともがら)田村家武士団(その1) 令和4年7月発行




塵壺372号 「田村四十八舘」御春輩(みはるのともがら)田村家武士団(その1) 令和4年7月発行


戦国乱世。
田村庄司・三春城主田村氏配下、「御春輩(みはるのともがら)」と記された田村武士団は、田村領「田村庄」「小野保(現小野町付近)」に、各々の所領を本拠とする「舘」、後に云う「田村四十八舘」を築いて迎撃防御体制を整えて有事に備えていました。

「光大寺舘」芦沢村大字光大寺。

三春城主田村氏の一門衆で、橋本修理(芦沢修理太夫)東方与力二十五騎の居舘です。三春田村氏没落後に廃城となります。
 
尚、一騎の騎馬武者には、口取り・やり持ち・挟み箱・歩兵で、その武士の位・身分により3~4人から7~8人の徒歩の家来が付きます。

また、芦沢村には本郷前、字屋形、字岡田前に各々舘跡があったと伝わっており、箭内、土佐、荒井、傳五兵衛等の居住した舘とされています。

「栗出舘」七郷村大字栗出。
門澤左馬之介の居舘、三百六十石。

「鎌場舘」七郷村大字堀越。
佐藤左近が居住。
堀越八幡神社及び花園神社は、佐藤氏の勧請と伝わっています。

「門澤双六山城」七郷村大字門澤。

平貞盛七代の孫である安俊が、源頼朝に仕え、後に門澤○季を称し、奥州門澤深山御座城に居住し、安種に至ります。

時代は下がって、永禄年間に三春城主田村清顕に属し橋本城に移り、その息満定門澤六郎と称し双六山城に居住します。

天正十七年、岩城城主岩城常隆が大軍を率いて田村領に攻め込みます。

この際に、伊達政宗の援兵茂庭定直と共に奮戦して戦死します。

墓所は、門澤常洛寺(現常楽寺)に在ります。

尚、茂庭定直の墓所は門澤宇堂山飛龍寺にあります。







「右近舘」七郷村。
大越紀伊守の長男右近が、三春田村家のお家騒動の折に、相馬方について敗れた紀伊守の没落後に、この地に来て居住したと伝わっています。

尚、大越紀伊守の次男左近は、七郷村大字椚山にあった、「追舘」に居住するとあります。

「小舘」七郷村大字堀越。
小泉藤兵衛が、小泉舘に居住していましたが、永禄二年に小舘に転居してきました。
後に神職となって明石明神前に居を移し、その孫子は代々神職を務めています。

「堀越舘」堀越尾張守六百五十石の居舘。
七郷村大字堀越。

「椚山舘」椚山利家(祐左衛門)の居住。
椚山字十郎内。






七郷村大字牧野には、「牧野村四舘」と称する舘跡があります。

「竹之内舘」佐久間因幡の居住・字竹之内

「牧野舘」佐藤若狭の居住・字牧野

「國ヶ坪舘」渡邊加茂右衛門が居住。字國ヶ坪

「深谷舘」佐久間某が居住。字深谷

四舘の舘主共に三春城主田村氏の臣にして、田村氏改易後帰農しています。
以後、子孫は各々の地にて繁栄しています。

「七郷日輪舘」七郷村大字永谷の中央にありました。
永谷豊前守頼治以下、敷代が居住。周囲三百五十間、高さ五十丈にして、本丸、二ノ丸、三ノ丸などがある大きな館(城)だったようです。
日輪舘の由来は、日向・日当たりが良かったからと伝わっています。

永谷氏は、本姓が箕輪氏で、後に三輪氏と称しています。代々三春田村氏に仕え、天正年間には度々軍功があり、その後裔である治季に至ります。
田村家没落後は、帰農して永谷村の里正で、その子孫は今尚永谷に在ります。







「堀越平舘」七郷村大字堀越にありました。
三輪某の居住と記されています。
三輪氏の家系は、永谷豊前守治則の三男、三輪玄蕃治徳の末裔と伝わっています。


「田村仕置」による三春田村家改易に遭って大多数の田村武士団は主家を救済できなかった伊達家を嫌い旧田村領内の自分の所領にて帰農します。

尚、帰農した田村旧臣は、合戦の敗北による田村家断絶ではなかったために、敗北感を一切持たず、剛腹で武勇に富み一族郎党と共に「御春輩(みはるのともがら)田村武士団」を今に伝えています。


     蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝










三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 18:05 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |
塵壺372号 「田村四十八舘」御春輩(みはるのともがら)田村家武士団(その1) 令和4年7月発行




塵壺372号 「田村四十八舘」御春輩(みはるのともがら)田村家武士団(その1) 令和4年7月発行


戦国乱世。
田村庄司・三春城主田村氏配下、「御春輩(みはるのともがら)」と記された田村武士団は、田村領「田村庄」「小野保(現小野町付近)」に、各々の所領を本拠とする「舘」、後に云う「田村四十八舘」を築いて迎撃防御体制を整えて有事に備えていました。

