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棚倉城址




棚倉城址

元和8年(1622年)、常陸国江戸崎より棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手しました。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争で落城するまでの240余年、8家16代の城主交代がありました。





棚倉藩歴代藩主


立花家 一代 1603年-1620年 

立花宗茂 

筑後柳川(福岡県)の城主でしたが、「関ヶ原の合戦」で、豊臣方に付いたため改易、流浪の身となりますが徳川幕府二代将軍秀忠に取り立てられ、慶長9年(1604年)に棚倉に領地を与えられ、赤館を居城としました。






丹羽家 二代 1622年-1627年
 丹羽長重
「関ヶ原の合戦」では、徳川方に味方しますが、前田利長との争いが原因で改易。
その後秀忠に大名に取り立てられ、寛永元年(1624年)、棚倉城の建築を開始しました。
完成まじかに白河へ十万石にて転封

内藤家三代
1627年-1665年 内藤信照
 近江(滋賀県)より棚倉城主へ転封。丹羽長重がやり残した城郭の完成、城下町の整備。
  1665年-1674年 内藤信良
  1673年-1705年 内藤弌信





太田家 一代1705年-1728年 
太田資晴
太田道灌を含む関東の名門の出。宝永2年(1705年)、駿河田中より、国替えとなりました。 

松平家一代1728年-1746年 
松平武元  上野館林より棚倉城主へ。

小笠原家三代 1746年-1776年
 小笠原長恭
7歳で、遠江掛川(静岡県)より棚倉城主になりました。近江の2万石と棚倉の4万石で6万石となりました。寛延3年(1750年)塙騒動があり出兵。
  1776年-1812年 小笠原長堯
  1812年-1817年 小笠原長昌 肥前唐津(佐賀県)城主へ転封







井上家 二代 1817年-1820年
 井上正甫
文化14年(1817年)、遠江浜松(静岡県)より、城主となりました。
文政3年(1820年)、幕府の役をやめ病気と言って棚倉には来ませんでした。
1820年-1836年 井上正春





松平家
  13代 1836年-1854年 

松平康爵

浜田藩(島根県浜田市)の藩主松平康任と松平康定の娘との子として生まれました。
天保6年(1835)、浜田藩の財政を助ける為に浜田藩御用商人である会津屋八右衛門が密貿易を画策、国家老岡田頼母と年寄松井図書も一応の許可を出し、父である康任も黙認していた事が発覚しました。

さらに康任は仙石騒動も関わっていた事から老中を辞任、強制隠居の上永久蟄居に処せられました。

これに伴い康爵は松平家の家督を継ぎ浜田藩の藩主に就任しましたが、幕府からは「追テ所替仰セ付ラルベク候」と康爵にも懲罰的な左遷を予感させる書状が届けられています。天保7年(1836)、康爵は正式に棚倉藩(福島県棚倉町)6万石の移封が決まり同年には「御目通差扣格」に格下げられています。

 1854年-1862年 松平康圭

 1862年-1864年 松平康泰

 1864年-1866年 松平康英 川越城主となりました。







阿部家
  1866年-1868年 阿部正静

阿部家は8代43年間白河城主でしたが、10万石で棚倉城主となりました。

慶応4年官軍の命令で一時出兵しましたが、奥羽越列藩同盟として、白河城を中心に西軍と戦い、激しい攻防の末、東北勢は敗れます。

西軍は棚倉攻撃に入り、6月24日、棚倉城は落城しました。この戊辰戦争で棚倉城と古町等が戦火で焼失しました。

以上 学びの門案内板「棚倉城と棚倉藩」参照
 1868年-1868年 阿部正静
 1868年-1871年 阿部正功(維新後、棚倉藩知事)







尚、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」ともいわれています。


| ryuichi | 03:53 | comments (x) | trackback (x) | 🌸春陽郷三春 日暮硯 |