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三春物語649番「陸奥田村荘司 田村氏」


荘司田村氏
健長6年(1254)に著された『古今著文集』巻20の『馬充某陸奥国赤沼の鴛鴦おしどりを射て後出家の事』によれば、『みちのく田村の郷』は『刑部大輔仲能朝臣が領』であったと記されています。
刑部大輔仲能とは、藤原秀郷7代の孫で、関東評定衆田村伊賀守仲能のことです。
 田村荘の支配は、庄司田村氏があたっていたが、その本拠や出自はわからず、元弘3年(1333)の『相馬文書』には、田村荘司宗猷の女子が七草木の地頭職を保持し、また藤原姓であったことが記されている。
庄司田村氏が藤原姓であることは、藤原秀郷流の田村伊賀守仲能とのつながりを示唆する。



また、七草木村は大字七草木で、三春町域の地名の初見である。
 延元3年(1338)南朝方の北畠親房の発給文書には『御春輩』が見え、これは三春を指しており、三春の初見と考えられる。



『御春輩』は三春を拠点とした豪族であろうが、荘司田村氏との関係は明かでない。
 観応3年(1352)、尊良親王の子、守永親王を奉じ荘司田村氏の援護を受けた国司北畠顕信は宇津峰城により北朝方と死闘を繰り返したが、翌[1353]年五月に落城した。
観応3[1352]年北朝方の将・国魂新兵衛尉は斎藤村の地頭職を安堵された。
 〔1353年〕宇津峰落城後の荘司田村氏は没落の途をたどり、応永年間 (1394~1428) 以後になると、田村荘の支配は平姓田村氏(三春田村氏)の手に移る。





| ryuichi | 04:50 | comments (x) | trackback (x) | 🌸戦国大名 三春田村氏 |