2023-05-14 Sun

岩代「百目木城址」
四本松城主・石橋氏宿老石川弾正光昌の居城。
石川光昌は1580年(天正8年)に小浜城主・大内定綱らとともに主家である石橋氏を滅ぼしましたが、やがて定綱との関係が悪化すると、1585年(天正13年)には定綱と敵対した伊達政宗に味方して、合戦での戦功により小手森城を与えられました。
しかし伊達氏重臣白石宗実の支配下に置かれたのを不服として、相馬義胤を後楯として政宗に反乱を起こすと、政宗の軍勢に鎮圧されました。

戦後は伊達家臣 鬼庭綱元が入城しています。
光昌は相馬に落ち延び、「関ケ原の戦い」では上杉景勝に仕えるなどしましたが、最終的にはこの地に戻ったと伝わります。

百目木の城下は、岩代の国らしく至る処に巨石があ知ます。
これは城下の道路拡張を明治ちゅきの行った時の記念碑文を既存の巨石に刻んだものです。

そして、名目津温泉!

三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
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