「光大寺舘」芦沢村大字光大寺。

三春城主田村氏の一門衆で、橋本修理(芦沢修理太夫)東方与力二十五騎の居舘です。

三春田村氏没落後に廃城となります。
 
尚、一騎の騎馬武者には、口取り・やり持ち・挟み箱・歩兵で、その武士の位・身分により3~4人から7~8人の徒歩の家来が付きます。

また、芦沢村には本郷前、字屋形、字岡田前に各々舘跡があったと伝わっており、箭内、土佐、荒井、傳五兵衛等の居住した舘とされています。


「栗出舘」七郷村大字栗出。

門澤左馬之介の居舘、三百六十石。

「鎌場舘」七郷村大字堀越。
佐藤左近が居住。
堀越八幡神社及び花園神社は、佐藤氏の勧請と伝わっています。

「門澤双六山城」七郷村大字門澤。

平貞盛七代の孫である安俊が、源頼朝に仕え、後に門澤○季を称し、奥州門澤深山御座城に居住し、安種に至ります。

時代は下がって、永禄年間に三春城主田村清顕に属し橋本城に移り、その息満定門澤六郎と称し双六山城に居住します。

天正十七年、岩城城主岩城常隆が大軍を率いて田村領に攻め込みます。

この際に、伊達政宗の援兵茂庭定直と共に奮戦して戦死します。

墓所は、門澤常洛寺(現常楽寺)に在ります。

尚、茂庭定直の墓所は門澤宇堂山飛龍寺にあります。



天正17年5月27日、 岩城常隆は小野に布陣して門沢を攻めます。

従う勢は竹貫三河守重元・同越後守 同大蔵少輔・ 好間土佐守・白土摂津守・植田但馬守 舟尾右兵術将以下3千余。

27日から門沢城に弓鉄砲を射掛け攻防が始まりました。

門沢勢は、伊達家中の中島右衛門宗意 大町宮内少幡守ら千余人の加勢を受けて善戦しましたが、数に勝る岩城勢に押され町郭を焼かれ、門沢城の外構えを破られます。

門澤勢が、三の丸を固めた中島右衛門尉以下 20余騎は討たれ、 大町 宮野内らは三春に退却します。

この門澤城の攻防戦で田村方は城主以下 400人が討たれ、 岩城勢も 100余人を失います。







「右近舘」七郷村。
大越紀伊守の長男右近が、三春田村家のお家騒動の折に、相馬方について敗れた紀伊守の没落後に、この地に来て居住したと伝わっています。

尚、大越紀伊守の次男左近は、七郷村大字椚山にあった、「追舘」に居住するとあります。

「小舘」七郷村大字堀越。
小泉藤兵衛が、小泉舘に居住していましたが、永禄二年に小舘に転居してきました。
後に神職となって明石明神前に居を移し、その孫子は代々神職を務めています。

「堀越舘」
堀越尾張守(桑原氏)六百五十石の居舘。
七郷村大字堀越。

「椚山舘」椚山利家(祐左衛門)(根本氏)の居住。
椚山字十郎内。






七郷村大字牧野には、「牧野村四舘」と称する舘跡があります。

「竹之内舘」佐久間因幡の居住・字竹之内

「牧野舘」佐藤若狭の居住・字牧野

「國ヶ坪舘」渡邊加茂右衛門が居住。字國ヶ坪

「深谷舘」佐久間某が居住。字深谷

四舘の舘主共に三春城主田村氏の臣にして、田村氏改易後帰農しています。

以後、子孫は各々の地にて繁栄しています。

「七郷日輪舘」
七郷村大字永谷の中央にありました。

永谷豊前守頼治以下、敷代が居住。

周囲三百五十間、高さ五十丈にして、本丸、二ノ丸、三ノ丸などがある大きな館(城)だったようです。

日輪舘の由来は、日向・日当たりが良かったからと伝わっています。

永谷氏は、本姓が箕輪氏で、後に三輪氏と称しています。

代々三春田村氏に仕え、天正年間には度々軍功があり、その後裔である治季に至ります。


田村家没落後は、帰農して永谷村の里正で、その子孫は今尚永谷に在ります。


田母神氏旧記には、 「永谷舘」 長谷(永谷)豊前 と記載。

 さらに、二男大炊之助 片倉家に住す。女子、名前”さと”は、田村御前(伊達政宗室の愛姫)に附き仙台に住す。 






「堀越平舘」
七郷村大字堀越にありました。

三輪某の居住と記されています。

三輪氏の家系は、永谷豊前守治則の三男、三輪玄蕃治徳の末裔と伝わっています。


「田村仕置」による三春田村家改易に遭って大多数の田村武士団は主家を救済できなかった伊達家を嫌い旧田村領内の自分の所領にて帰農します。

尚、帰農した田村旧臣は、合戦の敗北による田村家断絶ではなかったために、敗北感を一切持たず、剛腹で武勇に富み一族郎党と共に「御春輩(みはるのともがら)田村武士団」を今に伝えています。


     蒼龍謹白 さすけねぇぞい三春!  拝






付録: 奥羽永慶軍記(抄), 政宗記(抄), 奥陽仙道表鑑(抄), 奥州仙道一覽記(抄)




KFB福島放送「シェア」 ふるさとリポーター 三春

緊急特番が入り12日の火曜日に変更になりました。



三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

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