2025-10-06 Mon

八幡神社秋季例大祭 春八幡様の秋祭り
八幡神社の祭礼は、春と秋の2回催行されています。
春の祭礼は、4月の第3日曜日にその年の農作業の始めに当たり、五穀豊穣を祈願して開催され、八幡様の御神輿渡御と先払いを務める長獅子が三春城下に春の訪れを告げます。
そして秋の祭礼は、旧暦の8月15日、十五夜-中秋の名月の日に社殿に於いて行われています。
この秋季祭礼は、別火講中と称して作物の実りに対する収穫に対する感謝の色彩が強い祭りと言われています。
現在の春祭りに合わせて遂行される八幡様の御神輿渡御の例大祭は、明治維新前まで前記の陰暦の8月15日(中秋)でした。
長獅子奉納は、明治維新の後なので江戸時代にはありませんでした。
明治2年(1869)、維新前は八幡宮としていた八幡神社と改称し、祭日引き続き十五夜に定められます。
尚、明治維新から廃藩置県、神仏離反、廃仏毀釈等を経て、三春の領内鎮守だった大元帥明王(現田村大元神社)から、三春大神宮へ変更され、その例大祭が10月の1日から3日となりました。
※陰暦のため十五夜の日にちが移動して三春大神宮例大祭と日にちが重なったりと不都合が生じ、日程が近いということで、春4月の第3日曜日の春季例大祭に変更されました。
八幡町鎮守 八幡神社 御祭神 品陀別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇) 旧八幡宮
神社明細書によれば、天文年間京石清水より勧請とあり、三春田村氏二代隆頭の治世で、愛姫が生まれる一寸前の時期にあたります。
三春の御城下は桜川の氾濫原を埋め立てた所で、特に場外となる八幡町の現国道は、八幡小路とよばれた細道でありました。
八幡宮の参道は、雁木田西奥の桜川右折部から設けられていました。
雁木田から八幡町下手、丈六から鶴蒔田にかけては、かつては湿田が拓かれていたと思います。
八幡といえば武の神と思われがちですが、もともとは開拓の神で、これらの田畑の守神として勧請されたのでしょう。
八幡大神の御祭神である品陀別尊(ほんだわけのみこと=応神天皇) は、武家の棟梁源氏をはじめ武士の信仰が厚く、勝負の神、弓の神や出世開運の神としても崇敬されました。
家内安全・商売繁盛をはじめ、勝負の神・武神として必勝祈願や心願成就の御利益があり、また厄除八幡とも称し、厄難や病などなどに打ち勝つとして厚い信仰がよせられております。
三春城下八幡様参道の大井戸
三春城下より会津へ通じる会津街道口は、八幡町末踊り場にある旧おどり場商店と現アクト(床屋)の間を通る会津街道沿いの左側のあった清水です。
当時は、巨石を掘り窪めた石の手水鉢があり、その手水石が道しるべとなっていたようです。
この旧会津・若松街道から城下に入る人、関東街道・近世の江戸街道から城下に至る人々が汲み、そして、身支度を整えるための化粧水として使用された清水と伝わっています。
かつて、永井家の先で会津・若松街道は右折していましたが、八幡小路(現八幡神社参道へ通じる道)は、道を直進し三春川(桜川)を渡る八幡宮参道沿いにあることから亀井清水と並ぶ大
勢の方々が利用したと考えられます。
春陽郷三春城下 御菓子三春昭進堂 菓匠蒼龍
| ryuichi | 03:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸三春城下八幡町::八幡神社 |
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