2024-07-15 Mon
「明治戊辰役三春藩士烈士碑」 旧三春城本丸跡に建つ
戊辰戦争で三春藩は当初、小藩の悲しさゆえ会津を中心とした奥羽越列藩同盟に加盟していましたが、徳川家自ら政権を投げ出したその時代の流れを素早く読んだ、河野広胖らの若い藩士たちが、東山道先鋒総督府参謀であった板垣退助に会見し、板垣ら西軍と帰順を工作、和平交渉の末に、三春無血開城を果たします。
しかし、その影で列藩同盟に出向していた四人の三春藩士がいました。
彼らは、三春藩の同盟離反を受けて同盟より詰め腹を切らされたり惨殺されています。
ここにも命をとして三春を守った三春藩士が居たことを忘れてはいけません。
明治になって建てられた石垣

大関兵庫 ..百三十石/祐筆/明治元年七月二十六日、藩論一変、官軍三春入城となったため、たまたま奥羽同盟軍事局に派遣されて福島滞在中東軍の手で殺害
大山巳三郎 ..三春藩の藩論一変し、西軍三春入城の明治元年七月二十六日、仙台に使して二本松に在ったため東軍に捕えられ殺害されます。
不破関蔵 ..百八十石、江戸元締用人/藩論一変により西軍が三春に入城した明治元年七月二十六日、出張先の二本松で東軍に捕斬された
渡辺喜右衛門..五両五人扶持、御用部屋物書/西軍三春入城の明治元年七月二十七日二本松にあり、東軍に捕えられ斬殺
--引用;幕末維新全殉難者名鑑--
明治戊辰役三春藩烈士碑
三春城無血開城を果たし、新政府軍に恭順を示しますが、政府軍軍政局より新たな賦役が三春藩に言い渡されます。
主な賦役には、 「西軍の食料と馬の準備、軍夫の徴発」「西軍の諸藩の道先案內」「参謀局会計局の世話」(はじめ 御殿、後に総督が来たため春山新左衛門宅)、「大病院の賄」(西軍のために竜穩院に設置、病院内で死亡した者六6~7O名)などでした。
会津攻撃に際しては「中山口へ兵隊五十人差し出す」ことや、「弾薬運送のための人馬」を命ぜられ、人足達は最前線で弾薬を背負い兵隊に付き添って戦場を駆けめぐったのです。
三春近辺はもとより領内全域から徴発された人足は、多少の分補り品を持ち帰ったものの、みな死に物狂いであり、実際死亡した者も十教名に及んでいます。
下記が、三春藩の命令で、各村から招集され軍夫として参加して戦死した三春人です。
橋本周次
高野村大字高柴 農民
二本松城下にいる、三春藩士不破、大山両氏のもとへ三春藩の帰順を伝える使者として書状を携えて単身出向、両氏と共に帰還に就こうとしたところを二本松藩兵により殺害されます。
石井冨次 享年48
移村大字上移 農民
会津追討の際、三春藩荷駄隊軍夫としれ参加して戦死
佐藤牛之助 享年40
美山村大字長外路 農民
会津追討の際、土佐藩輜重隊(荷駄隊)付三春藩軍夫として参加 若松城下七日町付近に於いて戦死
本田庄右衛門 享年54
移村大字上移字北ノ作 農民
会津追討の際、薩摩藩第十二番隊付三春藩軍夫として参加。
若松城下にて戦死。
鎌田久八 享年21
移村大字上移字北ノ作 農民
薩摩藩第十二番隊付三春藩軍夫として参加。
若松城下七日町付近に於いて戦死
近内吉十 享年44 三春町
会津追討の際、佐土原藩軍夫として参加
若松城戸ノ原口の戦にて戦死
宗像林太郎 享年22 中妻村大字鷹巣 農民
会津追討の際、薩摩藩十二番隊付三春藩軍夫として参加。
若松城下の戦いにて戦死
村上久左衛門 享年42
中妻村大字鷹巣 農民
会津追討の際、薩摩藩軍隊付三春藩軍夫として参加。
若松城 滝沢口の戦いにて戦死
松崎伴吾 享年24 中妻村大字鷹巣 農民
会津追討の際、薩摩藩軍隊付三春藩軍夫として参加。
若松城 滝沢口の戦いにて戦死
鈴木政治 享年20 中妻村大字蒲倉 農民
会津追討の際、薩摩藩軍隊付三春藩軍夫として参加。
食料運搬の際に重症を負い、三春城下三春病院にて戦傷死
上石藤助 享年51 中郷村大字過足 農民
会津追討の際、土佐藩軍隊付三春藩軍夫として参加
若松城下の戦いにて若松城門間にて戦死
靖国神社合祀
小藩の三春5万石 秋田家筆頭宿老 独白
味方を裏切るべきではないが、敵は欺いたって当然のことだ。離れる時に、非難を浴びることなど、気にする必要はない。
小さい義を守ることに心を奪われて、大きい義を踏みはずす。そういうことがないように藩を導いていくことが、家老の責務である。
藩をも守り、勤王の素志をつらぬく。この非常の時、二つを両立させるには、割り切って大事なものだけを見据えていけばよいのだ。
これからつぎつぎとぶつかってゆかなければならない難関を超えていくためには、その後ろめたさを克服することが必要だ。
「何が一番大切か。それだけを見つめてゆけばよいそのために、何と罵られようと、覚悟のうえだ。わが私のためではねえ。やましいことではねえ。腹を据えろ。」
「藩という木の、根を守るのが自分の役目。守るのは、攻める以上の決心、不退転の覚悟が要るのだ。しっかりしんば……」
三春城下真照寺参道 御菓子三春昭進堂
TOP PAGE △