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応永仙道諸家一揆連判  応永二年(1404年)



仙道諸家一揆傘連判

南北朝期動乱の際に南朝の侵攻を阻止するための国人層と土豪・有力農民層との連合戦線の約定


平姓 田村義顕公が三春城を築城・入城する約百年前の名簿です。

応永仙道一揆臨場の諸将 応永二年(1404年)

田村荘田村氏を中心とした一揆諸将 笹川御所宛及び稲村公方宛 秋田藩家蔵白川文書

鬼生田山城守秀遠 西田町鬼生田

大越宮內少輔季広 田村郡大越町

下行合出羽二郎季広 田村町下行合

みよた越前守宗秀 田村町御代田

八田河参河七郎秀高 田村町谷田川

阿久津沙弥觉祐  田村町阿久津

小沢但馬守秀遠 船引町小沢

墨田信濃守季清 田村町細田

鹿俣沙弥清光 滝根町神俣

穴沢宮內少輔秀朝 西田町三丁目

白石伊豆守季春 船引町

門沢沙弥得願 船引町門澤

常葉沙弥妙重 田村郡常葉



戦国期の田村領では、田村氏の一族である「家門」を中心とした地域的な家臣団編成がなされ、この「家門」は、それぞれの所領を持ちいわゆる「在家」を配下として半自立的な傾向を持ちっていたとみられ、田村領における東西南北の配された各々の要害・城館の配置、そして与力騎馬武者の数や館下における街並み整備等の構造にからも見て取れます。

応永六年(一三九九)、南奥諸将の支配の監視するために、時の鎌倉府政所から篠川公方、そして稲村公方が派遣されます。
応永11年に結ばれた「仙道国人一揆(応永十一)」を見ても判る通り、 南奥の領主は、その両方の差配を受けることになり、安積郡の伊東氏、田村荘の田村氏、岩瀬郡の二階堂氏、石川郡石川氏などは、両方のもとに組織化された。

この一揆状を見ますと、伊東氏を中核として伊東氏以外にも多くの領主が参加した一揆、石川氏を中核とした一揆には、伊東氏と石川氏との連携した一揆であることが解ります。しかし、田村氏を中核とした一揆は、全ての一揆勢が田村氏配下とみられ、この一揆そのものに田村氏の御家門一族一揆であると考えられます。

「仙道国人一揆(応永十一)」から時代は百年ほど後になる戦国時代末期の田村家中が、室町期に結ばれた一族一揆を母体として形成され、田村氏の一族である「家門」を中心として、田村荘(庄)を中心とした田村領(小野保含)の中で編成されていることも納得できます。




三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍

| ryuichi | 04:06 | comments (x) | trackback (x) | 戦国大名 三春田村氏::御春輩(みはるのともがら) 田村武士衆 |