2024-08-15 Thu
KFB福島放送 シェア 令和6年8月14日放送分 三春担当リポーター 髙橋龍一
三春盆踊り 2024
竹久夢二「三春盆踊り」 三春町史より
三春盆踊りでは、みんな手ぬぐいを頭に掛けて、いわゆる“ほっかぶり“をして踊っていました。
これは、お盆という意味のから(祭礼時も同じ意味)、この手拭は“身を改める”という意味合いあったようです。
ほっかぶりをする手拭の効果は、各所で見られるように深い編笠などと同じように、盆踊りの「仮装性」を表すものだとも考えられています。
顔を隠して誰かわからなくすることにより、盆にこの世に戻った祖霊・精霊が、ともに踊っているということを示しています。
もちろん、顔を隠すことで、誰彼気がねなく思いっきり踊れるという解放効果もあったことでしょう。
三春盆踊りは、参加も服装もまったく自由ですから、普段着でまったく気にせず踊っていますが、手拭一本あっただけで気分はもう盆踊りモードに突入です。
三春盆踊りのメイン会場となる大町お祭り広場では、月明りと電球提灯、そして、それらを邪魔しないようにと、世界的な照明デザイナー石井 幹子(いしい もとこ)さんにデザインされた街路灯が配され、女性をよりいっそう美しくみせる仕掛けでもあり、趣ある雰囲気を醸し出しています。
そして、昨今の若い女性は、メイクや髪形もばっちり決めて、浴衣を着ておしゃれをしている可愛い方が多く、手ぬぐいをかぶって顔を覆う若い女性はだんだん少なくなっているようです。
盆踊りの衣装の定番ともいうべき踊り浴衣も、お洒落聞きこなしている方が多くみられます。
その多彩な柄がおしゃれで、見ている方も着る方も楽しいものですね。
三春盆踊りも、お盆に招いた御霊をあの世へ送るための念仏踊りが始まりとされています。
尚、江戸時代の武士はどうやら盆踊りの参加については、禁じられていたらしく、幕末の越後長岡藩家老河井継之助を描いた司馬遼太郎著小説「峠」
この小説の中に、「 河井継之助は長岡甚句の盆踊りが大好きでよく 行ったのですが、この盆踊りには武士は参加できないことになったいたそうです。
しかし 継之助は、妹の浴衣を借りて、 顔をほっかぶりで隠して遅くまで町の人と踊ったという 」と記載されていました。
盆踊りの夜、ほろ苦い思い出はあります。
若い頃の話です。
当時は三春の在郷では青年団主催の盆踊りが各地で盛んに開催がありました。
もちろん城下でも観光盆踊りから新町はじめ城下各町でありましたが、ここは男若集がメインとなり踊りに若い女性がいても賞味期限赤信号点滅か知り合いだらけという状況です。
しかし、青年団の盆踊りには女性がワンサカ居ます。このチャンスを逃すてはないと私たち城下の新町若連は選抜隊を結成して応援と称して今日は中郷、明日は中妻、そして…といった具合に出張太鼓に出向いていました。
そして、ここは当時最大の盆踊りが繰り広げられおり、各地の青年団が集まり、色鮮やかで華やかな浴衣、そして各青年団の法被に白い短パンを纏った若い女性で溢れていました。
漂う匂いも汗と香水が合わさり漂っています。ここは桃源郷か!マハラジャか!という感じでした。
こうなると太鼓どころではありません。ギターを弾いている場合ではなかった若かりし頃のロックンロールパティーの如く、ダンスフロアーでチークタイムまで一直線の再来です。
踊り手に混ざり、ぼんぼり提灯に照らされた素足、そしてうなじが妙に光り輝く若い女性青年団員のみなさんと楽しいひと時を過ごしました。
楽しいひと時というのはあっという間に終わりがやってまいります。
するとお待ちかねの懇親会か開催されようとしています。
私たち新町もすっかり仲良くなった女の子達と手を取り合ってその懇親会の会場に向かいますと「ここから先は青年団だけです」と役員さんに冷たく止められました。
「エ、そりゃあんまりですよ、マハラジャでも黒服に止められたことのないんですぜ〜お兄さん」ってなもんです。
するとお手伝いの区長のおじさん達から声がかかり「オレげの婆っパが作った漬物と日本酒があっからこっちで呑め〜」と区長や老人会の役員さんと誰もいなくなった盆踊り会場の櫓の下で男だけの酒盛りとなりました。
時折り、宴会場の会館からは若い女の子たちの楽しそうに笑う声が漏れ聞こえてきます。その声は夜もふけるまで真っ暗になった盆踊り会場にこだましていました。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂
TOP PAGE △