2024-05-01 Wed

大相撲の人気が高まっています。
福島市出身の若元春など三波三兄弟や白熊、そして、先の春場所で優勝した尊富士など目が離せない力士が大活躍です!
斉藤・松樹神社
三春城下の南、斉藤村安養寺の裏山松樹山の山頂に鎮座します。
斎藤 松樹神社(旧妙見菩薩)
戦国時代、元亀元年(1570年)伊藤氏の祖藤原頼位氏が神舘城の峰続きとなる“北ノ月見崎に妙見菩薩を勧請して軍中勝利祈願をしたところと伝わっています。
かつてのお祭礼・縁日は、春・旧暦の四月二十四日。
秋は九月二十四日であったが明治3年に発布された神仏分離令により妙見様は松樹神社と改名され、お祭りも新暦となりましたが、松樹神社のお祭りと言うよりも
「今日は四月二十四日だから妙見様のお祭りが」と今でも話す人が多い様なので、なじみの深い神社だといいます。
松樹神社には古くから釣鐘があって、お祭礼の日は朝早くから叩いて鐘を鳴らしたものでしたが、大正15年11月28日の斎藤の大火事の時・お宮と共に焼け落ちた際に鐘にひヒビが入り、その後は、一つも音が出なくなったといわれます。
尚、この鐘は昭和18年に、大東亜戦争での金属供出令の際に軍に供出して今はありません。

また、妙見様は昔より相撲の神として知られ、秋祭には庄屋を中心として番付をつくり、村中で鎮守である見渡神社とおなじく盛大にお祭りを行ったとのことです。
※見渡神社に相撲の番付らしい絵馬が残っています。
明治なって若連会(後・青年会)の主催で行う様になったとのことです。
大正時代になって、青年会となり二年に一回(青年会の後員任期は二年なので)行う様になりました。
お祭りの当日は高い木戸の両側に美しい絵を描いたぼんぼり沢山建ててにとても華やかだったといいます。
鎮守・見渡神社同様に華やぐお祭りでしたが、近在の村の娘たちは招待されなかったということです。
しかし、相撲好きな人達が遠くの村々からも大勢集まり香具屋(現・露天商・テキヤ)がいっぱい店を並べ大いににぎわったものだったとのことです。
この相撲も先の大戦以降休止となっており、その相撲場跡は淋しく残っています。
斎藤・おらが里・ざっと昔より
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂菓匠蒼龍
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